赤の騎士団5
ピザン王国の軍は、現在大きく三つの部隊に分かれて展開している。
リーメスを挟んでリカム帝国と対峙する北方軍。
ローランド王国に占領されたキルシュ解放を目的とする東方軍。
そしてピザン国内の守備及び遊撃を担当する中央軍。
コンラートの率いる赤剣騎士団は、一応はクレヴィング公が司令官を務める中央軍に所属している。
しかしそれは騎士団の能力を期待されたからなどでは当然なく、単に扱いに困ったから気の弱いクレヴィング公に押し付けられたというのが正解に近い。
もっとも、夏戦争以来クレヴィング公は相変わらずの弱々しさを見せつけながらも妙な強かさを発揮しており、押し付けられるふりをして赤剣騎士団を自らの手元に引き寄せたのではないかともっぱらの噂となっているのだが。
そんなクレヴィング公の変化に気付いた諸侯の中には「クレヴィング公は確かに臆病者だが、キルシュ防衛線においても逃げるような卑怯者では決してなかった」と思い出したように持ち上げる者も居た。
たったそれだけのことを機に、クレヴィング公の評価は「臆病者」から「やるときはやる人」に変わったのだから、人の噂というのは勝手なものである。
「ゾフィー様? 起きてくださいゾフィー様」
「……ん? アンナか」
宮殿の一室。
今では王妹となったゾフィーは、執務室となっている部屋でまどろんでいたところを侍女に起こされた。
枕にしていた腕の下には、ふやけてしわくちゃになった報告書。
それを見てやってしまったと思うと同時、コンラートやマルティンが居たら「はしたない」と叱られていただろうと想像し苦笑する。
こちらを尊重してくれてはいるのだが、年端のいかない娘を相手にするように小言には遠慮がないのだあの二人は。
「すまないアンナ。最近どうにも眠気がとれなくてな」
「お疲れなのでしょう。お体のこともあるんですから、昔みたいに無茶をしては駄目ですよ」
「面目ない」
こちらはこちらで幼馴染だけあって忠言も率直だ。
それに感謝しながらも、さてふやけた報告書をどうしようかと考える。
クレヴィング公なら苦笑しながら受け取ってくれそうだが、それに甘えるわけにもいかない。
現在のゾフィーの立場は、クレヴィング公旗下の一諸侯という扱いであり、その権限は決して大きなものではない。
これは本人たちの思惑はどうあれ、王位に就いたクラウディオに既に子息が生まれている以上、ゾフィーには王位継承の目がなくなったと判断されたことが大きい。
もっとも、アルムスター公やインハルト候のような熱烈なゾフィー支持者は今も健在なのだが。
しかしゾフィーを見限った者たちの間で予想外だったのは、ゾフィーが組織し統率する赤剣騎士団の活躍だろう。
北方軍の守りをリカム軍の一部が突破。後は中央軍に任せるしかない。でもクレヴィング公で大丈夫か
そんな状況下で鮮烈な初陣を飾ったのが、まだ名前も公表されていなかったコンラート率いる赤剣騎士団であった。
ピザン王国内へと侵入してきたのは、武勇に優れるがすぐ暴走すると評判な白竜将軍ユーリー・ウォルコフ。
リーメス二十七将の中でも最強とうたわれたイヴァン・ウォルコフの息子であり、自らも二十七将の一人に数えられた鬼将。
そしてそれと対峙したのは、何の運命かキルシュ防衛線においてユーリー相手に無敗を誇ったコンラートだった。
これは何もコンラートがユーリーより強いというわけではなく、相性の問題が大きい。
ユーリーの武はいわば暴風。小手先の技など力尽くで捩じ伏せる嵐のようなもの。
そしてコンラートは、その嵐を何とか受け止められる程度には馬鹿力で、小手先以上の技を持った武人だった。
コンラートを技で倒せる者はユーリーには近づくことすらできないが、そのユーリーにコンラートは容易く近づける上に技を使って打ち勝てる。
