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三章 女神の盾4


 アルムスター公の下にゾフィー王女の使いを名乗る者が訪れたのは、王弟が誘拐され、友人の息子とも言えるコンラートが姿を消してから、半月ほど経ったときであった。突然の来訪に、アルムスター公は何事かと思い悩んだが、いざ客を通した部屋へと赴けばそんな悩みの一部は消えていた。

 革張りのソファーに腰を下ろし、所在なげに視線を彷徨わせる、長い金色の髪を帽子で押さえた侍女らしき少女。こちらに気付くなり、慌てたようにピンと背筋を伸ばす姿を見れば、もたらされた話の内容はともかく、少女自身に警戒を抱く事ができるはずがない。

 実の息子たちすら緊張せずにはいられない仏頂面にはひとまず退場してもらい、これ以上少女が萎縮しないよう、人の良い笑みを浮かべて声をかける。


「待たせてすまん。どうも最近そこかしこで問題が起きていて、中々手が空かなくてな」

「い、いえ。私の方こそお忙しい所に突然お邪魔して、も、申し訳ありません!」

「いやいや。気にしなくても良い」


 アルムスター公が言うと、侍女は上から糸で引っぱられたように立ち上がり、早口に謝罪の言葉を紡ぐ。それにアルムスター公は苦笑しながら返すと、対面のソファーに腰かけ侍女にも座るように促した。


「それで、ゾフィー殿下より言伝があると聞いたが」

「は、はい。じ、実は……」

「ああ、落ち着きなさい。ゆっくりで構わぬからな」


 見るからに余裕が無く、何度も言葉をつかえる侍女。それにアルムスター公は再び苦笑すると、手で制しながら落ち着くのを待つ。


「それと、こういった場では帽子を取った方が良かろうな」

「え……ああ! 申し訳ありません!」


 アルムスター公に指摘され自らの失態に気付いた侍女は、引きちぎるように頭上の白い帽子を取り去る。


「……なっ!?」


 すると帽子に押さえられていた髪が零れ落ち、その最中に金色の髪が瞬く間に別の色へと変わった。

 瞳の色や肌の色は変わらず、変化したのは髪の色のみ。しかしその表情も口調も変えた赤い髪の少女は、先ほどまでの落ち着きと自信の無い様子は消えうせ、相対する者を圧倒する威厳を背負っていた。


「……さて。改めて話をさせてもらって構わないだろうか、アルムスター公」


 そう言って笑みを浮かべる少女は侍女などでは無く、この国の王たる人の娘である王女その人だった。


「これは……失礼しましたゾフィー殿下」

「良い。こちらこそ騙してすまなかった。それなりに付き合いの長い者でも、見抜かれはしないかと試してみたかったのでな」


 ソファーから腰を離し跪いたアルムスター公に、ゾフィーはすまなそうな、しかしどこか楽しそうな笑みを浮かべる。それに苦笑を返しながら、許しを得たアルムスター公はソファーへと戻り腰を落ち着ける。


「恥ずかしながら、ゾフィー様だとはまったく気付けず。幻術の類でも使っておられたのですかな?」

「髪の色は魔術で誤魔化したが、後はただの演技だ。ジレントに留学した時に、暇を見つけては学んだのだが、才能が欠片ほどしか無いらしく、こんな手品まがいのものしか覚えられなかった」


 そう言って笑うゾフィーは、侍女の制服を着ていることもあり、とても王女には見えない。少し瞬きをする内に見事に纏う空気を切り替えられて、アルムスター公は感心すべきか呆れるべきか迷った。


「まったく……そういった所は陛下の若い頃にそっくりですな。マルティンもさぞ苦労している事でしょう」

「ほう? 父上にも茶目っ気などというものがあったのか?」

「それはもう。今のクラウディオ殿下と良い勝負でした。爺になっても、私やコンラート相手に無茶を言っておりましたよ。……最近はお変わりになられましたがな」

「やはり変わったか。……カイザーの事が原因だろうか」

「いえ。戦の最中は、常にあのような刃の如き気を放っておりました。恐らくは、己の命あるうちに、リカムとの戦いに何らかの決着をつけたいのでしょう」

「……今の私に国は任せられないか?」


 本題とも言えるゾフィーの問いに、アルムスター公はピクリと眉を動かす。そしてあごを擦りながら、神妙な顔をして言う。


「平時ならば……今のゾフィー様でも国を治めるのに何ら問題は無かったでしょうな。しかし今は戦時。求められるのは、強く頼もしい指導者です。未だ歳若いゾフィー様では、侮る者が現れましょう。そしてそれはいらぬ諍いの元となりかねませぬ」

