第42話 温泉を発見!? 魔法で即席の超高級スパリゾートを建設
辺境のフェルド伯爵領へ来てからというもの、私は大変忙しく、そしてオタクとして大変充実した(生き生きとした)日々を送っていた。
荒れ果てた農地の魔法による一瞬の再生。
死んでいた水路の完全整備と地下水脈の再構築。
三流の不正帳簿の徹底的な解読と再編。
前代官派の腐った残党の洗い出しと粛清。
適材適所を見極めた使用人の再配置。
そして、不安を抱える領民たちとの直接面談。
やることは山ほどある。前世の繁忙期レベルだ。
けれど、その一つひとつが“最愛の推し(夫)の領地を最高に良くする”という尊い目的へ綺麗に繋がっている以上、苦痛など1ミクロンも感じようがない。
感じようがないのだが。
「……」
私は執務机の向こうに座るクライス様を、ペンを止めてジッと見た。
昼下がりの柔らかい光。
うず高く積まれた決裁書類の山。
書類に目を落とす、彫刻のように美しい静かな横顔。相変わらず目に悪いほど整った国宝級の顔立ち。
そして、その目の下にうっすらと差し始めた、隠しきれない『疲労の影』。
(……限界オタクの妻として、大変よろしくありませんわね)
クライス様は強い。
チート級の剣技も、瞬時の判断力も、第一騎士団で鍛えられた統率力も、一級どころではない。辺境伯爵としての政務の適性まで、正直かなり高い。ハイスペックの塊だ。
高いのだが。
この人は、自分の消耗(HPの減り)を極限まで後回しにするという、非常に悪い癖がある。
領地入りしてからというもの、代官派の残した負の遺産(歪み)を潰し、魔物に対する国境警備体制を立て直し、役人の再編まで寝る間を惜しんで進めているのだから、そりゃあ疲れるに決まっている。
なのに本人は、私が心配しても平然と「問題ない」と言うのだ。
全くもって信用ならない。
「クライス様」
「何だ」
「お疲れではありません?」
「問題ない」
「ほら、出ましたわ。それですわ」
「何がだ」
「自己管理ができていない人が言う、全く信用できない返答の典型ですわ」
「そうか」
「そうですわ」
私は真顔でピシャリと言い切った。
クライス様は小さく息を吐いたが、否定はしなかった。
その時点で、だいぶ身体に疲労のデバフが溜まっている証拠である。
「少し休まれてはいかがです?」
「休んでいる」
「どこがですの。ずっと執務机に張り付いておいでですわよ」
「睡眠は取っている」
「それは人間の生命維持の最低条件であって、疲労回復の十分条件ではございません」
「……妙に厳しいな」
「愛する夫の健康を預かる『妻』ですもの。当然ですわ」
するとクライス様の蒼い目が、ほんの少しだけ、嬉しそうに甘くやわらいだ。
いけない。
こういう無防備な顔を至近距離でされると、こっちの心臓がまたよろしくない方向へオーバーヒートする。
だが今は、尊さに浸るより優先すべき最大のミッションがある。
――推しの溜まった疲れを、どうにかして完璧に癒やさなければ。
私は羽根ペンを置き、顎へ指を当てて思考の海へ沈んだ。
(食事は栄養満点で胃に優しいものを整えておりますわ。睡眠環境(寝具)も最高級のものに変えましたし、執務導線も無駄を省いて改善済み。でしたら次に必要な『極上の癒やし』は……)
肉体疲労の物理的な回復。
精神的なストレスの完全な緩和。
そして、できれば毎日継続可能で、リラックス効果の高いもの。
その時。
「あ」
私の脳内に、前世の日本人の記憶が、雷のようにフワッと閃いた。
温泉。
そう。大正義『温泉』である。
疲労回復、血行促進、精神安定、幸福感の爆上がり。
しかも風呂(湯船)を愛してやまない日本人の記憶を持つ私にとって、それはもはや“地上最強のバフ回復施設”と呼んで差し支えない。
(温泉……! なぜ今まで気づきませんでしたの!)
