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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第28話 推しからのエスコート(勘違いデート)

 王都に平和が戻るというのは、実に素晴らしいことである。


 何しろ、第一騎士団本部の空気が目に見えて軽い。

 国境遠征での圧倒的な大功績により騎士団全体の士気はカンスト状態。王宮側からの不当な干渉や嫌がらせは完全に消滅し、補給庫の運用も完璧に整い、若手騎士たちは自発的に水袋の紐を同じ位置に結ぶようになった。


 しかも私は、玉座の間における国王陛下の正式な裁可により。


 ――“第一騎士団副団長クライス・フェルド付きとして、生涯仕える絶対的権利”を得た。


 はい、優勝である。

 私の推し活人生、ここに極まれり。


(生涯……お傍に……)


 その神々しい事実を思い出すたび、未だに胸の奥がフワッと熱くなり、顔がニヤけそうになる。

 いけない。仕事中に思い返すと、氷の淑女としての威厳が崩壊する。

 私は鉄壁の理性でもって緩む口元を押しとどめ、今日も今日とて副団長室で嬉々として書類を整えていた。


「副団長、本日の王都巡回報告と、南門再編の最終版ですわ」

「そこへ」

「かしこまりました」


 静かな朝。完璧に整頓された机。窓から差し込む柔らかな光。

 そして、相変わらず致死量レベルで顔がいい推し。


 最高の職場環境ですわね。


 国境遠征の後、クライス様の肩の傷も順調に塞がってきていた。

 とはいえ、まだ無茶は厳禁である。私は薬草茶の配合を回復重視に少しだけ変え、胃に負担の少ない軽食を差し込み、訓練の予定もそれとなく(彼が気づかない範囲で)再編して負荷を減らしていた。


 ……もちろん、バレない程度に。


「ルシア」

「はい」

「最近、訓練予定が微妙に軽い気がする」

「気のせいでは?」

「俺の予定だぞ」

「では副団長の気のせいですわ」

「……そうか」

「そうですわ」


 短いやり取り。

 それだけなのに、クライス様がほんの少しだけ目を細め、どこか呆れたように(しかし嫌そうではなく)息を吐いたので、私は危うく心肺停止して心臓を押さえるところだった。


 だめですわ。

 最近の副団長、前よりちょっとだけ表情が柔らかい(デレが増している)のですもの。

 そういう微細な変化が、限界オタクにとっては一番危険なのである。


 その時、扉が軽く叩かれた。


「失礼します!」

 入ってきたのは第三隊の若い騎士だ。

「副団長、本日の午後の報告ですが、王都西区の巡回は予定より早く片づきそうです」

「分かった」

「あと、明日は非番の者が多いので、本部もだいぶ静かになるかと」

「……明日?」


 私はそこで、ペンを止めて顔を上げた。


 明日。

 そういえば、遠征後の事務的な調整が一段落し、明日は珍しく第一騎士団全体に大きな案件が入っていない。

 完全な休日ではないにしても、副団長室の仕事も午前中でかなり片づくはずだ。


(珍しいですわね……たまには皆様にもゆっくり休んでいただきたいものですわ)