「女だから、とは言わないのだな」

「今更でしょう。元々ピザン王国の始祖が女性なのです。それにどういうわけか、ピザン家の方々は、女性の方がしっかりとした傾向が強い。クラウディオ殿下も今でこそ少し落ち着かれましたが、ゾフィー様と同じ年頃の頃は、縛り上げておきたい思いに幾度駆られたか」

「……そうか。あれで落ち着いたのか」


 様々な意味で破天荒と評するに相応しい己の兄を思い、ゾフィーは自分でも意識しない内に呆れの色に満ちた声を出していた。父も若い頃はやんちゃだったというならば、兄も爺になれば大人しくなるのだろう。そうゾフィーは希望的な観測をしておく事にした。


「そういった意味では、我々のような爺共はゾフィー様を好意的に見ております。立場故のしがらみ以外の、感情などを起因にした問題が発生するとしたら、血気盛んな若造共からでしょう」

「だが卿は私が今すぐに王となるのは反対なのだろう?」

「ええ。今は時期尚早。それに私はドルクフォード陛下との付き合いが長い。ただ不安だからと言うだけで、陛下を玉座から引き摺り下ろす真似などできませぬ」

「……そうか」


 長年仕えた王への忠心。それは容易く曲げられるものでは無いのだろう。それに確かに今の状況で、ゾフィーをあえて玉座に据えようと思う者は少ない。王が突然人が変わったかのように容赦が無くなったのは事実だが、王位から退かせる理由としては弱いのだから。

 ゾフィーたちが危惧しているように、ジレントへ考え無しに戦をしかけたとしても、諸侯がそれに不満を示さなければゾフィーは道化にしかならない。魔術師を嫌う者はピザン国内にも居るのだから。

 さすがにジレントの魔術師たち相手に大損害でも出せば、乗り気であった者たちも、ここぞとばかりに王に責任を押し付けるだろう。しかしリカムと事を構えた以上は、そちらに全力を尽くしても勝てるかどうかは未知数なのだ。余計な被害を出しては国が瓦解しかねない。


「……せめて私がもっと歳をとっていれば」

「淑女にあるまじき発言ですな」


 思わず零れた呟きに、アルムスター公が呆れたように返す。


「しかし私が言う事でもありませぬが、陛下が老齢である事は事実。先の大戦の時ほどの求心力はありますまい。武のクラウディオ殿下に知のヴィルヘルム殿下。お二方の補佐を受けたゾフィー様が立てば、領土を広げすぎ疲弊を感じさせるこの国も、勢いを取り戻すやもしれませぬ」

「ならば」

「ならばこそ、私はゾフィー様以上に心配な方々が居るのです」


 ゾフィーの言葉を強い口調で遮るアルムスター公。向けられる瞳は強い光を宿しており、外見の老いを忘れさせるほどだ。

 しかしゾフィーは嫌な予感がした。それはむしろ確信かもしれない。話の流れから、この後にアルムスター公の言う事が分かってしまったのだから。


「クラウディオ殿下とヴィルヘルム殿下。……お二人はそれはもう仲が悪うございましてなあ」

「……知っている」


 能力も性格も正反対なためか、ゾフィーの兄である二人の王子は仲が悪い。顔を合わせればヴィルヘルムが挑発し、クラウディオも応じるが舌戦で勝てるわけが無く、最後には暴れ始めて周囲に止められる。

 一度ヴィルヘルムはクラウディオに殴られた方が良いのでは無いか。ゾフィーは日頃からそう思っているが、実は既に何度か殴られて重傷を負っていたりするのは知らない。ゾフィーという妹ができてからは、ヴィルヘルムの攻撃性が薄れ自重を始めたためだ。

