第10話 王太子派の嫌がらせを完全論破
私が第一騎士団副団長付きの側仕え(仮)として完全に居座ってから、ここ数日のうちに本部内で密かに定着したものがある。
一つは、私が淹れるお茶と書類処理の速度に対する絶対の信頼。
もう一つは、私に請求書や帳簿を見せると、大抵どこからか不正や無駄が炙り出されるという『恐怖』である。
「ルシア様、こちらの補修申請なのですが」
「北側詰所の屋根材ですわね。市場相場より二割高いので、見積もりの取り直しを」
「は、はいッ!」
「それと、この業者は以前バルド商会と組んで帳簿をごまかしていた記録がありますわ。優先度を下げて構いません」
「えっ、そこまで分かるんですか!?」
「分かりますわ」
朝の事務室で、私はごく穏やかに、聖女のように微笑んだ。
周囲の騎士たちが「やっぱりこの人(の経理処理)怖いな」という顔をしたが、実に心外である。
私はただ、推しの騎士団のお金を1ルピアたりとも無駄にせず、正しく使いたいだけだ。
推しの職場環境改善は、一朝一夕には成らず。細部の積み重ねが命なのである。
予算が安定していなければ、武具も、医薬品も、休憩用の茶葉の質すら落ちる。それはオタクとして絶対に避けなければならない。
(推しが不自由を強いられるなど、断じてあってはなりませんもの!)
そんな崇高な推し活の決意を胸に、私は朝からご機嫌で帳簿を確認していたのだが。
その日の空気は、どこか妙だった。
いつもなら朝から元気に訓練場へ飛び出していく脳筋……もとい、屈強な騎士たちが、なぜかソワソワしている。事務担当たちも、書類を運びながら妙に視線を交わしていた。
「何かございましたの?」
私が問いかけると、眼鏡の事務担当騎士が気まずそうに咳払いした。
「……いえ、その。今日、王宮から監査名目の視察が来るらしくて」
「監査?」
「はい。予算運用と、人員配置の確認、と」
「なるほど」
私はピタ、とペンを止めた。
宮務省からの監査そのものは珍しくない。だが、今このタイミングで、しかも“人員配置の確認”まで入っているとなると話は別だ。
第一騎士団は、先日の納入業者再編(ゲスパー・バルドの粛清)で支出の流れが大きく変わっている。そこへ王宮側が難癖をつけてくるのは、まあ分かる。
問題は、その“ついで”に何を言ってくるかだ。
そして、容易に想像はついた。
(……私、ですわね)
婚約破棄された元王太子の婚約者が、なぜか第一騎士団で副団長付きの側仕えをしている。
王太子派の貴族から見れば、面白くないどころの話ではないだろう。
実際、最近は王宮内でも噂になっているらしい。
「あの氷の副団長が、元婚約者殿下の令嬢を手元に置いている」
「騎士団が、ルシア・フォン・グランツを匿っている」
「王太子殿下への当てつけではないか」
などと、実に好き勝手なことを。
まったくもって心外である。
私は当てつけでここにいるのではない。推しの側仕えとして、極めて真摯に、限界オタクのパッションを燃やして職務へ向き合っているだけなのだ。
「ルシア様……」
若い騎士が不安げに言った。
「たぶん、良い話ではないです。すみません、俺たち、変にルシア様を巻き込んでしまって……」
「お気になさらず」
私はサラリと答えた。
「むしろ、向こうから出向いてくださるなら手間が省けますわ」
「……はい?」
その反応はごもっともである。
だが、私はこの数日で騎士団の予算関連書類を読み込むついでに、宮務省の公開予算にもざっと目を通していた。
その過程で、いくつか“あまりにも分かりやすい”痕跡を見つけてもいたのだ。
王太子派の貴族たちは、大抵、自分たちの手が絶対に届かないと思っているところほど仕事が雑になる。特に、現場の騎士団を下に見ている文官ほど。
――ちょうどよい機会だ。
向こうが予算を盾に殴るつもりなら、こちらも予算(帳簿)で殴り返せばいい。
しかも、極上の笑顔で。
◇ ◇ ◇
昼前。
第一騎士団本部の会議室へ現れたのは、絵に描いたような“嫌味な貴族”のテンプレセットだった。
先頭を歩くのは、濃紺の上質な礼装に身を包んだ四十代後半の男。
髪には一筋の乱れもなく、口元には「自分が絶対的に優位である」と信じきった薄ら笑いが貼りついている。
宮務省会計監督官、ヘルムート・バシュレル伯爵。
その後ろには、痩せぎすで目つきの鋭い財務官僚と、王宮書記官らしき男が二人。見事なくらいに“王太子派の腰巾着です”という顔ぶれである。
「これはこれは。第一騎士団の皆様、ご機嫌よう」
バシュレル伯爵は会議室へ入るなり、わざとらしく周囲を見回した。
「近頃、随分と景気がよろしいようで。不要な業者を切り捨て、独自の運用をされているとか」
「用件を」
クライスが端的に、絶対零度の声で告げる。
その声音に、会議室の空気がピーンと張り詰める。
だがバシュレル伯爵はひるまない。むしろ、面白そうに片眉を上げた。
「さすがは氷の副団長。相変わらずご挨拶が簡潔でいらっしゃる」
「用件を、と申し上げました」
「ええ、ええ。もちろん本題に入りましょうとも」
バシュレル伯爵はゆっくりと席につき、手袋を外した。
その仕草一つとっても癇に障る。隣のローデン隊長など、すでに顔面に「面倒くせえ帰れ」と書いてあった。
私?