 クライス様も同じことを考えたのか、少しだけ書類から手を止める。

 その美しい横顔へ、私は何の気なしに視線を向けた。


 すると。


「ルシア」

「はい」

「明日、予定はあるか」

「……はい?」


 一瞬、意味が分からなかった。


 予定。

 私の。

 明日。


「ええと……副団長室のワックスがけと、補給棚の再インベントリ確認、それから来月分の予算案の草引きを――」

「仕事以外だ」

「仕事以外、ですの?」

「そうだ」


 私はパチパチと目を瞬いた。


 仕事以外の予定。

 そんなプライベートなものを、この孤高の氷の騎士が聞いてくることなど、今まで一度でもあっただろうか。

 いや、ない。少なくとも、私の前世と現世の記憶のデータベースには存在しない。


 室内の空気が、妙に静かになった。

 さっきまでいた若い騎士が、ものすごく気まずそうに(あるいはニヤニヤするのを必死に堪えながら)視線を泳がせている。何ですの、その反応は。


「特には、ございませんわ」

 私は慎重に答えた。

「生涯副団長付きですもの。365日24時間、いつでもお呼び立てくださいませ」

「……そうか」

 クライスは一拍置いた。


「なら、明日は空けておけ」


「……はい?」


「街へ出る」

「街」

「そうだ」

「私も、ですの?」

「お前以外に誰がいる」


 何ですのそれ。


 いや、ちょっと待ってくださいまし。

 街へ出る。

 副団長が。私を連れて。明日の予定を空けておけと。

 つまりそれは。


(あっ)


 理解した。

 ピーンと来た。

 なるほど。そういうことですのね。


 副団長は、普段ご自分の生活必需品の買い出しなどを全て後回しになさる。

 遠征後も装備の手入れや消耗品の補充、日用品の買い足しなど、実はまだ済んでいないものが山ほどあるのだろう。

 そして恐らく、それを一人で片づけるつもりが、今はまだ傷の養生中でもあるため、荷物を持たせるために私を連れて行くことにしたのだ。


 つまり。


 買い出しの荷物持ち(パシリ)要員。


「……ッ!!」


 私は思わず息を呑んだ。


 何ということでしょう。

 推しの私物の買い出し(プライベート空間)へ、合法的に同行できる。しかもお荷物を持たせていただける。

 つまり、推しの日常の導線や好みのブランドまで、さらに深く解像度を上げて知ることができるということでは!?


(ご褒美ファンサが大きすぎませんこと!?)


 前世の乙女ゲームでも、クライス様の『私服での日常買い物イベント』は出現条件が厳しすぎる激レアイベントだった。というか、本編ではヒロインそっちのけで剣の修業ばかりしているため、ほぼ存在しない幻のスチルなのだ。

 そんな神レアイベントが、現実で、自分に。


「ルシア?」

 クライス様が少しだけ怪訝そうに呼ぶ。

 いけない。あまりの喜びに無言で昇天してフリーズしていた。


「は、はいッ!」

「何だ、その異常に気合の入った返事は」

「いえ、その……ッ、承知いたしましたわ!」

 私は勢いよく、90度の深いお辞儀をした。

「全力でお供(お荷物持ち)いたします!」

「……大袈裟だな」

「大袈裟ではございません! 副団長の外出補助となれば、側仕えとしての最優先(SSS級)ミッションですもの!」

「そうか」

「はい!」


 若い騎士が、後ろで腹を抱えて震えながら何とも言えない顔をしていた。

 何ですの。推しの買い物に同行できる私が羨ましいのかしら。分かりますわよ、その嫉妬。


 ◇ ◇ ◇


 その日の午後から、私の内心は大変なことになっていた。


(街ですわよ……! 推しと街を歩く……! 私服で……!)


 だが落ち着きなさい、ルシア。

 これはあくまで買い出し。荷物持ち。警護補助。

 そう、立派な『推し活』を兼ねたお仕事である。


 ならば私は側仕えとして何をすべきか。


 まず、副団長が歩きやすく、かつ無駄のない最短導線の確認。

 王都中心部で、混みすぎず、かつ質の良い武具や日用品が揃う店のリストアップと事前予約。

 馬車か徒歩かの判断。休憩地点カフェの確保。

 それから――。


「ルシア様」

 補給棚の前で私が腕組みをして真剣な顔をしていると、若い騎士が話しかけてきた。

「何をそんな必死に書いてるんです?」

「明日の持ち物一覧ですわ」

「持ち物?」

「ええ。予備のハンカチ、傷に負担をかけない軽い包帯、飲み水、疲労軽減用の糖分飴、日差し対策の薄手布、あと副団長が荷物を持ちすぎないための『特大サイズの補助魔法袋』」

