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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第29話 それは側仕えへの態度ではありません

 王都の中心街を、私はクライス様の半歩後ろで歩いていた。


 石畳はよく磨かれ、両脇には上質な店が立ち並んでいる。

 完全オーダーメイドの仕立て屋、流行の帽子店、香料店、重厚な宝飾店、そして予約制の高級菓子店まで。

 王都でも、限られた特権階級しか立ち入らない、かなり格式の高い区域だ。


 私は周囲を見回しながら、特大の補助魔法袋を握りしめたまま、内心で首を傾げていた。


(……おかしいですわね)


 副団長の『私物の買い出しの荷物持ち』として同行している以上、もっとこう、剣油の専門店とか、革具の補修屋とか、遠征用の実用的な消耗品とか。

 そういう“男のむさ苦しい実務的な買い出し”を想定していた。


 ところが、歩いている通りがどう見ても違うのである。


 武器屋の影も形もない。あるのは、上質なシルクの布地と、ガラス越しに暴力的な輝きを放つ宝飾品ばかり。


「副団長」

「何だ」

「どちらへ向かっていらっしゃるのです?」

「着けば分かる」

「それは行き先を聞いた答えになっておりませんわ」

「そうか」

「そうですわ」


 短いやり取り。

 だが、クライスはそれ以上言わない。


 ううむ。おかしい。

 だが、本人が堂々と落ち着き払っている以上、私だけがキョロキョロと慌てるのも妙である。

 きっと、何か騎士団としての用向きがあるのだろう。

 高位貴族への返礼品とか、王家関係への使い物とか。そういう“副団長という立場上必要な、高度な社交物品”を見繕う可能性も、なくはない。


(でしたら、私の役目は『女性目線での的確なアドバイスと意見出し』ですわね!)


 よし、と私は心の中で気合オタクのパッションを入れ直した。

 推しの社交評価を上げるためなら、この審美眼、全力で使ってみせましょう。


 だが、その強固な決意は。

 次の瞬間、音を立ててあっさりと崩壊することになる。


 クライスが足を止めたのは、高級通りの中でも一際目立つ、壮麗な店の前だった。


 大きな硝子窓。深い紺色の上質な看板。金糸のような装飾文字。

 そして、ショーウィンドウのマネキンに着せられたドレスは、どれも見るからに王宮の夜会でも通用する一級品。


「……仕立て屋、ですわね」

「ああ」

「副団長の礼装を?」

「違う」

「では、どなたへの贈り物を」

「お前の服だ」


「…………(は?)」


 時間が、完全に止まった。


 お前の。服だ。

 今、この方は確かに、ハッキリとそうおっしゃった。


 私の? ドレスを?

 最高級の仕立て屋で?

 なぜ?


「ふ、副団長」

「何だ」

「言葉の意味が1ミクロンも分かりませんわ」

「中へ入れば分かる」

「今この場で論理的に説明していただきたくてよ!?」


 だが、クライスは本当にそれ以上言わなかった。

 そのまま当然のようにエスコートする手つきで重厚な扉を開け、私へ視線だけで中へ促す。


 店員たちは、一目で一流と分かる洗練された物腰で、最敬礼で頭を下げた。


「クライス様、お待ちしておりました」

「……待って?」

 私は思わず、鸚鵡返しに復唱する。


 待っていた。ということは。

 予約済み?

 つまり、突発的な立ち寄りではなく。

 最初から、ここへ私を連れてくるつもりだった?


「こちらへどうぞ」

 上品な笑みを浮かべた女性店員が、何の疑問も挟まず、私を奥のVIPルームへ案内しようとする。


 私はその場で完全に石化した。


「ちょ、ちょっとお待ちくださいまし」

「何だ」

 クライスが振り返る。


「副団長、なぜ婦人服の仕立て屋に事前予約を」

「必要だからだ」

「何がですの!?」

「お前の服が」


 私は自分の服装を見下ろした。

 今日の私は、侍女と厳選した淡い青灰色のワンピースに濃紺の短外套。荷物持ちしやすく、それでいて公爵令嬢としての品位も損なわない、完璧な街歩き仕様である。


「私の服に、何か不備が?」

「ない。よく似合っている」

「でしたら」

「だからこそ、俺の横を歩くのに問題ない服をさらに増やす」

「意味が分かりませんわ!!」


 高級店内で叫んでは淑女失格である。

 だが、今回はさすがに叫ばずにいられなかった。


 女性店員が一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに『あらあら、仲のよろしいことで』みたいな優雅な生温かい微笑へ戻る。

 やめてくださいまし、その“全部裏事情まで分かっております”みたいな顔。何も分かっていないのは、当事者の私だけですのに!


