赤の騎士団3
白騎士。巨人。暴れ牛。
コンラートを表す様々な異名。その異名の数々は彼の騎士としての力を誉め讃え畏怖するものであると同時に、少なからぬ揶揄の込められた蔑称でもあった。
白騎士は彼を初めとした平民騎士を指す言葉であるが、紋章や家紋を持たない空白の騎士――所詮平民でしかないという侮りを。
巨人は彼の体躯を誉めると同時に、無駄にでかくて邪魔だという僻みを。
そして暴れ牛は、彼の力任せで技術の無い未熟さを笑う嘲りを。
だがそれらの蔑称が付けられたのは、もう十七年も昔の事である。長い年月の中で名の中に込められた蔑みは忘れ去られ、純粋に彼を讃える称号となった。
何よりも、十七年の年月の間にコンラートが築き上げたものが、彼を嫌う者にすらその蔑称を呼ぶことを躊躇わせたのだ。
(これのどこが暴れ牛だ!?)
獣の唸り声のような音を立てて自らに迫る斧槍を躱しながら、サーシャは内心で独り言つ。
その長身から放たれる斧槍の一撃は断頭台の刃を思わせた。
否。その恐怖は断頭台のそれをはまったくの別物。目の前で暴雨のように降り注ぐ刃に比べれば、ただ首を切るためだけに存在する刃など何と可愛いものか。
この刃の前では急所など関係無い。例え表皮を掠めただけでも肉は削ぎ落とされ、万が一にも直撃すればその部位は引き千切られて落ちるだろう。
そして更に恐ろしいのは、それらの攻撃が決して力任せなものでは無いという事だ。
(隙が見えない。見えたと思ったら誘いで、誘いに乗らなければむしろこちらの隙を突かれる。厭らしさではセルゲイの方が上だが、力も速さも比べものにならない)
斧槍を受け流すだけで腕が痺れた。躱したはずの一撃の余波で体が崩れそうになる。
(暴れ牛ならどれほど御しやすいか。なるほど。それ故に――)
――巨人。
伝承の中にある巨人とは、ただ山のような体を持つだけの存在ではない。
時に神と敵対し、時に神と同一の存在とすら見なされる。竜と並び神の領域を侵し得る最上位の怪物。
(そう。コンラート・シュティルフリート。貴方は確かに――)
――神(悪魔)を倒し得る怪物(英雄)だ。
「っ……ハアッ!」
横薙ぎに払われた斧槍を後ろに跳んで躱したサーシャは、そのまま一気にコンラートとの距離を取った。
「はあ……」
大きく、しかし静かに息をつく。
できることなら体を屈め、思い切り息を吸い込みたい。だが呼吸が乱れている事を悟られれば、相手は間違いなく好機とみて追撃してくるだろう。
故に、まだまだ余裕がありますと言わんばかりに、落ち着いた素振りでサーシャはコンラートを見据える。
「……恐れ入った。加減されていると分かるのに、それに腹を立てることもできない。あのイクサと戦い生き残ったのは伊達ではないという事か」
「生き残ったと言っても、俺は一方的に蹂躙され気絶したところを見逃されただけなのだが。二十七将に数えられた事と言い、どうにも俺は過大評価をされやすい性質らしい」
よく言う。髭のはえた口元を撫でながらとぼけたように言うコンラートに、サーシャは自分でも知らずのうちに笑っていた。
確かに十七年前ならば、まだ若造であったコンラートに二十七将の名は過ぎたものだったかもしれない。だが今目の前に居る男は、間違いなく英雄と呼ばれるに足る戦士だ。
謙遜か、あるいは本当に自分の価値を分かっていないのか。
どちらにせよ、どこか抜けたところがあるのは間違いない。
「しかし確かに加減はしているが、それはそなたも同じことだろう」
「……何?」
「赤竜将軍は剣士としてだけではなく、魔術師としても一流だと聞く。だというのに、決めはおろか牽制にも魔術を用いないとは。俺程度は魔術を使うまでも無いということだろうか」
「……」
コンラートの言葉にサーシャは咄嗟に返す言葉を持たなかった。
確かに、コンラートと同じくサーシャにとっても今の戦いは全力と呼べるものでは無かった。しかしそれを指摘する理由がサーシャには分からない。
「……失礼した。決闘ならば対等でなくてはならないと、知らず己を制していた」