私はガタッ! と勢いよく立ち上がった。
「ルシア?」
クライス様が、私の突然の奇行に少しだけ眉を上げる。
「山ですわ」
「……は?」
「今すぐ山へ参りますわよ」
「唐突だな」
「でも必要ですわ。絶対に」
「何に」
「推し(夫)の究極の疲労回復に!」
「……」
「つまり、クライス様のためですわ」
「もっと分からん」
分からなくはないでしょうに。
だが、ここで一から「温泉とは何か」をプレゼンしている暇はない。まずは何よりも現地確認である。
ここフェルド辺境伯爵領は、背後に豊かな山を抱えている。
豊富な地下水脈もある。火山由来の土質も悪くない。
ならば、大自然のどこかにあっても全くおかしくないのだ。
地熱源が。
つまり、天然の『温泉』が。
「ハインツさん!」
私は執務室の扉の外へ声を飛ばした。
「すぐに領地北側の山の詳細な地形図を! あと、冬でも湯気の出る岩場や、雪解けの早い不自然な場所の伝承があれば全部集めてちょうだい!」
「は、はいッ!?」
老家令の驚いて裏返った声が廊下から返る。
クライス様は、深々と額を押さえた。
「……また、俺の妻の規格外の何かが始まるな」
「ええ、始めますわ」
「そうだろうな。顔が生き生きしている」
「お察しが良くて何よりですわ!」
◇ ◇ ◇
結論から言うと。
山には、ありましたわ。それも極上の源泉が。
翌日、私はハインツさんと数名の山の案内人(猟師)を連れて、領都北側の険しい山地へ入った。
もちろんクライス様も一緒である。
最初は「お前一人では絶対に行かせない。危険だ」の一言だったが、実際のところ護衛以上に、私がオタク特有の探究心で勝手に崖へ登ったり、嬉々として素手で地面を掘り返したりしないかを『監視』する意味合いも大きいだろう。
過保護で心外ですわね。
……まあ、少しは否定しきれないのだけれど。
山の空気は澄んでいた。
木々の間を抜ける風が涼しく、鳥の声も遠い。
普通ならただの退屈な資源調査だ。
だが私の限界オタクの頭の中では、すでに“推し専用・極上スパリゾート建設計画”の青写真がフル回転で描かれていた。
「奥方様、この先に少し妙な岩場がございます」
案内役の猟師が、不思議そうに言う。
「冬でもそこだけ雪が少なくて、朝には白い靄が立つことがよくありまして」
「まあ!」
私は身を乗り出した。
「それですわね! 間違いありませんわ!」
「まだ分からんぞ」
クライス様が冷静に釘を刺す。
「ですが極めて有力ですわ!」
「……顔が完全に輝いているな」
「当然ですもの!」
獣道を少し外れ、斜面を登った先。
そこには、確かに私の見立て通りの奇妙な場所があった。
ゴツゴツとした岩肌の隙間から、ほのかに白い硫黄の匂いのする蒸気が立っている。
雪解け水が流れるはずの窪地だけ、妙に地面が乾いている。
しかも、近づくと周囲の空気がほんの少しだけあたたかい。
私はしゃがみ込み、地面へピタリと手を当てた。
「…………」
「どうだ」
クライス様が低く問う。
私は目を閉じ、全神経と魔力を足元の遥か下へ沈める。
土の層。硬い岩盤の走り。豊富な地下水脈の流れ。
そのさらに奥底にある、強大なマグマの熱。
ああ。
ええ。
間違いありませんわね。大当たりのSSRですわ。
「ございます」
私はパッと顔を上げた。
「しかも、かなり泉質が良いですわ」
「お前の探していた『温泉』か」
「ええ!」
私は満面の笑顔で力強く頷いた。
「地熱源の深さ、地下水脈の水圧、予想される湯量、全部がパーフェクトに申し分ありませんわ」
「……地面に触れただけで、本当に見つけたのか……?」
ハインツさんが、化け物でも見るような目で呆然と呟く。
案内の猟師など、半ば口を開けたまま硬直している。
それもそうだろう。
新しく来た領主の美しい奥方様が、“何かよく分からない謎の理屈で、山の中で魔法のように熱い水脈を見つけた”など、彼らの常識の範疇を完全に超えている。
だが私にとっては、ここからが本番(推し活)だった。
「よし」
私は立ち上がり、パンパンとドレスの埃を払う。
「では、さっそく作りますわね」
「何をだ」
クライス様が怪訝そうに低く問う。
「温泉施設ですわ」
「いや、お前の目的は分かる」
「でしたら話が早いではありませんか」
「どんな規模のものを、何を作るつもりだ」
「もちろん、愛するクライス様の疲労を完璧に癒やす、計算し尽くされた最高の風呂ですわ」
「…………」
数拍、山に静寂が落ちる。
その後、クライス様がとてもゆっくりと、頭を抱えながら言った。
「お前がそう言うと、嫌な予感しかしない」
「失礼ですわね。とても建設的で愛に溢れた予感とおっしゃってくださいまし」
「嫌な予感しかしない規模を聞いていない」
「大したことではございませんわ」
「信用できん」
「景観を生かした広大な露天風呂、天候に左右されない内湯、風流な湯上がり処、マッサージ用の休憩室、冷たい飲水場、ついでに景色を楽しむ足湯のテラスくらいですわ」
「全く大したこと(個人レベル)の規模じゃないな!?」
クライス様が、めずらしく声を荒らげた。
いえ、だって推しのための施設なら、妥協は許されないでしょう?