 クライスは淡々としていた。


「王都で動く時、お前は副団長付きとして外へ出ることが増えた」

「それは、はい。兵站管理のために」

「遠征にも出る」

「ええ。あなたをお守りするために」

「王家や高位貴族とも顔を合わせる機会が増える」

「……まあ、そうですわね(この間の伯爵みたいな輩もいますし)」

「なら、お前の立場と俺の隣に相応しい服が、今まで以上に必要だ」


 理屈としては、通っている。

 仕事の経費(福利厚生)だと言われれば、通ってはいるのだけれど。


「副団長」

 私は指先で額へ手を当てた。

「それでしたら、私が自分で選んで、必要な範囲で自費で整えますわ」

「駄目だ」

「なぜ」

「お前は、機能性を重視して『必要最低限』しか選ばない」

「側仕えなのですから、それの何がいけないのです?」

「それでは俺が足りない」

「どこが!?」


 ああもう。会話が全く噛み合わない。

 だが、クライスの顔は本気だった。1ミリも冗談を言っているようには見えない。


「……ルシア様」

 女性店員が、そっと優しく、逃げ道を塞ぐように声をかけてくる。

「よろしければ、まずはお話(採寸)だけでも」

「お話だけで済む気が一切しませんのよね……」

「大丈夫だ」

 クライスが低い声で言った。

「お前に似合うものを、俺が選ぶだけだ」

「それが一番大丈夫じゃない理由になっておりますわよ!?」


 推しが私の服を選ぶ? 脳が爆発する。

 しかし、そのまま有無を言わさず押し切られ。

 気づけば私は、奥の豪華な採寸室へ案内されていた。


 ◇ ◇ ◇


 結論から言うと。

 地獄だった。


 もちろん比喩である。物理的には天国に近い。

 なにしろ王都一の一流の仕立て屋だ。布は羽のように軽く、縫製は芸術的に美しく、肌当たりも素晴らしい。待合で出される茶まで最高級の香りがする。


 だが、限界オタクの心境としては完全に地獄(拷問)だった。


「こちらの色はいかがでしょう」

「まあ……」

「落ち着いた上品な青は、ルシア様の紫の瞳のお色に映えますし、美しい銀の髪にもよくお似合いになります」

「そ、そうですの……?」

「ええ。ですが、クライス様は『こちらの淡い藤色も着せてみたい』と」

「副団長が!?」


 私は思わず、鏡越しに振り返った。

 採寸室の外、薄い仕切りの向こうのソファに座っているクライスから、低い声が返る。


「似合う」

「……ッ」


 無理ですわ。


 何が無理って、推しが。

 私の服を。真剣な顔で吟味して。

 似合うとか。着せてみたいとか。


 前世の私へ言っても絶対に信じないだろう。むしろ「二次創作の読みすぎでついに幻覚を見たか」と卒倒する。


「る、ルシア様?」

 店員が、顔を真っ赤にして小刻みに震える私を見て不思議そうに首を傾げる。

「少々、過呼吸を整えておりますの」

「左様でございますか?」


 左様でございますか、ではない。こちらは今、オタクとしての精神の均衡を保つのに死に物狂いなのだ。


 それなのに、特大ファンサという名の地獄はまだ続く。


「では次はこちらを」

「ま、まだございますの?」

「ございます」

「なぜ」

「クライス様が、『場面ごとにすべて必要だ』と」

「場面」

「日常の実務使い、お出かけ(デート)用、正式な貴族への訪問時、それから夜会ほどではないが格を求められる高級な席用に、と」

「ふ、副団長が?」

「はい。すべて最高級のシルクで」


 どうしてそんなに細かい(ガチな)のです?

