間章 夏戦争の終わりと連合の崩壊
ピザン王都シュヴァーンにて大規模な地震が発生。建物という建物は崩壊し、小高い丘の上に建つ城も原型を留めぬほどに崩れ落ちた。
その報告を聞き、キルシュの王がうろたえたのは当然の事であった。
再び侵攻を始めたリカム。そのリカムに対抗しうる国家は、この大陸においてピザンを置いて他に無い。だというのに、そのピザンで内乱が起こった挙句に首都の崩壊だ。最も頼りになるはずだった味方の惨状に、動揺せずにいられるはずがない。
「陛下は……ドルクフォード陛下はどうされた?」
玉座から腰を浮かせながら、キルシュ王は報告を持ち込んだ部下へと問いかける。
「恐らくは城の崩落に巻き込まれて……地震の直前に突入した巨人コンラートに討たれたとの情報もあります。王都に侵攻していたゾフィー殿下は、王都の外に居られたためご無事のようです。今すぐピザンがどうこうなることは無いとは思いますが……」
すぐに立て直せるような状況では無い。
国内がゾフィー王女中心に纏まり始めていたとはいえ、王都の崩壊という事実はピザン国内に大きな影響を与えるだろう。国の中心であり、経済の中心でもあった街が壊滅したのだ。その影響はピザン国内はおろか近隣諸国にまで及ぶ。
「何という事だ……これでは援軍など望めぬではないか」
せめて内乱が終われば、ピザンにも余裕ができ援軍をもらえるとふんでいた。しかしその希望的観測は、未知の災害によりあっさりと崩れ去った。
キルシュ単独では、リカムに対抗する力など無い。以前の戦いとは異なり、リカムはキルシュに戦力を集中せず多面作戦をとっているが、それでも圧倒的な戦力差は如何ともしがたい。
「……情けない事だ。自国すら満足に守る事ができぬとは」
先の大戦は、キルシュにとって屈辱の歴史でしかない。自国の騎士たちはことごとく戦死し、頼りになるのは傭兵と義勇兵たちばかり。仕舞いにはピザン、ローランド両国に尻拭いをさせる結果となったのだ。
このままでは駄目だと、キルシュ王は国の立て直しを計った。しかし先の大戦で国内は荒れ、正規兵の多くを失った。その傷跡は十五年で癒せるものではなかったのだ。
「……頼りになるのは、ジャンルイージ将軍だけか。せめてローランドが動いてくれれば」
先の大戦でリーメス二十七将に数えられた「双槍」ジャンルイージ・デ・ルカ将軍。いかな英雄とはいえ、年老いた彼一人では戦線を支えきる事はできないだろう。
そしてローランドからの援軍にも期待できない。ローランドもリカムから自国を守らねばならないのだ。こちらに回す戦力があるかは疑わしい。
しかしそんなキルシュ王の予想を裏切る報告が、新たに現れた伝令によってもたらされた。
「ローランドから援軍です! 既に国境を越え、我が軍とリカムの対峙するリーメス要塞へと向かっているとのこと!」
「なんと! ジェローム陛下が動いてくださったか!」
ローランドの王。先の大戦でリーメス二十七将の一人に数えられた「策謀王子」ジェローム・ド・ローラン。
かつてその抜け目無い策と合理的過ぎる戦術から「ハイエナ」と蔑まれた男だが、友好国の危機に思い腰を上げたらしい。
「すぐに前線に伝えよ! ローランドと協力し、リーメスを奪還するのだ!」
高らかに命ずるキルシュ王。しかしそれから時を待たずして、彼は絶望の中に沈む事となる。
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リーメス要塞。
かつて北方の異民族の侵入を防ぐために作られたとされるその長城は、ローランド、キルシュ、ピザンの三国に跨っており、今なおその堅牢さを維持している。
北方の小国家軍がリカム帝国として統合されてからは、リカムと連合三国の間での主戦場となっており、十五年前の戦いでも何度も双方が奪い、奪われた重要拠点である。
そして今もまたリカムに奪われたリーメスに向けて、キルシュはエミリオ・デ・ヴィータ王子率いる部隊を差し向けていた。
総大将をエミリオ王子としながらも、その下には前大戦の英雄ジャンルイージ将軍も参陣。正にキルシュの総力を挙げた軍勢であった。
「右翼が敵の歩兵部隊を突破!」
「よし! そのまま進軍して敵の陣を突き崩せ!」
報告を聞きすぐに指示を伝えたエミリオは、すぐさま視線を戦場へと向けて頭を巡らせていた。
リカムとの戦い。当初は相手が篭城を決め込み長期戦になるかと思われたが、キルシュ恐るるに足らずと踏んだのか、リカムの将レオニート将軍はリーメスから打って出ての野戦を選択してきた。
