再来4
最初その報告を聞いた時、誰もが耳を疑った。
リカムの千を越える軍勢を、百にも満たないキルシュ残党軍が文字通り全滅せしめたと。
しかし報告者が頭を疑われたのは一瞬のことで、それを成したのが魔術師だと知れると皆いっせいに「ああなるほど」と納得した。
その反応を見ても、魔術師という存在が戦場において反則的なものであると認識されていることがよく分かる。
そして報告自体には納得したものの、同時に更なる疑問が浮かび上がる。一体その魔術師は何者で、何故キルシュ残党軍に協力しているのかと。
「魔術師と一言に言ってもその性能は差があります。駆け出しならば人一人をようやく焼き殺せるか。平均とされる多くの魔術師たちも、せいぜいが十数人を巻き込むのが関の山でしょう」
せいぜいだの関の山だのと言うツェツィーリエだが、そんな平均的な魔術師が四桁単位で集まっているジレントが、いかに潜在的に強力な軍事力を有しているかが知れるだろう。
そしてそんなことをあっさりと告げてしまう彼女もまた常人とは異なる感性を持った魔術師なのだと。
キルシュ残党軍の捜索のために村を経ってから一週間後。
思うようにキルシュ残党軍捉えることのできなかった赤剣騎士団の面々は当初の予定通りに帰隊し、さてどうするべきかと話し合っていた。
空き家にとりあえず各班の長だけでも集めたものの、やはり十人以上の人間を入れるには狭すぎて座る場所もない。
こういった会議が苦手なルドルフなどはあからさまに「早く終われ」と言いたそうな顔をしていた。
コルネリウスの班以外にもリカム軍とキルシュ残党軍の戦いに遭遇した班はあった。
しかし揃いも揃って見事に逃げられ、さらには残っていたリカムの軍に追いかけられ命からがら逃げだした者たちまで居たのだ。
むしろこれ幸いと残敵を押し付けられたふしもあるというのだから、キルシュ残党軍の指導者も中々したたかだと言わざるを得ない。
「敵に見つからないようにと少数編成で捜索に出たのが裏目に出たな。あるいは遭遇したのがコンラートの班だったなら、コンラート一人に残敵を押し付けてキルシュ残党軍を追えただろうに」
「……」
心底残念そうに言うゾフィーに、コンラートは何も言えず顔を微妙に歪めて沈黙した。
一見するとあんまりな扱いだが、実際コンラートなら可能だろうしゾフィーもできると信頼して言っているのだから文句も言いづらい。
「それで、カールは魔術師の姿を確認したそうだが本当か?」
「……はい。一瞬でしたけど、確かに見ました」
ゾフィーの言葉に、それまで他の先輩騎士たちに追いやられ部屋の端に居たカールがおずおずと答えた。
「どんな者だった?」
「金髪の女の子。いや、女性です。サークレットをしていたから魔法ギルドの党員だと思うんですけど……その」
「どうした? 珍しく歯切れが悪いな」
「いえ、その、何といいますか。……アレ多分知り合いです」
「……は?」
カールの言葉に、騎士たちは驚き一斉に視線を向ける。
それにカールは一瞬怯んだように見えたが、そこは流石は大貴族の人間というべきかすぐに体裁を整えはっきりと言葉を口にする。
「名前はレイン。団長とも面識があります」
「レインだと?」
懐かしい名を聞き、コンラートは思わず聞き返していた。
そして同時に納得する。通りでカールに落ち着きがなかったはずだと。
「何者だ?」
「まだ夏戦争が始まる前、グラウハウに狼のアンデッドが出たことは覚えておいででしょうか」
「ああ、そんなこともあったな。その後立て続けに大きな事件ばかり起きてそれどころではなかったが」
今にして思えば、あのアンデッドはイクサと何らかの関りがあったのだろうか。
ドルクフォードは調査すると言っていたが、ゾフィーも言っているようにその後は大きな事件ばかり起きてコンラートもすっかり忘れていた。
ドルクフォードがイクサと繋がっていたことを考えれば意図的に封じられたのか、あるいはそれがそもそものきっかけだったのか、今となっては分からない。
「その討伐に私とカールが赴いた際に共闘した魔術師の少女です。彼女はクロエ司教の友人でもあったらしく、私がジレントに亡命してからも何度か顔を合わせています」
「ふむ。では間違いなく正式な魔法ギルドの魔術師か。……ん? レイン?」
