三章 女神の盾6
荘厳な空気に包まれた礼拝堂に少女の声が響く。それに少し遅れて口を開いた女たちの声が重なり、絡み合う音は美しい旋律となって人々の耳へと届いた。
礼拝堂は舞踏会が開けそうなほど広かったが、訪れた人が予想以上に多かったために急遽椅子は片付けられた。人々はふとした拍子にぶつかりそうになりながら、しかし文句の一つも言わず立ち続けている。その理由は、喪服のような黒い衣装を着た女たちの中で、ただ一人白い衣装を纏っている少女だろう。
白い肌と白い髪。巫女と呼ばれる少女の姿は、穢れを知らぬ処女雪を思わせる。その姿を一目見ようと、その声を少しでも耳にしようと、日頃神に祈らない者たちすらこの場に訪れた。
そんな中で一人、礼拝堂の片隅で他者を寄せ付けず佇む男が居た。巫女の頼る第一の騎士とされ、人々に赤い騎士と呼ばれる者である。
「……」
赤い騎士は無表情に、内心では不快に思いながら巫女の姿を見つめていた。
重苦しい雰囲気の中で、ありがたい聖歌を。聖歌などともてはやした所で、歌はただの歌だ。
一声命じれば魔物の動きが止まり、手を振り下ろせば雲も無いのに雷が落ちる。そんな奇跡を起こす巫女であるが、この歌によって起こる奇跡などありはしない。もしかしたら起こす気も無いのかもしれない。
元々この歌は、大女神様のありがたい御言葉とやらを神官が伝えるために、客寄せとして始まったのだ。それでも人々の心の慰めになるのならばと、巫女は断わりもせずこの「見世物」に参加している。
彼女の優しさにつけこむような神官たちのやり方が、赤い騎士には腹立たしかった。
「……やっと終わったか」
巫女と修道女たちの歌が終わり、赤い騎士は背を壁から離す。
視線を巫女へと向ければ、黒い髪の異国風の青年神官が歩み寄る所だった。それに気付いた巫女が微笑を浮かべ、赤い騎士は胸の中に重石を入れられたような感触を抱いた。それが嫉妬と呼ばれる感情であると気付き、赤い騎士は馬鹿らしいと一人笑う。
自分は巫女の親兄弟でも恋人でも無い。彼女が誰と仲良くなろうが関係無いはずだ。
しかしそんな事は言い訳で、視線をもう一度巫女へと向ければ、再び胸にズシリと不快なモノが居座る。耐え切れず目を反らそうとした赤い騎士だったが、その寸前に巫女が顔を向け、花が咲くように笑った。
「おーおー。嬉しそうだな」
先ほどまでの大人びた表情とは違う、歳相応の笑みを向けられ、赤い騎士もつられるように笑った。そして軽く手を振ると、巫女は礼拝堂の奥へと消えていく。
「珍しいな。君がこんな所に来るとは」
声をかけられ視線を横に向ければ、いつの間に移動したのか、先ほどまで巫女の側に居た黒髪の神官が居た。人の良さそうな笑みで、闇色の瞳を赤い騎士へと向けている。
「たまには様子を見に来ないとな。あの狸爺どもが調子に乗る」
「ああ彼らか。いっそ感心するほど欲に塗れた俗物だな。他国の神官は俗世から離れ聖人と呼ばれるに相応しいと聞いたが、まったく噂はあてにならん」
「……まあな」
口では非難する風に言いながら、黒髪の神官はくつくつと笑う。赤い騎士はその姿に呆れながらも、言っている事は事実であるので肯定の意を口にした。
「よそ様はともかく、アンタは良いのかよ。女の尻追っかけて、随分と禁欲的なようで」
「そう言われてもな。太陽神が戒律で男女の交わりを禁じているわけで無し。太陽神に仕える神官が婚姻関係を結んではならないという決まりも無い。むしろ男が魅力的な女性を口説くのは自然な事だろう」
「何とも緩い神様だな」
「太陽神だからな。太陽は生まれも思想も関係無く恵みを与えてくれる。太陽の光を浴びることができないのは、光の苦手な者か、あるいは光から逃れる後ろ暗い者たちだけだ」
そう言って祈る仕種を見せる神官は、外見だけ見れば確かにらしい神官であった。その内面の緩さも、太陽神に仕える神官としては許容範囲だというならば、神官として優秀という評価も間違いでは無いのだろう。
「ふーん。まあこれからもあいつの事頼む。俺は四六時中一緒には居られないからな。狸爺どもから守ってやってくれ」
「任されよう。しかし俺が女神の神官連中から、女神の巫女を守るというのも変な話だな」
