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四章 黒の王子・白の娘2


 重い音をたてて扉が開く。その扉が開き切らぬ内に、ヴィルヘルムは玉座の間を支配する静寂を切り裂くように、足早に玉座に腰かける王の下へと歩み寄った。玉座の上の王は、初夏だというのに白い毛皮を肩にかけ、少しも姿勢を崩さずどっしりと構えてそれを迎える。

 その様子に、今更ながらヴィルヘルムは違和感を覚えた。

 父はこれほどまでに余裕の無い人だっただろうか。親不孝者である事は自覚しているが、こんな冷たい瞳で息子を見る人だっただろうか。

 人が変わったと皆は言うが、これは最早別人と言った方がいくらか納得できる程だ。


「……陛下。ジレントへの出兵を命じたそうですが、何故に?」


 内心の思いを封じて、ヴィルヘルムは静かに問いかける。本来ならば詰問したいほどのその問題を、抗議もせずに問うに止めたのは、目の前の王が恐ろしいからだ。

 考えが読めない。故にこちらが強硬に出れば、どのような対応をしてくるのか予想できない。裏で人を動かす事を本分とするヴィルヘルムに、今の王と直接対峙して自分の手札をきる愚を犯す意味も度胸も無かった。


「カイザーはジレントの首都ランライミアに居る。その奪還のためだ」

「それはロンベルク候の情報でしょうか?」


 言いながら、ヴィルヘルムは視線を横に向ける。

 そこには中年の貴族――ロンベルク候が居た。だがその表情は暗く、己の存在を隠すように身を縮める姿は、何かを恐れているように見えた。いつもひょうひょうとしていた、油断ならない男の姿では無い。


「その通りだ」


 王の答えに、ヴィルヘルムは視線を戻す。しかしその答えに納得したように見せながら、ヴィルヘルムは内心で不思議に思った。

 ロンベルク候の顔が広いとは言っても、ジレントに対する情報網は皆無に等しいはずだ。故にカイザーの情報が漏れるとすれば、それはピザン内部からのはず。しかしピザンの関係者から事情を聞きだしたのだとすれば、蒼槍騎士団がカイザーを逃がした事も知れるはずだ。にもかかわらず、王がその事について言及する様子は無い。

 さらに言えば、カイザーがランライミアに居る事は、魔法ギルドに繋がりのあるヴィルヘルムですら確認の取れていない情報でもある。ロンベルク候にそれを確認する手段などあるのだろうか。


「ロンベルク候。失礼ですが、その情報は信頼のおけるものなのですか?」

「も、勿論ですとも。閣下が信用できぬというのであれば、私自ら先陣をきりカイザー殿下をお救いいたします!」

「……はあ。そうですか」


 あからさまに怪しいその態度は、やはりヴィルヘルムの知るロンベルク候のそれでは無い。もしかしたら王に脅されでもしているのかと思ったが、それでもここまで分かりやすく怯えるだろうか。


「しかし交渉も無しに戦をしかけるには、相手が悪すぎるのでは? 何よりジレントは中立国。そこにいきなり兵を送れば、周辺国にいらぬ警戒をさせかねません」


 カイザーやゾフィーのもろもろの問題を考慮しなくても、今はリカム帝国との戦争に集中したいのがヴィルヘルムの本音だ。かつての大戦のように、キルシュ王国とローランド王国を味方に引きずり込まなければ、押し負ける可能性すらある。

 そうでなくとも、ジレントを敵に回せば、大陸中の魔術師と、魔術師に寛容な国も敵に回りかねない。そうなれば最悪大陸の国々を二分――リカムを含めれば三分しての戦いとなる。

 そしてもしそうなれば、戦火の中心となるのは間違いなくピザンだ。いかな大国とはいえ、そんな馬鹿げた戦いをする体力があるはずがない。


「魔法ギルドの党首であるサンドライト様に、お話をされるべきではないでしょうか」

「党首がこちらに応じるとは思えん。交渉は行わぬ。余計な事は考えず、おまえは己の職務を果たせ」

「……御意」


 しばしの沈黙の後、ヴィルヘルムは頭を下げその場を後にする。退室する間際にロンベルク候を見るが、彼は相変わらず小さく身を縮めて震えていた。

 明らかにおかしい。少なくとも、ジレントに攻め込もうなどという勇ましい言葉は、彼の本意ではあるまい。カイザーがランライミアに居るという情報をもたらしたのが、彼だというのも疑わしい。


