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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第41話 領地改革スタート。チート魔法で荒地を数秒で大農地に変える

 悪徳代官を広場で公開追放した翌朝。


 フェルド辺境伯爵領の領都の空気は、昨日よりほんの少しだけ軽くなっていた。


 もちろん、長年の問題がすべて解決したわけではない。

 不正の腐った膿を一つ抜いただけで、痩せ細った畑が勝手に豊かになるわけでも、闇市に流された備蓄が戻るわけでも、領民の疲労しきった顔色が一晩で血色を取り戻すわけでもない。


 けれど。


「新しい伯爵様だ」

「奥方様もご一緒だぞ」

「昨日の広場の……」

「“俺の愛する、世界一優秀な自慢の妻”って言ってたよな……」

「おい、声がデカい。聞こえるぞ」

「ええ、バッチリ聞こえておりますわね……!」


 屋敷から出て領都の通りを歩くだけで、あちこちからそんなヒソヒソ声(実況中継)が飛ぶようになった。


 私は朝から、両手で真っ赤な顔を覆いたくなる衝動と必死に戦っていた。

 そう。

 昨日の公開処断の最後に、クライス様が大勢の領民の前で盛大にやらかした――いえ、事実をドヤ顔で堂々と宣言なさったあの『公開溺愛ファンサ』のせいである。


「クライス様」

「何だ」

「まだ皆様が、私たちのことをザワザワと噂しておりますわ」

「そうだな」

「そうだな、ではございません」

「俺は本当のことを言っただけだ」

「それを、大勢の公衆の面前で真顔でなさるから、オタクの心臓が困るのです」


 私が扇の陰から小声で抗議すると、隣を歩くクライス様は平然とした、雄みのある顔で言った。


「今日も、必要なら何度でも言うぞ」

「やめてくださいまし!」

「なぜだ」

「羞恥心で私の心臓サーバーがもちませんわ!」

「なら鍛えろ」

「オタクにどんな無茶なスパルタを要求しておいでで……?」


 だめだ。

 この人、結婚して『夫』の座を得てから、ますますタガが外れて私への遠慮がなくなっている気がする。

 いや、愛されているのは嬉しいのだけれど。

 嬉しいのだけれど、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。


 そんなイチャつく私たちの数歩前を、老家令のハインツさんが歩いていた。

 本日の予定は『領地の実地視察』。

 代官の不正を帳簿上で暴いた以上、次は実際の現場フィールドを見て、どこから物理的に手をつけるか優先順位を決めねばならない。


「まずは、領都南西の農地からご案内いたします」

「お願いしますわ」

 私はフッと甘い空気を消し、実務担当としての表情を引き締めた。

「領民の食糧事情は、最優先で把握してテコ入れしたいですもの」

「はッ」

 ハインツさんは深く、重々しく頷く。

「今年の春まきも、正直申し上げてかなり絶望的な状況でして……」


 その声音の暗さだけで、現場の惨状はだいたい察しがついた。


 ◇ ◇ ◇


 実際に視察した南西の農地は、私の最悪の予想をさらに下回るほど、ひどい有様だった。


 領都の胃袋を支えるはずの大麦畑は、ところどころ病気で禿げた頭のように痩せた土が露出し、緑はまばらで、うねも半ば崩れて平坦になっている。

 生命線であるはずの水路は途中で泥と枯れ葉に埋まり、獣よけの木柵は傾き、農具小屋の屋根も半分ほど腐って落ちていた。


 私はドレスの裾が汚れるのも構わずしゃがみ込み、素手でそっと土へ触れる。


 ……パサパサに乾いている。

 ただ水気が足りないだけではない。土の『養分』そのものが完全に死んでいる。

 長年の酷使で痩せ細り、カチカチに締まり、微生物すら呼吸できなくなっている死んだ土だ。


「無計画な連作障害ですわね」

「え?」

 案内役としてそばにいた年配の農夫の村長が、驚いたように私を見る。

「その、奥方様。土をご覧になるだけでお分かりで?」

「ええ」

 私は土を指先でパラパラとほぐしながら答えた。

「同じ作物を、休ませることなく無理やり続けすぎですわ。しかも途中で土壌改良(休耕)をしていない」

「……ッ」

「水路の定期管理も数年前から止まっておりますわね。流れが浅くて、途中から水脈が完全に死んでいる」

「……おっしゃる通りでさあ」


 村長は、ボロボロの麦わら帽子を胸元でギュッと握りしめた。

 日に焼けた深いシワのある顔に、絶望的な疲れが刻まれている。


「代官様が、“余計な手間や金はかけるな。俺への税を納めるために、種を撒けるだけ撒け”と……」

「…………」