そう言って笑う黒髪の神官。それに赤い騎士も「違いない」と笑って返した。
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ランライミアの中心街には、共和国議会議事堂や魔法ギルド本部など様々な重要施設が存在する。その中でも訪れる人々が多いのは、中心街が作られるきっかけともなった書物の収められた図書館だろう。
見れば城かと思う程の巨大さを誇る図書館。初めて訪れたものは、まず入り口にある案内板を見たところで、己が何処へ行けばいいのかと迷う事になる。かくいうコンラートも、歴史書の類を求めて図書館を訪れたのだが、その歴史書だけを集めた区画が存在している事にまず驚き、次にどこをどう行けばその区画へと辿り着けるのかと迷う事となった。
散々さまよった後、慣れた様子の女性に道(?)を聞き、ようやく目当ての区画へと辿り着く。しかしそこで目にしたのは、己の身長の倍はあろうかという本棚が、広い空間を細切れにするように立ち並ぶ姿。
何故これほど歴史書があるのかと、コンラートが愚痴を漏らしそうになったのも無理はない。それでも気力をふりしぼり、自分の望みの本を探すが、候補が多すぎて分からない始末。
見かねた様子の魔術師の男性に本を見繕ってもらった頃には、コンラートは机につっぷしたくなるほどの疲労を感じていた。
「……なるほど。分かりやすい」
図書館に来てからどれほどの時間が経っただろうか。萎えた気力を奮い立たせて本に向かうコンラートの姿は、鎧姿で無い事もあってか、騎士というよりは初老の学者のように見える。もっともその手の中にあるのは、ジレントの子供たちが学校で使う、ここ千年程の世界史を記した教科書なのだが。
しかし子供向けと言っても侮れず、その内容は簡略化されてはいるが要点を押さえており、コンラートが子供の頃に読んだ歴史書のそれよりは遥かに有用であった。
「精が出ますね」
半ば飛ばすように一冊目を読み終わり、千年前の聖戦を中心に書かれた本を読んでいるところに、女性の声がかけられた。手にした本から視線を上げれば、長机を挟んだ対面にミーメが座っていた。どうやら自身も本を探しに来たらしく、正面から少しずれた机の上に、何冊の本が積み重ねられている。
「これはミーメ殿」
「こんにちはコンラートさん。一応護衛に来ました」
護衛と聞き、コンラートは意味が分からず首を傾げる。それにミーメはクスクスと笑うと、周囲に聞こえぬように声を落として説明する。
「クロエに頼まれたんです。私は正式な魔法ギルドの党員ではありませんから、ジレントに迷惑もかかりませんし。ジレントがコンラートさんに直接関りたくないという話は聞きましたか?」
「一応は。どうにも疑問が残る理由だが」
「でしょうね。でもその理由は、ピザン所属の魔術師に狙われた事で、ある程度予測がついたのでは無いかしら?」
「俺を狙っているのは、ピザン王国の中枢に居る者。最悪ドルクフォード陛下であると?」
迷い無く、はっきりと己にとって信じられない予想を口にするコンラート。それにミーメは虚を突かれたように目を見開く。
「気付いていたんですか?」
「考える時間はあったからな」
しかし可能性として考えても、できれば違って欲しいというのがコンラートの本音であった。それに仮に王がコンラートを憎んでいたとしても、果たして一人の人間にそこまでするだろうか。さらに――
「しかしそれでは、イクサのアンデッドたちが襲ってきた理由が分からない。今ピザンとリカムは戦争の真最中のはずだ」
「何らかの密約があったのだと思いますけど……。その密約の内容によっては、コンラートさんとコンラートさんに関る人間は、ピザンとリカムという二大国を敵に回すことになります。ジレントの魔術師たちは強力な兵だけれど、実際に戦えば物量に押されて被害は免れないだろうし、勝てる戦でもやらずに引きこもっていたいのが本音でしょうね」
ミーメの言葉に、コンラートは己の中に黒い淀みのようなものが湧き出でるのを感じた。
事が大きくなりすぎている。一介の、騎士の位を剥奪された素浪人の男を、二つの国が付け狙っている。