コンラートの報告を聞いていたゾフィーだったが、不意に何かに気付いたようにレインの名前を反芻する。
「レイン……レイン。ケルル殿。もしかして、もしかするのだろうか?」
「お答えいたしかねます」
そしてツェツィーリエに顔を向けて何やら確認すると、彼女は張り付けたような無表情で回答を濁した。
しかしそれでは答えているも同然だ。違うのならば違うと否定すればいいのだから。
「もしや殿下もご存じでしたか?」
「いや。知っていることは知っているのだが。これ言っちゃっていいのだろうか」
そういえばこの姫君はジレントに留学経験があったと思い出し、もしや知り合いなのかと聞くコンラート。
それにゾフィーは曖昧に答え、何やら困ったように悩み始める。
「……よし。私は何も知らない」
「無理がありますよ殿下」
「やかましい」
そしてどうやら方針が決まったらしくなかったことにしたらしいゾフィーと、呆れたようにつっこむ栗毛の騎士トーマス。
一体どういうことなのか気にはなるが、何か重要な意味が隠されているならばツェツィーリエが後からこっそりと教えてくれるだろう。
彼女は魔法ギルドの党員ではあるが、最優先にするのは妹のモニカであり、その次は妹の保護者であり自らの主人であるコンラートだ。
場合によってはジレントを裏切るのではないかと、他人事ながらコンラートも心配になってくる。
「ともあれ、キルシュ残党軍と接触する窓口として、そのレインという魔術師に仲介を依頼するという手もあるか。しかし下手に近づくのも危険だな。話を聞く限りマスタークラスだろう」
「何ですかい。そのマスタークラスってのは?」
ゾフィーの言葉に疑問を発したのはルドルフだった。なるほど。確かに普段魔術師と接することのない人間には聞き慣れない言葉だろう。
そう思い説明すべきではとゾフィーに視線を向けたコンラートだったが、ゾフィーは「そうだな。ではそなたがやれ」と目で伝えてくる。
「いずれかの属性の最高位の魔術を制御することに成功した魔術師のことだ。一種の極みにまで達した高位の魔術師の総称だと思っておけばいい」
「極みっすか? そのレインって嬢ちゃんはまだ子供でしょう」
「その認識は今日の夕飯で生ごみと一緒に捨てておけ。魔術師というのは生まれついての魔力量がものをいう。そもそも魔力が足りなければ、最高位の魔術を制御する以前に発動すらできないのだからな。そういった意味では魔力を制御できていない子供の魔術師の方が危険だ」
もっともあれから二年が経ったのだ。もうレインも子供という歳ではあるまい。
一体どのような経緯があってキルシュ残党軍に加わったのかはしれないが、党首の娘であるフローラ・サンドライトもキルシュ防衛戦ではロッドたちの所属する傭兵団に参加していたのだ。
現場主義の魔術師が義勇兵や傭兵になるのは、案外よくあることなのかもしれない。
「コンラート。次に戦場でその魔術師を確認したとき接触することは可能か?」
「……そのための許可をいただけるならば」
相手が本当にレインならば、コンラートが顔を見せれば話が上手く進むかもしれない。
カールでもいいのではないかとも思ったが、二人はお世辞にも相性がいいとは言えなかったし、何より先日の接触であちらはカールを見事に無視している。
「許可する。他は気にするな。何をおいても目的を遂行せよ」
「御意」
「聞いての通りだコルネリウス。次の戦いではそなたがコンラートに代わり指揮を取れ」
「承知しました」
主君からの命に、団長と副団長が応えた。
・
・
・
夢を見ている。
それは久しい感覚だった。
四肢は弛緩して力が入らないというのに、まるで糸で操られているように勝手に動いている。
それはそうだろう。今この場にいる己は己でないのだから。
「どうしたのクリストファー?」
小鳥の鳴くような、澄んだ声が自分を呼んだ。
その声にハッとして目を向ければ、教会のステンドグラスを通した光に包まれるようにして一人の少女が佇んでいた。
巫女。そう呼ばれる白い少女。
やはり似ている。そう思いもっと近くでその姿を見ようと思うが、やはり体は他人のもののようでピクリとも反応しない。
ただこの少女を守らなければと、そんな思いだけが重なり合うように己の心を満たしていた。