そんな相性は十年以上経っても変わらなかったらしく、お得意の乱戦に持ち込んだユーリーは計ったようにコンラートとの一騎打ちとなり、そして予定調和のように見事に敗走した。
「覚えてろよ!」と小悪党の見本のような捨て台詞を吐いて逃げるユーリーに、コンラートが懐かしさを覚えるよりも脱力したのは言うまでもない。
ともあれ、王女の道楽と思われていた騎士団の活躍が、ゾフィーの評価を上げる一助となったのは確かである。
伯爵位を与えられたとはいえ、元平民のコンラートを団長に据えるという大抜擢も、一部の貴族を除いた者たちから高く評価された。
これは身分に問わず有能なものは登用するという姿勢に加え、前王ドルクフォードにより不当に騎士の位を剥奪されたコンラートを、その娘であるゾフィーが厚遇したという美談として扱われたことが大きい。
ちなみにそのことを聞いた現王クラウディオは「俺だってコンラートを蒼槍騎士団に入れようとしたのに!」と拗ねた。
「そういえばコンラートは上手くやっただろうか」
「大丈夫でしたよ」
「ひう!?」
何となしに呟いたゾフィーの言葉に、その場に居ないはずの男の声が答え、驚いたアンナが悲鳴を上げかけて飲み込んだような奇妙な声を漏らす。
「……スヴェンか?」
「はい姫様」
いつの間にそこに居たのか、束ねられたカーテンの裏から細身の青年が現れる。
相変わらずその顔は覆面で覆われており、表情は読み取れない。
「女の部屋に勝手に入って来るものではないぞ」
「プライベートな時間なら考えますけどね。一応報告に来たんですが」
「だったら正面から……いや、やはりいい」
この黒尽くめに覆面の男が正面から来れば、逆に目立って間違いなく騒ぎになるだろう。
ならば普通の恰好をしろという話だが、スヴェンは自称恥ずかしがりやとのことで顔は見せたくないのだという。
十中八九嘘なのだろうが、顔を見せたくないというのは半ば本気なのだろうと諦めた。
親同然に慕っているマルティンの保証がなければ、信頼など到底できなかったであろう不審者ぶりだ。
「それで。大丈夫ということはデンケン候の救出は上手くいったということか?」
「はい。詳しいことは団長から聞いてください。先んじて成果報告だけしに来ましたけど、まだ騎士団は帰ってきていない以上、俺はここには居ないことになってるんで」
「確かに。今回は兄上から直々の任務だ。先に私が報告をうけるわけにはいかないな」
そう言いながらも、ゾフィーは不満げに顔をしかめる。
自分の騎士団に指揮者である自分を飛び越えて命令を下されるのは、例え相手が兄であり王であっても気持ちのいいものではない。
団長が古くからの友人であるコンラートだから気軽に話をするついでに命令を下したのだろうが、困るのは当のコンラートだ。
断ることもできずこんな任務を請け負ってしまったと、大の男が申し訳なさそうに縮こまりながら話に来たときは、何をやっているのだと頭を抱えたくなった。
「姫様が自由に動き回れないから、騎士団の統率なんてどうせできないとでも思ってるんじゃないですか?」
「悔しいが否定はできんな。こんな体でなければ、今回のことも兄上に文句を言って私自らリーメスへ赴いたのだが」
そう言いながら、ゾフィーは自らの腹部を擦った。
人間内臓の一つや二つ無くても生きていける。
クロエにそう言われたとおり、ゾフィーは臓器の一部を失いながらも生きている。
だが傷ついた体の中身は未だ治癒しておらず、イクサの呪いによって魔術による治療も受けられない状態が続いている。
並の術者ではイクサの呪を解呪し、さらに治療を施すことは不可能だ。
しかしそれを可能としたクロエは、あの日を境に行方知れず。
彼の姉であり魔女と呼ばれる魔術師ミーメ・クラインならばあるいはと思ったが、弟を行方不明にしておいてそんなことを頼めるほどゾフィーは恥知らずではない。
