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三章 女神の盾5


 クラウディオの下に弟であるヴィルヘルムが訪れたのは、いよいよ激化しようとしているリカムとの戦に備え、自らの騎士団の取り纏めを行っているときであった。

 突如訪れた己の国の宰相を、クラウディオは礼を失さぬよう、しかし盛大なしかめ面で迎える。それに対しヴィルヘルムは、嘘くさい笑みで「お久しぶりです兄上」と大げさな礼をとって見せる。そして頭を上げる頃には、その顔の笑みは嘲笑へと変わっていた。

 クラウディオはその態度に苛立ち、傍らにある壷を投げつけたくなるが、それでは相手の思う壺だと思い必死に心を落ち着ける。


 幼少の頃から、クラウディオはこの性根の腐った弟が苦手であった。病弱であったために周囲に甘やかされて育ったが、人の思いに敏感な上に下手に頭が回るせいで、早くから人の裏表というものに気付いた哀れな弟。

 だがその弟は、人の暗部を見てショックを受けるような可愛い性質では無かった。

 今では真っ黒なヴィルヘルムだが、クラウディオが気付いた時には既に腹が黒かった。

 己に比べて健康を通り越して超人と化している兄に嫉妬したのかは定かでは無いが、クラウディオに頻繁に喧嘩を売った。そしてクラウディオが言い負かされ、腕力にものを言わせようとすると、計ったように誰かが止めに来るのだ。

 体の弱いヴィルヘルムに何をするのだと、周囲はクラウディオを責める。当然クラウディオはヴィルヘルムが悪いのだと言う。しかしヴィルヘルムは、十人が見れば十人が褒め称えるであろうその顔に、見れば罪悪感で首を吊りたくなるような泣き顔を浮かべ、自分は何ら後ろ暗い事も無い善人でございますと言葉にせず主張するのだ。

 ゾフィーが生まれていなければ、いつか殺し合いになっていただろうとクラウディオは確信する。もっともそうなった場合、いつの間にか諸侯を全て味方に付け、クラウディオを国外追放してしまいそうなのがヴィルヘルムの恐ろしい所なのだが。


「それで、何の用だ」


 自室へと招きいれ、ソファーに乱暴に腰を落とすと、クラウディオは警戒心を隠そうともせずに問いかける。それにヴィルヘルムは鼻で笑って返しながら、音もたてずに対面のソファーへと座る。


「幾つかありますが、まずは貴方の大切な友人の事をお話しておきましょうか」

「友人? グスタフの事か?」


 グスタフとは、アルムスター家と並ぶ領地を持つ三公の一つ、ローエンシュタイン家の嫡男だ。一般で言う友ほど本音をぶつけ合うような親しい仲では無いが、そもそも上級貴族の中で歳の近い人間が他に思い浮かばない。


「コンラート殿です」

「そっちか」


 納得いったとばかりに、クラウディオは手を打つ。しかしコンラートの事を友人と言われると、それもまた違和感が残るのも確かだ。

 何せあの男は、そこらの貴族の盆暗息子たちよりも、礼儀というものに気を使う。クラウディオは己が王族の人間としては、下の者に気安すぎる事は自覚しているが、コンラートはそれを戒めるように臣下としての礼を崩さない。戦友だと言えば、コンラートも頷くだろうが、友人などと言えば、あの男は滅相も無いと畏まって否定するに違いない。


「彼が今何処にいるか知っていますか?」

「知らん。あいつの事だから、ティアとついでにカイザーを探して、大陸を右往左往しているのでは無いか?」

「確かに右往左往していましたね。暗殺者に命を狙われて」

「何だと?」


 聞き捨てなら無い事をさらりと言われ、クラウディオはソファーに預けていた体を持ち上げる。


「既にジレントへ抜けたそうですから、これ以上手出しはできませんがね」

「何処のどいつが……まさか親父では無かろうな」

「まさかと言いながら確信しているのでは? ジレントの国境でのいざこざ、私の耳にも入っていますよ」


 腹を探ろうとしたら探られて痛い腹をグサリと刺され、クラウディオは頭を抱えた。よりにもよって、ある意味ではロンベルク候よりも警戒すべき相手に、何故一番知られたくない情報が漏れているのか。


「誰から、どこまで聞いた」

「蒼槍騎士団の方からですよ。何でも兄上がカイザーとナノク殿を発見できなかったというのは嘘で、ジレントとの国境で遭遇し戦闘になったとか」


 情報源が己の部下であると聞かされ、クラウディオは疲れたように吐息を漏らした。

 人の口に戸は立てられないというが、身を持って体験する事になるとは思わなかった。しかし部下を責める気にはならない。ヴィルヘルムの事だから、断われないように脅しの一つでも使ったのだろう。むしろ哀れな生贄に、労わりの言葉でもかけてやるべきかもしれない。