これはキルシュにとっても好奇であったが、相手はリカム四大騎士団の一つ黒竜騎士団。未だ練度に不安があるキルシュ軍には荷が重い相手であり、戦いは完全にジャンルイージ率いる部隊頼りとなっていた。
それでも、そのジャンルイージの奮闘によって、僅かながら勝機が見えてきていた。指揮官としては情けない限りだが、エミリオはジャンルイージの活躍に期待して、その僅かな勝機を手繰り寄せる策を練る。
「ここで撤退され、篭城されては打つ手が無くなる。多少強引にでもレオニートを討たなければ……」
それがどれほど難しいか、初陣のエミリオにも分かっている。むしろ初陣である自分が指揮をとっている事がそもそもおかしいのだ。しかしそうしなければならない程に、今のキルシュには人手が不足していた。
「報告! 東より新たな部隊が……ローランド王国の旗印です!」
「何!? あの策謀王が動いたのか!?」
援軍の到来に沸きあがるキルシュの兵たち。しかしエミリオは、不吉な予感に眉をひそめた。
相手はハイエナと呼ばれた男だ。自軍の消耗を避け、圧倒的に優位な戦にだけ参戦し、実の弟を謀殺したという噂すらある不義の王。無論噂は噂に過ぎないが、問題はそんな噂が流れてしまうような人間性だ。
事前の知らせの無い援軍。恐らくは無断での国境の突破。
まさかという思いは、右翼を任せていたジャンルイージが慌てて部隊を反転させたことで確信へと変わった。
「伏せろ!」
半ば無意識にエミリオは叫んでいた。しかしその警告も虚しく、突然の王子の指示に呆然としていた兵士たちは次々と飛来する矢に貫かれた。
雨のように降り注ぐ矢。それが放ったのは、援軍に来たはずのローランド軍であった。
「……予想通り過ぎて『裏切ったな』と叫ぶ気にもなれないな」
阿鼻叫喚。混乱し逃げ惑う兵士たちを眺めながら、エミリオは自分でも不思議なほど冷静に呟いていた。
矢霞の中を抜け、必死にこちらへと向かってくるジャンルイージを見れば、そこに至るまでに幾つの死体があるのか数えたくなくなるほどだった。
これはもう負けだ。さっさと逃げ出して、城か隣のピザン王国にでも逃げ込もう。
そう判断すると、エミリオは全軍に撤退命令を下した。その中で多くの兵を失うと確信していながら、それ以外の方策を取れなかったのだ。
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こうしてキルシュ軍は、ローランド王国の裏切りによって全軍の六割を失うという大敗をきした。指揮官のエミリオ王子は行方知れずとなり、双槍ジャンルイージ将軍は戦死。歴史に残る大敗北であった。
そしてそのほぼ同時刻。自室にて胸に剣を突き立てて息絶えたキルシュ王の遺体が発見される。これによりキルシュは機能不全に陥り、リーメスでの大敗から一週間と経たぬ内にローランドに占領された。
ピザン王国及び各国はローランドの裏切りを非難したが、ローランドのジェローム王は「我が国の領土を不当に占拠していた賊を討ち取ったに過ぎない」と宣言。
キルシュがかつてローランド王国領であったのは事実だが、その宣言に納得するものなど当然居なかった。
しかし既にキルシュを支配していたヴィータ王家は滅んだも当然であり、ピザンも身動きができない現状ではそれを戒める国も無く、事実上キルシュはローランドに併合される事になる。
一方のピザン王国は、王都の崩壊により遷都を余儀なくされ、ジレントに向かった部隊が返り討ちにあったこともあり、大きな混乱に見舞われていた。
次期国王と目されていたゾフィー王女は、王都での戦いで重傷を負い、療養のため一時表舞台から姿を消す。
空になった玉座。一時的な処置として、その座にはクラウディオ王子が就く事となる。アルムスター公やインハルト候を初めとした選定候の一部からは不満の声が上がったが、動乱の中でその存在感を増したクレヴィング公がクラウディオ支持に回った上、ゾフィー王女からの取り成しもあり沈黙した。
こうして探求王ドルクフォードの後継者、紅炎王(後の血塗れ王)クラウディオが誕生する。
そして夏が終わり冬が来る。
大陸の北部は冬になると積雪のために軍の行軍はほぼ不可能となる。故にリカムは侵攻の手を休め、未だ国内が混乱しているピザンも軍を引き地盤固めを始めた。
こうしてリカムの侵攻に始まった夏戦争と呼ばれた戦いは一応の終局を見せる。
しかしピザン、リカム共にこれは次の戦いへの準備期間であると認識しており、再び両者がぶつかるのは確実であった。
しかし一年の時が過ぎてもリカムは動かず、ピザンもまた公にできない理由から軍事行動に消極的であったため、不思議な膠着状態が続く事になる。
そして両国のにらみ合いは二年続き、また夏が訪れる――。