「堆肥を買う金も、翌年用の土休めの時間も、金にならねえって全部削られて……」

「水路の補修願いは?」

「何度も、何度も出しました」

 彼は泣きそうな顔で、苦く笑った。

「でも、“予算がない”と全部握りつぶされた」


 通らなかった。

 ええ、でしょうとも。

 その補修予算は、そっくりそのままあの豚代官の腹(懐)へ消えていたのだから。


 私は立ち上がり、パンパンと土を払った。


 視線を上げれば、畑の向こうには、やせた子どもを背負った若い女の人、黙って折れかけた鍬を握る青年、遠巻きにこちらを見る老人たち。

 誰もが、限界まで疲弊している。

 けれど、その目の奥にはかすかな光(期待)もある。


 昨日、新しい領主夫妻が悪徳代官を追い出した。

 なら次は、俺たちのこの飢え死に寸前の生活に、何をしてくれるのか、と。


 ……よろしい。

 でしたら、ハッキリと見せて差し上げましょう。

 私がなぜ、王宮のブラックな実務を一人で回し切れた『最強令嬢』と呼ばれていたかを。


「ハインツさん」

「はいッ」

「現時点でこの南西一帯、何町歩が使い物になりませんの?」

「正直に申し上げますと、まともに今年の収穫を見込めるのは全体の『三割』ほどかと……」

「三割」

 私は氷のように目を細めた。

「少なすぎますわね。お話になりませんわ」

「……申し訳ございません」

「あなたが謝らないでくださいまし。悪いのは現場の皆様ではなく、甘い汁を吸っていた上(代官)です」


 私は周囲を見渡す。

 広大な畑、空、水路、土。

 必要な素材は全部ある。

 足りないのは、それを正しく『整える手(物理)』だけだ。


 そして私は、偶然にもそれを豊富に持っている。


「クライス様」

「何だ」

「少々、この畑をお借りしてもよろしいかしら?」

「……『少々』で済む顔ではないな」

「あら、そこは否定いたしませんわ」


 クライス様は、死んだ畑と私のやる気に満ちた顔を交互に見比べ、それから短く問う。


「やれるのか」

「もちろんですわ」

「どの程度だ」

 私はニッコリと、最高に自信に満ちた笑顔で笑った。


「愛する推し(夫)の領地に、今後一切の飢えを出さない程度には、完璧に」


 クライス様の口元が、ほんの少しだけ、嬉しそうに動いた。

 笑ったのか、妻の規格外っぷりに呆れたのか、その両方か。多分全部だろう。


「……分かった。好きにしろ」

「ありがとうございます」

「だが」

 彼は一歩近づき、低く心配そうに言った。

「絶対に、無茶はするなよ」

「承知しておりますわ」

「本当にか」

「多分」

「全く信用ならん」

「でも、私のやりたい事(推し活)は止めませんでしょう?」

「……お前がやる気になったら、俺でも止めきれんだろうな」


 その諦めたような、でも全幅の信頼を寄せてくれる返事が少しだけ嬉しくて、私は小さく笑った。


 ◇ ◇ ◇


 最初にしたのは、領民たちを危険がないよう少し離れた場所へ下がらせることだった。


「皆様、少しだけ後ろへ離れてくださいまし」

「奥方様?」

「危険というほどではございませんけれど、少々『物理的』にびっくりはなさると思いますので」

「びっくり……?」


 村長が不思議そうに首を傾げる。

 その横で、クライス様が絶対的な威厳を持って静かに付け足した。


「妻の言う通りにしろ。巻き込まれるぞ」

「は、はいッ!」


 その一言で、皆がサッと波が引くように下がった。

 相変わらず、こういう場での推しの統率力(言うことを聞かせる圧)がすごい。


 私は、だだっ広い荒れ果てた畑の中央へ、一人で進み出る。

 風が吹く。乾いた土の匂いが立ち、ドレスの裾を撫でた。


(よし)


 深く、息を吸う。


 王宮では“目立ちすぎるから”と隠し。

 騎士団では“戦闘の支援に回るから”と抑え。

 国境の地竜戦など、本当に必要な時だけ解き放ってきた、私の規格外の魔力量。


 けれど今は、強大な敵を焼くためではない。

 愛する推しの領地を、推しが守るべき民を、豊かにするために使うのだ。


 それが、たまらなく気分が良かった。


 私はそっと両手を広げ、目を閉じた。


「まずは、基本の地脈の整えからですわね」


 指先へ膨大な魔力を集める。

 足元の土の奥深くへ、意識のネットワークを沈める。

 乾ききった表層の下、痩せて硬く岩のように締まった層、そのさらに奥深くにある地下水脈の湿り。

 全部、手に取るように立体的に見える。


「《土壌解圧グランド・ブレイク》」


 カッ! と、淡い金色の魔力の光が、私の足元から全方位へ爆発的に広がった。


 ――ゴゴ、ゴゴゴゴゴッ!!


