第十話 他愛ない……
1433年3月30日 16:30 アルグラッド王国 学園
今日の講義も終わり、私はユリアンニ教授の研究室で書類仕事をしていた。
「教授、さすがに書類溜め込みすぎです……」
「いやー、ついつい溜めちゃってねー、いつの間にか増えてるんだよねー」
第32回世界環境学会議とかいうパンフレット(未使用の招待状つき)が本と本の間にはさまれて出てきた。うわあ3年前のだよこれ。
教授いわく、「会議(学会)とか、めんどくさいし出てないよ」らしい。それでいいのか学園よ。
「大丈夫大丈夫。環境学会は研究者自体が少ないし、出席してなにかいいものがあるかといわれると、ないんだよねえ」
「えっ。じゃあ、研究発表とかどうするんです?」
「ん?それはそこで発表するのさ。半年に一度、それらをまとめた学会広報が回ってくるから、別に出席しなくても、ねえ?」ということらしい。
「……しかし、私以外に学生はいないんですか?」
「いや?べつに研究なんて自分ですればいいでしょ。環境学部は授業と卒論しか面倒見ないよ。」
さも当然であるかのようにこの女性教授は言う。この国一番の教育機関にしては、ずいぶんと拍子抜けだ。
「……ことこの学問にかけては、まじめな研究する人少ないのよ。」
金も出ないしね、と彼女はつぶやく。医学や工学や魔法学などの実用性に富む学問に比べ、生物学や化学や環境学などの基礎研究的な学問が主に資金面で冷や水を食らってきたのは地球の日本と同じであるが、この国ではそれにも増してその傾向が顕著であるらしい。
……もっとも、数学や神学など、学問を形成する上かかせないものについては、医学などと同じ扱いをされているらしいが。
と、教授の溜め込んでいた書類を大方片付けると、私はさっき教授に言われた、環境学会、それと関係の深い医学学会、理工学会の会報を見る。(この世界には物理学会とか、気象学会のように細かな学会区分はなされていない)
教授の手伝いをする代わりに、この部屋の設備や文献を使わせてくれると教授と約束をしたのはつい3日前だ。
この時代の学術研究のレベルは中世並らしい。ただ、大きく違うところもある。医学だ。魔法とかいう便利なものとあいまって、この世界での外科的な処置に関しては、知識や研究が大きく進んでいる。地球のように、「腕が化膿したんで切り落としますね」とかいうことにはなっていないのである。
もっとも、内科的処置や衛生に関しては、まだまだ中世ヨーロッパの域を脱し切れていない。私からしたら、いや、お風呂習慣があるアルグラッド王国民からすれば驚くべきことだが、「水に触れることで健康が害される」などと考えている研究者は多い。内科的投薬や、都市衛生の改善もなされていない(大規模水道網の整備は、世界中どこを見てもない)ところからも明らかだ。
地球に存在しない魔法、魔法学については、影響力が未知数である。
主に医学方面への利用に関しては、体表層部の傷の治癒や、生命維持能力の増大、自己免疫力の増大/減衰など、多方面にわたって利用されている。しかし、魔法が体にとって毒になる場合もあるため、その研究も進んでいる。
さらに、医学への発展寄与も顕著だが、なんと言っても、この学園のキモである軍事的転用もすさまじい。
教育を受けた魔法使い1人で500人の兵士に当たるといわれるほど(もっとも、誇張も含まれてはいるだろうが)、魔法使いの軍事的影響力は強い。そして、そんな魔法使いたちの軍事的影響を弱めるべく、日夜強力な新兵器が開発されているのでもある。
ともかくだ。
そんな世界で、私はあるひとつの目標を立てた。
せっかく知識を持ったまま転生したのだから、この世界に自分の名前を記したい。
そのために、私は持っている知識を使うと決めた。
科学は繁栄とともに滅亡を招きます。この主人公の判断は、長期的にどうなるかわかりません。たとえそれが人助けのためであったとしても、自分の名誉のためだとしても、結末は同じことです。