赤の騎士団4
それまでの戦の騒乱が嘘だったかのように、その場に居る人間は誰一人音を発することができず、ただ風の吹きすさぶ声だけが響いていた。
「なるほど。一度は受けたことのある魔術だが、それでもうまくいかぬものだな」
サーシャが放った魔術の中心地。嵐の巻き起こす風よりも遥かに強烈な、破壊槌を思わせる風の砲弾の爆心地に居ながら、コンラートは平然と言葉を紡いでいた。
いや。よく見れば額に一筋の血が滴っているが、むしろそれこそが異常。
戦士は魔術師に勝てない。その常識を打ち破る異常がそこにあった。
「魔術を……斬った?」
兵士の一人が半ば無意識のうちに呟いたのを契機に、コンラート包囲していた壁がざわめき動揺する。
魔術を斬る。そんな荒唐無稽なこと、見たことはもちろん聞いたことすらないだろう。
炎に包まれた道を剣で切り開く。それと同様の無理難題なのだ。できると考える方がおかしい。
だが現に目の前でコンラートはそれを成した。
手にした斧槍で、眼前に迫った風の砲弾を斬り伏せ、打ち捨てたのだ。
その異常性。魔術師に劣るものではない。
「……魔槍か」
一方、魔術を斬り捨てられた当の本人は、すぐに冷静さを取り戻しコンラートの手の中にある斧槍へと興味を移していた。
魔剣聖剣の類は魔力を帯びている。故に魔術へと干渉することも不可能ではない。
しかしそれだけでは片手落ちだ。仮に砲弾を真っ二つに切り裂けたとしても、その残骸はそのまま標的目がけて飛んでくる。
そういう意味では、受け止める方が無謀であれまだ物理的には意味のある対処だろう。
だが現にコンラートは魔術を斬り捨てた。多少の負傷があるところを見ると完全に相殺できたわけではないらしいが、ただ斬っただけならばそこまで威力は減衰されなかっただろう。
「まさか」
「うわあ!?」
「何だ!?」
騒然とする兵士たちの一部が突然叫び出し、雪崩を打つように囲いが崩れる。
「どうした!?」
「う、馬! 馬です!」
「馬ぁ!?」
その原因は、突如乱入した栗毛の馬だった。
並の馬より二回りは大きいであろうその栗毛の馬は、曲がることなど知らぬとばかりに眼前の兵士たちを蹴散らし、囲いを突き崩す。
「どうやらここまでのようだな。さらばだカディロフ卿!」
「な、シュティルフリート殿!?」
混乱するリカム軍をよそに、コンラートはそう呟くと構えを解き槍を収めた。
そんなコンラートへと突き進む巨馬が迎えなのかと一瞬思ったサーシャだったが、しかし馬は主であろうコンラートが目前に迫っても止まろうとせず、むしろ速度をさらに上げていく。
このままではぶつかる。リーメス二十七将の一角が馬に轢かれて退場か。
そんな心配をしてしまったリカム軍のお人よしな面々だったが、そんなものは杞憂でしかなかった。
「ふっ」
段差でも超えるように軽くコンラートが地を蹴ると、そのままクルリと回転して導かれるように馬の背に収まる。
そしてそのまま速度を落とさず去っていく背に誰も手が出せなかった。
あまりに華麗な逃走劇に、見苦しい追撃など野暮だとすら思ったのかもしれない。
「……追いますか?」
「やめておけ。追いついても返り討ちにあうだけだ」
絶対にやりたくないと顔に書いてある副官からの質問に、サーシャは苦笑しながら返す。
何より、あの栗毛の馬は中々の駿馬のようだ。今から馬を用意して追いかけたのでは、到底追いつけるものではない。
「それよりも現状の回復が先だ。被害の確認に人員の点呼、及び再配置。嵐が迫っているというのにこの有様。寝床の確保すらできないぞ」
「それは一大事。すぐに取り掛かります」
敬礼しすぐさま行動に移る副官の背を眺めながら、サーシャは先ほどの戦いを思い返す。
魔剣で魔術を相殺する。可能か不可能かで言えば可能だが、常人に行える業ではない。
魔剣は使い手を選ぶ。そして魔剣はその真の力を解放するとき、使い手の魔力を食らうのだ。
恐らくコンラートも、魔槍に魔力を食わせる術を心得ているということだろう。
魔術師ではないが魔術に対抗する術を持っている。
それは戦士と魔術の絶対的な相性差を覆すものであり、あるいはあの悪魔とも……。
「まずいな。彼を倒す方法よりも、どう味方に引き込むかという手段ばかりが頭に浮かぶ」
この気分の高揚は、好敵手に出会えたというだけのものではない。
もしかすれば己は、この手詰まりの現状を打破する最上の戦友と出会えたのかもしれない。
そんな馬鹿げた確信があった。
「いずれにせよ、もう少しは大人しくしておくか。イクサめ。今に見ておけよ」
そんな小物めいた言葉を吐きながら、サーシャは少女のように晴れやかに笑った。