私はニコヤカである。極めて穏やかに、優雅に微笑んでいる。
「本日は、第一騎士団の予算運用について確認に参りました。特に近頃、業者変更、支出再編、そして――」
伯爵の視線が、スッと私へ流れる。
「不適切な人員登用があったと聞いておりますので」
会議室の空気が、ヒヤリと冷えた。
ローデン隊長が口を開きかけるが、その前にクライスが言う。
「ルシアは俺付きの側仕えだ。問題はない」
「ほう?」
バシュレル伯爵は、薄く笑った。
「問題がない、とおっしゃいますか。婚約破棄された元王太子婚約者を、王宮の許可なく第一騎士団が囲い込む。それが?」
「雇用に王宮の許可は不要ですわ」
私はやんわりと、だがハッキリと言った。
伯爵の目が、改めてこちらへ向く。
「おや。口を挟まれますか、グランツ嬢」
「必要な補足はいたしますわ。側仕え(秘書)ですので」
「相変わらず気の強いことで」
私はニッコリと微笑む。
「ええ。殿下の執務(終わらないサビ残)を十年近く実質的に回しておりますと、この程度では動じなくなりますの」
ピシリ、と会議室の空気が固まった。
バシュレル伯爵の笑みが、ほんの一瞬だけ揺らぐ。
あら。そこ、触れられたくありませんでしたかしら?
「……ともかく」
伯爵は咳払いを一つして続けた。
「本題です。第一騎士団は先月から今月にかけて、予算執行の再編を独断で行っている。従来の納入業者を切り、支出項目を勝手に入れ替え、さらに外部者を雇い入れている」
「外部者ではありませんわ。正式雇用です」
「なお悪い」
「なぜですの?」
「あなたは王太子殿下との問題を抱えている身だ。そんな者を王都防衛の要である騎士団へ置くなど、組織の政治的中立性に疑義が生じる」
「まあ」
私は目を瞬いた。
なるほど。そう来ましたか。
予算の話だけではなく、“私を置くと王太子殿下へ逆らう反逆の構図に見えるぞ”と脅したいらしい。
実に古典的で、実に分かりやすい。
だが、残念ながら。
その理屈は、こちらが「反論のカードを持っていない」という前提でしか成立しない。
「つまり伯爵は、第一騎士団の予算運用そのものではなく、私個人を排除したいのですわね?」
「言葉を慎みなさい」
「違いますの?」
「問題をすり替えないでいただきたい」
バシュレル伯爵は書類束を机へドン、と置いた。
「こちらをご覧ください。第一騎士団は先日、納入契約再編の名目で一部支出を差し戻し、さらに新規見積もりを取っている。このような混乱は現場の運用を妨げるばかりか、王宮全体の会計処理にも支障をきたします」
「混乱したのは、不正請求をしていた悪徳業者を切ったからですわ」
「証拠は?」
「ございますけれど」
私があっさり即答すると、今度は向こうの書記官がピクリと反応した。
伯爵は薄笑いを崩さずに言う。
「仮に一業者の不正があったとしても、それを理由に予算全体へ勝手な手を加えるのは越権です。第一騎士団は剣で戦うのが仕事。会計の仕切りは我々宮務省が担う」
「でしたら、宮務省がきちんと仕事(監査)をしていればよろしかったのでは?」
私が小首を傾げると、書記官の一人が露骨に顔をしかめた。
「何だと?」
「ですから。騎士団の納入業者に長期的な水増し請求が発生していたのに、なぜ宮務省会計監督官である伯爵がそれを見逃しておられたのか、と申し上げておりますの」
