第一話 桜の花びら
春。
春と言えば桜。
桜。
桜と言えば花見。
花見。
花見と言えば宴会。
宴会。
宴会と言えば食べ物。
そんな安直すぎる発想。
でも俺はいたってマジメだ。
とりあえず、さっきまで食べ物を分けてくれそうな人を探していた。
しかし、いかんせん。
誰も、いない。
桜が咲いているのに。
こんなに綺麗に咲き乱れているのに。
生憎、桜には詳しくないが、これは美しい部類に入る。
確かこれは……。
……やっぱり分からん。
もう少し周囲を散策してみるが、人一人誰もいない。
……珍しいこともあるんだな。
その時。
何かにつまづいたわけでも無いのに、倒れるかのように地面に転んだ。
どべしゃ!! と嫌な音がする。
「ひもじい……」
ついに限界がやってきた。
昨日の昼から何も口にしていないから、仕方ない。
旅することはかなり大変というのを今更になって感じる。
そして、起き上がれない。
「メシ、食えると思ったんだけどな……」
わざわざ桜の綺麗な所まで来たのに、誰もいないとか……。
あ、ダメだ。
もう死ぬ…………。
絶望感に浸っていると、どこからか足音が聞こえた。
俺は顔を上げた。
そこには。
「誰もいないし……」
ついに幻聴まで……。
寝返りをうって空を見上げる。
雲一つない青い空に、ひらひらと桜の花びらが彩る。
桜の花ってウマいのかな……。
ちょうど飛んできた花びらがあったので、口を開けてみた。
口に入ってきた。
「マズッ……」
やっぱりキツかった。
プッ、と吐き出す。
「あぁ〜、死ぬ……」
風がフワリと髪を撫でる。
数多の花びらが風に舞う。
俺はただそれを見つめる。
すると。
誰かがこっちにやって来る音がした。
今度こそ間違いない。
でも、誰だ?
警戒しているのか、何故か木の枝を持っている。
そして突っつき始めた。
主に俺の顔を。
こめかみ、眉間、人中。
急所ばかり狙ってくる。
絶対ワザとだ……。
「大丈夫、……ですか?」
大丈夫じゃないって……。
さっきからアンタが突きまくってるから。
「…………えいっ」
何でまた突くんだよ!!
「ゴルァ!!」
「きゃっ!!」
さすがに耐えきれず叫んでしまった俺。
あ、立ちくらみが……。
どべしゃ!! と嫌な音がした。
「えぇ!?」
ああ、ビックリしてるよ。
起き上がったと思ったらその勢いで倒れ込むというシュールな展開。
これで驚かない人はいないだろう。
「あの〜……」
「メシ……」
しかし、何たる僥倖。
人に会えるとは。
ここで早く何とかしないと……。死が待っている。
「え?」
「同情するなら、……をくれ」
「あの〜……」
「同情するならメシをくれぇ!!」
「お金じゃないの!?」
あ、確かにお金をもらうという手段もあったな……。
でも俺にそこまで考える余裕はなかった。
メシをくれぇ!! と言った直後、俺の意識が途絶えてしまったからだ。
……あの言葉が最後の言葉にならないことを、切実に祈ります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ここは……」
目が覚めると、そこには見慣れない風景が広がっていた。
「気が付いた?」
そこには白衣を纏った女性が立っていた。
医者、だろうか?