「……街へ行くだけですよね?」

「だからこそですわ」

「何でそんな、これから隣国に攻め入るみたいな遠征装備の準備を……」

「副団長の外出プライベートですもの」

「なるほど、全く分からん」


 失礼ですわね。分からなくて結構ですけれど。


 その時、ローデン隊長がヒョイと顔を出した。


「何してるんです?」

「明日の準備ですわ」

「気合い入りすぎでは? 鼻息荒いですよ」

「当然でしょう」

 私はふんす、と胸を張る。

「副団長の『私的な買い出しの荷物持ち』にご指名いただいたのですもの」

「……私的買い出し」

 ローデン隊長が妙な顔をする。

「……荷物持ち?」

「ええ」

「ルシア様、明日の予定、本気でそう思ってるんですね」

「違いますの?」

「いやあ……」

 彼は何とも言えない、ひどく生温かい哀れむような目でこちらを見る。

「まあ、明日になれば分かるか。色々と」

「何がですの?」

「さあねえ」


 この男、最近やたらと含みのある笑い方をするようになった気がする。大変よろしくないですわね。

 だが、今はそれどころではない。私はすぐに明日用の完璧な行動計画タイムテーブルの作成へ戻った。


 推しと街。買い出し。荷物持ち。特大補助袋。

 完璧ですわね。


 ◇ ◇ ◇


 その夜。

 自室へ戻った私は、大きな姿見の前で本気で頭を抱えて悩んでいた。


「……どういたしましょう」


 問題は服装アバターである。


 副団長付き側仕えとしての普段着は、機能性と品位を兼ねた地味なものが多い。

 だが明日は一応“街へ出る”のだ。しかも、業務ではあるものの、王宮やむさ苦しい騎士団本部ではない。

 どこまで実務寄りにするべきか。どこまで動きやすさを優先するか。


 そして何より。


(推しの荷物をたくさん持ちやすいよう、肩周りの可動域が広く、かつ腕まくりしやすい袖口でなければなりませんわね……!)


 そう。重要なのはそこだ。

 私は次々に服をベッドへ広げて検討した。


 動きやすい青系のワンピース。

 どんな汚れも目立たない落ち着いた灰青の外套。

 裾が長すぎず、走っても転ばず、かつ公爵令嬢としての品位が破綻しない程度の丈。


 そこへ私の専属侍女が、何とも言えない遠い目をして聞いてくる。


「お嬢様、まさか明日の『お出かけ』の服を……」

「まだ決まっておりませんの」

「ええ、それはこの散らかり具合を見れば分かりますが。もっとこう、華やかなドレスになさっては?」

「実務(荷物持ち)と品位の両立が必要なのです」

「はあ」

「あと、荷物を両手と背中に複数持った時に、姿勢が崩れないコルセットの形にしなくては」

「……本当に、ただの荷物持ちとして行かれるおつもりなんですね……」

「そこがメインですわ」


 侍女はしばらく黙っていたが、やがて深くため息をつき、半ば諦めたようにクローゼットの奥から一着を差し出した。


「でしたら、こちらはいかがです?」

「まあ」


 淡い青灰色の上質なワンピース。

 過度な宝石の飾りはないが仕立てが極めて良く、身体のラインを美しく見せつつも、袖口は邪魔にならない。上から濃紺の短外套を羽織れば、街歩きにも自然に溶け込む洗練されたデザインだ。


「素敵ですわね」

「お嬢様なら、間違いなくお似合いになると思います」

「ありがとうございます。さすがですわ」

「……ただ」

 侍女は一拍置いてから、妙に意味深に、生温かく微笑んだ。


「ただの荷物持ち(パシリ)にしては、少々『お綺麗(デート仕様)すぎる』気もいたしますけれど」

「何か問題が? 推しの隣を歩くのですから、身だしなみは完璧でなければ」

「いえ、何も。クライス様がどう反応されるか、楽しみですね」

「そう?」


 本当に、今日は何なのかしら。

 騎士団の皆様も侍女も、妙に含みがあるのですわよね。


 だが私は気にしない。

 明日は推しの買い出し補助。その一点(任務)だけで十分だ。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 私は過去最高レベル(RTA並み)の速度で身支度を終えた。


 髪は歩きやすいよう半分だけまとめ、残りは自然に流す。

 外套の内側には四次元収納機能付きの特大補助魔法袋。

 手袋は重い荷物を持っても痛くない柔らかな革製。

 靴も王都の石畳を十キロ歩いても疲れない特注品を選んだ。


 完璧である。


(よし……! 推しの荷物、どんと来いですわ!)