それにコンラートはミーメを魔女と呼ばれているとは思えない普通の女性だと言ったが、彼女をよく知る人間ならば敵と認識した相手には容赦しない冷酷な人間だと評する。
下手に刺激をして敵と思われては、どんな目に合わされるか分かったものではない。
「枢機卿クラスの神官を呼び寄せようにも、神官はピザンを嫌ってるのが多いですからね」
「かと言って魔術師も、夏戦争でのジレント侵攻よりピザンに寄り付こうとしない。本当に、困ったものだ」
神官も魔術師も好意的ではない。それはゾフィー個人にとっても困ることだが、ピザン王国全体にとっても死活問題となっている。
リカムの宮廷魔術師イクサ。彼の使役するアンデッドの軍団を相手にするには、どうしても魔術の力が必要となる。
銀製の武器を全軍に行き渡らせる余裕はないし、魔法の武器など論外だ。
今はまだ戦場がリカム国内へと移っていないためか、イクサも戦場に出て来ていないようだが、このまま戦が続けば間違いなくこの問題は避けては通れない。
「団長をアンデッドのど真ん中に放り込んだら、一人で殲滅してくれるんじゃないですか?」
「スヴェン……いくらコンラートでもそれは無理だろう」
確かにコンラートは、かつて通常の武器のみでアンデッドを行動不能に追い込むまで叩き潰した男だ。
さらに今では何処からか手に入れた魔槍と、カイザーが何処からか見つけてきた聖剣まで持っている。
キルシュ防衛線で活躍したリーメス二十七将の中では弱い部類だとされるコンラートだが、それらの武器と長年の修練により、今ならば上位とはいかずとも中堅には並べるだろう。
しかしそれでも一人でアンデッドの軍団を相手取ることは無茶無理無謀の類だ。
どんなに桁外れの怪力と武威を誇っても、彼は普通の人間なのだから。
「いや、俺も数日前までならそう思ってたんですけどね。まあいいや。後は本人から聞いて下さい」
「何だその気になる言い方は?」
ゾフィーの問いには答えもせず、スヴェンは窓を開け放つと躊躇いもせず縁に足をかける。
「ちょっ!? ここ三階ですよ!?」
思わず叫ぶアンナを無視して、スヴェンはひょいと窓の桟を飛び越えてしまう。
慌ててアンナが窓際へと駆け寄るが、外を見渡してもスヴェンの影も形も見えない。
「心配するだけ無駄だアンナ。スヴェンはスヴェンでコンラートやマル爺とは別の方向に人間離れしているからな」
「だからって、目の前で自殺まがいのことされたらびっくりしますよ!」
「うん。まあそうだな」
頬を膨らませて年端のいかない少女のように怒るアンナに、ゾフィーも苦笑しながら肯定する。
アンナだってゾフィーの影武者を務められるだけはあり、身体能力は高いのだ。この高さから飛び降りても無傷で済む術は心得ているだろうに、まるで本当に何も知らない侍女のように狼狽える。
いっそ滑稽なほどの自己評価の低さだが、それでいて腹を決めるとすっぱりと動揺など切り捨てるのだから面白い。
「しかし数日前までは……か。一体コンラートはリーメスで何をやらかしてきた?」
赤剣騎士団設立時の初期メンバーであり、ここ二年でコンラートを観察し尽くしたはずのスヴェンが言うのだ。余程のことがあったのだろう。
そう半ば期待しながら自らの騎士団の帰還を待つゾフィーだったが、そのコンラートが単騎で赤竜騎士団に突撃したと聞き呆れたのは言うまでもない。
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「おやおやー? コンラート殿ではありませんか」
「……」
玉座の間の入口。国王であるクラウディオへの報告を済ませ退室したところに声をかけられ、コンラートは彼にしては珍しく嫌悪も露わにして無言で振り向いた。
「……何か用かデニス?」
「冷たい反応ですねえ。用がなければ声をかけてはいけないとでも?」