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「団長が帰ってきたぞ!」
「マジか!?」
リーメスから死角になるよう丘を越え、木々の間を無茶な速さで走り抜け、ようやく自軍の陣地へとたどり着くとコンラートは詰まっていた息を吐き出した。
単騎での赤竜騎士団への特攻。
聞けば誰もが無謀だと思うだろうし、やれと言われれば「おまえは阿呆か」と命じた人間に食ってかかることだろう。
事もなげにそれを成したように見えるコンラートだったが、その内実は綱渡りの連続だった。
まったくピザンのお偉方は無茶ばかり言うと、不満に思いながらもその期待が心地よいと思っている自分に気付き苦笑する。
「ご無事ですかコンラート様!?」
「ツェツィーリエか。見ての通り大事はない」
馬を部下の団員たちに任せたところへ走り寄ってきた自らの従者の様子に、コンラートは腕を掲げて無事を伝える。
「ツェツィーリエもご苦労だった。あれほど相手が混乱したのは、そなたの奇襲がうまくいったおかげだろう」
「……よかった。私はろくに確認もせずに後退しましたから。あのまま残ることをお許しくだされば、赤竜騎士団の戦力を三割は削ぎましたのに」
「護衛もろくに居ない状態でそんな無茶をさせるわけにもいかんだろう」
ツェツィーリエは典型的な後衛型の魔術師であり、例え相手が雑兵でも複数の人間に距離をつめられては対処に時間がかかる。
複数を相手取っても時間がかかるだけで済む辺りが魔術師が常識外れと言われる所以だが、そちらに気を取られて本来の役割を果たせないのでは本末転倒だ。
故に今回は役目を果たすなり即座に退かせた。
「それに今回の目的はあくまでも陽動だからな。そちらの首尾は?」
「おう。うまくいきましたぜ」
コンラートの疑問に答えたのは、二人の会話を邪魔せぬように控えていた中年の騎士だった。
名はルドルフ。領地を持たない下級騎士ではあるが、キルシュ防衛線にも参加し生き抜いた古参の兵である。
「あっちの天幕で待ってもらってます」
「そうか。体調はよろしいのか?」
「元気そのものっすな。どうやらリーメスはよほど快適だったらしい」
「なるほど。しかしルドルフ。以前も言ったが、無理して俺に敬語を使わなくてもいいのだぞ?」
「ハッハッハ! そう言いなさんな。お互い立場があるんだから、気持ち悪くても我慢してくだせえ」
快活に笑って言うルドルフに、コンラートも仕方ないと笑って返す。
今では団長と部下という関係の二人だが、以前は騎士と平兵士という逆の立場であり、終戦後は長きにわたり下級騎士という同じ立場にあった同僚だ。
コンラートの立場がコロコロと変わっても縁が切れない程度には、お互いに気心の知れた関係でもある。
「では、俺は客人の相手をしてくる。後のことはそのまま副団長の指示で動いてくれ」
「了解。気を付けてくだせえよ」
「今回のことで嫌という程理解している。ツェツィーリエ。すまぬが同席してくれ」
「分かりました」
ルドルフの示した天幕は、他のものと比べ一際大きいものだった。
本来なら団長であるコンラートが使うものなのだが、今回ばかりは客人に譲らなければならない。
何せ相手は一応伯爵位を持つコンラートより目上の存在なのだから。
「失礼します」
「おお。コンラートくんかい。ようやく会うことができたね」
天幕へと足を踏み入れたコンラートを出迎えたのは、焦げ茶色の髪を後ろへ流し、どこぞの流行に敏感な劇作家のように小洒落た髭をたくわえた男だった。
アルフレート・フォン・デンケン。
ピザン王国の筆頭貴族である七選帝侯の一人であり、夏戦争の折には百名足らずの兵だけで白竜騎士団を自らの居城へと釘付けにし続けた名将である。
「いやはや助かったよ。あの状況で僕を助け出してくれるとは、さすがはリーメス二十七将だ。うっかりリカム軍の虜になったときは死を覚悟したのだけれど」
「その割には随分と余裕があられたようで。私に『単騎で陽動しろ』などと指令を飛ばせるくらいなら、ご自分で脱出する手筈も整えられたでしょうに」
「いやいや。そこは僕の部下が優秀なだけだよ。足手まといの僕を連れての逃走なんて、さすがに無謀だよ」
そう言って笑うデンケン候だが、足手まといというのは謙遜ではなく彼の本心だろう。
先ほど彼を名将と評したが、彼自身は武勇に優れた人間というわけではなく、むしろ智謀策謀に優れた軍師寄りの軍人である。
だからこそ、うっかり捕まったなどという言葉が信じられないのだ。