「なるほど。そら遠慮するな。そなたの一番得意とする魔術を使うと良い」
挑発するような物言い。しかしコンラートの人柄故か、その言葉はまったく挑発になっていなかった。むしろ何かを企んでいるのが丸分かりで、逆に何もないのではと思考の螺旋に迷い込みそうな程だ。
「……では、お言葉に甘えるとしよう。――風の精霊よ。古の契約に従い我が声に応えよ」
剣を右手で構えたまま左手を突きだし、サーシャは魔術の詠唱を開始する。
「――流れ落ちる雫。泫然と降りしだく禍階は空を裂き、暗涙の調は地維を砕く」
そしてそんなサーシャを、コンラートは斧槍を構えたまま何もせず見ていた。
魔術。先ほどの矢衾等とは比較にならない、確実な死をもたらす力の顕現。それを待ちわびるように、コンラートはサーシャの詠唱が終わるのを待っている。
何かあると、その場に居る誰もが思っただろう。
もし仮に何もなくこのままコンラートが死んでくれたなら、むしろ文句を言いたくなる程だ。
なればこそ、サーシャは一切の躊躇いを捨て、その魔術を放った。
「――汝、天と地の狭間を蕩揺する者。謡え、高らかに!」
・
・
・
「盛り上がってんなあ」
リーメスの一角。壁が崩れ去り、窓が窓として機能していない隙間から外の様子を窺いながら、若い兵士が呟く。
「どれどれ。僕も見ていいかな?」
「駄目に決まってんだろ」
部屋の中。傾いて隙間のできたドアの向こうからかけられた言葉に、兵士は呆れたように返す。
「だがコンラートくんが来てるんだろう。そして此処の守備を任されているのはカディロフ将軍だ。未だ現役のリーメス二十七将とリーメス二十七将の娘がリーメスを舞台に因縁の対決だ。誰だって見たいに決まってるじゃないか」
「アンタなあ。自分が捕虜だって自覚無いのかよ」
どこか興奮したような声に、兵士はますます呆れを強くして言う。
大体コンラートがキルシュ防衛線に参加したのはイリアス・カディロフが戦死した後なのだ。同じリーメス二十七将に数えられたというだけで、二人には面識どころか接点もありはしない。
「なあ良いだろう。別に逃げたりしないから僕にも見せてくれないか?」
「アンタいい加……」
兵士の言葉が不自然に途切れる。兵士自身も何故急に自身の言葉が途切れたのか分からず喉を押さえれば、そこにはまるで最初からそこにあったかのように小さなナイフが生えていた。
「……ぁ」
そしてそのまま、兵士は言葉を紡げないまま崩れ落ちる。その兵士の骸を跨いで、何者かがガタついたドアを蹴破った。
「お見事。しかしドアはもう少し丁寧に開けてくれないかな。どうしてゾフィー様の配下の人間は、ドアを蹴破るのが好きなんだろうね」
「別に好きで蹴破っている訳では無いんですけど……」
ドアを蹴破り、男の茶化すような言葉に応えたのは、黒装束に身を包んだ細身の青年だった。しかし一点だけ、腰に身に着けた短剣の鞘だけが赤い。
「君は赤剣騎士団のスヴェンくんだったかな。もう十年以上も前にマルティン殿相手にスリに成功。後に捕まったものの、その腕を買われて色々と経歴を誤魔化して兵士になった」
「覆面してるのに何で分かるんですかねえ。しかもその色々と誤魔化した経歴を何で知ってるんですかねえ」
呆れと猜疑心の混じったスヴェンの言葉に、男は椅子に腰かけたまま愉快そうに笑って返した。
「諜報専門の部下を持ってるのはゾフィー様だけじゃないからね」
「やっぱりアンタの仕業ですか。俺が侵入する間に他の団員が陽動に回るはずだったのに、団長が一人で突っ込んで来てんのは」
「察しの通り。僕が指示した」
「どうやってとか、どうしてとか、聞いてる場合でもないですね」
そう言うと、スヴェンは顔を振って男を促す。
「さっさと脱出しましょう。まあアンタなら俺がわざわざ迎えに来なくても大丈夫だったんでしょうけど」
「それは買いかぶりというものだよ。僕は戦いの方はからっきしなんねで」
そう言うと男――七選定侯の一人アルフレート・デンケンは胡散臭い笑みを浮かべた。




