三章 女神の盾
王宮の一室にて、王女は紅茶と白い紙の置かれたテーブルを前に、自らの設立間近な騎士団の調整に追われていた。自らの領地を持っている以上、ゾフィーにも直下の戦力はある。その規模を拡大し、新たな騎士団の設立を目論んだのだが、見事に人材が集まりそうに無い。
腹立たしい事に、多くの者は騎士団の設立自体を、王女の道楽としか見ていない。人材が集まらないのは、当然といえば当然であった。しかし平時ならもう少し集まっただろうにと、宿敵たるリカム帝国に文句を言いたくなる。
「いっそ直接会って引き抜くか」
「それはなりませんぞ姫」
漏れた呟きに返事があり、王女は背後に控える騎士へと振り向いた。すると立派な白髭をたくわえた老騎士マルティンが、嗜めるように言う。
「姫に直接声を頂けば、確かに従う者は多い。しかし周囲はそれを姫が無理強いしたものと思い、顰蹙をかいかねませんぞ」
「構うものかと言いたいが、そうもいかぬか」
今の王女は、大胆な行動を起こす事が出来ない。そもそも普通に引き抜いたとしても、優秀な人材を取られる側は良い感情を持たないだろう。上手くいかない現実を前に、王女は疲れたように吐息を漏らした。
そもそも、本来ならば自分がこんな事をする必要は無かったのだ。そう思うと、この状況を押し付けた人物に、仕方が無いと理解しつつも文句を言いたくなった。
「ゾフィー。少し時間はとれませんか?」
「兄様? どうぞ」
突然の来客に、王女は考えを一時放棄し客を招きいれた。現れたのは王女の兄にあたるヴィルヘルム。彼は王女の座るテーブルの前まで来ると、腰を落ち着ける素振りも見せずに話し始める。
「あなたの騎士団についてなのですが、少数ならば近衛から何人……か……」
「……?」
何が起きたのか、ヴィルヘルムは話しながら訝しげに王女に視線を向ける。そして盛大に眉間に皺を寄せると、口を閉じてしまった。その行動の意味が分からず、王女は老騎士と顔を見合わせて首を傾げる。
「……マルティン。少しゾフィーと二人きりにしてくれませんか」
「それはできませんな」
第二王子にして宰相たるヴィルヘルムの言葉を、マルティンは考える様子も見せず、即座に切り捨てた。マルティンにとってゾフィーをヴィルヘルムと二人きりにするのは、猛獣の檻に兎を放り込むに等しい。
クラウディオが騎士ティアに求愛しつつも、しっかり妻を娶り一児をもうけたのに対し、ヴィルヘルムは二十代後半になるにもかかわらず未だに独身。その理由は、ヴィルヘルムが実の妹を溺愛しているためだと、まことしやかに囁かれている。
城下にまで広がっているその醜聞を、きっぱりと否定できる人間は居なかった。実際にヴィルヘルムのゾフィーへの愛情は、兄妹のそれとしては行き過ぎている。ゾフィーを幼い頃より見守ってきたマルティンが、心配するのも無理は無かった。
「良いマル爺。呼ぶまで下がっていろ」
「しかし……」
「私が兄上に腕力で負けるわけが無かろう」
「それは……確かにそうですが」
今でこそ人並みに、あるいは以上に働いているヴィルヘルムだが、幼少の頃は病弱であった。この所は病気こそしていないが、それほど体力があるわけでは無い。一国の姫君としてはありえないほどの武を持つゾフィーを、力尽くでどうこうするのは無理だろう。
渋々ながらも納得したマルティンは、一礼すると部屋から出て行った。
「マルティンもあなたも、随分私を嘗めているようですね」
「今更でしょう。それで、一体どうしたのですか?」
「話は簡単です。ゾフィーはどこですか?」
「……何を言っているのですか兄様。父上が中々ボケないと思っていたら、兄様が先にボケるとは」
眉をひそめながら言う王女に、ヴィルヘルムはくつくつと笑みを返す。しかしその笑みの奥で、ギラリと目の色が変わった。
「誰に口をきいているのですか。そんな稚拙な変装で、私の目をごまかせるとでも?」
「……何の事でしょうか?」
「ああ、話す気が無いのなら構いません。王女の名を騙る不届き者を、捕らえ拘束し拷問にかける。ぱっと見は似てないわけでもありませんし、楽しめそうですね」
今にも舌なめずりをしそうなヴィルヘルムの姿に、王女の心に恐怖が入り込み、僅かに顔を歪めさせた。その様子を見て、ヴィルヘルムはそれまでの獲物を狙う蛇のような視線をやわらげると、口元を吊り上げるようにして笑った。
