第一話 人生を変える一枚の切符
2018年8月13日 20:00 太平洋上 JAL1127便
日本を出て2時間30分、私は窓の外に広がる夕焼け空を眺めていた。機内にはもう寝ている乗客もいる。
日本を出て外国に行くのは、おそらく10年前、新婚旅行としてパリに行ったとき以来だろう。
(あっちについたら、まずどうしようか……)
ふと、そんなことを考える。
この年になったのに、外の世界も見ていなかった。海外での立ち振る舞い方も、ほとんど知らないのだ。
大学院を出た後、ポストドクターとして公衆衛生を研究していた。
その後、運良くある食品会社の研究所の研究員になり、そして出会った元妻と結婚したところまではよかった。ところが、その会社の商品で起こった食中毒問題が露見すると、会社の役員たちは騒ぎが大きくなるのを防ぐため、早めに自主回収、責任者の処分を徹底した。その責任者の一人が工藤成彦こと私である。(当時私は衛生部門の取り仕切りをしていたのだ)
もちろん、会社の処分はわたしにとっていいものではなかったが、そうしないといけない理由も内心理解できていたし、何よりの問題として、当時私と一緒にいた妻、その生活費に加え、さらにその食中毒問題におけるマスコミの過熱報道のほうが私の頭を抱えさせる要因となった。(当時はこれといっていいネタがなかった記者たちの前に、早めに処分を終えたとはいえ、この問題は絶好の的となった)
妻はパートでも何でもして家計を支えるといってくれたが、まだ私達の間には子供もなく、彼女もまだ29と若く、だから私は「このままだと君の人生まで駄目になってしまう」という理由で彼女と離婚した。そして彼女に就職するまでは毎月生活費を送ると約束した。(彼女が泣く泣く離婚届にサインしたのを見るのは、私にとっても辛かったのだが)
その後、マスコミ各社は新たに出た別の食品偽装に的を変え、私は私であれ以降、問題を起こした40過ぎの研究員を雇ってくれるところなんてどこもおらず、半ば諦めかけていたところなのだが、この度、なんとアメリカの研究所に招聘されたのだ。まったく、自分でもびっくりする。
ともあれ、そういうわけで私は今、この飛行機に乗っている。
ふと、何か悪い予感がした。こういう予感は当たるものだ。
次の瞬間、私の目の前は真っ黒になった。