第十二話 金の代わり
1433年5月20日 16:30 アルグラッド王国 学園
「な!?」
外が暑くなりはじめた五月の終わり、研究室で私はらしからぬ大声で叫んだ。教授が、「予算はもう出ない」と言ったのだ。
「な、なぜですか?」
「……先日の教授会で、もう環境学部はいらないんじゃないかってね。そう言われたんだよ。そうなれば当然、予算も出ない」
教授の声は、若干低かった。
環境学部が、なくなる?
「僕は、まだ入って半年もたっていないんですよ!?いくらなんでも、いきなりすぎます!それに、まだ顕微鏡だって……」
できていないのに、と言おうとして、私は口をつぐんだ。教授にこれ以上言っても、仕方ないのだ。
「……環境学部は、今の一年生が進学するまで、残すそうだ。だから君は、それまでに学部申請を出さなければならない。残念だが、仕方ないんだ」
教授はうなだれて、ため息をついた。その姿は、私が知る教授とは違う。
「……教授」
「なんだい?」
「何で……どうして、反対しなかったんですか!?」
「……あの教授の爺さんたちは頑固者だ。何を言ったって無理さ」
もはや教授にはなかった。希望も、勇気も、力も。そして、研究者としての好奇心も。ただひとつの失敗で。彼女は、もはや教授ではなく、彼女であった。
私は何もいえなかった。見ていられなかった。まるで、過去の自分を見ているようで。自分もあんなだったのだろうか。一度の失敗で、簡単に諦めている。私の妻は、そんな私を見ていたのか。
私はいたたまれなくなり、研究室を出て行った。
講堂の廊下を歩きながら、私は考えていた。
医学、工学、生物。どこの研究室でも、作ろうと思えば、顕微鏡を作れるだろう。しかし、とてもそんな気にはなれなかった。
冷静に考えれば、言い訳がましい理由も思いつく。その顕微鏡と、微生物群の発見論文があれば、もしかしたら、環境学部は存続するかもしれない。
しかし、今の私にはそんなことは問題ではなかった。ただ今わかることは、この燃え盛る激情が濁流のように私の理性を飲み込んで押し流し、私の足を首都へ、ヨーゼフの前へ推し進めているということだ。
濁流は沈静化し、首都につくころには私の理性が再び息を吹き返していた。学園を飛び出し、ヨーゼフが経営している商会の前に来たまではいいが、さてどうするか。
金の当てはない。実験的にいくつかつくるといっても、5か10は作らねばなるまい、そうなれば最大20000R、現代の価値にして200万円。
親に頼めばどうにかなるかもしれないが、関係が冷え切っている今、それは無謀だ。
そう考えていると、目の前に一人の男が現れた。ヨーゼフだ。
「おやおや、どうされましたか、ジョン・ワーテルさん。そんなところにいないで、中に入られては?」
彼はもともと好青年だったが、今はさらにまぶしく見えた。
応接間に案内され、紅茶を飲んで一息つくと、私は状況を話し始めた。
「そういうことでしたか……あなたも災難でしたね」
「その、お願いがあります。どうか、お金を貸してくれないでしょうか」
誠実な願いだった。彼は、少しも驚く様子はなかった。すでに予期していたようだった。そしてすました顔で、
「……わたしは職人であり、商人です。この「顕微鏡」の価値、わからないわけじゃない。だから金は貸しましょう。しかし、ひとつだけ条件があります」
「いったい、何でしょうか」
一つの条件。私は緊張して聞く。
「卒業後、うちの商会に入ってください」
2000PV、500UV、応援ありがとうございます!これからもがんばります。