「ロンベルク候は置いておくとしても、問題は父上がサンドライト様に連絡すらしないという事」


 人気の無い廊下を歩きながら、ヴィルヘルムは一人ごちた。

 魔法ギルド党首ミリア・フェイ・サンドライトは、ドルクフォード王の古い友人でもある。例え友人であっても、政治的な場面では対立する事もあるだろう。しかしそれでも、交渉の窓口としては有用なはずだ。カイザーの安全を考えるならば、戦を仕掛ける前にあらゆる方面から交渉を行うべきなのだから。

 それをしないという事は、できない理由があるか、やりたくない理由があるか、あるいは……。


「まあどちらにせよ、諸侯を焚きつける材料にはなりますね。すいませんね父上。もしかしたら、私などには理解できない深い考えがあっての行動なのかもしれませんが、私は貴方よりもゾフィーやカイザーの方が大事なので」


 そう呟くヴィルヘルムの顔には、少しも悪意を感じさせない美しい笑みが浮かんでいた。



 居心地の悪さを感じながら、コンラートは湯気の立つ紅茶を口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。

 先日カイザーやクロエ、レインといった子供たちに囲まれたときも居心地は悪かったが、現在感じるそれはいささか方向性が違った。突如コンラートの泊まる部屋に訪れ、手ずから紅茶を入れてくれた人物が、コンラートなどではまともに対面できぬ方であった故に。


「少し濃かったかしら」


 コンラートの対面に腰かける、たおやかな高齢の女性。その仕種はカップを置く動作一つをとっても洗練されており、皺の浮かんだ顔はそれでも生気に満ちており美しかった。

 一見すればどこの貴婦人かと思う女性だが、薄い金色の髪を押させるように着けられたサークレットが、彼女がただの女性で無い事を教える。


 女性の名はミリア・フェイ・サンドライト。南大陸の魔術師たちを統括する、魔法ギルドの党首である。


「あら、口にあわなかったかしら?」


 コンラートの困り顔をどう取ったのか、ミリアはどこかゆっくりとした、聞く者の心を安らげる声で言った。


「いえ、そういうわけではありませぬ。恥ずかしながら、私の舌では茶葉の違いも分かりませぬ故」


 実際には味を感じる余裕も無かったのだが、コンラートは慌てて本音混じりの謙遜で応対する。

 ヘルドルフ家に居た頃に紅茶の入れ方も嗜み方も教わったが、いかんせん味覚が庶民なコンラートでは、紅茶の繊細な味わいを理解する事はできなかった。

 都会に住むものならともかく、物品の流通の少ない田舎では、食事すら娯楽にならない場合すらある。コンラートの住んでいた村もそういった類であり、普段の食事は豆や草ばかりの味気無いものばかりだった。

 そんなコンラートからすれば、塩をふっただけの肉や魚ですらもご馳走だったのだ。王都での暮らしで少し舌は肥えたが、それでも王都での一般的な民の感覚と大差は無い。嗜好品に類する紅茶など、不味くさえなければ文句が出ないのだ。


「ふふ。聞いていた通り、その辺りの騎士より騎士らしい方ね。ドルクの下では、随分と振り回されたのでは無いかしら?」

「恐縮であります。しかし……その、サンドライト様は陛下とお知り合いなのでしょうか?」


 魔法ギルドの党首に対しどのような尊称をつければ良いのか。一瞬悩んだコンラートだったが、無難に呼ぶと続けて疑問を口にした。


「聞いた事が無いかしら? ――赤の王子は探求の王。剣士に神官、魔術師すらも従えて、情熱の港より船出し死の海へと挑み行く」

「それは……何度か知り合いが語っていたのを聞いた事がありますが」


 謳うように紡がれたそれは、三十年以上も前に吟遊詩人たちに語られた冒険譚。コンラートも断片程度は聞いた事があるが、その全容までは知らない。


「その赤の王子が、察しているでしょうけれどドルクフォードの事よ。流石に私たちの名をそのまま使う事は無かったみたいだけれど、その中で語られる冒険は確かに私たちの思い出」