 周囲の者は、これ以上に二人の王子が歩み寄るのは不可能であると感じている。しかしゾフィーならば、ヴィルヘルムに僅かなりとも――ある意味で多大な変化をもたらした彼女ならば、二人を和解させる事もできるのでは無いか。アルムスター公はそう思い、ゾフィーに二人の仲立ちをするよう促しているのだ。

 無理だと言いたい。言いたいのだが、二人の仲の悪さを危惧しているのはゾフィーも同じである。それでアルムスター公が折れてくれるのならば、どうにか打開策を考えてみようかという気にもなる。


「……ヴィルヘルム兄様に何を要求されるか」


 自分を危険なまでに溺愛している兄の事を考え、ゾフィーは眉間を押えながら吐息を漏らした。

 自分に変装した侍女を差し出してみようか。そんな事を考えるが、後日それが洒落にならない事を知り、さらに心労を重くする事となる。


 クロエとデニスの戦いは、魔術を用いない格闘戦へと移行していた。それはクロエに半端な魔術が効かないためであり、さらにクロエ自身が攻撃系の神聖魔術をあまり習得しておらず、デニスを倒すには力不足であったためだ。


「フッ!」

「甘い!」


 振り下ろされた剣をいなし、大道芸のように手元の杖を反転させると、クロエは渾身の力でそれを突き出す。

 クロエの持つ杖は、司教杖と呼ばれる儀礼用の杖だ。まともに剣と打ち合えば、刃を弾き返すどころかその身に埋め、二つに両断されてしまう程度の強度しかない。

 しかしクロエの得意とする魔術が、貧弱な杖に剣と打ち合う力を与えている。

 魔力付加エンチャント。手にした武器や道具に魔力を送り込み固定する事により、様々な効果をもたらす魔術。

 クロエの魔力が尽きない限り、その手にある杖は魔剣と呼ばれるモノとすら打ち合う事を可能とする。


「上手いですが……軽い!」


 しかしその杖を、デニスは体勢も気にせず力任せに打ち払った。


「ッ!?」


 攻撃を虫でも払うように無造作に退けられ、クロエは追撃を諦め跳ねるように後ろへ退いた。

 それは普通ならばデニスにとって相手を追い詰めるチャンスであったが、クロエの脚力は普通では無かった。あっという間に石畳五つ分は開いた距離に、デニスもまた追撃を諦めるしか無い。


「いやはや、見事ですねえ。まだまだ荒はありますが、こと相手の力を流すという事にかけては、その歳で至れるはずのない領域へと達している」

「……」


 足を止め賞賛を送るデニス。その顔には未だ余裕があり、対するクロエにはそれが無い。


「ですが、それだけですねえ。貴方には敵を押しきる力が無い。並みの相手ならば、その技術で封殺できるのでしょうが、生憎と私は剣の腕も並ではありませんからねえ!」


 言いながらデニスの顔に浮かんだ笑みは、蛇を思わせる陰湿なものだった。

 デニスにとってこの戦いは、結末の分かりきったものだった。魔術を防がれた時は驚いた。しかし次いで放たれたクロエの魔術は構成こそ見事であれど、攻撃系の魔術としてはそれほど上位のものでは無かった。デニスを打ち倒すには足りない。

 互いに魔術戦での決定打に欠け、格闘戦に移行すれば、あとはデニスの勝ちは決まったも同然だ。速さこそ人並み外れたクロエだが、力も、技も、経験もデニスには及ばない。

 コンラートがかつて力と技でティアと拮抗したように、デニスもまた自力の差でクロエの速さという武器を圧倒している。


「クッ」


 クロエの喉から声が漏れた。デニスが聞けば悔しさからこぼれ出たものだと思ったであろうが、そうでは無い事を伏せられたクロエの顔を見れば理解しただろう。

 クロエは笑っていた。

 己が熟達した人間には届かない事など、嫌というほど知っている。長い間本を読み、暗がりの中で知識のみを頭に詰め込み続けたクロエには、才能があってもそれを生かす経験が無い。


