第20話 推しに触れるな! 最強令嬢の絶対魔法
――私の尊い推しに、何をしてくれているのよ。
そのどす黒い感情が、言葉になるより先に。
私の中で、公爵令嬢としてのブレーキ(理性の鎖)が「ブチッ」と音を立てて千切れた。
視界が、妙に澄み切っている。
耳に入る騎士たちの悲鳴も、魔物の咆哮も、地鳴りも、全部どこか遠い。
ただ、ハッキリとスローモーションのように見えたのは。
肩口を深く裂かれ、鮮血を散らしながらも、それでもなお地竜型の前に立ちはだかるクライス様の姿。
そして、その上から無慈悲な死を叩きつけるように振り下ろされる、岩石のような巨大な爪。
間に合わない。
普通の支援魔法では。
通常出力の防御障壁では。
そんな小手先の支援職のスキルでは、あの圧倒的な暴力は止まらない。
だったら。
物理的に『止められるもの』を使うだけだ。
「ルシア様!?」
誰かが悲痛な声で叫ぶ。たぶん、ローデン隊長だ。
だがもう、その声すら私の耳には届いていなかった。
私は無意識に一歩、前へ出た。
「……下がって」
自分でも驚くほど、静かで、絶対零度の声だった。
「ルシア様!?」
「下がってくださいまし」
もう一度、今度はハッキリと、戦場全体へ響く声で宣告する。
「巻き込みますわよ」
その瞬間。
私の周囲の空間が、ビリッ……と、ガラスにヒビが入るような音を立てて震えた。
地面に散った小石がフワリと浮き上がる。
足元の草が静電気を帯びたように逆立ち、後方の焚き火の残り火が、一斉に私の方へ吸い寄せられる。
大気中に満ちていた膨大な魔素が、まるで巨大な台風の目に巻き込まれるように、私の『右手の指先』一点へと狂ったように収束し始めたのだ。
「なッ……」
「おい、何だこれ……!?」
「魔力の、密度がおかしい……ッ!」
歴戦の騎士たちの、恐怖すら混じった声が上がる。
当然だろう。
今の私は、これまで王宮や騎士団で遠慮して使っていた“有能な公爵令嬢の魔法”などという、可愛い範囲にいない。
グランツ公爵家は、代々、王家に次ぐ異常な魔力を持つ血筋だ。
その中でも長女である私は、幼い頃から「魔力の制御だけは絶対に失うな」と、両親や家庭教師から血を吐くほど繰り返し叩き込まれてきた。
なぜなら、感情のタガが外れれば、危険だから。
ほんのちょっとの初級攻撃魔法でも、私の全力は、人間のそれとは比較にならない天災規模になるから。
だから、ずっとひた隠しにしてきた。
王宮ではバカ王太子に恐れられて面倒の元にしかならないし、騎士団の就職面接の時も「さすがにドン引きされる」と思って出力を1%未満に絞っていた。
けれど、今は違う。
「私の」
右手の指先が、熱い。
いや、熱いというより、真っ白に発光していた。
白銀の膨大な魔力が幾重もの幾何学的な魔法陣となって、私の腕から肩、背中へ絡みつくように展開し、天柱のように立ち上がる。
地竜型の爪が、なおも愛しいクライス様へ迫る。
時間がない。
「私の、尊い推しに――」
今度こそ、声に純度100%の殺意(怒り)が乗った。
前世のゲームでも、現世でも。
この人はいつだって、一番危険な場所で一人で剣を振るっていた。
誰にも頼らず、誰にも甘えず、平然と自分の身を削りながら戦い続けていた。
そんな孤高の騎士が、ようやく、ようやく私の手の届く場所で、同じ火を囲んでくれるようになったのに。
ここで傷つく?
ここで、これ以上、理不尽に血を流す?
そんなの。
そんなバッドエンド。私が、認められるわけがない。
「気安く触れてんじゃねえええええェェェェッッ!!」
淑女の仮面を完全に脱ぎ捨てた絶叫と共に、私は右手を前へ突き出した。
「《絶対魔法・白耀殲滅》」
それは、本来なら口にしてはならない禁忌の術式名だった。
王家周辺にのみ伝わる、超高位の戦略級術式。儀礼にも、護身にも、通常の戦争にすら軽々しく使うことを許されない、純粋な“空間消滅”の魔法。
極限まで圧縮された白銀の魔力が、小さな太陽のように私の指先で閃いた。
――次の瞬間。
世界が、完全な『白』で塗り潰された。
ズォォォォォンッッッッッ!!!!