 穏やかな声で語りながら、ミリアは当事を思い出すように目を閉じる。


「遺跡があると知れば探索して、化物が出ると聞けば退治して、魔術師が作った迷宮に乗り込んだりもしたわ。そうしている内に仲間が増えて、ついには皆で船の扱いを覚えて大陸の外まで飛び出した。

 ……その中で死んでしまった仲間も居たけれど、一緒に過ごした日々は今もよく覚えているわ」


 初めて聞くドルクフォードの過去に、コンラートは驚きつつもなるほどと納得した。

 ティアがカイザーを「さすが陛下の弟」と言っていたが、それはこの事を知っていたからなのだろう。確かにクラウディオも王族らしからぬ人だが、無断で国外に飛び出すような真似はした事が無い。


「あら、ごめんなさいね。思い出話をするつもりは無かったのだけれど、貴方が私たちの仲間に似ていたから、つい昔を思い出してしまったわ」

「仲間……というと、先ほどの話しの?」

「ええ。ドルクが貴方を気に入っていたのも、きっかけはそのせいかしら」


 そう言って穏やかに笑いながら見つめてくるミリアに、コンラートはどこか気恥ずかしい気持ちになる。

 しかし確かにドルクフォードは、ただ戦場で拾っただけの子供に対して世話を焼きすぎていた。それはコンラートに、かつての友の面影を見た故の事だったのだろうか。


「まずは、此度はランライミア、ひいてはジレントを守るために尽力していただき、真にありがとうございました」

「いえ。私は当然の事をしたまでの事。それに……あるいはあの襲撃は私を狙ったものやもしれませぬ。むしろこちらは謝罪を述べねばなりません」

「証拠も無い憶測だけで、謝るものでは無いわ。確かに議員の一部には、貴方を早々に追い出すべきだという人も居るけれど、あの襲撃が貴方一人を殺すためのものだとすれば、やり方がおかしいのは誰の目にも明らかでしょう?」

「それは……確かにそうですが」

「なら、謝らないで、こちらの感謝を受け取りなさい。だけど、今後はドラゴンに挑みかかるなんて、無謀な真似はしない方が良いわね」


 嗜めるような言い方に、コンラートは再び気恥ずかしくなり困ったように笑みを浮かべる。

 優しさと厳しさの混じった声は、かつて面倒を見てくれたヘルドルフ夫人を思い起こさせる。コンラートに母は居ないが、ミリアから感じる暖かな感情は、母という存在を想起させるものだった。


「だけど、行動を起こした貴方が、より良き未来を引き寄せたのも確かだわ。そして彼女も、貴方が引き寄せた縁よ」


 そう言ってミリアは、先ほどからそばに控えるように立っていた、妙齢の女性へと視線を向けた。女性はそれに応えるように頷くと、一歩進み出てコンラートに向かい頭を下げる。

 女性はワンピースのような服の上に、薄い草色のケープを纏っていた。後ろで纏められ、右肩から前へと垂らされた髪は濃い草色で、額にかかる前髪の隙間からは、魔法ギルドの党員の証である銀色のサークレットが覗いていた。

 確かめるまでも無く、魔法ギルドに所属する魔術師の一人だろう。


「ツェツィーリエと申します。普段は司書をしておりますが、先の事件の中でコンラート様の名を聞き参りました」

「……なるほど」


 ツェツィーリエと名乗った女性の言葉に、コンラートは先のミリアの言葉の意味を理解した。

 ツェツィーリエは魔法ギルドの党員ではあるが、所詮司書でしか無く、この街に出入りする人間を把握する立場には無かったのだろう。コンラートが魔物たちと戦わず、その存在を周囲に知られる機会が無ければ、ツェツィーリエがこうしてコンラートの下を訪れる事も無かったに違いない。


「それで、俺に何の用だろうか?」

「不躾ながら、私をコンラート様の従者としていただきたいのです」

「……は?」


 ツェツィーリエの言葉に、コンラートは間の抜けた声で返していた。

 コンラートは貴族でもなければ、裕福な商家の人間でも無い。少し前までは騎士であったが、それも剥奪された身だ。

 突然従者にしてくれ言われても、何故自分がと困惑するしかない。


「……それは魔法ギルド、あるいはジレント議会からの命令だろうか?」

「いいえ。確かにミリア様は、この街にいる間だけでもコンラート様に護衛をつけるべきだとおっしゃられましたが、正式な命令で無いそれに応えたのは私の意志です」

「むう」


 ますます理由が分からなくなり、コンラートは唸る。あるいはかつてのコンラートの名声に、「白騎士」や「巨人」と呼ばれる戦士に憧れての事かと思ったが、魔術師であるツェツィーリエが戦士に憧れるだろうか。