 低い地鳴りのような音と共に、何町歩にも及ぶ広大な畑の地面全体が、まるで生き物のように波打って激しく震える。


「なッ!?」

「お、おい地面が波打って……!」

「地震か!? 下がれ、もっと下がれ!」


 領民たちが悲鳴を上げてざわめく。

 だが私は止まらない。


 カチカチに硬く締まっていた土が、魔力の力で内側から一気にほぐされる。

 邪魔な大石が自動的に畑の端へ押し出され、作物が根を張れない死んだ層が細かく砕け、空気と水をたっぷりと通す、ふかふかの柔らかな土へと瞬時に変わっていく。


 次に、私は右手を、枯れ果てた水路へと向けた。


「《流路整形アクア・トレース》《湧水誘導ウォーター・リンド》」


 パキッ、パキパキッ! と、泥と枯れ葉に埋まっていた水路の石の輪郭が、勝手に浮かび上がるように完璧な直線に整っていく。

 崩れていた壁面がピタリと締まり、底が滑らかに均され。

 奥の山から細く途切れていた地下水脈が、まるで魔法のポンプで吸い上げられたかのように、勢いよく流れ込んだ。


 サラサラ、ゴウゴウと。

 長年途切れていた水路に、豊かな水の音が戻る。


「み、水が……!」

「水路に水が流れたぞ!」

「嘘だろ!? 本当に!?」


 私はさらに、両手から莫大な魔力を惜しみなく重ねる。


「《養分循環ライフ・サイクル》《腐植再生》《地力活性アース・ヒール》!!」


 今度は、広大な畑全体へ、目も眩むような淡い緑色の光が走った。

 魔力を通じて、痩せ細った土へ、植物に必要な窒素やリンなどの『栄養循環』を物理的に叩き込む。


 腐っただけで終わっていた有機層を急速発酵させて立て直し、枯れていた微細な土壌菌の生命の流れを強制的に起こし、長年の連作で疲弊しきった地力ポテンシャルを、限界突破で引き上げる。