轟音は、落雷というにはあまりにも重すぎた。
衝撃は風圧ではなく、空間そのものが物理的に押し潰されるような絶対的な圧力となって広がる。
地竜型の、振り下ろした強靭な前脚が。
その巨大な胴体が。岩のような背の鱗が。
断末魔の咆哮を上げる暇すら与えられず、圧倒的な白光の奔流へと呑み込まれていく。
焼ける、のではない。
砕ける、でもない。
削り取られ。
分子レベルで分解され。
特級クラスのボスの存在そのものが、光の中でチリひとつ残さず消滅していく。
「――――」
誰も、声を出せなかった。
地竜型の巨体は、ほんの一瞬でこの世から消え失せた。
その後方にあった森の一角までもが、幅広く円形に抉り取られ、白く灼かれてガラス化した地面だけが残っている。巨大な木々は根元から消え去り、大地からは高温の白煙が立ち上っていた。
しかも、それだけのデタラメな破壊を生み出しながら、防衛線側(騎士たち)への被害はミリ単位の精密制御で完全にゼロに抑えられていた。
前方の地竜型と、その進路上の直線だけを。
正確に。ただ完全に。
――消し飛ばしたのだ。
白光が収束した後、しばらく誰も動けなかった。
あれほど狂乱して咆哮していた魔物の群れも、今は完全に沈黙している。
いや、黙っているというより、生物としての本能で理解してしまったのだろう。
目の前にいる地竜より、あそこに立っている銀髪の雌(人間)の方が、遥かにヤバい捕食者なのだと。
地竜型のいた場所には、不自然なほど綺麗な『巨大な空間の抉れ』だけが残っていた。
そして私は。
はあ、はあ、と少しだけ荒く呼吸しながら、右手を下ろした。
(……あ、やってしまいましたわね)
少し冷静になってみれば、さすがに今のは、かなり、ものすごく、派手だった。
というか、背後の第一騎士団どころか、現地駐屯隊の面々まで完全に顎を外して「えっ、何あれ、神の怒り?」みたいな顔で硬直している。
うん。知ってる。自分でも分かる。
これは絶対に「ちょっと魔力が漏れちゃいましたテヘペロ」では誤魔化しきれない。
でも。
私は震える指先をギュッと握りしめ、前を見る。
クライスが、まだ立っていた。
肩口から血は流れている。けれど、死んでいない。地竜の爪も届かなかった。
その事実だけで、限界まで張っていた気が抜けて、膝から崩れ落ちそうになった。
「クライス様……ッ!」
私はもう、公爵令嬢の歩き方など忘れて、反射的に全速力で駆け出していた。
『後方支援だ、前線へ出るな』などという理屈は全部吹き飛んでいた。
だって、私の推しが傷ついているのだ。他に何が見えるというのか。
「ルシア!」
誰かが止める声がした気がする。だが止まらない。
私はクライスのすぐ前まで駆け寄った。
彼は剣を落としてはいなかった。だが、その姿勢は明らかに無理をして立っているだけだ。左肩から胸元にかけて血がにじみ、白銀の外套が痛々しく赤く染まっていた。
「ご無事ですの!?」
「……その血まみれの有様を見て、“無事”とは言わんだろう」
低く掠れた、少し呆れたような声が返る。
生きてる。喋ってる。いつものクライス様だ。
よかった。本当に、よかった。
「医療班!!」
私は振り返って、戦場に響き渡る声で怒鳴りつけた。
「何をぼんやり見ていらっしゃるの! 早く! 今すぐ副団長を!!」
「は、はいィッ!!」
私の怒声でようやく我に返った医療班が、慌てて道具を持って走り出す。周囲の騎士たちも、ハッとしてバラバラと動き始めた。
だが皆、どこか私を見る目が『畏怖』に満ちて変だ。
そりゃそうだろう。
ついさっきまで“有能で優しい補給係の令嬢”だった女が、いきなりキレてドラゴンクラスを一撃で空間ごと蒸発させたのだから。
けれど、そんな周囲の評価(ドン引き)など、今はどうでもいい。
「副団長、すぐにそこへ座ってくださいまし」
「立てる」
「立てても座ってください。失血しています」
「……命令か」
「はい、絶対命令ですわ」
「……」
