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開幕前夜

作者: 大島なるみ

短いので場面構成が曖昧ですが、出番待ちの緊張感なとが伝わると良いなと思います。

 それは今までにも何度となく繰り返し体験してきた、瞬間でもあった。

 それでも未だ慣れることなく、あたしの身体は緊張に震えていた。

 風が吹けば簡単に舞い上がるだろうその幕は、今は重たくその先を閉ざしている。

 その先にあるのはいつも未知なる世界。

 でもそこには必ずこの心を揺るがすような事が待っていて、あたしは何度となくそれに強く惹枯れるのだ。

 それなのに、気持ちとはうらはらに止まらない震えが、逆に腹立たしい。


「菜摘」


 そんな状態のあたしに、ふいに声がかかった。

 まるで今のあたしの心境を知って諫めるかのように呼び掛けてくる――昔から知ってる特徴のある声だ。

「俊之」

 あたしはくるりと振り返って、その声の主の名を口にした。

「また例の緊張か?」

 あたしに名を呼ばれた彼・富永俊之はそう言って、微かに表情に笑みを浮かべた。

 彼もまたあたしと同じ立場にある1人だ。

 時間が来ればこの重く閉ざされた幕をくぐり抜け、向こう側へと向かう。

 彼は愛用のベースを手に、そしてあたしは愛用のハンドマイクを手に。

 そう、幕の向こう側はライブステージ、未知数のエネルギーが集まり取り巻く場所だ。

 呑むか呑まれるか、どうなるかは分からない。

 そんな不安に押し潰されそうなあたしの傍らで、いつも悠々とベースの弦をつまびいている俊之が、あたしは不思議で仕方がなかった。

 (……どうして、こいつはこんなにも平然としていられるんだ?)

 案の定、あたしは今日も彼を見て、そう思う自分に行き着いた。

「一度ステージに立てば、そんな素振りもどこへやらなのに。

……やっぱボーカルとしてはプレッシャー感じるんだ?」

「からかってんの?失礼ね。そう思うならほっといてよ」

 そう言って突っ張ってみるものの、俊之には何の効果もないらしい。

 含み笑いをしたままで俊之はこう返してきた。

「すねるなよ。ほら」

「何?」

「肩、貸してみ。“いつもの”やってやるから」

「――っ!」

 俊之は当たり前のように、あたしの背後に回ろうとする。

 そう、あたしは悔しい事に、ここ最近ずっと――いや、前からそうだったかもしれない。

 俊之が言う“いつもの”のおかげで色々と救われているのだ。

 本当は理不尽に思うけれど、それを必要不可欠としてしまう。

 そんな自分は情けないけれど、現実はそうなのだ。

 だけど……。

「どうした?」

 毎回こうも上手な雰囲気なのは、正直納得がいかなかった。

 だから

「…いーわよ。大きなお世話です」

と言ってはみるものの、震えは止まらない。

 そんな時だ。

 こういった絶妙なタイミングで、俊之は私の名を口にするのである。

「菜摘…」

と。

しかもいつもとは違う、囁くようなどこか甘い声で。

 その声は私の尊厳に値する有名な楽曲と同じか、それ以上の効力を持っていて。

 私の身体の動きをしびれたように麻痺させるのには、充分なものだった。

「あ……」

 ふと我に返った時にはもう、あたしは大きな俊之の両腕の中に、すっぽりと収まっていたのだった。

 抱き締めてくる腕にゆっくりと力が込められる。

 だけどそれが不思議と心地良くて、安心できて…ついついあたしはこの感覚の余韻に浸ってしまうのだ。

「…反則だよ」

 聞こえるか聞こえないかくらいの声であたしは呟いた。

 本当に反則だ。

 彼のいつもとは違う甘く囁く声も、心地良い腕の中も。

 全く反撃の隙すら与えてくれない。

 初めはあらがってみても、結局はここに行き着いてしまうのだから。

「ん?何か言った?」

 俊之は耳がいいのか、あたしが先程口にした言葉も聞こえたらしく、そっと尋ね返してくる。

 本当、反則だ。

 これじゃ完全に相手が一枚上手じゃないか。

「何でもない!」

 あたしはそう言い切って、多少理不尽だけど待つことにした。

 彼の…俊之の言葉によってかけられる。

 不思議な儀式の瞬間を。

 それはまるでカウントダウン。

 彼の腕の中、安心しきってしまったあたしの耳元で。

 いつもの魔法をかけてくれたのだった。


『閉ざされた重い幕の向こうでは、今の不安も吹き飛ぶさ。

大丈夫、きっと上手くいく。』



― そして、その日のライブが盛況の中終わったのは、言うまでもない ―



End.



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― 新着の感想 ―
[一言] ある一場面のスケッチとして面白く読みました。 緊張感を伝えるには、もう少しスパイスが欲しかったかな。
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