「……戦いの顛末は聞いたか?」

「ええ。団員の一部が命令に反し暴走。カイザーを殺害しようとしましたが、ナノク殿と雇われ傭兵に返り討ちにあったとか」

「そうだ。しかも俺がジレントとの国境に居たのは親父の命令で、しかも不可解な事に連れて行く団員まで指定された上でだ」

「怪しいにも程がありますね。父上らしくも無い。そして狙いも分からない」


 状況からして、団員たちにカイザーを害するように命じたのは王に思える。しかし王にカイザーを害する理由が無いのは、他ならぬクラウディオたち自身が知っている事だ。


「それで、カイザーの次はコンラートか? ますます何がやりたいのか分からんぞ」

「カイザーを連れ戻せなかった恨みとも取れますが、そのカイザーを殺そうとした可能性がありますからね。皆はカイザーがさらわれたせいで、父上の人が変わったと思っているようですが、むしろ人が変わったからこそカイザーが逃げたと私は思っています」

「……確かに、カイザーは自身の意志で逃げていたな」


 だとすればきっかけは何だったのか。仮にカイザーが王を恐れて逃げたのだとしても、何故それを他の者に相談しなかったのか。不明な事は未だ多く、謎ばかりが増えていく。


「カイザーがあの時に、素直に事情を言ってくれれば良かったのだが、ティアに反論できずに見限られたのが痛いな」

「ほほう。ナノク殿は何と?」

「……今の親父にどうせ逆らえないだろうと言われた。実際俺は一度親父に抗議したんだが、生きた心地がしなかったぞ」

「確かに、今の父上の殺気混じりの眼力には逆らえませんね。ゾフィーならば尚更だと思いませんか? 矢面に立たせるのは可哀相だ」

「……やはり気付いていたか。だが王となると言い出したのはあいつだぞ」


 ヴィルヘルムが上目づかいに、責めるように言ったのに対し、クラウディオは苦虫を噛み潰したように顔を歪め、言い訳だと自覚しながらそんな事を口にした。そしてその言い訳はヴィルヘルムにはやはり不快であったらしく、顔の角度を変えると鼻で笑い、見下すように見てくる。


「私と違って、貴方は阿呆であっても健康なのですから、王になれない事は無い。騎士としての実績があり、不可解な事にカリスマ性も持ち合わせているのですから、私に政治を丸投げして王になっても問題は起こらないはずだ」

「丸投げなんぞしたら、おまえに暗殺されそうなのは俺の考えすぎか?」

「ハッハッハ。まさかそんな事をするわけが無いでしょう。せいぜい弱みを握って傀儡になってもらうだけです」

「……」


 本気なのか冗談なのか分からないヴィルヘルムの言いように、クラウディオは下手に返事もできず無言を貫く。実際の所、クラウディオとて責任を投げ出すような真似をしようとは思わない。しかしこの弟が自分の補佐に回ると、フラストレーションでどうにかなる未来しか想像できない。


「それに七選定候の内、四人がゾフィーを支持しないそうですよ。困りましたねー」

「まったく困ったように見えないが? それ以前に楽しんでないかおまえ?」

「選定候の支持無くして玉座にはつけない。逆に支持さえあれば、どこぞの馬の骨が玉座を簒奪しても合法なのだから、我が国ながら不思議な事です」

「俺はおまえの頭の中が不思議だ」


 かけられた声に気付かなかったかのように、一人呟くヴィルヘルム。そもそもこの弟との会話に、耐えられる者は居るのだろうか。そんな事を考えクラウディオが気を緩めた所に、ヴィルヘルムは狙ったように本題とも言える話を切り出した。


「しかしゾフィーも中々やりますね。アルムスター公と話し合い、条件を満たせば支持に回ると確約を貰ったそうです」

「ほう……」


 ヴィルヘルムはそう言うが、その条件はアルムスター公が最初から考えていたものであり、譲歩をするふりをしてゾフィーに飲ませたのは容易に想像できた。クラウディオ自身ゾフィーの才覚は認めているが、武力では己に劣り、知略ではヴィルヘルムに劣る。そして何より、二人の兄に比べれば圧倒的に経験が足りない。

 古狸と言って良いアルムスター公の下にゾフィーが赴いたのは、あくまで助力を請うため。ゾフィーがどれほど頭を巡らせても、アルムスター公相手に対等な交渉を行う事は難しいだろう。


「それで、どんな無理難題を押し付けられた?」


「貴方と私が親友になれば良いそうです」

「……は?」


 クラウディオは告げられた言葉の意味が飲み込めず、間の抜けた声を漏らす。

 自分と弟が親友に? ゾフィーという緩和材が居なければ、反目の末に潰しあいになっていたであろう男と?