「冗談ですよ。まあこれ以上白を切るつもりなら、冗談でなくなりますが」
「……も、申し訳ありません!」
口元こそ笑ってはいるが、相変わらず冷たく見下すような目。その人では無く物を見るかのような視線に、王女のふりをする少女は、屈服し観念するしかなかった。
王女という演技を止めてしまえば、本人の性格は似ても似つかない気弱なもの。今の状況に虚勢をはる事もできず、血の気がひいた顔は青く染まっていた。
「し、しかし何故分かったのですか?」
何故ばれたのか、少女には不思議でならなかった。実際にゾフィーと入れ替わった事は数回しかないが、いずれも周囲の者――クラウディオにすら気付かれずに役目を果たしてきている。ゾフィーを真似るために、彼女の性格を把握し、本人の知らない癖すら再現した。自分以上にゾフィーを知る人間など、他に居ないと自負している。
そんな少女の自負を、ヴィルヘルムは容赦無く打ち砕いた。
「ゾフィーはもう少し肩幅が広い。瞳の色もあなたほど青みがかってはいませんし、鼻は美しい。そして何より髪がいただけない。ゾフィーの髪はもっと光沢があります」
「……あの、これはゾフィー様の髪を使っているのですが」
「ゾフィーの? ああ、騎士の修行を本格的に始める時に、一度短く切っていましたね。ならば保管している内に痛んだのでしょう。管理が甘い」
「そ、そうですか」
次々と出てくる駄目出しに、少女は疲れたように眉間をおさえた。指摘されるのは外見の特徴ばかり。少女が必死になって身に着けた振る舞いや仕種は、この宰相閣下の愛の前には意味を成さなかったらしい。
「それで、ゾフィーはどこに?」
「その……アルムスター公のもとに。理由はお答えいたしかねます」
「アルムスター公の。彼は選定候の一人ですね。そういえば兄上もアルムスター公以外の三公と接触しているらしいですが」
「……お答えいたしかねます」
最初から知っていたとしか思えない的確さで、ヴィルヘルムはゾフィーの目的を遠回しに言い当てる。
選定候とは、新たな王を決める際に投票権を持つ諸侯の事である。彼らの支持を受けなければ、王になる事は許されない。彼らの支持を得ずにゾフィーが王位を得れば、それは簒奪と判断されかねないのだ。
少女は先ほどとは違った意味で、頭が痛くなってくるのを感じた。
「ふん。まあ良いでしょう。しかし、何故兄上を頼っておいて、私には相談一つ無いのですか!?」
「お答えいたしかねます」
「アンタが色んな意味で危ないからだ」という言葉は飲み込み、少女は繰り返すように同じ言葉を言い放った。もっとも少女本来の性格では、そんな事を言う度胸もありはしないのだが。
「ところで……あなたは誰ですか? ゾフィーの真似ができるという事は、ゾフィーに近しい誰かなのでしょうが」
「お答えいたしかねます」
今度は強い意志をこめて、少女は繰り返し拒絶の言葉を紡ぐ。それにヴィルヘルムは小さく唸ったが、すぐに笑顔で語りかけた。
「私と結婚しませんか?」
「お断りします」
トチ狂った宰相閣下に、少女は笑顔で、しかし全力で拒否を示す。そして同時に自らの主に、一刻も早く帰ってくるように心の中で願った。
・
・
・
ピザン王国とジレント共和国との国境のそば。大陸の北西部の半島を区切るように、その山はそびえ立っている。
ゼザと呼ばれるその山は、比較的緑の多い大陸北西部には珍しく、焦げ茶色の岩肌をさらした寂しげな山だ。板か何かで整えたようにその形は見事な三角形であり、遠くから見ればその色と相まって巨大な砂山のように見える。その綺麗過ぎる山は、人工的に作られたものでは無いかという学者も居るが、手段も目的も不明なその説を裏付けるものは未だに見つかっていない。
多くの学者の興味を集めるゼザの山。しかし今のコンラートにとっては、その浪漫に溢れる山も、殺風景で隠れ場所の無い厄介な山でしかなかった。
山のふもとに広がる町の中、コンラートは砂にまみれた石畳の上を、特に行く当ても無く彷徨っていた。
人々は既に眠りについているのか、明かりのついている民家は無く、足元を照らすのは楕円を描く月の光のみ。その月も途切れ途切れの雲の欠片に覆われて、今にも姿を隠しそうだ。
「……来たか」
