王都ルシェロの戦い6
王宮のあった丘が弾け飛びその中から九つ首の竜が現れるのを、ゾフィーたちは王都から離れた地平から見ていた。
遠目にも、いや遠目だからこそその巨大さが分かる。
その威容は消し飛んだ王宮に匹敵するほど巨大であり、頭の一つが身じろぎしただけで首が周囲の瓦礫をなぎ倒していく。
「あれは……もしやエレオスか?」
「知ってるの!?」
その竜を見てその名を言い当てるゾフィーに、傍らにいたレインが驚いて声をあげる。
「ローラン王国の守護聖龍だ。首のそれぞれが八方を守護し、残りの一首がローラン王国そのものを守っていたとされている」
「ああ、何か聞いたことがあるような。ってそれアンタのとこが独立するよりも前の大昔の話でしょ。何で今更、しかもローランドならまだしもキルシュに出てくんのよ!?」
「私が知るか!?」
「お二人とも落ち着いてください。それどころではないですよ」
言い合う二人を嗜めるツェツィーリエであったが、彼女とて現状を理解しきれず混乱している。
「策謀王の仕業でしょうか?」
「どうかな。話に聞くジェローム王があんな理不尽なものに頼るとは思えんが」
「問題はアレを今どうするかでしょ。どうする? ぶっぱなす? というかぶっぱなしていい?」
「落ち着け魔術馬鹿」
今にも呪文詠唱を始めそうなレインの頭を押さえつけ、どうしたものかとゾフィーは考える。
この魔法ギルドのお姫様はとりあえずやってみてから考えるタイプのようだが、現状アレに対する貴重な攻撃手段であるのに後先考えずにやらせるわけにもいかない。
「あ、クロエがコンラートさんたちと時間を稼ぐから、その間に何とかしろって」
「精神感応か? しかしアレを相手に時間稼ぎに出向くとは、何とも命知らずな」
そう呆れたように言いつつも、ゾフィーの顔は羨ましげであった。
それはそうだろう。竜退治など正に神話の英雄の所業だ。
もし体が万全であったなら、今すぐにでも聖剣片手にかの竜目がけて突撃していたに違いない。
「ツェツィーリエは魔力は回復しているか?」
「いえ。低位の魔術なら幾つか使えますが、最上位のものでもなければあの竜には通じないでしょう」
「となるとやはりレインをどう使うかだが……。レイン。氷と雷ならどちらが得意、あるいはどちらがあの竜に効きそうだ?」
「得手は大差ないわよ。それでどちらが効きそうかといったら火竜みたいだから氷でしょうね。でもある意味逆属性の真っ向勝負になるから、威力が足りなければまったく効果なしって結果になるかもしれないわよ」
「……安定を取るなら雷か」
しかし必ず効くであろう雷を用いたところで、それが致命傷になるかと言えば疑問が残る。
下手に深手を負わせて逆上させればどうなるかも予測がつかない。
ならばここは賭けに出よう。駄目だったなら尻尾を巻いて逃げ去って、どうするかは後で考えよう。
「レイン。氷だ。射程は十分か?」
「うーん。できればもっと近く。その上で障害物がないといいんだけど」
「周りは城壁と丘の残骸だらけだぞ。障害物がない場所など」
「それなら私がどうにかできるかと」
「本当か?」
「お任せください」
ゾフィーの問いに、ツェツィーリエは自信に満ちた笑みで言った。
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戦闘の始まりは竜の咆哮によって告げられた。
長い首の内の一本がその身を鞭のようにしならせ、その巨体をコンラートたち目がけて振り下ろす。
「散れ!」
咄嗟に放たれた警告は誰のものだったのか。
その竜の一撃は大地を軋ませそこかしこにあった瓦礫を粉砕する程度には強力であり、そしてでかい図体にも拘わらずその速さは流星を思わせた。
「何。ただの打ち下ろしが速いのは道理。横の動きはそれほどでもないと見た」
そう冷静な推測を漏らすのは、言葉の通り横へと跳んで竜の一撃から逃れたグスタフだ。
その他の面々もこの状況でのこのこと出てくることはあるというべきか、誰一人として先ほどの竜の一撃を受けたものは居なかった。
「となると立ち止まらずに動き回るべきだが、大丈夫かエミリオ?」
「多分ね。……そんな顔をしないでくれよ。大丈夫。あれくらいなら避けられないことはないし、ダメだと思ったらさっさと逃げさせてもらうさ」
「最後まで付き合って名を上げるつもりではなかったのか。立場的に」
「無理して死んだら本末転倒だからね。立場的に」
話を聞いているだけでは余裕に見えるエミリオとローシだが、この間にも竜の首は次々に襲いかかってきている。
先ほどのように首を振り下ろしてくるもの。
蛇のようにうねりながら食らいついてくるもの。
そして地獄の業火を思わせるブレスをまき散らすもの。
「――女神よ」
しかし次々と放たれる炎の嵐も、クロエが祈りを捧げれば勇者たちの体を覆う光の膜が現れ、防がれそらされていく。