 考えてはみたが答えは出ず、コンラートは素直に本人にその理由を問い質す。するとツェツィーリエはバツの悪そうな顔をすると、それを隠すようにもう一度頭を下げた。


「恥ずかしながら、私がコンラート様の従者を申し出たのは、コンラート様を頼りとしたい問題があるからなのです」

「問題?」

「まず最初に、私が何故コンラート様の事を知っていたかをお話します。シレーネという名に、聞き覚えは無いでしょうか? かつてヘルドルフ伯の屋敷にて、侍女をしていたのですが」

「シレーネ……。ああ、よく覚えている。面倒見の良い方だったが、お痛をすると容赦無く尻を箒で打ってくれた」


 恰幅の良い、侍女というよりはどこぞの店の女将のような人だった。屋敷に厄介になっているだけのコンラートを、「ぼっちゃん」などと呼び世話を焼いてくれたが、怒るとその体格も相まってオーガのようであった。

 そんな事をコンラートが言うと、ツェツィーリエは突然顔を伏せてしまう。しかしその様子は先ほどとは違い、どこか恥じいるようなもの。


「その……母が大変失礼をいたしました」

「母……? シレーネ殿の娘か」


 予想外の事実に、コンラートはしげしげとツェツィーリエの姿を観察してしまっていた。

 シレーネは丸々とした体の、豪快な性質の人だったが、目の前のツェツィーリエは痩せ過ぎなほどであり、接した感じでは物静かな印象だ。


「あの……コンラート様?」

「むっ? 失礼した。よく見てみればシレーネ殿の面影があると思ってな」


 羞恥と抗議が混じった声で言われ、コンラートは我に帰り頭を下げた。

 しかし言葉に出した通り、よくよく見てみれば、ツェツィーリエの髪の色や目元の辺りなどは、確かにシレーネの面影を感じさせた。

 案外ツェツィーリエがシレーネのように太れば、瓜二つになるかもしれない。


「本当に申し訳無い。それで、シレーネ殿はお元気だろうか」

「母は三年前に亡くなりました。ジレントに移り住んでから、幼い私たちを育てるために苦労していたようで、無理が祟ったようです」

「……そうか。それは残念だ」

「今回私がコンラート様の下へ参ったのは、母の遺言を果たすためでもあります」

「遺言?」


 その内容に見当がつかず、コンラートは首をかしげた。

 コンラートの記憶にあるシレーネは、確かにコンラートを気遣ってくれていた。しかしそれでも、遺言を残されるほど親しかったわけでは無い。


「ヘルドルフ夫人の子が死産した事を覚えていらっしゃるでしょうか」


 苦い過去を、不意打ちのように掘り起こされて、コンラートの顔が強張る。

 戦争が終わり、数ヶ月ほど経ったときに、ヘルドルフ夫人が流産し自らも命を落としたと、コンラートは噂で聞いた。かつて母のように接してくれた人の死を、噂でしか知る事ができなかったのだ。


「……覚えている。夫人の死を看取れなかった事は、悔やんでも悔やみきれん」


 そもそも夫人のお産の場に、コンラートは戦死したマクシミリアンに代わり出向きたい程であったが、それは叶わなかった。


 キルシュ防衛戦の末期、リカム帝国の皇女であり、リーメス二十七将の一人に数えられる焔姫アレクサンドラによって、ピザンとキルシュの連合は大きな痛手を負った。

 アレクサンドラ自身は、フローラとの戦いに敗れ前線を退いたが、キルシュ軍は王都へ、ピザン軍は国境付近のリーメスへ撤退を開始した。その際に追撃するリカム軍との間に起こった戦いを、ロートヴァント逃亡戦と連合側は呼んでいる。