捕まったふりをしてリカム内部の何かを探っていたのだと言われても、コンラートはあっさり信じるだろう。
「そこも含めて言い訳をするとだね。君に単騎で陽動に出るよう言ったのはその方が被害が少なくなると確信していたからだよ。赤竜騎士団のカディロフ将軍に、君に興味を持つようさりげなく誘導しておいたしね」
「なるほど。通りで簡単に一騎打ちに持ち込めたと。しかしそれでは私が捕まる可能性も高かったのでは?」
「布石は他にもあるよ。言わないけど」
そう言って軽く笑うデンケン候に、コンラートは痛む頭を庇うように押さえた。
自分自身すら賭けの代価に出したお人だ。それなりに自信があっての策だったのだろうが、その全容を教えてもらえないとなると使われる側としてはたまったものではない。
「クラウディオ陛下にはこのまま王都まで護送せよと命を受けておりますが、何か問題は?」
「リーメスに忘れ物をしたと言ったら取りに行ってくれるかい?」
「拒否します」
「じゃあ仕方ないか。いいよ。久しぶりに陛下の顔を見に行くとしよう」
最初から断られると分かっていたのか、あっさりと引き下がるデンケン候にため息を漏らしながらコンラートは天幕を後にする。
「どう見る?」
「嘘はおっしゃられていないかと。もっとも、私程度に見抜かれるような方ではないでしょうが」
ツェツィーリエの言葉に、コンラートも確かにと頷く。
今の七選帝侯の中で筆頭とされるのはクレヴィング公だが、一番の曲者と言えば間違いなくデンケン候だろう。
あくまでも王家に忠誠を誓い、野心など欠片も感じさせないクレヴィング公とは異なり、デンケン候は頻繁に王であるクラウディオの思惑を裏切り、そしてそれ以上の功績でもって黙らせている。
今回の救出から間をおかずの召喚も、彼へ釘を刺すために違いない。
「ともあれ王都に戻るしかないか。陛下もお待ちかねだろう」
「そのことなのですが。私はこのままモニカ様の下へ向かってもよろしいでしょうか?」
「お嬢様の?」
思わぬ提案に、コンラートは思わずツェツィーリエのを振り返った。
するとツェツィーリエは、申し訳なさそうに顔を伏せながら言う。
「また宮廷魔術師への勧誘がきそうなので」
「なるほど。確かに今ピザンでは魔術師が不足している。そなたのような一流の魔術師を陛下が欲するのは道理か」
夏戦争の末期。ドルクフォード王がジレントへの侵攻を決定したのを受けて、魔法ギルドに所属していた魔術師たちの殆どはピザンから出奔した。
王が変わりジレントとの戦が終われば戻って来るだろうと思われていた彼らだが、実際には一人も戻ってこないという誰もが予想しなかった事態に陥っている。
これには新王であるクラウディオはもちろん、宰相であるヴィルヘルムも珍しく本気で焦ったらしい。
そもそもピザンが大国とはいえ他国とは比べ物にならない魔術師の数を有していたのは、国王であるドルクフォードと魔法ギルドの当主であるミリアの間に個人的な友誼があったからに他ならない。
例えジレント攻めが起きなかったとしても、ドルクフォードが王でなくなった時点でほとんどの魔術師はピザンを去っていたのかもしれない。
「しかし仮にもそなたの主である俺に断りもなしか。一体どうしてしまったのか……」
今のクラウディオに、かつての快活で大らかだった面影はない。
人前で笑うことはなくなり、過ちを犯した配下には苛烈な処分を下すようになっていた。
かつてのふわふわとした根無し草のような態度よりはマシだという者も居たが、そんな意見は半年前に起きた事件で消し飛んだ。
リカムの宮廷魔術師イクサと繋がりがあるとされた諸侯の処刑。
裁判も行われずクラウディオの独断で行われたそれは、証拠という証拠もろくに提示されなかったため諸侯から多くの非難を受けた。
もしかすれば王の不興を買っただけで濡れ衣を着せられ処刑されるのではないか。後ろ暗いことのない者でもそう考えた。
もっとも、烈火の如き勢いで怒り狂い責め立てたインハルト候が五体満足でピンピンしているのだから、そんな独裁政治など行われるはずがないと皆分かってはいるのだが。
「まるでドルクフォード陛下のような。しかしクラウディオ陛下にそれほど焦るような理由はないはずだが」
「コンラート様?」
「む? いや、すまぬ。それではそなたはモニカお嬢様の下へ向かってくれ。お嬢様も久しぶりに君に会いたいだろうしな」
「はい。ありがとうございます」
主としてではなく、コンラート個人の言葉としてそう付け加えると、ツェツィーリエもまたそれまでの張り詰めた空気を和らげて、ふわりと笑みを浮かべ礼を言った。