 普通なら、何年もかけて、血の滲むような努力で回復させる工程だ。

 高い堆肥を入れ、作物を回し、土を休ませ、水を整え、少しずつ少しずつ戻していく。


 だが、限界オタクの私は普通ではない。

 推しのために使う魔力に、出し惜しみなど一切ない。


「《表層安定フィニッシュ・ライン》」


 最後に、フワフワになった土の上に、芸術的なまでに等間隔の美しいうねが、ドミノ倒しのように一斉に波打って整った。


 ザワッ、と心地よい風が吹く。

 その風に乗って、つい先ほどまでパサパサに乾いていた土から、ふくよかで豊かな、生命力に満ちた春の匂いが立ち上る。


 黒い。

 ふかふかで、柔らかい。

 手で握れば、水気と栄養がしっかりと返ってくる、極上の土。


 一面に広がっていた死んだ荒地は、ほんの数十秒で、“今すぐ最高の作物を耕せる超一級の大農地”へと完全に変貌していた。


「…………」


 誰も、声を出せなかった。


 私も少しだけ息を乱し、額の汗を拭いながら、その場へ立つ。

 さすがに魔力消費は大きい。

 けれど、国境で地竜型に全力の殲滅魔法をぶち込んだ時に比べれば、繊細なコントロールが必要な分、まだ制御のしがいがある(楽しい)程度だ。


「ふぅ……これで基礎インフラは整いましたわ」

 私は振り返って、ポカンと口を開けている領民たちへ、ニッコリと笑った。

「これなら、明日にでも春まきは十分に間に合いますわね」


 長い、長い沈黙。


 それから。


「……は?」

 という、極めて素直な理解不能の声を漏らしたのは、さっきの年配の村長だった。


 次いで。

 やせた子どもを背負った若い女が、ガタガタと震える声で言う。


「え……でも、何町歩もある、畑、ですよ……?」

「ええ」

 私は優雅に頷く。

「見ての通り、極上の畑ですわね」

「さ、さっきまで完全に死んでたのに……何年もかけて直すはずのものが……」

「チート魔法で、一瞬で生き返らせましたもの」

「そ、そんな神様みたいなこと、あんな簡単に……?」

「簡単ではございませんわ」

 私はフンス、と誇らしげに胸を張る。

「愛する推し――いえ、夫を支える『妻としての初仕事』ですもの。一切の手は抜きませんわ!」


 その瞬間。

 感極まった村長が、ボロボロと涙をこぼして膝をつき、ポツリと呟いた。


「……女神さま……」


 私は目を瞬いた。

 あら。


「豊穣の、女神さまが降臨なされた……!!」

「お、おい見ろ!」

「いやだって、あんな荒地が数秒で……!」

「水路まで完璧に……!」

「神の奇跡だ……奥方様は、我らを救う女神様だ……!!」


 ザワめきが、今度は困惑から、完全なる『狂信的な畏れと熱狂』へと変わる。

 村人たちが次々と膝をつき、私に向かって祈るように手を合わせ始めた。


 あっ。

 これは少々、予想外にマズい方向に転がったかもしれませんわね。

 私はしがない限界オタクの人間であって、決して女神などではない。

 ただ、前世の社畜の「効率化への執念」と、公爵令嬢の「規格外の魔力」を悪魔合体させて農地を物理的に立て直しただけである。


「み、皆様、落ち着いてくださいまし!」

 私は慌てて両手を振る。

「女神ではございませんわよ! 私はただの人間です!」

「でも、あんな奇跡……!」

「わたくしは、フェルド伯爵の奥方でございます!」

「そちらも間違ってはいないのですが、もはや神の御業です!!」


 困りましたわね。

 この熱狂、どうやって収拾を――。


「ルシア」


 背後から、低い声がすぐ隣に落ちる。


 見れば、クライス様がいつの間にか私のすぐ横へ立っていた。

 その視線は、豊かになった畑ではなく、少し息を切らしている私へ真っ直ぐに向いている。


「絶対に無茶はするなと、さっき言ったはずだぞ」

「これは無茶ではございませんわ。余裕です」

「顔が少し白い」

「それは、ほら、ちょっと魔力を多めに使って集中しただけで」

「多め、か」

「ええ。ほんの少々」

「……少々ではないな」


 そう言って、クライス様はごく自然な手つきで、私の腰をグイッと強く引き寄せた。


 大勢の領民の目の前で。

 さもそれが当然の権利であるかのように。

 その動作があまりにも滑らかで、私は一瞬遅れて顔がカッと熱くなる。


「ク、クライス様! 皆様が見ておりますわ!」

「立てるか」

「立てますわ」

「本当か。脚が震えていないか」

「本当です」

「ならいい。少しでもフラついたら抱き上げるぞ」

「……そういう体調確認(過保護)だけは、本当に厳しいですわね」

「夫だからな。当たり前だ」


 その甘すぎる至近距離の会話が、静まり返った領民たちにバッチリ聞こえたのだろう。

 領民たちの間から、今度はさっきと違う意味でザワめきが起きた。


「お、奥方様を抱いてる……」

「いや、そこじゃねえだろ。あんな神の奇跡を見た後だぞ」

「でもあの氷の伯爵様、めちゃくちゃ自然に腰を抱き寄せて……」

「本当に死ぬほど仲睦まじい……」

「豊穣の女神様で、しかも伯爵様にめちゃくちゃ溺愛されてる……!?」


 何ですの、その冷静な情報の整理の仕方は。


 私はこれ以上赤面する前にコホンと咳払いを一つし、どうにか領主の妻としての空気を立て直した。


「皆様」

「は、はいッ!」

「土台となる畑と水路は、私が整えましたわ。ですが、実際に土を耕し、種を撒き、毎日雑草を抜き、作物の世話をするのは皆様の仕事です」

「……!」

「魔法で環境は作れます。でも、実りを豊かに育てるのは、いつだって『人の手』です」

 私は、涙を流す年配の村長へ視線を向けた。

「できますわね?」

 村長は、泥だらけの手で顔を覆い、深く、深く頭を下げた。

「……やります。死に物狂いで」

「よろしい」

「俺たちにもやらせてください!」

 その声に、今度は若い青年たちも力強く続く。

「俺も!」

「水路のゴミなら毎日俺が見ます!」

「明日から総出で、春まき絶対に間に合わせようぜ!!」


 ああ。

 これだ。


 私はようやく、小さく、満足げに息を吐いた。


 不正を帳簿で潰すだけでは、領地は本当の意味では立ち直らない。

 けれど、人が希望を持って前を向けば、復興は必ず始まる。


 その最初のきっかけ(ブースト)くらいは、私の推し活の魔法で作ってもいいでしょう?