足音も無く近付いてくる者の気配を感じ、コンラートは腰の剣へと手をかけた。それが合図だったかのように、樽だの石だののガラクタがつまれた影から、闇色の何かがコンラート目がけて飛んでくる。
「フゥ!」
抜刀と同時に、コンラートは飛来した何かを弾き返し、叩き落とした。月明りにてらされて浮かび上がったのは、柄の短い投擲用のナイフ。暗闇の中で使う事を前提としているのか、その刀身は黒く塗られていた。
それに気をとられる暇も無く、今度は民家の屋根や壁際から人影が飛び出してきて、挟み撃ちにするように、先ほどと同じナイフを投げてくる。それに対しコンラートは剣を両手で握りなおすと、竜巻のように回転しながら全て叩き落した。
コンラートがこのような襲撃を受けるのは、これが初めてではなかった。王都を離れて一週間ほど経ったときに、宿を求めて夜の街を歩いている所に、何の前触れも無くナイフの群が現れたのだ。
その場は何とかしのいだが、四方八方から襲い掛かってくるナイフに、右手だけでは分が悪かった。完治していない左腕に、随分と無理をさせてしまう。折れた骨は城での神官の治療もあり治りかけていたが、完治が一週間は遅れただろう。
そしていざ完治しても、黒いナイフを使う襲撃者たちは、コンラートがどこに逃げても付きまとってきた。こうして夜になると、コンラートが一人になるのを見計らって、嫌がらせのように襲いかかって来る。
「ハアッ!」
しかしコンラートも一方的にやられてばかりでは無い。ナイフを弾き、かわしながらも、襲撃者の位置を見極め、影に隠れる彼らを斬りつけた。だが彼らは胴を裂かれ、腕を切り落とされても、人形のように冷静であった。致命傷を負っても気にかける様子も無く攻撃を続け、コンラートから距離をとり、最後には逃げおおせてしまうのだ。
「クッ!?」
影に隠れた襲撃者を、がらくたごと叩き切る。剣は襲撃者に届いたらしく、吹き飛ばされるガラクタに紛れて血が飛び散った。しかしやはり襲撃者は傷口を庇おうともせず、コンラートから逃げながらも、ナイフを的確に投げ続ける。
コンラートは対処しきれず、左手で鞘を腰から引き抜き、飛来するナイフを剣と鞘とで叩き落とした。その中でも冷静に周囲を窺い、コンラートは自身が窮地に立たされていることに気付く。
これまでの襲撃者の数は、片手で数えられる程度のものだった。しかし今この場に居る者は、数えるには片手では足りず、飛来するナイフは数えるのが面倒になるほどであった。
四方を囲まれ同時に攻撃されれば、いかにコンラートといえども無傷ではいられまい。そしてナイフに毒の類でも塗られていれば、かすり傷でも致命傷となりかねない。
コンラートは背後に迫ったナイフを横に跳んで避けると、その場からの離脱を試みた。しかしそのコンラートの行動を予測していたように、屋根の上から、壁の向こうから、路地の裏から、計ったように黒い影が飛び出してきてコンラートを包囲する。そして足を止めたコンラートをハリネズミにせんと、二十を軽く越えるナイフの群が襲いかかった。
「――女神よ、その翼で我らをお守りください」
「!?」
いかにして被害を最小限にするかと考えるコンラートの耳に、男とも女ともとれない澄んだ声が響いた。
「何!?」
そしてその声に応えるように、光の粒子がコンラートの周囲を包み込み、薄い壁を作り上げた。淡く光るその壁は、闇の侵食を拒むように、黒いナイフを全て弾き返すと溶けるように消えていく。
「――女神よ、私たちが罪を許すように、私たちの罪をお許しください」
「!?」
いつの間に現れたのか、襲撃者たちとは異なる小柄な黒い影が、呆気に取られるコンラートのそばを通り抜けた。それから逃れるように散っていく襲撃者たち。しかし小柄な影はコンラートですら追いつけなかった彼らに追いすがる。
「……速い」
その後姿を眺めながら、コンラートは意識せず呟いていた。コンラートが知る中で最も速いといえるティア。彼女には及ばないが、それでもその速さは人間離れしていた。
そして小柄な影は容易く襲撃者の一人に追いつき、その背に手にした杖を向けながら、神聖なる言葉を紡いだ。
「――誘惑より導き出し、私たちを災厄からお救いください」