ゾフィーが王となれば仕えると誓った身。他国に騎士として招かれるという、都合の良い未来を期待していたわけでは無い。しかしそれでも今の境遇を省みて、憂鬱になるなと言う方が無理だろう。
この状況で、本当にアルバスはコンラートを受け入れるつもりなのか。流されるままにクロエの導きに従ったが、このままで良いのか。
一度考え始めれば、命を惜しみドルクフォード王の下を離れたのが、そもそもの間違いだったとすら思えてくる。ピザンに残り、ゾフィーの手伝いをする中で、王に何があったのか調べるべきだったのだと。
「いや……それでは殿下に迷惑がかかるか」
対面のミーメには聞こえぬよう、コンラートは呟いた。
ただでさえ隙を見せられないゾフィーが、コンラートという爆弾を抱えるはずが無い。王にコンラートを差し出せと命ぜられれば、ゾフィーは抗いきれないだろう。それはクラウディオも言った事だ。
玉座を取ると、ゾフィーは宣言した。ならばコンラートは、それを信じて待つべきだろう。
ゾフィーが王となり、ピザンに戻りさえすれば、イクサにどのような思惑があれど、戦場という場所で決着はつく。それまでは、アルバスの世話になってでも生き残ろう。アルバスの思惑は気になるが、コンラート一人を助けた程度で、大した借りを作れるとはあちらも思っていないのだから
「……それにしても、コンラートさん学が無いっていうのは嘘じゃ無いですか。ジレントはそうでも無いけれど、他国では字を読める人の方が少ないでしょう」
コンラートの考え事が終わったのを見計らったように、ミーメが言う。コンラートはそういえば初対面でそんな事も言ったかと思い出し苦笑した。
「それほど買いかぶられても困る。元は山奥の村の生まれでな。村を焼かれ、偶然ドルクフォード陛下に拾われるまでは、自分の名も書けなかった」
「お城で勉強をさせてくれたんですか?」
「いや……城では雑用をしていただけだ。しばらくそうしている内に、ある貴族が俺の後見人になってくれてな。子供が居ないのが寂しかったのだろう。ガキの俺を相手に色々な事を教えてくれた」
当事十二歳になったばかりであったコンラートは、申し付けられた仕事を文句も言わず黙々とこなした。
元々山野を駆けて育った身であり、その体は同年代の子供と比べても大きかった。力仕事も大人と遜色無い効率でこなすその姿を、下働きの者たちは好意的に見ていたし、兵士たちは将来が楽しみだと、暇を見て稽古をつけてくれた。
そしてそんな姿を見てコンラートを預かりたいと申し出たのが、武人としても名高いマクシミリアン・フォン・へルドルフ伯であった。しかし伯爵家の人間が孤児を引き取りたいと願い出ても、周囲の者はそんなうまい話があるわけが無いと疑う。コンラート自身も、子供ながらに自分はどうなってしまうのかと不安になった。
しかし他ならぬドルクフォードに説得され、コンラートはヘルドルフ家へ行く事を決意する。そして恐る恐るヘルドルフ伯爵家へと赴いたコンラートが見たのは、何ら裏の無い笑顔で自身を迎えてくれるマクシミリアンと夫人の姿だった。
「俺自身まだ子供だったからな。どうしても目上の方相手の遠慮はあったが、面倒を見てくれる人の存在はありがたかった」
元々コンラートには両親は居らず、村の皆の世話になりながら育った少年だった。立場を考えれば親のようにとはいかなかったが、それでも主である二人を敬愛し、その恥にならないようにと努力した。いつか生まれてくる子の力となって欲しい。そう頼まれたときは、認められたことに歓喜し、尚更精進しようと決意した。
だがその幸せも、ヘルドルフ家での暮らしも、突然終わりを迎えた。
「……まあそういうわけだ。それなりに学びはしたが、付け焼刃のようなもの。こうして子供向けの本でも参考にしなければ、知識に穴がある」
そう言ってコンラートが傍らの本を見せれば、ミーメもその内容に気付き笑った。
「それでも学ぼうとする姿勢は大事だと思いますよ。そういえば赤い騎士の事を気にしていましたね」
「恥ずかしながら。それとクロエ殿の祖先が巫女に付き従っていたと聞いてな。尚の事興味が出てきた」
「ああ。クロエは女神の盾の直系だから。司教なんて無茶な地位が通っているのも、そのせいでしょうね」