「ああ、そうだな。だけど――」
――この子はおまえのお姫様じゃない。
「ぐあっ!?」
唐突に、理不尽に、何か大きな力に弾かれてコンラートはたたらを踏みながら後退った。
同時に地面を踏みしめ、己の体が自由に動くことに気付く。
目が覚めたのか。いや違う。
何故なら目に映る景色はそれまで夢で見ていた教会そのままで、しかし弾き飛ばされた場所には先ほどまでとは違う者が居る。
「まったく。人の夢を覗くもんじゃねえぞ。こう見えて俺はシャイなんだ」
そんな白々しい言葉を吐きながら、人のよさそうな笑みを浮かべる騎士が居た。
己の主の兄王に似た、赤い髪の騎士が。
「貴方は……」
「赤い騎士。なんて気の利かない名前で呼ぶなよ。俺にはクリストファーって立派な名前があるんだ」
そう名乗りをあげる赤い騎士を見て、そういえば夢の中で彼はそう呼ばれていたなと思い出す。
「まあ別にどう呼んでもいいんだが……ああ、クリスって愛称はやめてくれ。妹の名前がクリスティーヌつってな。略されると紛らわしいんだこれが」
そう言うと嫌そうに、しかしどこか嬉しそうに赤い騎士は笑う。
恐らく自分と似た名である妹を大事に思っているのだろう。聞かずとも、それが知れた。
「……何故?」
「ん? それは俺の事か? それともこの状況か?」
「貴方は何故俺の中にいる?」
所詮は夢だ。多少の理不尽には目を瞑ろう。
故に、コンラートはこの夢を見始めてから一番気になっていた疑問を口にした。
「おお。過程や結果なんぞ無視して核心というか原因ついてきたか。やっぱおまえ俺と違って頭いいな」
「ご謙遜を」
「いや、本当俺頭悪いんだよ。無駄に年月過ごしたせいで経験つーかパターンで判断はできるようになったんだがな。油断するとあっちこっちに考えが飛んじまって」
それはある意味頭の回転が速いのでは。
そう思ったコンラートだったが、今この瞬間も問いに答えず話が飛んでいるので事実ではあるのだろう。
「ん、それで何で俺がおまえの中に居るかって話だったか。実はおまえは伝説の赤い騎士の生まれ変わりだったのだ! つったら信じるか?」
「一割ほどは」
生まれ変わり。輪廻転生などというものは存在しない。それが女神教会の教えであり世の常識だ。
それを一切疑わず信じるほどコンラートは信心深くはないが、いくら調べても神官はもちろん魔術師たちにすら転生は否定されていた。
――まるで誰かが見てきたかのように。
「まあ見たことあるやつも居るんだろうな。この世には、つーかあの世か? まあとにかく魂の海っていうもんがあってな、そこを管理してる姉ちゃんがまた美人なんだわ。さすが神様。いやでも神ではないんだったか?」
「……はあ」
「あ、わりい。また逸れた。まあとにかくその魂管理してる姉ちゃんに聞いたら、俺たちが想像してるような輪廻転生なんてもんはあり得ないって言われたわけだ。それはそれでショックだよな。俺が生きてた時代って、悲恋の末に死んで生まれ変わった恋人がみたいな話が流行ってたんだけど、そういうのもあり得ないのかよって」
「……」
案外よくしゃべるなと思いながら、黙って赤い騎士の話を聞くコンラート。
結局自分の問いの答えは何処に行ったのだろうか。
しかしそれを聞こうと口を開いても、それがきっかけでさらに話が明後日の方向に飛びそうなので、諦めて相手が満足して話し終えるのを待つことにした。
夢の中で見た過去ではそれほどおしゃべりには見えなかったのだが、もしかして暇だったのだろうか。
「それで……あ、これヤバいな」
「は?」
そうして千年前の大衆娯楽について熱く語っていた赤い騎士だったが、不意に顔をしかめると不穏なことを口にする。
「おまえ聖剣近くに置いて寝てるか? いやこの際斧でも槍でもなんでもいいけど」
「聖剣ならば肌身離さず持っていますが」
唐突な問いかけに戸惑いながらも答えるコンラート。すると赤い騎士は上出来だとばかりに拳を掲げ、笑いながら口を開く。
「おお。じゃあ頑張れ」
「は? いや、ちょっと?」
そしてそのまま何の説明もされず、コンラートは急速に己の体から力が抜けていくのを感じた。
夢から覚めるのかと気付き、そして思う。
一体目覚めたところに何が待ち受けているのかと。