「見逃したとは失礼な――」
「では、把握した上で放置しておられた(グルだった)?」
伯爵の顔から、完全に笑みが消える。
私は続けた。
「どちらにせよ、監督責任は伯爵にございますわね」
会議室の空気が、ジワリと変わった。
ローデン隊長が腕を組んだまま、面白そうに片眉を上げる。騎士団側の面々も、さっきまでの“嫌がらせを受ける側”の顔から、“あれ、これうちの後衛が無双する流れでは?”という期待の顔に変わりつつあった。
バシュレル伯爵は低い声で言った。
「グランツ嬢。あなたは少々、自分の立場を忘れているようだ」
「忘れておりませんわ」
「婚約を破棄され、行き場を失った哀れな令嬢が、一時の気まぐれで騎士団へ転がり込んだ。その程度の立場で――」
「お言葉ですけれど」
私はフワリと、最高に優雅な微笑みを浮かべた。
「私は“行き場を失った”のではなく、“行くべき場所(推しの隣)へ来た”だけですの」
一瞬、静寂。
そのあと。
会議室の端で、若い騎士が「ブフッ」と吹き出しそうになったのを、ローデン隊長が肘で脇腹を突いて黙らせた。
ありがとうございます。今のは私の推し活宣言としてかなり決まりましたわね。
だがバシュレル伯爵の目は、完全に冷え切っていた。
「……よろしい。そこまで言うなら、はっきり申し上げましょう」
伯爵は指先で机をトントンと叩いた。
「第一騎士団の来月分予算は、再審査まで『一部凍結』とします」
「何ですって?」
ローデン隊長が眉を吊り上げる。
「武具更新費、補修費、臨時調達費。その全てです。現状のままでは、不透明な運用が多すぎる」
「不透明なのは、どちらですの?」
私は即座に問い返した。
「おや」
「来月分の予算凍結。大変結構ですわ。ではその前に、伯爵ご自身が管轄されている宮務省補助金支出の“透明性”について、少し確認いたしましょうか?」
ピタリ、と伯爵の動きが止まった。
来た。ようやく本番だ。
私はゆっくりと、自分の手元の書類束を開いた。
それは、この数日で騎士団の予算と宮務省の予算を照らし合わせる中、ついでのように拾い集めたものだ。
そして“ついで”にしては、あまりにも致命的な材料でもある。
「こちらは、宮務省名義でここ半年に計上された“王都西区街路補修特別費”ですわ」
「それが何か」
「三回計上されておりますのに、実際の補修報告は一回分しかございません」
「事務上の記載揺れでしょう」
「では、こちらの“王家儀礼用装飾布調達費”は?」
「……」
「実際の納入数が王宮倉庫台帳と一致しておりませんわね。しかも差額分が、なぜか『バシュレル伯爵家の御用達商会』と同日付で、1ルピアの狂いもなく帳尻が合っている」
伯爵の隣にいた書記官の顔が、サッと青ざめた。
私はやめない。
「それからこちら。“臨時人員手当”として毎月支出されている十二名分。王宮勤務記録と照合いたしましたところ、うち四名は実在確認が取れませんでした」
「ば、馬鹿な」
「馬鹿なのは、幽霊人員を三か月も同じ名前で回し続けた雑な経理処理ですわ」
会議室に、重すぎる沈黙が落ちた。
ローデン隊長がポカンとしている。若い騎士たちは完全に言葉を失っていた。
一方でクライスだけは、いつも通りの無表情で私を見ている。
……その視線、若干「お前、またやったのか」という含みがありますわね?