 いや、本当にどうして。私、ただの側仕え(秘書)ですわよ?


 私が混乱で思考停止している間にも、服のサンプルは次々と運ばれてくる。

 青灰、藤、深緑、淡い金茶、夜色の紺。

 どれも落ち着いた色味で、確かに“私が絶対に嫌がらなそうな(機能的かつ美しい)範囲”ばかりを絶妙に突いていた。


 その事実が、余計にマズい。


(完全に私の好みを把握リサーチされていらっしゃる……!)


 この方、私が“ヒロインのような華美すぎるフリフリのもの”を好まないと、完璧に理解している。

 その上で、必要以上に甘い色は避け、しかし地味すぎず、私の容姿を最大限に引き立てる絶妙なラインをピンポイントで狙撃してきているのだ。


 何ですの。

 何なのですの、その異常なまでの観察眼は。


「こちらなど、腰の切り替えのラインがとても綺麗に出ますし」

「……」

「クライス様も、先ほどカタログを穴が空くほどご覧になって、大変お気に召したようで」

「……ッ」

「ルシア様?」

「……駄目ですわ」

 私は思わず、両手で真っ赤になった顔を覆った。

「これ以上は、私の心臓がもちません」

「えっ」


 店員が困惑する。当然だ。だがこちらも当然ながら困惑している。


「副団長!」

 私は仕切りの向こうへ、泣きそうな声で訴えた。

「まだ終わりませんの!?」

「あと少しだ」

「“あと少し”という方は、デスマーチの経験上、大抵信用できませんのよ!」

「なら、もう一着で終える」

「それは本当ですの?」

「本当だ」

「……」

「多分」

「副団長!!」


 仕切りの向こうで、ほんの少しだけ気配が揺れた。

 今、絶対にフッと笑いましたわね? こんな限界の時に?