こんな状況なのに、クライスがほんの少しだけ口元を歪めた(笑った)ように見えた。
だが、すぐに膝が微かに揺れる。痛みを隠して無理をしているのは明白だった。
私は半ば強引に、近くの岩へ彼を座らせた。
そこへ医療班が飛び込み、手際よく傷口の確認へ入る。
「深いですが、致命傷ではありません!」
「魔素の侵食も浅いです! 裂傷中心、骨は――」
「止血を急ぎなさい! あと温水! 清潔な布! それから補血薬!」
私はオカンモード全開で矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「副団長は体温を下げては駄目ですわ、私の外套を使いなさい!」
「は、はいッ!」
医療班の手がフルスピードで動く。騎士たちも反射的に私の指示に従う。
気づけば、指揮系統の違う現地駐屯隊の者たちまで、なぜか私の指示に合わせて動いていた。
まあ当然だろう。さっき、戦略級の災厄をノーモーションで消し飛ばした女の言葉に逆らえる人間など、この場には一人もいない。
「ルシア様……」
若い騎士が、顔面蒼白のままおそるおそる近づいてくる。
「い、今の魔法……」
「質問は後にしてくださいまし!!」
私はピシャリと一喝した。
「私への尋問より先に、残存魔物の掃討と防衛線の再編が先ですわ! 地竜型が消えても、群れの残党は残っております!」
「は、はいィッ!!」
私の言葉で、ようやく騎士団全体が本来の任務を思い出したらしい。
団長が大声で各隊へ陣形再編の号令を飛ばし、ローデン隊長が残存する中型群れの掃討へと躍り出る。
だが、その誰もが。
チラチラと、恐怖と畏敬の混じった目でこちらを見ていた。
そりゃ見ますわよね。分かっておりますとも。
でも今は、そんな体裁の言い訳より。
「副団長」
私は、止血の終わった傷口を見てギュッと唇を噛んだ。
思った以上に深い。私の障壁で軌道はずらせたが、それでも完全には防ぎきれなかったのだ。
あと数寸、障壁の展開が遅れていれば。あと少し、私の判断が遅れていれば。
最悪の光景を想像しただけで、指先が氷のように冷たくなる。
「……そんな顔をするな」
クライスが低く言った。
私はハッとして顔を上げる。
彼は失血で少し顔色を悪くしながらも、あの蒼い瞳だけはいつも通り真っ直ぐに私を射抜いていた。
「そんな顔、とは」
「今にも、泣きそうだ」
「泣きそうにもなりますわよ!」
私はほとんど反射で、文句を言い返した。
「ご自分がどれほど危ないことをなさったか、お分かりで――」
「分かっている」
「分かっている方は、もう少し後ろ(私)を信用してくださいまし!」
「……」
「私がいるのに、どうしてあんな風に一人で全部背負い込もうとなさるの!」
「ルシア」
「何ですの!」
「助かった」
その一言で、私の口から文句がピタリと止まった。
助かった。
今、この人はそう言った。
私の魔法で。私の判断で。助かった、と。
胸の奥で何かが大きく揺れた。
怒りも、恐怖も、焦りも、全部ぐちゃぐちゃに混ざって、熱い安堵へと変わっていく。
「……当然ですわ」
私はやっとのことで、震える声を絞り出した。
「私の推し(副団長)を、あんなトカゲの餌食にさせるわけにはまいりませんもの」
「死ぬつもりはなかった」
「その台詞、血まみれの方が言っても説得力皆無ですわ!」
「厳しいな」
「当然です!!」
だめだ。怒っているのに、無事だと確認できたせいで、別の意味でも涙が出そうになる。
その時。
団長とローデン隊長が、血振りをしてようやくこちらへ戻ってきた。
「残存群れは完全に押し返した!」
ローデン隊長が息を荒げながら叫ぶ。
「だが――」
彼の視線が、私へ止まる。
正確には、私の周囲の空間にまだチリチリと残る『白銀の魔力の残滓』へ。
「ルシア様。あの……」
普段は飄々としているローデン隊長が、珍しく言葉を選ぶような顔だった。
「何ですの?」
「今の、マジで何?」
ごもっともな質問である。