「来ないのなら、こちらから行くとしましょうかねえ!」


 踏み込むと同時に突き出された剣。踏み込みの勢いの乗せられたその突きは重く、吸い寄せられるようにクロエの左胸へと向かう。

 多少強引とも言えるその攻撃は、デニスにとって布石でしかない。

 これまでに打ち合い把握したクロエの力では、この突きを防ぐ事はできないし、完璧に受け流す事もまた難しいだろう。そうなるとクロエはこの突きを避けるしかなく、いかにクロエでも逃げの体勢に入っていない状態では、咄嗟に移動できる距離もたかが知れている。

 無謀にも向かってくる事は無いだろう。しかし逃げたとしても休む事無く追撃を続ければ、いずれクロエは崩れる。

 己が勝利へと至る道筋を描き、デニスは笑う。

 しかし対峙するクロエも、また笑っていた。


「何ィッ!?」


 デニスの予想を裏切り、クロエは逃げる事無く立ち向かってきた。それだけならば、デニスも驚愕し声を上げる事など無かっただろう。

 突き出された剣がクロエの胸へと届く刹那、刀身が軋み、歪んだ。手に伝わる感触は目の前の光景が現実である事を知らせ、このままでは剣が半ばからへし折られる未来をデニスに確信させる。


「常時展開型の結界にこれほどの強度があるはずがッ!?」


 驚愕は一瞬。咄嗟に剣を戻した判断は間違いでは無い。しかしそれは決定的な隙であった。

 両手で杖を振り上げるクロエ。そして振り下ろされた杖はそれだけで折れるのでは無いかというほどしなり、どれほどの力がこめられているのかが分かる。

 だが分かりやすい。故にデニスはそれを間髪手にした剣で防ぐ。だが気付かなかった。今まで速さと技に頼ってきたクロエが、こんな力任せの一撃を本命にするわけが無いのだと。


「グゥッ!?」


 衝撃は足に、次いで痺れるような痛みと熱が太ももを襲った。デニスが視線を向ければ、蹴りを入れたのであろうクロエの足が地面へと着地する所だった。

 そしてその足が、跳ね上がるように動いた。その動きはさながら雷のようであり、目に捉えきれないそれを防御する事は不可能だと、デニスに知らせる。

 しかしデニスは魔術師だ。剣で防げないのならば魔術で、例え詠唱を行う事ができずとも、簡易の障壁程度は展開できる。そして何よりクロエほどでは無くとも、その体は常時薄い結界で守られている。小僧の蹴り程度防げないはずが無い。


「なッ!?」


 防げないはずが無い、突破できないはずの障壁を圧しながら、クロエの蹴り足がデニスへと迫る。否、既に障壁は粉砕され、辛うじて押し止めるのは一層の結界のみ。そしてその最後の守すらも、クロエの蹴りは打ち砕いた。


「ゴォッ!?」


 槍のようなクロエの蹴りが、デニスの鳩尾へと突き刺さる。障壁と結界により威力が殺されたとはいえ、無防備に受けたそれはデニスに地獄の苦しみを与えた。


「拙い杖術に付き合ってくれてありがとうございました。おかげでようやく蹴りをいれる隙ができた」


 這い蹲り、口から涎を垂らすデニス。今まで演技がかった言動をしていた男とは思えない、無様な姿を見下ろしながら、クロエは感情の窺えない淡々とした口調で告げた。



「オオォッ!!」

「ハアァッ!!」


 二人の男の雄叫びとも言える気合とともに、金属のぶつかり合い擦れ合う耳障りな音が広間に響き渡る。その音が消える間も無くニコラスが剣を横薙ぎに振りぬき、コンラートはそれを潜るように避ける。そして体勢を低くしたまま足元を払うが、ニコラスは後ろへと跳び退ってそれをかわし、コンラートはそれを追うように踏み込み剣を振り下ろす。

 一進一退。そう表すのに相応しく、二人は決定打を欠いたまま、目まぐるしく攻防が入れ替える。そして再び二人の剣がぶつかり合い、何度目かも分からない鍔迫り合いとなった。