 結局、最後には。

 青灰の街歩き用、落ち着いた藤色の訪問用、深い紺の少し格高い席用、それから薄緑を帯びた柔らかなプライベート用の『計四着』まで強引に決まってしまった。


 私は完全にライフを削られ、椅子へ力なく座り込んだ。精神的に。


「ルシア様、長時間の採寸、お疲れ様でございました」

「ええ……本当に……色々な意味で……」

「どれも大変よくお似合いでしたよ」

「そう、ですか」

「はい。クライス様も、ご自分の武具を選ぶ時より大変真剣な眼差しでお選びで」

「やめてくださいまし、そのクリティカルな情報の追撃は」


 店員はクスクスと上品に笑った。

 どうやら、こちらのパニックを完全に面白がられているらしい。大変遺憾である。


 ようやく外へ出ると、クライスがいつもの静かな顔で立っていた。

 だが、その視線は一度だけ、採寸を終えた私の全身を満足げに確認するように流れる。


「終わったか」

「終わりましたわ」

「なら次だ」

「次」


 私は、嫌な予感に満ちた声で復唱した。


「ま、まだございますの?」

「ああ」

「どちらへ」

「来れば分かる」

「それ、本日二度目の台詞ですわよ!」


 そして、その“次”が。

 さらに、私のキャパシティを粉砕する場所だった。


 ◇ ◇ ◇


 王室御用達の、超高級宝飾店だった。


「…………」


 私は店の前で、完全に無言の石像になった。


 仕立て屋より、もっと駄目である。

 ガラス越しに光るのは、繊細な細工の首飾り、耳飾り、指輪、ブローチ。

 どれもこれも目玉が飛び出るほど高価で、明らかに“側仕えが業務で身につける日用品”ではない。


「副団長」

「何だ」

「さすがに、これは違いますでしょう」

「何がだ」

「全部ですわ!!」


 私はついに、人目を憚らず小声で叫んだ。


「ドレスは百歩譲ってまだ分かります! まだ、副団長付きの業務上、貴族と会うから必要と言い張れなくもございません!」

「そうだな」

「ですが、宝飾品は違いますわよ!?」

「必要だ」

「どこに!!」

「お前が俺の隣で外を歩く時や、王家や高位貴族と会う時」

 クライスは平然と、当たり前のように言う。

「何も飾らないわけにはいかん」

「最低限の装飾は持っております!」

「俺から見て、足りない」

「どれだけ私を飾り立てて増やすおつもりですの!?」


 本当に意味が分からない。

 だが、クライスは一歩も引かない。


「入るぞ」

「嫌ですわ」

「ルシア」

「嫌です。絶対に」

「入るぞ」

「人の話(拒絶)を聞いてくださいまし!」


 それでも、またしても圧倒的な体格差と有無を言わさぬエスコートで押し切られた。


 高級宝飾店の中は、美術館のように静謐だった。

 磨き上げられたガラスケースに光が落ち、宝石が淡く揺らめいている。

 私は完全に場違いな気持ちで、扉の内側に立ち尽くしていた。


「クライス様、先日ご覧になった品を、すでにご用意しております」

「……先日?」


 私は反射で、バッと振り返った。


 先日。

 今、この店員は確かにそう言った。


 つまり。

 下見済み?

 事前に一人で来ていた?


「ふ、副団長……?」

「見ただけだ」

「見ておりますわよね?」

「お前に必要か、確認しただけだ」

「確認の域を完全に超えておりますわよ!」


 もう駄目ですわ。

 今日の私は、何度同じツッコミを繰り返せばよろしいのか。


 だが、その後がもっと致命的だった。


 店員が恭しく白手袋で差し出したのは、華美すぎない、恐ろしく精巧な銀の髪飾りだった。

 夜露を閉じ込めたような、深く透明な青白いサファイアが、小さく揺れる。

 派手ではない。けれど、息を呑むほど綺麗だ。そして、クライス様の瞳と同じ色だ。


「こちらは、ルシア様の美しい銀髪に合わせて、特注でお作りしたものです」

「お作り……特注……?」

「はい。クライス様が、『石の輝きが彼女の髪に負けないように』と、お色味やデザインをかなり細かくご指定されまして」


「…………」


 私、今、ショックで死にましたかしら。


 違う。まだ生きている。だが精神のHPはたぶんゼロになっている。


「ふ、副団長」

 声がガタガタと震える。

「これ、注文、なさいましたの?」

「お前に似合うと思った」

「それは高額な特注品を注文する理由になりませんわよ!」

「そうか」

「そうですわ!!」


 クライスは本気で不思議そうだった。

 その整った顔でそんなことを言われると、拒否しているこっちが悪者みたいではありませんか。


「さ、さすがにこれは受け取れませんわ」

 私は必死に首を振った。

「高価すぎますし、何より」

「何より?」

「……それは」

 私はゴニョゴニョと視線を泳がせ、俯いた。

「……ただの側仕えに、贈るような重いものではございません」

「……」

「どう考えても、そうですわ」

「そうか」


 クライスは一瞬だけ黙った。

 ああ、ようやく私の言いたいこと(立場)を分かっていただけたかしら。

 そう思ったのも束の間。


「なら、側仕え以外に贈るもの(特別な贈り物)として扱う。受け取れ」


「…………はい?」


 今、何とおっしゃいました?


 私がポカンと口を開けてフリーズしている間に、クライスは店員へ向き直る。


「それでいい。包んでくれ」

「かしこまりました」

「ちょっと待ってくださいまし!?」

 私は慌てて二人の間へ割って入った。

「どういう意味ですの、今の『側仕え以外』って!」

「言葉通りだ」

「その言葉通りが分かりませんの!」

「なら後でゆっくり考えろ」

「今考えさせてくださいまし!」


 もう、完全に私の処理能力を超えている。


 オーダーメイドのドレス。特注の宝石。

 しかも事前に一人で下見していて、私に似合うものを選び、注文までしていた?

 そんなの。

 そんなの。


(それは、絶対に『側仕えへの態度』ではありませんわよね!?)