「女神の盾?」
どこかで見たその言葉。すぐに思い至り手元の本をめくれば、その単語の書かれたページが現れた。
「……巫女の護衛を担った神官。戦場でも巫女の側に控える最後の砦とも言える存在であり、己の命をかけてでも巫女を守ろうとする姿から巫女の盾。あるいは女神の盾と称された」
「そうそう。その神官です」
「元は異教の神を奉じる神官だったが、巫女と出会った際に女神の御心に触れ改宗した」
「そこは真っ赤な嘘です」
「……何だと?」
読み上げた一文をあっさりと否定され、コンラートは眉をしかめる。
本の筆者が偽りを書いたのかと背表紙を見るが、そこに書かれた名はコンラートも知るほど高名な神官のもの。確かに歴史を専門にしていたとは聞いた事も無いが、それでも己の信仰する宗教に絡んだ間違いを記すだろうか。
訝しげに本を眺めるコンラートに、ミーメは疑問を察したのか、苦笑しながらそれに答えた。
「女神教会にとっては、巫女の騎士たちは全員女神教徒であった方が都合が良かったんでしょう。クロエたちの一族が隠れ住んでいたのも、その辺りにうんざりしていたからという理由もあるとか」
「何とも……」
歴史は勝者が作るものだと言うが、仮にも聖職者がそのような行いをするとは、コンラートには信じがたいことだった。
いや、恐らくはコンラートの手に在る本の筆者も、間違った歴史を鵜呑みにし、本に記しただけなのだろう。千年も前の事実など、今を生きる人にとっては夢にも劣る現実味しかない。
しかし何より気になるのは、ただ夢だと思っていたあの光景が、ことごとく過去の事実と符合する事だ。
コンラートに過去視などという能力は無い。そして前世の記憶などという、創作のようなこともありえないだろう。生まれ変わり、輪廻転生などと言うものは存在しない。それがこの世界の理だ。
あるいはコンラートが覚えていないだけで、もしかしたら過去に巫女やその騎士たちの事について、詳しく知る機会があったのかもしれない。そしてそれを夢として思い出しているのかもしれない。
しかしだとしても、どこで、どのようにして、そんな事をコンラートは知りえたのか。
「しかし今更ではあるが、やはりクロエ殿はミーメ殿の実の妹というわけでは無いのだな」
「……は?」
隠す気も無いのだろうと思い、コンラートはミーメとクロエの血が繋がっていない事を口にする。しかしそれに対するミーメの返答は、予想していないものだった。
ミーメは目を見開き、信じられないことを聞いたと言わんばかりの驚きを、その顔に映し出している。それを見てコンラートは己が失言したと思い、慌てて頭を下げる。
「すまぬ。気軽に言って良い事では無かった」
「いえ。確かにクロエとは血が繋がっていないし、妹では無いんですけど……」
どうやら気を悪くしたわけでは無いらしい。そう判断しコンラートは内心で安堵する。しかし一方のミーメは歯切れ悪く、どこか戸惑った様子のままだ。
コンラートは一体どうしたのかと心配になり始めたが、次にミーメから放たれた言葉によって、今度は自分が戸惑う事になる。
「クロエは……妹じゃ無くて弟です」
「……」
「男の子なんです」
「……」
「……」
「すまぬが。本人にはくれぐれも内密に」
「ええ。その方が良いでしょうね」
自分が女と勘違いされていたと聞いても、クロエの性格からして怒りはしないだろう。しかし不機嫌になり、無愛想さに拍車がかかるのは間違いない。そう思いコンラートは口止めし、ミーメもそれを了解した。
しかしこの事はミーメからカイザーへと伝わり、長い時を経てクロエ自身の耳にも入る事になる。
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「久しぶりだねクロエ」
笑みを浮かべ歓迎するカイザー。それにクロエは小さな声で「ああ」とだけ答える。
コンラートの泊まっているのと同じ宿の一室を、クロエは訪れていた。
部屋に備えられた丸いテーブルには、二つのグラスと蜂蜜の使われた幾つかの焼き菓子。勧められたそれをクロエは遠慮し、グラスの中身に口をつける。
「相変わらず甘いものは駄目なの?」
「そういうおまえは相変わらず甘味に目がないな」