 副団長室の前で一つ深呼吸をし、私は扉を叩いた。


「副団長、お迎えに上がりましたわ」

「入れ」


 中へ入った瞬間。

 私は、ほんの一瞬だけ、心肺停止して言葉を失った。


 クライス様が、普段の騎士服ではなかったのだ。


 もちろん、完全なラフな私服というわけではない。

 だが、いつものカッチリとした詰襟の軍装ではなく、濃い色の上質な生地の上着に、動きやすい黒の長靴、肩の力の抜けたシックな外套。

 剣は帯びているが、明らかに“非番の外出オフ”用の、洗練された大人の男の装いだった。


 そして、それが。

 信じられないほど、致死量レベルで似合っていた。


(無理ですわ……ッ)


 朝から心臓へ悪すぎる。

 騎士服姿は当然格好いい。だが、普段と違う『オフの装い』というだけで、破壊力がカンストするのはなぜなのだろう。

 しかも、この方は“さりげなく整えている時”の方が、色気がダダ漏れでむしろ危険なのでは?


「……どうした」

 クライス様が、訝しげに低く問う。

「い、いえッ」

 私は必死で呼吸を再開し、淑女の微笑みを貼り付けた。

「大変、よくお似合いですわ。眼福です」

「そうか」

「はい」

「お前も」

「……はい?」

「問題ない。よく似合っている」


 一瞬、頭のサーバーが落ちた。


 今。

 褒められました?

 私の服を?

 推しが?


「そ、そうですの?」

「街で目立ちすぎるほどではない。だが、綺麗だ」

「それは褒めていらっしゃいます?」

「褒めている」

「……ッ」


 危ない。

 朝から致死量のファンサである。


 私はどうにか震える息を整え、持参した特大補助袋をギュッと握りしめた。


「で、では参りましょう、副団長」

「ああ」


 そうして、私たちは本部を出る。


 玄関を抜ける時、たまたま出くわした若い騎士たちが、何とも言えない(ニヤニヤした)顔でこちらを見ていた。


「お、おはようございます副団長、ルシア様」

「おはようございます」

 私は機嫌よく返す。

「これより、副団長の私物の買い出し補助(荷物持ち)へ行ってまいりますわ」

「……はい?」

「限界まで荷物を持つ要員として、最善を尽くします」

「…………」


 若い騎士たちが、揃って「えっ、こいつ本気で言ってるの?」という顔で固まった。

 何ですのその反応は。


 その横で、クライス様がほんの少しだけ目を伏せ、手で口元を覆った。

 気のせいでなければ、その広い肩が微かにプルプルと震えていた気もする。


「副団長?」

「何でもない」

「そうですか?」

「ああ。行くぞ」

「……はい」


 外へ出る。

 王都の朝の空気は澄んでいて、街路には穏やかな喧騒が広がっていた。


 並んで歩く。

 推しと。

 街を。

 私服で。


 心臓がうるさい。でも、さりげなく歩幅を合わせてくださるこの感じが、ひどく嬉しい。


 そして私は、まだ知らない。


 今日のこの外出が、私の思うような“ただの買い出し補助”などでは絶対に終わらないことを。


 むしろ副団長――いえ、クライス様は。

 最初から荷物持ちなど1ミクロンも求めておらず。

 もっとずっと、別の激重な意図をもって、私を街へ連れ出していることを。


 そんな事実に気づくのは、もう少し後。


 王都一の高級店が並ぶ通りで、明らかに“荷物持ち”では説明のつかないVIP待遇を受ける、その時である。



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