 やっとそこへ思考が追いついた瞬間、全身の血が一気に沸騰したように熱くなった。


 ◇ ◇ ◇


 だが、限界オタクへの過剰供給(地獄)はまだ終わらなかった。


 次に連れて行かれたのは、王都で最も予約が取れないと言われる高級レストランだったのである。


「…………」

 私は店の前で、ついに完全に無言になった。


 もう駄目だ。どう見ても駄目だ。

 大きな窓から見えるのは真っ白なクロスのテーブル、洗練された静かな給仕、昼でも薄く灯りを落とした上品でロマンチックな空間。

『買い出しの荷物持ち(パシリ)』が立ち寄るような大衆食堂では断じてない。


「副団長」

「何だ」

「これは」

「昼食だ」

「昼食」

「そうだ」

「副団長」

「何だ」

「荷物持ちは、こんな高級店で昼食を取りませんわ」

「今日は荷物持ちではない」

「…………はい?」


 今、何と?


 クライスは、ごく自然に、サラリと答えた。


「最初から違う。荷物など持たせる気はない」

「で、では私は何ですの!?」

「俺のエスコート相手だ」


「…………(ドカンッ)」


 完全に、脳の思考回路が焼き切れて停止した。


 エスコート相手。

 今、この方はそう言った。しかも息をするのと同じくらい、何でもないことのように。


 いや、待ちなさい。待ちなさいルシア。

 荷物持ちではない? 最初から違う?

 では今日のこの一連の流れは何?


 ドレス。宝石。高級レストラン。エスコート。

 これを世間一般では、何と呼ぶ?


(……デートでは?)


 脳内でその『禁断の単語』が浮かんだ瞬間、視界が真っ白になった。


 いやいやいやいや。待ってほしい。

 そんなはずがあるだろうか。

 相手はあの氷の騎士クライス様だ。無口で不器用で、女性への感情表現は少なくて、でも最近やたら独占欲が強くて、私をどこにもやりたくないとか言って、特注の宝飾品を贈って、側仕え以外への贈り物扱いにして、今“エスコート相手”って――。


(だめですわこれ!! どう好意的に解釈しても『ガチのデート』ですわ!!)


 私は本気でその場の石畳にしゃがみ込みたくなった。

 だが、公爵令嬢の理性がそれを許さない。私はグラつく足取りをどうにか気力で支え、クライスを見上げた。


「ふ、副団長」

「何だ」

「それを、もっと早く言ってくださいまし……」

「言ったつもりだ」

「どこでですの!?」

「昨日、『明日は俺と街へ出る』と」

「それだけでは、ただの業務命令にしか聞こえませんわよ!!」

「お前なら、そうやって『仕事だ』と都合よく解釈してついてくると思った」

「分かっていらっしゃるなら、訂正してくださいまし!」

「勘違いして気合を入れているのが、面白かった」

「副団長!?」


 今、面白かったっておっしゃいました?

 この人、たまに本当に性格がひどいのですけれど!?


 だが、その口元がほんの少しだけ、意地悪く、でも楽しげに緩んでいるのを見てしまったら、怒り切ることもできない。

 何ですのもう。顔が良いから許されると思って。ええ許しますけれど。


 クライスはそんな私の大混乱をよそに、店の重厚な扉をスマートに開いた。

 支配人が恭しく静かに頭を下げる。


「お待ちしておりました、クライス様。ルシア様」

「…………」

 私はもう、名前まで伝わっている(完全にデート予約されている)ことに突っ込む気力もなかった。


 案内された席は、窓際の最も景色の良い、静かな二人席。

 当然のように向かい合わせ。当然のように予約済み。当然のように、私の椅子を引いて座らせてくれるクライス様。


(無理ですわ……)


