赤の騎士団2
「何事だ!?」
突如リーメスを襲った巨大な石柱の群れ。魔術師の非常識さを見せつけるようなその攻撃で死者が出なかったのは幸運以外の何物でも無かったが、元々古びてガタのきていた城砦の機能を麻痺させるには十分な一撃であった。
石柱の命中した個所は言わずもがな、衝撃で崩壊した壁は確認するのが億劫になるほど多岐にわたり、被害が無い部屋を探す方が難しい程である。
「ほ、報告します!」
「入れ!」
「ハッ。サーシャさ……失礼しました!?」
しかし流石は帝国四大騎士団の一角というべきか、団長であるサーシャの下を伝令が訪れたのは彼女が身なりを整え終わるよりも遥かに早かった。
入室を許され蝶番の外れたドアを押しのけた伝令兵は、下着同然の薄布しか纏っていないサーシャを認め慌てて体を反転させる。
「良い。そのまま報告しろ」
「ハッ! 何分この有様ですので正確な事は分かりませんが、魔術師――恐らくマスタークラス以上の攻撃と思われます。各部隊長の無事は確認されておりますが、末端の兵までは把握できておりません」
「敵は確認できていないのか?」
「現時点でリーメス周辺に軍勢の姿は確認されておりません」
「……妙だな」
この混乱。仕掛けるには好機である。だというのに敵は攻撃を始める素振りすら見せず、奇襲を行ったと思われる魔術師も次の手を打ってこない。
「もしやあの捕虜の……」
「伝令!」
「些事は良い。報告を」
一つの可能性を見出したサーシャであったが、それを追及する前に新たな伝令が到着する。
そしてその伝令がもたらした報告は、その一つの可能性を忘却してしまうほどにあり得ないものであった。
「城砦の正面に襲撃者です! 数は一!」
「……私の聞き間違いか? 襲撃者は何名だと言った?」
チュニックを纏いながら伝令に視線を向けるサーシャ。あり得ないと、そう断言できる報告を聞いたためか、その目は冷たく伝令を怯ませるほどである。
しかしそれでも、ただありのままの事実を報告するため、伝令は丹田に力をこめ声を張り上げた。
「襲撃者は一名! ハルバートを携えた長身の騎士が我が方の兵を塵芥のごとく蹴散らしております!」
「長身の騎士だと」
まさかと、サーシャの脳裏に一人の騎士が浮かんだ。
可能かといえば可能だろう。彼ならばいかに精兵といえど、名も通らぬ雑兵を複数相手どるなど慣れたもののはずだ。
だが可能だからと言って、実行するほど馬鹿ではないはずだ。
「伝令!」
「報告を!」
しかし新たにやってきた伝令。その報告がサーシャの予想が当たっていたことを告げた。
「襲撃者はコンラート・シュティルフリート! ピザン騎士、巨人コンラートです!」
コンラート――巨人。白騎士。暴れ牛等の異名を持つピザンの騎士。
前大戦でリカムに多大な被害をもたらし、キルシュ王都の決戦の際にはローランドの王子ロラン・ド・ローランが皇帝を討つ隙を作りだし、大戦を終結に導いた立役者の一人。
そして――
「……やはり彼か」
――サーシャの父と同じリーメス二十七将に数えられた英雄の一人。
「乗せられるようで癪ではあるが良い機会……か。確かめさせてもらうぞ――英雄」
そう静かに呟くとサーシャは鎧も身に着けず半壊した部屋を後にした。
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戦争は数で決まる。ある種の例外を除き、それが常識であり本質である。
いかに個々の技量が高くとも、二対一では不利。相手が三人、四人と増えていけば、腕に覚えのある人間でも敗北は免れない。
しかしそんな常識を覆す存在がこの世には居る。
例え十の兵が同時に襲いかかろうとも、彼らに剣が届く事は無い。
例え百の兵が陣を組もうとも、彼らの一撃は容易くそれを打ち砕く。
例え千の兵が戦を仕掛けようとも、最後に立っているのは彼らだけ。
一騎当千。その言葉を体現する。故に英雄。
「囲め! 常に周囲から牽制しろ!」
そんな存在が、赤竜騎士団の守るリーメスに正面からやってきていた。
「ぎゃあ!?」
「そ、そんなばッ!?」