子供っぽいとすら思える口調でカイザーが言い、クロエも普段より荒い言葉でそれに答える。そんな二人の顔には、合わせたように笑みが浮かんでいた。
その歳相応の顔をカイザーを知る者が見れば、驚きはせずとも騙されたと苦笑するかもしれない。
王弟カイザー殿下は、兄や甥たちには似ず、姪であるゾフィーと似た堅い性格である。それが王国に仕える者たちの認識であり、世間に広がる評判だ。
しかし実際のカイザーの性根は、ピザン王家の男たちの例に漏れない、やや自由奔放なものである。それが周囲に知られなかったのは、彼の母親代わりとも言えるティアと、一番仲の良い家族であるゾフィーの影響だろう。公私の区別を徹底する者がそばに居れば、自然それを真似るようになる。
その上カイザーは、王位を継がず騎士となる事を前提に教育を受けている。指南役のティアは、ピザン王家の男の性格を多少なりとも矯正するという、偉業を成し遂げたのかもしれない。
「ティアさんも、お久しぶりです」
椅子にも座らず、カイザーの後ろに控える女性に、クロエは遅れて挨拶をする。
「お久しぶりですクロエさん」
短く応えると、ティアは軽く礼をしながら微笑む。それにつられるように、クロエも微笑で返した。
ティアに敬意を持って話しながら、その主であるカイザーに気安く口をきくクロエの姿は、事情を知る者からすれば奇妙な光景に映る事だろう。だがカイザーと初めて会ったときに、クロエは彼の正体を知らなかった。年下の、世間知らずな少年の世話をぶっきらぼうにやいていたら、それが定着してしまったのだ。
相手が王弟殿下であると知り、態度を改めようとしても後の祭り。本来当然であるはずの、丁寧な物腰で接すれば、カイザーもまた王弟らしい威厳……もとい威圧感を背負って対応してくださる始末。
明らかに怒っている様子のカイザーと、その背後から必死に目で訴えてくるティア。クロエが折れ、王弟殿下と「お友達」になるまで三日とかからなかった。
せめてもの救いは、己の正体を知る人間の前ではカイザーも態度を改める事だろう。その辺りの分別はしっかりとしているのだ、この王弟殿下は。
「コンラートの護衛は上手くいきそう?」
「……何とも言えないな」
カイザーの問いにクロエはしばし黙考し、眉を寄せながら答える。
「守る事にかけては、クロエさんほど秀でた人も居ないと思いますが。コンラート自身も、相手が二流程度の魔術師であれば、自力で生き残れる腕はあるはずです」
「確かに、守るだけならどうとでもなると思っていたんです。だけど前に戦ったレベルの魔術師がまた来る事があれば、私には荷が重いかもしれない」
コンラートとクロエの力を知る故に、ティアはクロエの弱気に疑問を持ったのだろう。不思議そうに、心配そうに聞いてくるティアに、クロエは意識しない内に渋面で返していた。
結界や障壁の類に限定すれば、クロエは一流の魔術師も嫉妬する程のものを持っている。だがそれでも彼は十五になったばかりの若造だ。判断ミスからコンラートを危機に陥れ、最悪彼の足を引っぱる可能性すらある。
「任務が単純に安全の確保なら、この街に居てもらえばそれで終わりなんですが」
「下っ端は大変だね」
「……一応司教だ」
頬杖をつき、睨むような視線を向けクロエは漏らす。しかし下っ端というのも、あながち間違いでは無いのだろう。
地位はあれど、クロエの立場は微妙だ。そしてそれはクロエの先祖の扱いが、教会上層部の間で微妙な事に端を発している。
表向きには女神を奉じ、巫女の盾となった神官の末裔。しかし実際には、太陽神を信仰し、子々孫々まで女神教に改宗する事を拒否し、表舞台から姿を消した一族の子孫。
クロエが女神教に改宗したのは喜ばしいが、千年の長きにわたり対立してきた事も無視できない。クロエを支持するか否かで派閥ができかねないほどであり、教会の長でありアルバスの国主である教皇も、その扱いに苦慮しているという。今回のたった一人での任務も、もしかしたら誰かの嫌がらせなのかもしれない。
「やっぱり改宗しない方が良かったんじゃない?」
「言うな。挫けそうになる」
あっけらかんとしたカイザーの言葉に、クロエは打ちのめされたようにテーブルに突っ伏した。