 本日何度目か分からないが、またそれしか言えなかった。


 私はぎこちなく、ロボットのように腰を下ろす。

 向かい側では、クライスがごく自然に着席した。

 慣れている。こういう高級店にも。こういう洗練されたエスコートの所作にも。


 ……そうだ。

 この人は第一騎士団の副団長であり、伯爵家の出で、上位貴族との付き合いもある。私よりずっと、こうした場に違和感なく溶け込む大人の男性なのだ。


 その事実すら、なぜか今は少し胸を甘く騒がせた。


 料理が運ばれてくる。

 目にも鮮やかな前菜、温かなスープ、柔らかい極上の肉料理。

 どれも香り高く、見た目も美しい。


 だが、正直それどころではない。

 私はナイフを持つ手に意識を極限まで集中しないと、鼓動の早さで平常心を失いそうだった。


「ルシア」

「は、はい」

「食べないのか」

「た、食べますわ」

「冷めるぞ」

「存じております」


 存じておりますとも。

 でも向かいに座る推しが、あまりにも“そういう甘い空気”を纏って私を見つめているせいで、食事どころではないのだ。


「副団長」

 私はどうにか声を絞り出す。

「これは、その……」

「何だ」

「本当に、どういうおつもりですの?」

「まだ分からないか」

「分からないから聞いておりますのよ……!」


 クライスは少しだけ目を細めた。

 前菜へ優雅に手をつけながら、低く、ハッキリと言う。


「お前に、『側仕え以上の扱い』をしているつもりだ」

「……ッ」

「気づいていないなら、今日で気づけ」

「そんな、逃げ場のない直球あります……?」


 思わず頭を抱えたくなった。


 だが、クライスの顔は冗談を言っている顔ではない。

 真正面から。本気で。

 あの国境の夜の天幕の時と同じ、強い熱を帯びた目でそう言っている。


 つまり。

 ドレスも。宝石も。この食事も。

 全部、“ただの主従”ではないという前提で、彼から私への『明確なアプローチ』として動いていた?


「……副団長」

「何だ」

「それはもう」

 私はかすれた声で言った。

「単なる主従の枠組みを、完全に超えているのではありませんこと……?」

「そうだろうな」


 また、アッサリ認めた。


 もう駄目ですわ。

 心臓が。私のオタクの心臓が、キュンキュン鳴って本当にもたない。


 私は真っ赤になった顔のまま視線を落とし、どうにか食事を口へ運ぶ。

 美味しい。確かに信じられないほど美味しい。でも今は、味覚より動悸の方が圧倒的に激しい。


 向かいのクライスは、そんな私を静かに、満足げに見ていた。

 その視線は重い。でも嫌ではない。

 嫌どころか、どうしようもなく嬉しい自分がいる。


(どういたしましょう……)


 私はようやく、認めざるを得なかった。


 これはもう。荷物持ちではない。買い出しでもない。ただの主従の外出でもない。

 推しからの、明確な“一人の女性としての特別扱い”だ。


 しかも本人は、もう自分の感情を1ミリも隠すつもりがないらしい。


「ルシア」

「はい……」

「顔が赤いぞ」

「副団長のせいですわ」

「そうか」

「そうですわ」

「なら、悪くない」


「…………」


 何その返し。何その大人の余裕。

 ずるい。ずるすぎる。


 私はついに、膝の上のナプキンの端をギュッと握りしめた。


 だめだ。もうメンタルが限界かもしれない。

 いや、まだ限界ではない。これ以上甘い展開が来たら、完全に限界突破して爆発する。


 ……そう思った、その時。


 クライスが静かに告げた。


「食後、もう一か所寄る」

「まだございますの!?」

「ある」

「どちらへ!?」

「着けば分かる」


 本日三度目である。

 私は本気でテーブルへ突っ伏したくなった。


 その様子を見て、クライスがほんの少しだけ笑った。

 今度こそ、ハッキリと、意地悪く。


 ああ。

 もう、本当に。


(それは絶対に、ただの側仕えへの態度ではありませんわよ、クライス様……!)


 胸の奥でそう呟きながらも。

 その重くて甘い特別扱いが、嬉しくてたまらない自分を。

 私はもう、自分自身でも誤魔化しきれなくなっていた。


 そして、その食後。

 王都を一望できる、星の見える美しい高台へと続く道の先で。


 私はとうとう。

 この“勘違いデート”が勘違いではなかったのだと、決定的な言葉と共に、完全に思い知ることになるのである。



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