「貴方は……本当に人間か?」

「さてな。巨人やら暴れ牛などと呼ぶ輩も居たのだし、案外人以外のモノが混ざっているかもしれん」


 苦しげに言うニコラスに対し、コンラートもまた攻めきれぬ事に焦っていたが、その内心を隠すように笑みを浮かべて言った。

 しかし牛は無くとも、巨人やそれに類する亜人の血は本当に混じっているかもしれない。コンラート自身そう思ってしまう程度には、己の身体能力が異常な事は理解している。

 だがそれでも、コンラートは人という枠をはみ出してはいない。ピザン国内だけでもクラウディオやティア、そして他にも数人ほどコンラートと並ぶ騎士は居た。あくまでもコンラートの強さは、人の強さでしかない。


「貴様があの腐った魔術師の人形の一人だというのならば、俺は人として負けるわけにはいかぬ!」

「グッ!?」


 ぶつかり合っていた剣を押さえ込み、コンラートの剣がニコラスの甲冑の隙間を縫うように左脇を切り裂く。


「カアッ!!」

「ぬッ!?」


 普通ならば重傷であるが、アンデッドであるニコラスは落ちかけた左腕を庇おうともせず、右手に握った剣を突き出す。油断したわけでは無いが、剣を振りぬいたばかりのコンラートは回避が遅れ、ニコラスの剣の切っ先が首の皮を薄く切った。

 あと少しでも反応が遅れていれば、ただの人でしかないコンラートは死んでいただろう。その事実にひやりとし、己の首が確かに繋がっているのを確認しつつ、コンラートは改めてニコラスへと向き直る。


「普通ならば今ので終わりなのだがな。やはりアンデッドは厄介だ」

「……私とて負けるわけにはいかないのだ。人であることをやめた故に手に入れた力。それを否定する事は許さん!」


 ニコラスの言葉は怒りをもった嘆きであり、どこか悲壮さを感じさせる慟哭でもあった。アンデッドとして十年以上も活動を続けてきた男にも、譲れないモノがあるのだろう。


「偽りの生の中で己を確立するのは強さのみという事か。良いだろう、俺が貴様を地の下へと叩き返してやる」

「大した自信だ。貴方自身が墓に入らぬよう気をつけるのだな」


 無論コンラートに油断は無い。その上ニコラスは左腕が繋がっているのが不思議な状態であり、無理をすれば鎧にぶら下がるような状態で千切れるだろう。切断された部位も動かせるとは言え、そのような状態では剣を振るにも支障が出る。

 それ程間をおかずして勝敗は決するだろう。


「このガキがあッ!?」


 しかし剣を構えた二人が対峙する場に、聞く者をすくませる憤怒と怨嗟に満ちた声が響く。

 その声の元を辿れば、デニスがクロエの前に崩れ落ちているのが目に入った。しかしクロエに勝者の余裕は無く、異様な雰囲気を漂わせるデニスを油断無く、むしろ恐れるように警戒していた。


「何か策があるのかと付き合ってみれば、一撃入れただけでとどめも刺さずにしたり顔ですか。甘いですねえ。なめてますねえ。そのふざけた結界のおかげで危機感が薄いようですし、戦いを試合とでも勘違いしているのですか」


 ゆっくりと立ち上がりながら、デニスは早口にまくしたてる。それにクロエは何も返さない。何も返せない。己が甘かったという事は、目の前に居るキレた男を見れば明らかだ。


「ニコラス。万が一にもコンラート殿を近づけないようにしなさい。全て諸共滅ぼします!」

「……承知した」


 デニスの命令に、ニコラスはしばし無言であったが、低い声で答えるとコンラートへ向き直る。しかしその姿からは、不本意といった感情がありありと見て取れた。


「――闇を住処とし、影を渡る者共よ、我に従え!」

「!? ――女神よ、我が主よ、私は貴方を頼り訴えます!」 


 デニスの詠唱を聞くなり、クロエが血相を変え詠唱を始めた。そして詠唱を続ける最中にも、クロエは杖と体術を駆使して攻撃を続けるが、デニスはそれらを苦も無く捌ききる。

 コンラートには、詠唱を聞いて魔術を特定するような知識は無い。しかしクロエの様子からして、デニスの唱えている呪文が危険である事は予想できた。事実デニスが唱えている魔術は、単独で行使が可能なのは一握の者だけであろう大魔術であり、たった二人の人間を殺すには過剰なものだった。