 ◇ ◇ ◇


 視察を終え、屋敷へ戻る途中。


 私はまだ少しだけ魔力行使の熱の残る身体で歩きながら、隣で腰を支えてくれているクライス様を見上げた。


「どうでした?」

「何がだ」

「領主の妻としての、私の初仕事の出来栄えですわ」

「……」

 クライス様は一拍置き、それから静かに、呆れたように答えた。

「控えめに言って、規格外だな。バケモノ級だ」

「最高の褒め言葉として受け取りますわ」

「そうだ。誇っていい」

「では遠慮なく」

「ただし」

「はい」

「次は、お前が倒れる前に俺が力ずくで止める」

「倒れておりません」

「倒れかけていた。強がるな」

「少しだけですわ」

「それを世間では倒れかけと言うんだ」

「相変わらず、厳しいですわね」

「お前を愛する夫だからな」


 また、それですわね。ド直球のノロケ。


 でも、その言い方が、私という妻を得たことを心底誇らしげに聞こえて。

 私はつい、嬉しくて笑ってしまった。


 その時、背後から子どもの元気な声が飛んできた。


「おくさまーッ!」

 振り返ると、先ほど豊かにした農地の方から、やせていた小さな男の子が駆けてくる。

 母親らしき女性が「こら、失礼ですよ!」と慌てて追いかけていた。


「こら、だめでしょう! 伯爵様と奥方様ですよ!」

「でも、でも!」

 男の子は護衛をすり抜けて私の前で止まり、目をキラキラさせて言った。


「ありがとう!!」


 私は一瞬、息を呑んだ。

 それから、ドレスが汚れるのも気にせずしゃがみ込んで、彼と目線を合わせる。


「どういたしまして」

「ほんとに、いっぱい麦できる?」

「ええ」

 私は優しく笑った。

「皆でちゃんとお世話すれば、きっとお腹いっぱい食べられるようになりますわ」

「やったぁ!!」


 男の子は満面の笑みで母親のもとへ走り去っていく。

 その母親が、泣きそうな顔で何度も何度も深く頭を下げた。


 私は立ち上がる。

 そして、そこで初めて気づいた。


 広場での厳しい裁きの時とは全く違う、あたたかい視線が、あちこちの家々の窓や通りから私たちに向いていることに。


 怯えた警戒ではない。

 冷え切った様子見でもない。


 あれは、完全な『信仰の入り口』みたいな、熱狂的な感謝の目だ。


「……クライス様」

「何だ」

「少々、マズいですわ」

「何がだ」

「領民の皆様に、私が本物の“女神”として認識され始めております。銅像とか建てられそうですわ」

「そうだな」

「そこであっさり頷かないでくださいまし!」


 クライス様は小さく息を吐き、それから本当に少しだけ、誰に聞かせるでもなく、誇らしげな声で言った。


「仕方ないだろう」

「何がですの」

「俺の妻は、世界で一番最高だからな」


「…………(ドカンッ)」


 やめてくださいまし。

 荒れた畑より先に、限界オタクの私の心臓(理性)が耕されて爆発してしまいますわ!


 そうして、フェルド辺境伯爵領の怒涛の改革は本格的に幕を開けた。


 荒れた農地は一瞬で緑に蘇り、

 領民たちの死んだ目には強い希望の光が戻り始め。


 私はどうやら“豊穣の女神”として、領民たちから順調に熱狂的に祭り上げられつつあるらしい。


 ……ええ。

 まあ、いいでしょう。


 最愛の推しの領地がこれで豊かになるのなら、多少の崇拝くらい、オタクとして甘んじて受けましてよ!



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― 新着の感想 ―
(ドカンッ)でいつも笑っちゃう
こんにちは。 >女神扱いされそうですわ そら(完全に死ぬ寸前の土地…復活させようとしたら国が予算をつぎ込んで何年、下手したら何十年かかるかわからない案件を一瞬で解決したんだから)そうよ。
今現在推し活してる人「これが地球世界の日本ではデフォだと思われると困るんやが」
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