「ありえん」

「そうですね。血が繋がっているだけで悪夢だというのに、精神的な繋がりまで求められようものなら、私は己の存在に耐え切れず自害しますね」

「おまえなら自害する前に俺を殺すだろう」

「ハッハッハ。そんな事をするはずが無いでしょう」


 朗らかに笑いながら、ヴィルヘルムは言う。しかしその目の奥には、明らかな嘲笑の色が見て取れた。


「貴方の血で手を染めるなど汚らわしい。自分で死んでください」

「おまえが死ね!」


 子供の喧嘩のような罵倒を叫び、クラウディオは立ち上がる。歳をくって負荷に強くなった彼の堪忍袋の緒も、最悪とも言える仲である弟相手では、ついに切れざるをえなかったらしい。

 そのまま殴りかかろうとしたクラウディオだったが、タイミングを見計らったかのように飛び込んできたヴィルヘルムの護衛騎士に縋り付かれ、さらにリアまで召喚されては大人しくするしかなかった。

 その騒ぎを聞きつけたゾフィーは、怒ることすらできず渇いた笑いを漏らすしか無かったという。ヴィルヘルムに事情を話し、後日兄弟三人で話し合うつもりだったのだが、まさかヴィルヘルムが先走って喧嘩を売りに行くとは予想していなかった。

 いっそ永遠に会わせない方が良い。そう彼女が思ったのも無理からぬ事かもしれない。



 ジレントの首都ランライミアは、同名の湖を基点に造られた街である。大陸中の知が集まるといっても過言では無い学術都市でもあり、湖の周囲に広がる町並みだけでも、他国の首都にひけをとらない規模と華やかさを誇っている。

 しかしそれ以上に訪れたものの目を引くのは、湖の中央に浮かぶ土台のような巨岩と、その上に立つ建築物の数々であろう。夜になれば薄っすらと光を放ち、湖の上に灯火のように浮かぶ街。しかしその場所も、かつてはただ水面が広がるだけであったという。

 ジレントの建国が成り、多くの学者までも集まり始めたのを見た初代魔法ギルド党首は、共に国を支えていく事となる彼らの願いを聞き大いに悩んだ。

 彼らの願いとは、戦火や政治的、宗教的な理由によって失われてしまう、書物や知識の保存。そしてその願いは、戦となれば己の意志を無視して利用される、魔術師たちとっても他人事では無かった。

 大陸中、後には世界中から書物を集め、魔術師たちは結界を張った。しかしそれでも安心できなかった初代党首は、物理的にも外敵の侵入が難しい街を造ろうと思い至る。そして百を越える魔術師が、数年の時をかけ、前例の無い大規模な儀式の末に生み出したのが、中心街の礎となっている巨岩だという。

 労力。時間。資金。どれをとっても無駄だらけと評されるその愚行は、手段のために目的を忘れがちな魔術師たちらしい偉業であった。

 湖と絶壁に囲まれ、出入り口となるのは一本の橋のみ。ランライミアの中心街は、城砦では無く街でありながら他に類を見ない堅牢さを持ち、未だ外敵の侵入を許した事が無い。そして内部においても、軍の中でも剣術、魔術に優れた精鋭たちが目を光らせ、食い逃げ犯すら魔術で捕縛するという容赦の無さで治安を維持している。

 そんな大陸一安全とも言える街に、コンラートは居た。



 ゼザの山の内部を走る墓を抜け、国境を通過し、導かれるままにランライミアへとやって来たコンラートは、中心街の宿の一つへと案内された。しかしその規模と内装を見れば、果たしてここは本当に宿なのかと、疑問に思わずにはいられなかった。

 まず広さからして、子供は勿論大人も走り回れるのでは無いかというほど広い。備え付けられたベッドは体が沈むほどやわらかく、巨人と揶揄されるコンラートの体が二つは収まる程の大きさがあった。

 床には何やら光沢のある石材が使われており、その上に敷かれた絨毯も並べられた家具も、派手さこそ無いが精巧な技巧がこらされており、素人目に見ても高級品だと分かる。そして室内には手抜き無く手が行き届いているらしく、埃の一つも見かけられない。