現地駐屯隊の指揮官も、団長も、医療班も、全員がゴクリと息を潜める。
誰もが聞きたいのだろう。ついさっきまで補給表とにらめっこしていた裏方の令嬢が、なぜ一撃でドラゴンクラスを消滅させられたのか。
私は少しだけ目を逸らした。
「……ちょっと魔力を込めすぎた、高位の殲滅魔法、ですわ」
「高位で済む範囲じゃねえよ!?」
ローデン隊長がツッコむ。
「山が抉れて特級クラスが蒸発したんだぞ!?」
「蒸発しましたわね……」
「いや、他人事みたいに確認するな!」
私は胸の前でそっと指を組んだ。
ええ、分かっておりますとも。これはかなり、ものすごく、言い訳が難しい。
だが、今は詳しく語るべきではない。戦場のド真ん中だし、何より。
私はチラリとクライスを見る。
彼はまだ止血を受けながらも、黙って私を見つめていた。
ああ。駄目だ。その深い蒼の視線だけで、また胸の奥がザワつく。
「詳しい話は後ほど」
私は静かに、だがキッパリと言った。
「今はまず、戦場の完全な立て直しと、副団長の安全確保が先ですわ」
「……」
「質問は逃げませんわよ」
「それもそうだが……」
団長が太い指で額を押さえる。
「いや、だが、これは王宮にも報告が必要な、逃がしていい規模の話では……」
すると、その時だった。
「副団長、熱が上がり始めています!」
医療班の焦った声が飛ぶ。
「魔物由来の裂傷です、止血は済みましたが、急いで清潔な環境で休ませないとマズいです!」
私は反射で立ち上がった。
「野営地へ戻します! 補給班、軽担架を! 温熱布と清潔な水! あと副団長専用の天幕、最優先で整えなさい!」
「は、はいィッ!!」
私の号令で、騎士たちが一斉に動く。
その完璧な統率(私への服従)を見ながら、団長が低く息を吐いた。
「……分かった。お前の言う通りだ。質問は後回しだ」
「賢明なご判断ですわ、団長」
「だがルシア嬢」
「はい」
「今夜は、色々とたっぷり説明してもらうぞ」
「……はい」
避けられないだろう。というか、今の特大花火を見て何も聞かない方が無理だ。
けれど、それ以上に。
「ルシア」
クライスが、低く私を呼んだ。
私はすぐにその場へ膝をつき、目線を合わせる。
「何ですの」
「……お前」
「はい」
「何を、隠していた」
その問いは、嘘をつかれたことを責める声音ではなかった。
けれど、ひどく真っ直ぐで、深く、逃げ場のない重さがあった。
私は一瞬だけ、答えに詰まる。
隠していた。その通りだ。
だって、こんなバグみたいな力を軽々しく見せれば、政治的にも軍事的にも面倒以外の何物でもないと分かっていたから。
だから今まで、必要最小限のバフとマクロ(実務)に抑えてきた。
けれど。
「副団長を絶対に守るための、最後の切り札ですわ」
私は目を逸らさず、正直に答えた。
クライスが、ほんのわずかに目を細める。
その反応が何を意味するのか、今の私にはまだ読みきれなかった。
ただ、一つだけハッキリしている。
今夜、絶対に怒られる。
しかも、ものすごく。多分、お会いしてから今までで一番、ガチで。
(でも……)
担架が運ばれてくるのを見ながら、私はそっと拳を握った。
怒られても構わない。問い詰められても構わない。この力を隠していたことを責められても、それでもいい。
だって、間に合ったのだから。
クライス様は生きている。息をしている。私の前に、ちゃんといる。
それだけで、限界オタクにとっては十分すぎるほどハッピーエンドだった。
そうして、第一騎士団は辛うじて地竜型の脅威を退け。
だが同時に、ルシア・フォン・グランツという令嬢が“本当は何者なのか”を、全騎士が改めて思い知ることになった。
そして、その日の夜。
野営地の最奥に張られた、防音と結界が完璧に施された副団長専用天幕の中で。
傷を負った不器用な氷の騎士と、規格外すぎる愛(魔法)を隠していた限界オタク令嬢による。
ひどく甘くて、ひどく濃密で、逃げ場のない“お説教”の時間が始まろうとしていたのである。