あからさまに邪険にしているというのに、ニヤニヤと人の神経を逆なでするような笑みを浮かべながら寄って来るデニスを確認し、コンラートは大きくため息を漏らした。
夏戦争にてドルクフォードに従ったデニスが何故のうのうと宮殿内をほっつき歩いているのかというと、彼が今このピザン王国の宮廷魔術師長を務めているからだったりする。
当初は敗軍の将ということで処罰も考えられたのだが、今となっては貴重な魔術師であるということ。さらにドルクフォードに組した割にはまったく戦闘行動を起こしていなかったということで、晴れて無罪放免となったのだ。
もっとも、戦闘行動を起こさなかったのは何か考えがあってのことではなく、個人的な好奇心で本来外野のクロエに突っ込んで返り討ちにあい動けなかっただけなのだが。
「いえ、面白い話を聞きましてねえ。何でも赤竜将軍の木っ端魔術をあなたが斬り捨てて見せたとか」
「耳が早いな」
「それはもう。我が友の活躍ですからねえ。聞いた時は心が躍りましたとも」
「……」
勝手に友と認定されて、コンラートは何とも言い難い表情で沈黙する。
実際この面倒くさい男とまともに会話をするのはコンラートくらいなので、傍から見れば友と言っても間違いではないのかもしれない。
なまじ真面目な男だから、冷たくあしらうことはできても無視はできないのだ。
そして残念なことに、デニスという男は相手が何か反応を示すだけで勝手に盛り上がる空気の読めない男なのである。
「して、赤竜の小娘はどの程度でしたか。剣と魔術。両道を志す人間は希ですからねえ。同類として気になるのですが」
「剣の腕は敵ながら見事だった。女とは思えぬほどの力に加え、繊細な技を兼ね備えている。経験の差でどうにかなったが、青二才の頃の俺ならば負けていただろう」
「ほうほう。まあ身体能力の強化は当然しているでしょうねえ。では魔術の方は?」
「それを門外漢の俺に聞くのか? 使われた魔術は一つだけ……『流れ落ちる滴』で始まる詠唱だったか。風の中位魔術だったはずだが、だからと言ってそれが得意属性かは分からん」
「……なるほど」
期待したほどの情報は得られなかったが、コンラートの見解を聞きやはりこの男は面白いとデニスは口を歪めて笑う。
詠唱を聞いただけで魔術の種類を特定するなど、魔術師でもない人間がそう簡単にできることではない。
恐らくコンラートは魔術に対抗するために、自分では使えない魔術書の類を読み漁ったのだろう。馬鹿力のせいで脳筋だと思われがちなコンラートだが、そこらのボンクラ貴族よりは余程頭の出来がいい。
そして生真面目である故に、必要な知識や気になる分野について学ぶ意欲も高いのだ。ジレントに滞在していた時も、図書館に通い詰めて本ばかり読んでいたと聞く。
自ら何かをひけらかすようなことはしないこの男の頭には、どれほどの知識が詰まっているのか。そちらも中々に興味深いと、デニスのコンラートへの期待は無駄に大きくなっていく。
「ふむふむ。参考になりました。お礼にへルドルフのお嬢様に魔術を教授して差し上げましょう」
「断る」
「おやおやー?」
にべもなく拒絶され、デニスは不思議そうに首を傾げた。
「何故ですかねえ? 私はこれでも魔術師としては一流であると自負しているのですが」
「おまえのような人格破綻者をお嬢様に近づけさせるか」
一見嫌がらせのようなやり取りだが、今回に限ってはデニスは本気で礼のつもりで言っている。
もっとも、礼で言ったという事実は数秒で忘れ、コンラートの反応を見て楽しむ方向へと即座にシフトしているが。
真面目に相手をしては駄目な人間。
頭に糞がつくほど真面目なコンラートには正に天敵のような存在である。
「お嬢様に何かすればただでは済まさんぞ」
「アハハー? 仕方ありませんねえ。今回は諦めますよお父さん?」
「永遠に諦めてくれ」
半ば本気の殺気も意に介さず笑うデニスに、コンラートは本日何度目かになるため息を漏らした。