 追撃するリカム軍と、逃げるピザン軍。幸いイクサは居らず、アンデッドの心配をする必要は無かったのだが、リカムの将軍ウォルコフはそれを幸いと思わせぬ、嵐の化身の如き鬼将であった。

 最終的にウォルコフはクラウディオによって討ち取られたが、それは総大将が出張らねばならない程に追い詰められたという事でもある。

 多くの将兵がウォルコフに敗れ、命を落としていた。そしてその中には、リーメス二十七将に数えられたクラウス・フォン・ヴァレンシュタインと、ピザンの剣と讃えられたマクシミリアン・フォン・ヘルドルフも含まれていた。

 夫人の懐妊を心から喜んでいたマクシミリアン。その手で自らの子を抱く事ができなかったのは、どれほど無念だっただろうか。


 その後、伯爵家はマクシミリアンの弟であるマリオンが継ぐ事となる。そしてそれを機に、コンラートは追い出されるようにヘルドルフ家を離れ、国仕えの騎士となった。

 マクシミリアンの死とマリオンの家督の継承が、コンラートとヘルドルフ家の繋がりを断ってしまったのだ。


「しかし、その事とシレーネ殿に何の関係が?」

「ここから先は、私の家でお話させていただけないでしょうか。例えミリアさまであっても、お聞かせするわけにはまいりませんので」

「あら、残念ね」


 それまで黙って成り行きを見守っていたミリアが、少しも残念そうでない様子で言う。


「……分かった。聞かせてもらうとしよう」


 どんな内容であれ、故人の願いを無下にするわけにもいかない。そう判断したコンラートは、大きく頷くと了承の意を伝えた。



 宿の自室にて、クロエはカーテンを閉め切ったままの薄暗い中で、女神教会の使いより届けられた手紙を開封していた。

 封筒をベッドの上へと放り投げると、椅子にも座らず立ったまま中身を読んでいく。読み進めるにつれその顔に嫌悪とも落胆ともつかない表情が浮かぶが、それも読み終わる頃には呆れへと変わっていた。


「――火よ」


 おもむろに手紙をテーブルの上の皿へと乗せると、クロエは掌から火を出してそれを燃やした。それは機密保持のためでもあるが、それ以上に手紙の内容の不快さ故でもある。

 一刻も早く目の前のものを消したいという感情が、手っ取り早い処分方法をクロエに選択させた。


「クロエー。居るー?」


 闇を宿した、暗い瞳で炎を見つめていると、ドアの向こうからレインの声が聞こえてくる。それにハッとしたようにクロエが顔を上げれば、その瞳はいつも通りの強い意志を感じさせるものへと戻っていた。


「居るぞ。何か用か?」

「お母様がコンラートさんに用事があったから、ついでに来てみただけよ。……って、室内で何燃やしてるの!? 火遊び!?」

「違う」


 皿の上で燃え盛るそれを見るなり、レインが甲高い声で叫ぶ。それを否定しながらも説明をしないクロエに、レインは微かな違和感を覚えた。

 いつもならば、否定の言葉の後に一つ二つと嫌味が続くのだがそれが無い。そしてよくよく観察してみれば、クロエにどこか元気が無いと感じた。明確な理由は無いのに、レインは感覚的にそれを理解したのだ。


「どうしたの? 大丈夫? また何か無茶な命令でもされたの?」

「いや……ある意味ではそうかな」


 気遣いながら聞いてくるレインに、クロエは否定しようとしたが、すぐに苦笑してそれを認めた。

 普段は意識していないが、レインはクロエよりも年上なのだ。こういう時にらしい態度をされると、思わず縋りたくなってしまう。それを自覚しながらも、クロエは首をふってその思いを追い出した。


「いつかの結婚の約束、お流れになりそうだ」

「約束って……二十五までに相手が見つからなかったら、お互いに妥協して結婚しようってやつ?」


 何とも若者らしくない約束を、レインはよく覚えている。

 レインもクロエも、恋人はおろか友人と言える存在すら居ないという、ある意味で似た者同士だった。恋などしている自分が想像できず、かといって政略結婚などごめんだと思ったレインが、クロエに半ば冗談で言い出した事だ。

 冗談半分とは言っても、確かに半分は本気だった。その程度にはレインはクロエの事が好きだったし、心を許している。だからこそ、冗談半分という事にしておかないと、恥ずかしくて仕方が無かったのだ。