 それを察したコンラートは、ニコラスを倒す事よりも、デニスを止める事を優先する。


「クッ! 邪魔だッ!」

「ヌゥッ!?」


 立ちはだかるニコラスを、コンラートは剣での連撃によって打ち崩すと、トドメとばかりに蹴り倒す。そして即座にクロエと対峙するデニスの元へと走るが、焦るコンラートを嘲笑うように、デニスの詠唱は淀みなく続く。


「――地の底に繋がれし強禦きょうぎょなる螢惑けいわくの化身、火輪を求め駆け巡る!」

「――敵が私を囲み、仇が私を罵り、悪が私を攻めようとも!」


 詠唱を続けながらもクロエは妨害を続けるが、やはり近接戦闘ではデニスに分があるのか成果は無い。故にコンラートは一刻も早く二人の下へと駆けつけようとしたのだが、突然その首に何かがぶつかり、喉を握りつぶさんばかりに締め上げ始めた。


「グアッ!?」


 あまりの痛みと苦しさにその場に崩れ落ちる。何事かとコンラートが視線を向ければ、そこにはニコラスの腕だけがコンラートの首を囲うように肩に乗り、その手で喉を万力のように締め上げていた。


「手向けだ。その左腕くれてやろう」

「グッ……貴様!」


 振り返れば、剣を収めたニコラスが右手をこちらへ向けて立っていた。当然その体に左腕はついていない。

 千切れかけていた腕を自ら切断し、コンラートの足止めをするために投げつけたのだろう。いかにアンデッドとはいえ、このような戦法をとる者は、コンラートにとっても初めの相手だった。


「――過怠かたいは燐火となりて瑤階ようかいを登り」


 そしてその足止めは見事に成功したのだろう。今までデニスの詠唱を妨害しようとしていたクロエが、それを放棄してコンラートの下へと駆けて来るのだから。


「では、巻き込まれぬうちに私は失礼させていただく」

「ニコラス!」

「もし生き延びたならば、また会おう。シュティルフリート」


 そう告げると、ニコラスは己の影に吸い込まれるようにして消えていった。転移魔術の類であろうが、ニコラス自身は魔術師では無かった。他の魔術師――恐らくはイクサによって呼び戻されたのだろう。

 しかしそんな事を推察している暇もコンラートには無かった。ニコラスが消えるなり、首に絡みついた腕の力は弱まり引き剥がせたが、既にデニスは魔術の詠唱を完成させようとしている。

デニスの詠唱があとどれくらいで終わるのかも分からないまま、コンラートは一か八か妨害に向かおうとする。しかし風のように駆け、滑るように目の前で停止したクロエに手で制され、その場に止まる事を余儀なくされた。


「――私は恐れずただ願います、貴方が私の魂に触れ、私をお助けくださることを」

「――現世うつしよの境界を突き穿つ」


 クロエがコンラートを背に庇うように立ち、デニスが指揮棒を振るうように右手を掲げる。


「――女神よ、誠実にして潔白である貴方の僕をお守りください!」


 クロエが詠唱を終えると同時に、杖で石畳を打ちつける。すると石畳の上に複雑な文様が浮かび上がり、二人を覆うように光の壁が顕在する。

 そしてそれに僅かに遅れて、デニスの詠唱が完了した。


「――吹き出でよ、煉獄の炎!」


 命ずるように、デニスが右手をコンラートとクロエを指すように振り下ろす。

 同時に石畳が軋むように揺れ、青い光が漏れ始める。そして瞬きをする内に、広間は蒼炎に埋め尽くされた。

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異世界召喚が多すぎて女神様がぶちギレました
日本の神々の長である天照大神は思いました。最近日本人異世界に拉致られすぎじゃね?
そうだ! 異世界に日本人が召喚されたら、異世界人を日本に召喚し返せばいいのよ!
そんなへっぽこ女神様のせいで巻き起こるほのぼの異世界交流コメディー
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