「詠唱破棄の上でこの人数を同時に守護するとは。あの若さで枢機卿クラスかあの神官!」
「ハッハッハ。凄いだろうちの坊主は。これで俺らも攻撃に集中できるってもんよ!」
クロエの神聖魔術の効力に目を見張るグスタフと、我が事のように胸を張り竜へと飛びかかるロッド。
「ぜりゃあっ!」
そして全力で叩きつけられた戦斧により、一本の竜の首から鱗が飛び散り、肉が削げて鮮血が舞う。
「――!」
それは竜からすれば表面を削がれた程度の傷であったが、それでも痛みは感じたのか。
ロッドの攻撃を受けた首が地鳴りのような悲鳴をあげ苦し気にのたうち回る。
「感覚はそれぞれ独立しているようだな」
「だからなんだってんだい。鉄拳のやつでもあの程度しか削げないなら、私ら完全に囮にしかならないじゃないか!」
ロッドの攻撃の結果を冷静に見ていたコンラートであったが、確かにリアの言う通りこちらから竜へまともにダメージを与えることは難しそうだ。
「だがそれを踏まえた戦い方というものがあるだろう!」
そう叫びながら、コンラートは降ってきた首の一つを避けながら蹴りつけ、加速した勢いそのままに飛んだ方向にいた他の首目がけて斧槍を叩きつける。
「――!?」
そしてそれもロッドと同じような結果に終わった。
鱗こそはぎ取ったもののそれでも内の肉は硬く、その表面を僅かにこそぎ落とした程度で弾かれてしまう。
だが他の者たちからすれば、コンラートと先ほどのロッドの攻撃は目を疑うものであったのは間違いない。
何せ目に見えるダメージこそ少ないものの、斬りつけた勢いで竜の首が殴り飛ばされたように吹き飛んでいるのだから。
「やっぱアンタと鉄拳は人外だよ!」
そう褒めているのか貶しているのか分からないことを言いながら、自分へと食らいついてきた竜の首をかわし斬りつけるリアも並の人間ではない。
何せ斬りつけたのは、狙いすましたように先ほどロッドの攻撃で鱗が剥がれた部分なのだから。
「よし! 肉だけなら何とか斬れる。アンタら気張ってこいつの鱗全部剥ぎ取りな!」
「無茶言うんじゃねえ!」
「何年かかると思っている!」
リアの命令に揃って食ってかかるロッドとコンラート。
事もなげに言ってくれるが、二人とて全力で攻撃した結果がそれなのだ。
弱音を吐くつもりはないが、休みもなしに殴り続けられるほど人間は辞めていない。
「ぐおっ!?」
「ローエンシュタイン公!?」
大した成果もなく嫌がらせのように竜へと攻撃を続ける中、食らいつこうと迫った竜の咢をかわしたグスタフが、偶然迫っていた他の首に弾き飛ばされ地面へと叩き落とされた。
「やっべえな。死んだか?」
「ッ……生きている! 私には構うな!」
「……だそうだよ。下手に助けても文句言われるだろうし。放っておきな」
「確かに。プライドの高いお人だからな」
どうやら大丈夫そうだと判断し、注意を竜へと向き直すコンラートたち。
彼らとてそれほど余裕はない。次々と波のように連続で迫ってくる竜の首を相手にしているのだ。少し気を抜けばそれこそ命取りとなりかねない。
「クソッ! 無様な」
一方まともに竜の首の一撃を受けたグスタフであったが、地面に叩きつけられたというのに鎧に傷が入った程度で済んでいた。
無論衝撃を受けた体の節々は痛み悲鳴をあげているが、致命的なレベルではない。
クロエの防御魔術は未だ健在だ。ブレス対策にと本人は言っていたが、その加護はあらゆる攻撃に対し発揮される。
「大丈夫ですか?」
偶然にもすぐ近くまで飛ばされてきたグスタフに、クロエは戦場を睨めつけたまま問うた。
「ん? ああ。大事ない。助かった」
「それはよかった。しかしまだ戦意が落ちていないとは。コンラートさんたちといい、よくアレに立ち向かう気になれますね」
聖剣を携え、術式を維持するために意識をさきながら放たれた言葉は、限りない本心であった。
実際クロエの防御魔術が発動していなければ、先ほどの一撃でグスタフは再起不能になっていても不思議ではない。
それが分からないほど無能ではないだろうに、何故この状況で前を向くことができるのか。
「ふん。できることとやるべきことをやっているだけだ」
それに対し、グスタフは何だそんな事かとばかりに吐き捨て、地を蹴って戦場へと舞い戻る。
「何というか。ピザンは気持ちのいい馬鹿が多いな」
それを見送ったクロエは、呆れたように口で言いながらも笑っていた。
そう、だからこそ。
自分はこちら側に立つとあの時決めたのだ。
「見ているんだろうアースト。どうせこれもおまえの仕業だろう」
未だ姿を見せない。英雄ではなく怪物へと成り果てた兄へと告げる。
「そんなに私が憎いか。ならせいぜい踊ってろ。双子だからと言って、私はおまえといつまでも向き合うつもりはない」