「……俺には過ぎた待遇だろう」


 それらを確認し、状況を把握したコンラートは、しかし受け入れる事ができず抗議めいた声を漏らした。それにクロエは苦笑を返す。


「中心街には庶民向けの宿というのが無いんです。元々それなりに重要度の高い施設しか建設が許されていませんし、一部の高官を除いた役人や大学に通う学生は、外街に住居を持っているくらいです」

「では俺も外の宿に泊まればいいだろう」

「万が一を考えてそれは遠慮してください。ジレント国内でコンラートさんにもしもの事があれば、公式には何も無かった事になるでしょうが、アルバスはここぞとばかりにジレントへ責任追及という名の嫌がらせをしてきます」

「……身に余る扱いに涙が出そうだ」


 己の身が国家間の不和を招きかねないと聞き、コンラートはうんざりといった様子で言葉を漏らした。

 表面だけ見れば、アルバスがコンラートの身柄をそれだけ大切に思っているという事。しかし実際には、コンラートを利用したピザンへの干渉にあまり期待は無いと、クロエが認めている。

 それでも無視できない問題に発展するというならば、それは元から両者の仲が悪い故であり、いちゃもんに近い。そのうちジレントの方角から嵐が迫れば、それすらもジレントのせいにするのではなかろうか。


「まあアルバスの老人たちの思惑は置いておいても、コンラートさんにはここに泊まって欲しいのが私の本音です。……自分が未熟だとは理解していたつもりでしたが、ここまで不甲斐無いとは思いませんでした」


 自嘲する様に言いながら、クロエは視線を下げる。そこには包帯にまかれたコンラートの右手があった。その包帯の中身が、炭化して今にも崩れ落ちそうだと言われて誰が信じるだろうか。

 墓の中心部での戦いは、魔力を使い果たしたデニスが、ニコラスと同じように転移魔術で撤退する事によって終わりを告げた。

 クロエに目立った怪我は無く、見事にデニスの大魔術を防ぎきった。しかしデニスの魔術もまた侮れず、結界の一部を破壊されてしまい、結果そこから漏れた蒼炎によってコンラートは右手を焼かれてしまったのだ。

 炎がコンラートの右手に触れたのは、結界の修復が終わるまでの瞬きほどの僅かな間。たったそれだけの間に、コンラートの右手は火傷などを通り越して炭となっていた。もし破壊された結界の範囲がもっと広ければ、それを修復する暇も無く二人は黒い塊となって絶命していただろう。

 そう思えば、コンラートがクロエに感じるのは、結界を破壊されたことに対する非難よりも、感謝の念が強かった。


「気にするな。確かに怪我はしたが、俺の命があるのは間違いなく君のおかげだ」

「しかし止めを刺すまではしなくても、無力化する機会があったのを見逃しました。間違いなく私の判断ミスが招いた過失です」

「それはそうだが……そもそもの原因は、君が侵入者を無視しようとしたのを、引き止めて戦うように唆した俺自身だ」

「無視したら別の場所で襲われていたかもしれません。私自身も最後には納得したのだから、コンラートさんに責任はありません」


 礼を述べていたはずが、いつの間にか責任の取り合いになってしまい、コンラートはどうにも反応に迷った。どう話しても譲りそうに無いその様子は、頑固というよりは意地になっているように見える。

 神官らしく責任感が強いと言えば美徳のように聞こえるが、感謝を受け入れてもらえないというのは、どうにも居心地が悪い。


「何度も言うが、怪我の事は気にしなくて良い。戦争をしていれば大怪我をする事もあったし、何より治癒魔術ならば治せるのだろう?」

「それはその通りですが……。痛みませんか?」

「感覚が無いだけだ。君のくれた痛み止めが効いているのだろう」

 コンラートは笑って言ったが、一方のクロエはさらに沈んだ顔をした。恐らくは、自身の治癒魔術でコンラートの手を治しきれなかったので、不甲斐無さを感じているのだろう。

 しかしジレント国内に入ってから、クロエが処方してくれた痛み止めがよく効いているのも事実だ。己のできる範囲の事をやっていて、それが成果となっているのだから、十分に胸をはれる事だろう。それでも沈んでいるのは、若さ故だろうか。なまじ高い能力を持っているために、あれもこれもやろうと、から回っているのかもしれない。


「そういえば痛み止めは君が作ったそうだが、神官というのは薬学の知識もあるものなのか?」


 話題を変えるために、コンラートは気になっていた事を口にした。

 神官の多くは治癒魔術を得意とするが、高位の治癒魔術を完璧に扱うためには人体や医術の知識が必要とされる。その一環で薬の知識もあるのかと思い聞いたのだが、クロエは首を横に振った。