ただ穴を掘って熱い湯を溜めるだけでは絶対駄目ですわ。
それではただの“野蛮な風呂”であって“極上の癒やし空間”ではないのだから。
私が真剣なオタクの目でウンウンと頷くと、クライス様は深い深いため息をつき、片手で目元を押さえた。
「ルシア」
「何ですの」
「まさか、それを今日一日で済ませる気か」
「もちろんですわ。鉄は熱いうちに打て、です」
「やはりさっきの『大したことではない』という言葉を全面撤回しろ」
「でしたら、私の愛が詰まった大変意義深い大建設工事ですわ」
「論点はそこではない」
◇ ◇ ◇
けれど、始めてしまえば私の手際は早かった。
まずは地盤の整備。
私は岩場全体の地形を立体的に把握し、最も湯脈へ近く、かつ景観が良く、土砂崩落の恐れが少ない完璧な位置を選ぶ。
北側は既存の木立が自然の風除けになる。
南側は少し開けていて、湯煙越しに辺境の雄大な山の景色が見下ろせる。
(最高のロケーション。完璧ですわね)
「皆様、少し後ろへ離れてくださいまし」
私は案内人たちへ声をかけた。
「少々、大きな音が出ますわよ」
「は、はあ……」
クライス様だけは、私のすぐ後ろの安全なその場に残る。
残るだろうとは思っていた。
どうせ「また無茶をして倒れないか」と過保護に監視するつもりなのだろう。
はいはい、分かっておりますとも。
私は両手を前へ出した。
「まずは基礎工事ですわ。《岩盤切削》《地層成形》」
ゴォォォウッ! と、空気を震わせる低い音が響いた。
巨大な岩場が、まるで見えない巨大な刃で豆腐のように切られるように、滑らかに削り取られていく。
ゴロリと転がるはずの大岩は、私の緻密な魔力の流れに沿って綺麗に端へ寄せられ、一切の無駄なく自然石の階段や、露天風呂の風流な縁取り石へと再利用されていく。
「ヒッ!?」
「岩が……」
「勝手に動いて、形が……!」
案内人たちが揃って腰を抜かして後ずさる。
すみません、でもまだこれは序の口ですのよ。
「次に湯脈の開口。《湧出調整》《温度安定》」
地下の熱い水脈へ、ピンポイントで細く道を開ける。
一気に掘り当てると熱湯が吹き出して危険だ。かといって冷ますと今度は温泉としての魅力(効能)が減る。
大事なのは、推しが浸かって“一番ちょうどいい極上の湯加減”である。
ゴボ……ポコッ……。
岩の隙間から、白い湯気をまとった透明な湯がトクトクと流れ出した。
最初は細く。だがすぐに水圧が安定し、サラサラと心地よい音を立てて、新しく造り出した広大な石の湯船の底へ溜まっていく。
「出た……!」
「本当に山からお湯が……」
「温かい……!」
私は手を浸して温度を確認する。
うん、少し熱い。でも外気と混ざれば、長湯に最適な調整可能な範囲だ。
「よろしいですわ」
「……まだ続くのか」
クライス様の声が、どこか現実逃避するように遠い。
「当然です」
私は今度は、周囲の地面全体へ網の目のように魔力を広げた。
「《床面整形》《排水路形成》《湿度調律》」
湯船の周囲へ、滑りにくいよう計算された美しい石床が広がり、温泉の成分を逃がす排水溝が自然な勾配で形成される。
さらに少し離れた場所へ、湯上がり用の休憩スペース(東屋)を、土と石と木材を融合させて一気に立ち上げる。
「露天だけでは野趣に溢れて風流ですが、貴族の実用と防寒には欠けますもの」
「お前は一体、何と戦っているんだ」
「クライス様の、日々の過酷な疲労ですわ」
「……そうか……」
「そうですわ」
クライス様は、もう私の奇行(魔法)を止める気を完全に失いつつある。
よろしい傾向です。
私はさらにテンションが上がり、勢いづく。
「《石壁形成》《木組補助》《布幕固定》!」
天候を防ぐ半露天の内湯。
着替えに困らない脱衣用の小部屋。
外気の涼しさを楽しめる縁台。
湯上がりに身体を休める、人間工学に基づいた長椅子。
水分補給用の冷水樽を置く台まで、プラモデルを組み立てるように一気に形になる。
「……」
「……」
「……」
ハインツさんを含め、周囲の男たちが完全にアゴを外して無言になった。
はい、分かります。
ちょっと引きますわよね。人智を超えすぎて。
でも仕方ない。私は今、前世のマイクラ的建築欲が刺激されて、とても楽しいので。
「あと、リラックス用の香りも必要ですわね」
「……香り?」
クライス様が疲れたように眉を寄せる。
「湯上がりの交感神経を落ち着かせる香木と、肌あたりを整える薬草の束を脱衣所に配置します」
「そこまでやるのか」
「そこまでやりますわ」