 そんな約束を、クロエの方も本気で受け取っていた事が、レインには驚きでありどこか気恥ずかしい事だった。


「でもそんなの、アンタが神官になった時点で諦めてたけど? もしかして二十五になったら辞めるつもりだったの?」

「選択肢の一つとしては考えてた。だけどもうすぐ、逃げられなくなりそうだ」

「何? 司教なんてぶっとんだ階位よりも重大な事なんて、大司教に任命されるくらいしか思いつかないんだけど」


 枢機卿という可能性は、いくらなんでも無いだろう。そもそも大司教……それ以前に今の司教という立場がありえないのだ。これ以上にクロエが女神教会に縛られる事態など、レインには思いつかない。


「内緒だ。とりあえず、一つ任務が終わって、その任務を達成できなかったせいで次の任務が来た……と言った所か」

「任務って、コンラートさんをアルバスに連れて行く以外に? そういえばアンタ、ローランドまで一人で行ってたらしいけど、どんな任務だったの?」

「下らない任務だよ。何処に居るか分からない。そもそも本当に居るかも分からない人間を探せって言う、雲を掴むような任務だ。ローランドまで行ったのは、手がかりが無いから勘で行ってみただけだ」

「何それ? 誰を探せって言われたの?」


 レインの問いに、クロエは言って良いものかと悩む。しかしそれは一瞬で、そもそも荒唐無稽な話なのだから、言っても問題は無いだろうと判断した。


「白い髪に白い肌。白銀の瞳を持つ白き娘――現代の巫女の探索だよ」



「ここが私の家です」


 外街に出てそれほど歩かない内に、ツェツィーリエの家はあった。白い石造りの家は中々の大きさであり、それなりに収入のあるもので無ければ住む事ができないであろう立派なもの。しかし年代物であるらしく、所々が薄汚れていた。


「まずは会ってもらいたい人が居ます。私の妹なのですが」

「そなたの?」

「はい。ですが、それは表向きの嘘です」


 あっさりとした暴露は、いきなりすぎてコンラートには驚きを与えなかった。ただ単純に、何故かという疑問が浮かび上がる。


「ヘルドルフ夫人の死ですが、母が言うにはお産のためでは無いそうです。何者かに毒をもられたと」

「……何だと?」


 家の中を案内しながら言ったツェツィーリエの言葉は、コンラートには思ってもみないことであった。そのためコンラートは、意識せず睨むような顔をツェツィーリエに向けてしまう。

 それに少し怯みつつも、ツェツィーリエは話を続けた。


「犯人は見つからず、それ所か夫人の毒殺の事実すら公にされませんでした。それ故に母はマリオンを疑い、ヘルドルフ家を離れたそうです」

「それは……確かに毒殺が事実であれば、それをマリオン殿が知らぬはずが無いし、隠蔽に関ったのは間違いないだろう。だが実行犯とは限らないのではないか?」

「確かにそうですが、当事マリオンは伯爵家を継ぎながらも、夫人の影響力の強さに煩わしく思っていたそうです。夫人の死が、マリオンにとって都合が良かったのは事実かと」

「むう……それはそうだな」


 反論できず、コンラートは唸るように声を漏らした。

 そもそもコンラート自身、己をヘルドルフ家から遠ざけたマリオンをあまり良くは思っていない。庇う理由などありはしないのだ。


「犯人が誰であったとしても、夫人を殺した人間が居た事は確かです。だから母は、その害が夫人の子にも及ぶのでは無いかと案じ、死産であったとしてマリオンから隠し、ピザンを離れジレントへと移り住んだそうです」

「待て。夫人の子だと? 生きているのか!?」


 驚愕の事実の連続に、とうとうコンラートは叫ぶような声を出してしまった。

 かつて主と慕った、お二人の子が生きている。それがどれだけ予想外であり、また幸運な事であるか、コンラートは普段祈らぬ神に感謝すら抱きそうになる。


「はい。先ほども言った通り、私の妹として母の手で育てられました。体は弱いですが、本当に頭の良い子で、私などの拙い教えで大学でも通用するほどの知識を得てしまうほどです」