「薬学にまで手を伸ばす神官はあまりいません。私は姉に様々な知識と技術を仕込まれたので、薬もその一部という事です」

「ほう、姉に」


 姉に教わったと聞き、コンラートは感心して声を漏らした。それはクロエと姉の知識と能力に対する純粋な感心もあったが、それ以上にクロエの顔に浮かんだ微かな笑みに対するものが多い。

 クロエはコンラートに対し笑みを向ける事はあったが、それは所謂愛想笑いのものだと見るものが見れば分かるものだった。しかし今クロエが見せた笑顔は、見逃してしまいそうな程微かなものだったが、だからこそ本心からのものだと分かる。

 余程その姉が敬愛しているのだろうと思うと、コンラートの顔にも自然と笑みが浮かんだ。


「コンラートさんの怪我も、姉に治してもらうつもりです。丁度この街に来ているそうですし、姉は人体の復元魔術が使えますから」

「復元? 治癒魔術とは違うのか?」

「一応は治癒魔術に分類されます。傷などを治す魔術には治癒、再生、復元の三つのレベルがあるんです。治癒は人体の自然治癒力を高めるもので、当然自然治癒で治すことができない怪我は治せません。私の使えるものはこのレベルですね」


 最後に付け加えられた言葉は、どこか困ったような声色だった。

 クロエという神官は、治癒や攻撃といった直接的な魔術を不得手としているらしい。逆に得意とするのは、結界、障壁や魔力付加による簡易マジックアイテムの作成。近接戦闘も行えるとは言え、その本来の役回りは守りに特化したものなのだろう。


「再生は怪我を治すのでは無く、直すと言えばいいのでしょうか。欠損した部位すら、新たな血と肉を作り出して治す事ができます」

「元通りという事か」

「そうは言い切れません。例えば失われた腕などを再生したとしても、上手く馴染まずに違和感や後遺症が残る事もあるんです。体が怪我をしたという事実を覚えているのかもしれません」

「なるほど。魔術も万能では無いと言うしな」


 魔術師たちに魔術は便利そうで羨ましいといえば、彼らは揃って「それほど便利では無い」と口にする。それは事実でもあるが、コンラートのように一切魔術を使えない者からすれば、ちょっと火を出せるだけでも十分に便利だ。

 しかし魔術師たちは、できる事よりできない事を重視し、さらなる高みを望む。むしろそのような思考で無いと、魔術師は務まらないのかもしれない。


「では復元魔術と再生魔術はどう違うのだ? 単語を聞いただけでは同じものに思えるのだが」

「復元魔術は怪我をする前の状態に戻す魔術です。怪我を無かった事にするのと同じですから、当然後遺症の類も残らない。結果だけ見れば再生と似ていますが、過程の方向性が違うので、治癒系統とはまったく別の魔術だとも言えます。術者自身にも相当の人体に対する知識が要求されるので、知識と魔力に優れた一流の神官や魔術師でも、復元のレベルに至れる者は僅かだそうです」「ほう」


 一流の者でも使える者は僅かというならば、クロエの姉は間違いなく優秀な治癒術師なのだろう。コンラートがそこまで考えた所で、部屋の入り口を叩く軽い音が三度室内に響いた。


「来たようです。私が出ますから、コンラートさんは座っていてください」


 クロエに言われた通りに、木製のやたら頑丈そうな椅子に腰かけると、コンラートはクロエの姉とはどのような人物だろうかと考える。


「むぐっ!?」

「?」


 呻くような声が聞こえ、コンラートは視線を向ける。するとそこには、青空色の髪の女性に抱きしめられたクロエの姿があった。

 クロエの顔が押し付けられた胸はあまり豊かとは言えないが、それでもクロエを窒息させるには十分らしく、何とか拘束から逃れようともがいている。しかしどれほどの力がその細腕にあるのか、解放されるどころか緩む様子すらない。


「会いたかったわクロエ。コンラートさんもお久しぶりです」

「……ああ、久しいなミーメ殿」


 クロエを抱きしめたまま挨拶をしてくる女性に、コンラートは辛うじて挨拶を返す。

 クロエの姉らしき女性。それはかつてアルムスター公の使いで出会った、魔女ミーメ・クラインだった。

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異世界召喚が多すぎて女神様がぶちギレました
日本の神々の長である天照大神は思いました。最近日本人異世界に拉致られすぎじゃね?
そうだ! 異世界に日本人が召喚されたら、異世界人を日本に召喚し返せばいいのよ!
そんなへっぽこ女神様のせいで巻き起こるほのぼの異世界交流コメディー
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