でも仕方ありませんでしょう。向こうが推しの職場(聖域)に喧嘩を売ってきたのですもの。
バシュレル伯爵は、もはや先ほどまでの余裕を完全に失っていた。
「……根拠のない中傷だ」
「いいえ」
私はニッコリと笑う。
「根拠は全てございますわ。支出番号、申請印、倉庫受領印、補助金照会記録。必要でしたら今ここで読み上げましょうか?」
「……ッ」
「ちなみに、幽霊人員四名分の手当振込先ですが。うち二つは、バシュレル伯爵家の別荘管理口座と経由先が一致しておりますの」
伯爵の喉が、ゴクリと鳴った。
ああ、分かりやすい。完全なる図星の音ですわね。
「な、何を……何をでたらめを!」
隣の書記官が声を荒げる。
「そんなもの、証拠になるわけがない! 偶然の一致だ!」
「では、この書類を王宮監査室へ提出して、正式に精査していただきましょうか?」
「……!」
私は書類を一枚、コトリと机へ置いた。
「ついでに、ここ二年分の宮務省名義の補修費・装飾費・臨時人員費をすべて洗い直せば、もっと楽しい(真っ黒な)ことになるかもしれませんわね」
「楽しい、だと……?」
バシュレル伯爵が掠れた声で言う。
「ええ。私は数字合わせ(粗探し)が大好きですの」
ニッコリ。
その瞬間、騎士団側の誰かが必死に笑いを噛み殺す「ンンッ」という音がした。
無理もない。私もちょっと楽しくなってきてしまいましたもの。
だが、ここで最後のトドメを刺すのは私ではない。
私は静かに一歩下がった。
「副団長。以上が、予算凍結を主張なさる伯爵ご自身の“透明性”でございます」
クライスが、ようやく口を開く。
「……バシュレル伯爵」
「ッ」
「第一騎士団の予算へ手を入れる前に、自分の足元を見直した方がいいのではないか」
「こ、これは何かの誤解で」
「ならば監査へ回して問題ないな」
「……!」
低く、静かな声音。絶対零度の宣告。
だがその一言は、伯爵にとって何より重かったらしい。
追い詰められたように周囲を見回し、それでも助けがないと悟ったのだろう。伯爵は唇を震わせ、ようやく絞り出した。
「……本件の予算凍結案は、いったん保留とする」
「保留?」
ローデン隊長が鼻で笑う。
「撤回の間違いだろ」
「……ッ」
「それから」
私はにこやかに続けた。
「第一騎士団への不当な圧力が今後も続くようでしたら、宮務省補助金の件は会計院へ正式に照会いたしますわ」
「脅迫か」
「いいえ、健全な相互確認(牽制)ですの」
伯爵は、ついに私を真正面から睨んだ。
だが、その目にはもう最初の余裕はない。あるのは焦りと、憎悪と、そして「この女を敵に回したのは致命的なミスだった」という遅すぎる後悔だけだ。
「……覚えていなさい」
三流悪役のテンプレのような捨て台詞を吐き、伯爵は席を立った。後ろの官僚たちも、青い顔で慌てて追従する。
去り際、書記官の一人が手元の書類を取り落としかけたのを見て、私は優しく声をかけた。
「お気をつけて。数字は逃げませんけれど、証拠は意外と足が速いですわよ」
その男は真っ青な顔で書類を拾い上げ、そのまま転がるように逃げていった。
扉が閉まる。
数秒の静寂。
そして次の瞬間。
「ッ、ははははは!」
真っ先に吹き出したのは、ローデン隊長だった。
「見たか今の顔! あの伯爵、最後完全に涙目だったぞ!」
「泣いてはおりませんわ。半泣きでしたけれど」
「またその厳密な判定なのか!」
ドッ、と会議室が沸いた。
騎士たちが一斉に息を吐き、堪えていた笑いと安堵が広がっていく。
「すげえ……」
「伯爵相手に、完全に論破した……」
「いや、論破どころじゃないだろ」
「完膚なきまでに物理(帳簿)で殴り倒したな……」
大変失礼ですわね。でも、概ね合っております。
若い騎士の一人が、キラキラした目でこちらを見た。
「ルシア様、あの……めちゃくちゃ格好よかったです!」
「恐れ入りますわ」
「“数字は逃げませんけど証拠は足が速い”って、俺も今度使っていいですか!」
「やめておきなさいませ。用途が限定的すぎます」
また笑いが起こる。
その中で、クライスだけは静かだった。
私は書類をまとめながら、そっとその方を窺う。
叱られるかしら。少しやりすぎたかしら。
そう思ったのだが。
「ルシア」
「はい」
名前を呼ばれて、背筋がピンと伸びる。
クライスはいつも通り無表情のまま言った。
「よくやった」
「…………」
一瞬、呼吸が止まった。
たった四文字。だが、オタクにとっては致死量のダメージだった。
(推しに褒められましたわーーーーーーーッッ!!)