漆黒の斧槍。それが振るわれる度に赤竜騎士団の兵たちが木の葉のように蹴散らされていく。
その冗談のような光景は既に十を越えるほど繰り返され、兵の損耗は五十を越えた。
「怯むな! 相手は一人。魔術師でも化け物でもないただの人間が一人だ! 致命傷を与えれば死んでくれる、実に簡単な相手だ!」
しかしそれでも、一時的に指揮を預かった副団長イシドルは冷静に兵を鼓舞していた。
そして配下の兵たちもまた臆することなくその指揮に従い、己の役目を全うしていく。
「今!」
「放てぇ!」
イシドルの指示に従い、包囲の外で密かに準備を整えていた弓兵たちが一斉に矢を放つ。驟雨のように飛来したそれは常人ならば防ぎようのない死の雨である。
しかし忘れてはならない。英雄とは死を越えてこそ英雄なのだと。
「ハアッ!」
ゴウと重い唸り声をあげて、コンラートの手にした斧槍が風車のように回転する。
ただそれだけで飛来した矢は全て叩き落され、包囲の中には無傷のコンラートが一人佇んでいた。
「……すげえ」
「……」
騎士の一人が漏らした賛辞を咎める者は居なかった。否。認めざるを得なかったのだ。目の前の騎士が自分たちなど及ばない、正真正銘の英雄であると。
「我が赤竜騎士団をもってしてもこの有様か」
静寂に包まれる戦場の中、不意に不似合いな女性の声が響いた。
「さ、サーシャ様!」
「イシドル。兵を下がらせろ。やるだけ無駄だ」
剣を抜き、鞘を預けながらサーシャは歩みだす。それに合わせコンラートを包囲していた兵たちが割れる。
「……」
徐々に大きくなる男の姿を、サーシャは観察する。
巨人という異名の割には、それほど巨躯には見えない。背は確かにサーシャでは見上げなければならない程に高いが、それに反して細身な体のせいだろうか。
年齢の割に渋みを感じさせる顔と言い、老木のような印象を受ける男だった。しかしそれは決して頼りないものではなく、他者を慈しみ見守る暖かさと力強さがあった。
「……」
誰もが息をのみ沈黙を守る中、一足一刀の間合いまでたどり着くとサーシャは歩みを止めた。
コンラートが斧槍を構え、周囲が緊張に包まれる。
「……私はイリアス・カディロフの子にして赤竜騎士団団長を務める者、サーシャ・カディロフ。白騎士コンラート殿とお見受けするが、いかが?」
しかしサーシャは剣を携えたまま、構えることも無く言葉を紡いだ。
その静かな名乗りと問いかけにコンラートは驚いたように目を瞬かせたが、納得したように頷くと斧槍を引き口を開いた。
「いかにも。我はピザン王妹ゾフィー殿下の配下にして、赤剣騎士団団長の地位を預かるコンラート・シュティルフリートと申す。帝国四将軍の一人に名を知られていたとは光栄だ」
「敵ながら、その忠心と勇猛さはリカムでも鳴り響いている。何より父と同じ二十七将に出会え、こちらこそ光栄に思う」
「二十七将の子が戦場に立つか。なるほど、俺も年をとるはずだ」
そう言って笑うコンラートに、サーシャもまた状況を忘れたように笑みを返した。
なるほど、この男は噂通りの男らしい。できる事ならこのまま剣を置き語り合いたいとすら思うほど、出会ったばかりの男にサーシャは好意を抱いた。
「何故一人で……と問うた所で無駄な事か。さて、いささか惜しくもあるが、敵として出会った以上はやるべき事は一つ」
だが相手は敵である。そう自分に言い聞かせ意識を切り替えると、サーシャは剣を青眼に構える。
そしてそれに呼応するように、コンラートも笑みを消し斧槍を構えなおした。
「……鎧を着けなくて良いのか?」
しかしいざ戦わんとした所で、コンラートからそんな言葉が発せられた。
それに今度はサーシャが驚いたように目を瞬かせたが、すぐに気を取り直すと挑発的な微笑む。
「気遣い無用。何より、貴方相手に鎧など邪魔なだけだ」
「若いな。いや、強いというべきか。非礼を詫びよう。知らず侮っていたようだ」
そしてコンラートもまた穏やかに微笑むと、意識を戦場のそれへと切り替える。
「では――」
「いざ――」
――参る!
赤竜騎士団と赤剣騎士団。
同じ赤を冠する騎士団を率いる者同士の戦いはこうして始まった。