小柄な影の持つ杖から光が溢れ、一人の襲撃者を包み込んだ。闇を切り裂くその光は一瞬で、辺りはすぐに静寂を取り戻す。そしてコンラートが閉じていた目を開けば、そこには小柄な人影だけが佇んでおり、そばには襲撃者が一人倒れていた。
「……何が起きた?」
わけが分からず思わず呟いたコンラート。それに気付いた小柄な人影が、ゆっくりと振り返る。そして狙ったように顔を出した月が、その姿をコンラートの前に晒させた。
月明りにてらされて浮かび上がったのは、黒い修道服を纏い、ゼンマイのように先の曲がった杖を持った歳若い神官。煙突のような筒状の帽子からこぼれるのは、肩の辺りまで伸ばされた黒い髪。月明りの下でも分かる肌の色素の濃さといい、この大陸では見慣れない、明らかに異郷の人間だと分かる容姿だった。
顔は中性的であり、声の事もあり性別がどうにも判別できない。ただ自分が散々手こずった襲撃者を倒したのが、十代中ごろの子供とも言える若さであったことに、コンラートは少なからず戸惑った。
「白の騎士コンラート殿ですね」
「……俺はもう騎士では無い」
「それは失礼しました。私の名はクロエ。以後お見知りおきを」
そう言って頭を下げるクロエを見て、コンラートはようやく目の前の神官の性別が分かり、内心でほっとしていた。
クロエというのは、大陸南東部で多く見られる女性の名だ。そのためコンラートはクロエを少女と判断し、男物の修道服を着ているのは何か事情があるのだろうと一人納得する。
後にこの勘違いを聞いて、とある王弟殿下が窒息寸前まで笑い転げるのだが、それは別の話。
「これまでご苦労様でした。カイザー殿下の命により、これより先我々女神教会が、貴方を保護します」
「カイザー殿下が?」
「詳しくは後ほど。派手にやりましたから、人が集まってくるかもしれません。付いて来てください」
自分のやったことの派手さには自覚があったのか、足早にその場から動くクロエ。コンラートは状況が掴めない事に戸惑いながら吐息をつくと、素直にその後ろに従った。
・
・
・
クロエに案内されたのは、街の中心地にある教会だった。クロエはそこで待っていた神官に幾つか指示を出すと、コンラートを奥へと案内する。
招き入れられたのは、旅の途中に訪れた信徒に貸し与えられる、ベッドが面積の半分を占める小さな部屋だった。クロエはその部屋の様子を確認すると、コンラートへと向き直る。
「今晩はここを使ってください。コンラートさんにはベッドが小さいかもしれませんが」
「なに、ベッドがあるだけでありがたい」
申し訳無さそうに言うクロエ。それにコンラートが笑いながら返すと、つられたようにクロエも笑う。その年相応な笑みに和みつつも、コンラートは顔を引き締め、気になっていた疑問を口にした。
「しかし、カイザー殿下の命令とは?」
「正確には命令では無くお願いです。私に……我々に直接命を下したのは、アルバス教国になります」
「アルバスが?」
アルバス教国とは、多くの信徒を抱える女神教の教主が自治する国の名だ。現在存在する四つの大陸全てに領地を持つ唯一の国であり、コンラートたちの居る南大陸には、北西の半島の最北端に領地が存在する。
国境を接するジレントとの不仲は、子供でも知っているほどの常識であり、神官と魔術師の不仲を象徴する典型とも言える。そのような国が、何故ジレントに居るはずのカイザーの願いで動くのか。
「先ほどはああ言いましたが、カイザー殿下自身は、貴方が気になるという程度の事しか言っていません。カイザー殿下の発言でジレントの上層部が貴方に興味を持ち、何者かに貴方が狙われている事に気づいたのです。貴方は国王とは袂を分かったそうですが、未だ第一王子であるクラウディオ殿下の信頼は厚い。そのクラウディオ王子が、妹であるゾフィー王女を王にしようと画策している」
「……(実際にはゾフィー殿下にクラウディオ殿下が使われているのだろうな)」
「将来ピザン王国の中枢を担う方々に、信頼される貴方を助けて恩を売る。それがアルバス教国の狙いです」
「待て、カイザー殿下はジレントに居り、俺の事を調べたのもジレントなのだろう。何故アルバス教国が出てくる?」