「そうか……。そなたとシレーネ殿には、感謝してもしきれぬな」


 体が弱いというのは心配だが、愚鈍でないのは幸いだ。

 女王が自然に受け入れられるお国柄故か、ピザンでは女性の領主も少なからず居る。婿養子で立場が弱い者などは、妻を家の代表として立てる事もあるほどだ。

 もしマリオンを排除せねばならぬ事になっても、家督を継ぐ事ができるかもしれない。


「しかし……何故シレーネ殿はジレントに? ピザン国内の誰かを頼るわけにはいかなかったのか?」

「……その答えは、あの子に会えば分かります」


 そう言ってツェツィーリエの指さした先に、一つの扉があった。

 廊下の突き当たりの、一番奥の部屋。恐らくはそこに、マクシミリアンと夫人の子が居るのだろう。


「どうか驚かないでください。事実を知っても、あの子をあの子として見てあげて下さい。勝手な願いですが、私にはもうあの子をどう扱うべきなのか、分からないのです」


 ツェツィーリエの声は、先ほどまでとは違い弱弱しく、己が罪咎を責める色を持っていた。それにコンラートは僅かに臆し、扉を開けるのに尻込みしてしまう。

 だが、主であった二人の子を、見捨てるなどという選択は初めからありえない。

 何があっても驚くものかと、自身の心に渇を入れ、コンラートは力強い手で扉を開けた。


「……これは?」


 部屋の中は闇だった。部屋の奥に見える窓から微かに光が漏れてはいるが、その前にかけられた漆黒のカーテンが、まるでそれこそが目的であるように太陽を遮っている。

 子供を隠すためかと思ったが、ツェツィーリエは彼女を妹として公表しているかのような言葉を使った。仮の立場を持ち、隠す必要の無い子が、何故暗闇の中に居るのか。


「ツェツィーリエ? 帰ってきていたの? ……その人は誰ですか?」


 扉が開いたのに気付いたのか、暗闇の中から声が言った。その声は子女のそれにしても高く澄んでいて、力強かった。もしその声で旋律を奏でれば、笛の音のように聞こえたかもしれない。


「突然失礼しました。私はコンラート。お嬢様のご両親の世話になった者です」

「コンラート……さん? 白い騎士の?」

「いえ……今は騎士ではありませぬ。気軽にコンラートとお呼びください」


 暗闇に向けて、コンラートはなるべく警戒を与えないように、穏やかな声で言う。

 まだ十四になったばかりの少女に対するには、少々硬い口調になってしまったが、立場を考えればこちらは気軽にというわけにもいかない。

 あるいは、マクシミリアンが生きていれば、そんなものは気にするなと背中でも叩かれたかもしれない。しかしそうならなかった以上、コンラートは貴族の令嬢に対する態度を崩す気にはなれなかった。


「お嬢様。よろしければお名前を聞かせていただけませぬか?」

「あ……はい。私は――」


 歌うように、少女は言う。そしてそれに合わせたように、ツェツィーリエの手によって、室内に明かりが灯される。

 そして明かりに照らされて、闇の中に浮かび上がった姿に、コンラートは言葉を失った。


「モニカ……。モニカ・ケルルです」


 そう名乗る少女の背は、コンラートの胸元よりも低く、触れれば折れるのでは無いかと思わせる程に華奢だった。しかしその造作は整っており、ハッキリとした目鼻立ちのためか大人びた印象を受ける。

 ゆったりとしたドレスを纏っている事もあり、その姿は正に人形のよう。しかし少女の相貌は、その美しさを讃える事を忘れさせるほどの異常を内包していた。


「……巫女?」


 自身の口から漏れた声が、いやにかすれているのを聞き、コンラートは己が混乱している事を自覚する。


 水色の衣装から覗く少女の肌は、病的なほどに白かった。

 絹糸のような髪は、汚れの無い雪をそのまま紡いだようだった。

 そして焦点の定まらない、一目で盲目と分かるその瞳は、他には二つと無いであろう白銀を宿していた。


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異世界召喚が多すぎて女神様がぶちギレました
日本の神々の長である天照大神は思いました。最近日本人異世界に拉致られすぎじゃね?
そうだ! 異世界に日本人が召喚されたら、異世界人を日本に召喚し返せばいいのよ!
そんなへっぽこ女神様のせいで巻き起こるほのぼの異世界交流コメディー
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