私はキッパリと、一切の妥協なく言った。
「温泉とは、ただ湯に浸かるだけでなく、入る前から出た後の空間の導線込みで『一つの完成された癒やし』なのです」
「……妙な説得力と圧があるな……」
「前世の温泉大国の叡智ですもの」
最後に、私は湯船の表面へ、ほんの少しだけ浄化の魔力を流した。
「《清澄循環》」
湯面が、宝石のようにやわらかく光る。
濁りなく澄み、しかし冷たくはない、肌に吸い付くようなやさしい透明感。
湯気の立ち方すら、計算されたように美しい。
できた。
本当に、完璧にできてしまった。
誰も寄り付かない山の中に、ついさっきまでただの荒れた岩場だった場所へ。
広大な露天と内湯を備え、景観と実用性を兼ね備えた、控えめに言っても王都の王族専用施設にも引けを取らない『超高級スパ温泉施設』が、半日とかからず完成していた。
「…………」
ハインツさんが、震える声で言う。
「奥方様」
「何かしら」
「これはもはや、建設というより、神の御業による『顕現』では……」
「まあ」
「しかも、かなり趣味がよろしいかと……」
「でしょう?」
私はドヤ顔で胸を張った。
「愛するクライス様にお似合いの、洗練された上質空間を意識いたしましたの」
「原因はそこなんだよなあ……」
背後で、クライス様が頭を抱えながら小声で呟いた。
◇ ◇ ◇
問題は、その後だった。
私は誇らしく完成した温泉施設を見上げ、ウンウンと満足げに頷いた。
「素晴らしい出来ですわね」
「どこが“即席”だ」
クライス様が、もはやツッコミを諦めたような呆れた声を出す。
「超高級スパでございます」
「自分で言うな」
「事実ですもの」
実際、かなりの出来栄えだ。自画自賛したくなる。
石の質感も良い。湯の温度と流れも安定している。何より、ここから見下ろす山の景観が美しすぎる。
私はクルリと、クライス様へ向き直った。
「さあ」
「何だ」
「お入りくださいまし」
「……今か?」
「今ですわ」
「なぜ」
「クライス様の疲れを癒やすために、わざわざ作ったのですもの」
私は当然のように答えた。
「この神聖なる温泉の『初回利用者』は、当然、夫であるあなたですわよ?」
「……」
クライス様が、珍しく言葉を失って黙った。
あら?
何でしょう。この反応。
まさか、裸になるのが照れていらっしゃる?
「クライス様?」
「お前は」
「はい」
「本当に、ただ俺の疲労回復のためだけに、これを一日で作ったのか」
「他に何の理由がございますの?」
私はキョトンとした。
「もちろん、領民向けの共同浴場としても後で下流を開放できますけれど、第一目的はあくまで『あなたの癒やし』ですわ」
「……」
「何ですの」
「いや」
クライス様は少しだけ目を伏せ、耳をわずかに赤くして、それから低く、甘く言った。
「俺のためにそこまでされると、さすがに俺の理性が困る」
「え?」
「嬉しすぎる、という意味でだ」
「…………(ドカンッ)」
私は、その場で限界オタクの心臓が爆発して固まった。
だめですわ。そういうの。
そういう、低くて真面目な声で、ひどく正直で素直な言葉は、本当に不意打ちすぎて心臓へ悪い。
「で、でしたら」
私は真っ赤になった顔を隠すように、咳払いを一つして誤魔化す。
「遠慮なく、存分にお使いくださいまし」
「お前は?」
「はい?」
「一緒に入らないのか」
「……へ?」
「俺のために作ったのはお前だろう」
あっ。
少々、思考のサーバーが完全に停止しましたわね。
そうだった。
温泉とは普通、作った本人も入るものだ。
いや、そうでなくても施設としての確認は必要不可欠だ。
湯温、泉質、脱衣所の動線、使い心地。
全部、施工責任者としてチェックせねばならない。
だが。
「クライス様」
「何だ」
「その、一緒に入るというのは」
「夫婦なのだから、当然だろう」
「はい」
「なら」
「……」
「裸で、一緒に入るか」
「…………」
私は、とても静かに、遠い山の空を見上げて天を仰いだ。
ああ。
来ましたわね。
来てしまいましたわね。
推しと。いや、愛する夫と。
私がこの手で作った、誰もいない貸し切りの超高級スパ温泉へ。
一緒に。
裸で。混浴で。
そんなもの、限界オタクの理性がもつわけないではありませんか!!
だが、この時の私はまだ知らなかったのである。
この“試運転(混浴)”が、単なる設備の確認などでは終わらず。
私の残されたHPを一瞬でゼロへ叩き落とし、のぼせて倒れることとなる、次なる【限界混浴イベント】の幕開けだということを。