「ジレントは中立国です。魔法ギルドの存在のために、中立などという言い分は怪しいにも程があるのですが、それでも他国に直接的に関与は出来ません。しかしカイザー殿下の願いを無下にもできず、アルバス教国へと情報を流すことにしたのです。ピザン王国は王の権力が強く、他の国ほど聖職者が政治に影響力を持てませんから、アルバス教国も良い機会だと思ったのでしょう。最もこの件については大した期待はなく、他のルートから色々ちょっかいを出しているようですが」
「……ん? 君はジレントの人間では無いのか?」
クロエの口ぶりからして、その所属はジレントであるかのように思えたが、神官がジレントに帰属するというのも珍しい。アルバス教国の命令に従うのならば尚更だ。
そのコンラートの疑問に、クロエは苦笑しながら答える。
「国籍はジレントですが、神官である以上はアルバス教国の命令には逆らえません。まったく、あの天然王子が余計な事を言うから」
「……仲が良いのだな」
疲れたように愚痴を漏らすクロエに、コンラートは呆れながら辛うじて言葉を返した。王弟殿下を相手に、目の前に居ないとはいえ天然呼ばわり。コンラートが頭の固い人間であったなら、無礼者と一喝し剣を抜いていたかもしれない。
「襲撃してきた連中だが、何者かは分かっているのか」
「恐らくは。……先ほど私が使ったのは、浄化の神聖魔術。本来ならば体の異常や呪いの類を打ち消すものなのですが、彼は息の根を止められたように事切れた。……まるで最初から死んでいたかのように」
「……アンデッド」
重々しく呟いたコンラートに、クロエは無言で頷く。
「私はリカム帝国の宮廷魔術師イクサと面識が在ります。残っていた魔力の残り香からして、貴方を襲ったのはイクサに間違いないでしょう」
「あの宮廷魔術師か……。しかし何故俺を?」
先の大戦の際に、コンラートはイクサと戦場で顔を合わせた事がある。灰色の長い髪を無造作に伸ばした、気味の悪い男だった。
イクサは騎士になったばかりのコンラートに、こともあろうか寝返りを勧めてきた。それを鼻で笑い斧槍で殴りかかったが、その後はこっぴどくやられて死にかけた事しか覚えていない。
取るに足りない。そう判断されたと思っていたのだが。
「魔術も無しに、アンデットを行動不能なまでに潰せるだけで、イクサにとっては脅威でしょう。彼は数によって戦況を覆す。単独で戦況を覆す英雄は、イクサにとって天敵のはずです」
「……英雄か」
自分はそんな大層な者ではないと言いかけて、コンラートは口をつぐんだ。
見た目からして、クロエは十五歳前後だろう。キルシュ防衛戦が終わった頃に、生まれているかどうかも怪しい。ならばゾフィー以上に、コンラートを英雄という形でしか知らないはずだ。それを卑下してわざわざ訂正するのも、何とも居心地が悪そうだった。
「しかしこの後はどうすれば良い? ジレントを経由しアルバス教国へ行くにしても、山道を行く間も奴らは襲ってくるだろう」
「ゼザ山には、魔法ギルドが管理する地下遺跡があります。山の向こう側まで通じていますし、地元の人間にもあまり知られていませんから、安全に抜けられるはずです」
「そんなものがあるのか。しかしイクサも、その遺跡を知っている可能性はあるのではないか?」
「知っていても、内部の構造を完全に把握してはいないはずです。広大な上に細長く似たような見た目の通路が、蟻の巣のように張り巡らされていますから、恐らく私たちに追いつく前に迷いますね」
「……そうか」
説明を聞き納得はしたものの、それでは自分たちも迷うのでは無いかと心配になる。それを見透かしたように、クロエは微笑みながら言う。
「私は内部を把握していますからご心配なく。私がコンラートさんの下へ派遣されたのは、そのせいでもあります」
「そうか。ならば頼りにさせてもらうとしよう」
「お任せを。それに私は神聖魔術の他に体術の心得もありますから、万が一のときはそちらの方もお任せあれ」
「はは、頼りにしよう」
得意げに笑ってみせるクロエに、コンラートも笑って返す。見た目だけならば頼りになどとてもできないが、コンラートはレインという見た目にそぐわない実力を持った例を以前に見たばかりだ。そのためクロエの言葉を、言った本人が呆気にとられるほどあっさりと受け入れた。
そのレインをクロエの比較に思い浮かべたのは、どちらも同じ年頃の少女だと思ったからなのだが、その勘違いはしばらくの間正される事は無かった。