パッと見、二十代後半だ。
「ああ……、ここはどこだ?」
「診療所よ。貴方、倒れていたみたいね」
「みたい? アンタが助けてくれたんじゃないのか?」
倒れている時に少しだけ見えたのだが、たしかあれは女性だったはずだ。
声も女だったし。
「私じゃないわ。ここの近所の娘よ」
「へー……。そいつは今どこへ?」
「そこにいるわよ」
女医が指差す向こう側に、少女が一人いた。
容姿は悪くないと思われる。
年齢は……、15、6歳くらいか。
身長はそこまで高くはないようだ。
……そして物陰に隠れて出てこない。
ちょこっと顔を出したかと思えばすぐに隠れるし……。
小動物かよ。
「アンタか? 助けてくれたのは?」
「は、はいっ。わたしですっ……。倒れていましたから、ここまで運んできました……」
「助かったよ、アンタのおかげで」
「……いえ、どういたしまして」
いつの間にか用意されていた食事を口に運びながら、俺はその少女と話していた。
「…………で、何でそこから出てこないんだ?」
「いえ、あの、その……」
「その子、極度の恥ずかしがり屋なのよ。気にしないであげて」
「そ、そうなのか」
確かにが顔真っ赤だ。
その少女の名前は櫻 美咲。
食べている間に、女医に聞いた。
ちなみにその女医は柳生 芳子。
「いや、それにしても助かったぜ。ごっつぉーさん」
「お粗末様でした。まあ、あの子が作ったんだけどね」
「アンタだったのか」
「は、はいっ……」
「……怯えすぎ」
「す、すいません……」
ブルブル震えられると、俺がイジメたみたいで嫌な気分なんだが……。
「まあ、助かったのは事実だしな。ありがとな」
「イエイエ、お気になさらず」
柳生はにこりと笑った。
櫻はというと。
「…………」
ま、いっか。
俺は窓を開ける。
春風が吹いて気持ちいい。
桜の花びらもひとひらふたひら入ってきた。
ふと、横を向いてみた。
そこには。
『柳生動物病院』
「俺は犬っころじゃねぇぇぇ!!」
窓を勢いよく閉める。
「ん、そうだけど……。どうかした?」
「櫻、お前なぁ!! 俺をなんだと思った!!」
「…………」
「止めてあげて。美咲ちゃん、失神しちゃうから」
いや、もうしてるけど……。
「ほら、起きろ」
デコピン一発食らえ!!
極東のグングニルと呼ばれた俺のデコピンをな!!
「あうっ!!」
「グッモーニン、ミスサクラ」
「お、おはようございます……」
「病院に運んでくれたのはいいんだけどさ」
「はい……」
「何で動物病院!?」
「す、すいませんでしたっ!!」
そう言って、櫻は奥に引っ込んでしまった。
「ったく、何なんだ……」
「まあ、そう言わないであげて」
困ったそうに笑う柳生。
「ところで、貴方。泊まる所はあるの?」
「は、何で?」
「だって、さっき荷物見たけど、旅に必要な物ばっかりだったし」
「って人の荷物を勝手に見るなし!! まあ、そうだけどさ……」
「大変ね。倒れてたけど、お金が無いのかしら?」
「まあ、な。どっかでバイトして稼ぐつもりだけど」
「泊まる場所は無いというわけね」
「まあ、そういうわけになるかな」
「で、困ってるでしょ?」
「そうだけどさ……」
ひもじさで死にかけたしな。
「泊めてあげてもいいわよ? 君なら」
「…………少しは怪しまないのかよ?」
「何か問題起こしたら警察にしょっぴいて金一封もらうつもりだから。むしろ、何か起こして」
「うぉいこら」
「ふふ、冗談よ」
クスクス笑う柳生。
「ま、泊めてもらえるならいいんだけどさ」
「というわけで、ひとつ頼みごとがあるんだけど」
少しだけ、柳生の目が怪しく光った。
あ、これは何かされるフラグだ。
「何だ?」
警戒しつつ、返答した俺。
「この病院の手伝いをしてくれないかしら?」
「……交換条件ってわけか」
ま、確かにタダで泊めるほど世の中優しくはないな。
ところで、手伝いとはいったい何をするんだろうか?
しかし、泊まる場所があるのは嬉しい。
きっと、食事まで出るだろう。
事実それさえあれば問題ない!!
「泊まる場所が確保できるなら、俺は構わないけど。いったい何をすりゃあいいんだ?」
「ん。掃除とか、だね」
意外と楽チンな仕事だ。
「なら良かった」
バイトで慣れてるから問題ない。
「じゃ、金が貯まるまで、ここに泊めさせてもらうよ。これからよろしく」
「こちらこそ、よろしく」
柳生と握手する。
「美咲ちゃん、出て来なさい」
「は、はい……」
怯えながらもやって来た櫻。
「というわけだ。よろしく」
「よろしくお願いします……!!」
べこりとお辞儀をしたかと思えば、やはりすぐに逃げてしまった。だから怯えすぎなんだってば。
「じゃ、さっそくお願いしようかしら。掃除」
「ああ、分かった」
渡された掃除道具を手に取り、俺は黙々と掃除を始めた。
俺は落ちていた桜の花びらをつまみ、手を放す。
風に乗り、空高く舞い上がった。ま、なるようになるさ。
目の前が、少し開けた気がした。
名前も知らない男を泊めさせる女医、柳生芳子。
恐ろしい子っ!!