内心で全力のガッツポーズをキメる私を、外面の私は死力で押さえ込む。
「か、過分なお言葉ですわ」
「事実だ」
「……ッ」
だめだ。追撃の威力が強すぎる。
真顔でそれ以上言わないでいただきたい。心臓が持たない。
しかもクライスはそこで終わらなかった。
私が抱えていた重い書類束を、ごく自然に半分引き取ったのだ。
「副団長?」
「重いだろう」
「いえ、この程度は」
「俺が持つ」
サラリ、と。
何でもないことのように。
(推しが……私の書類を……持ってくださっている……!?)
会議室の壁になりたい。いや違う、今は壁になっている場合ではない。私は職務中だ。ちゃんと立たなければ。
ローデン隊長が、ニヤニヤしながら言う。
「いやあ、助かりましたよルシア様。これでしばらく王太子派の連中も、下手な手出しはできんでしょう」
「そうですわね。少なくとも伯爵は、しばらくご自分の帳簿の隠蔽工作と向き合うことで忙しいはずですもの」
「ルシア様、マジで怖え……」
「最高の褒め言葉として受け取っておきますわ」
すると、会議室の隅からポツリと声が上がった。
「……あの」
振り向けば、事務担当の若い騎士が、どこかためらいがちに手を挙げている。
「もしかしてルシア様って、本当に無敵なんですか?」
「まさか」
私はフッと笑った。
「私はただ、皆様が戦いやすいよう、足元の邪魔な泥や石を除けているだけですわ」
それは、私にとって偽りない本心だった。
戦うのは騎士たちの仕事。剣を振るうのはクライス様の仕事。
ならば私は、その道を塞ぐ障害物を排除する。
書類で。数字で。法律で。
推しが、そして第一騎士団が、少しでも気持ちよく前へ進めるように。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
第一騎士団本部の廊下では、妙な熱気が広がっていた。
「聞いたか? ルシア様、あのバシュレル伯爵を完全に沈めたらしいぞ」
「沈めたって何だよ」
「帳簿と証拠で」
「やっぱり物理的に沈めてるじゃねえか」
「もうあれだな。副団長が剣で敵を斬るなら、ルシア様は帳簿で敵を斬るんだな」
「うちの騎士団、前衛と後衛の火力が強すぎるだろ」
ヒソヒソと交わされる会話に、私は少しだけ遠い目になった。
そんな物騒な評価を望んだ覚えはない。ないのだけれど。
「……否定できませんねえ」
ローデン隊長が横でしみじみと言った。
「ルシア様、あんた本当に騎士団向きだ」
「それは褒めてくださっておりますの?」
「もちろん。心から」
「でしたら光栄ですわ」
私が穏やかに微笑むと、ローデン隊長は少しだけ表情を緩めた。
「正直、最初はとんでもない時限爆弾が転がり込んできたと思ってました」
「失礼ですわね」
「でも今は分かります。あんたが味方で、本当によかった」
「……」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
前世の社畜時代は、どれだけ残業しても“やって当然”だった。
現世でも、王宮ではバカ王太子を支えて当然だった。
けれどここでは違う。
ちゃんと見てくれる。ちゃんと、役に立ったと受け取ってくれる。
それが、なんだか少しくすぐったくて。同時に、とても嬉しかった。
その時だった。
「ルシア」
振り向けば、廊下の向こうにクライスが立っていた。
夕暮れの光を背にしたその姿は、相変わらず目に悪いほど格好いい。
というか、今日の私はまだ「よくやった」を引きずってHPが削れているのだから、そんな不意打ちのタイミングで呼ばないでいただきたい。
「は、はい」
若干裏返りそうになる声を、私はどうにか丹田で整えた。
クライスは短く告げる。
「副団長室へ来い」
「承知いたしましたわ」
何の用かしら。追加資料の作成? それとも今後の対策会議?
どちらにせよ、推しのお役に立てるなら本望である。
だが、私がその後を追って嬉々として歩き出した時。
背後で、若い騎士たちがこんな囁きを交わしていたことを――当然、この時の私は知らない。
「なあ」
「何だ」
「副団長、最近ルシア様を私室に呼ぶ回数増えてないか?」
「……それは俺も思ってた」
「しかも自然なんだよな。当然みたいに隣へ置いてる感じがする」
「あの、他人を絶対に寄せ付けない氷の副団長が?」
「副団長が」
そして、その囁きはやがて。
第一騎士団の中で、『別の意味』でも静かで熱い波紋を呼び始めることになるのだった。




