帝国編 第18話 ── 星の台座
■ 技師たちの拒絶
嵐の前の静けさ、とはこのことだろうか。
オルガ村の管理棟、その一室には、窓から差し込む西日を跳ね返すほどに重苦しい空気が立ち込めていた。
円卓を囲んでいるのは、アジムとバルじい、そしてトラベリオンが引き連れてきたローザンヌ皇国の技術者たち。
更には、監視役として居座るヴァッサリア王国の官僚ジュリアンの姿もあった。
「……話にならん。 話にならんぞ、アジム殿」
皇国技術者団の代表格である老職人、ギルバートが、アジムが作成した鉄の棒を突き放すように言った。
「君の言う『精度』については認めよう。 だが、君の工房で打った棒をそのまま世界の基準にしろと言うのは、あまりに傲慢だ。 我ら皇国の職人には、代々磨き上げてきた独自の度量衡がある。 それを今更、一漁村の職人の匙加減に変えろと?」
「ギルバート様の言う通りですわ。 技術は、使う者が納得して初めて価値を持つもの。 根拠なき『アジムの基準』では、他国の職人たちは納得しませんわ」
リーネが夫の意を汲みつつも、商人の冷静さで現実を突きつける。
アジムは、じっと鉄の棒を見つめていた。
「一応、俺なりに根拠はあるんだが、やはりそうだな。 それでも何かしらこの棒と同じものを提案できなければ、帝国の言いなりに話が進んでしまうんだ」
「それは貴公の魔法が前提の話だろう!」
ジュリアンがここぞとばかりに割り込む。
「王国の王都でも、古き定規に基づいた産業がある。 お前を信用しないわけではないが、『なぜその長さなのか』という問いに、国家として説明が立たんのだ」
■ 帝国の影
「……ほかの方法が思いつかないんだ」
アジムの声が低く響いた。
「ネイサンを見たなら分かるはずだ。 フェルザン帝国は、すでに自国の規格で巨大な要塞や運河を作り始めている。 ネジ一本、歯車一枚の大きさをあいつらが先に世界に広めてしまえば、皇国も王国も、あいつらの道具なしでは何も作れなくなるぞ」
その言葉に、ギルバートたちが顔を顰めた。
「脅しか。 だが、規格の統一など数百年かかっても成し遂げられなかった難問。 それをこんな漁村で、数日で決めろと言うのは……」
「だから話しているんだろう!」
珍しくアジムが声を荒らげた。
そこからは、不毛な議論の泥沼だった。
「皇国の尺を基準にすればいい」
「いや、王国の定規の方が古く、権威がある」
「石壁の隙間を基準にしてはどうか」
「それでは雨で膨らむ」
「王の剣の長さは?」
「金属は熱すれば長さが変わる」
「俺は歩いて測るぞ」
「あほか、人それぞれだろが!」
「いや、意外と近いかもしれんな。 普段使う1ピック(28センチ)って昔の王様の足の裏だったそうだ」
「「ええっ!」」
議論は脱線し、互いのプライドを傷つけ合い、やがて全員が疲弊して黙り込んだ。
太陽はすでに沈み、室内には蝋燭の火が弱々しく揺れている。
■ トラベリオンの智慧
沈黙を破ったのは、ずっと椅子に深く腰掛け、議論を静観していた大商人トラベリオンだった。
彼は大きな掌で卓上をトントンと叩き、窓の外の夜空を指差した。
「……アジムよ。皆が納得できる『不変』が、物として存在しないというなら、いっそ空に求めてはどうだ?」
「空……?」
アジムが窓に目を向ける。そこには、雲一つない夜空に、北天を巡る馴染み深い星々が輝いていた。
「ああ、俺たち船乗りは星を頼りの海を渡るだろ。 俺は思うんだが星の並びや大きさはほぼ変わらないように思えてな。……『柄杓星(北斗七星)』を見ろ。国が滅びようが、王が変わろうが、あの七つの星の並びは変わらん。 あの星ならお前たちが求めているものに近いんじゃねえか? まあ、図ったことはねえから確かとは言えんが」
一瞬、室内の時間が止まった。
ギルバートが、そしてアジムが、弾かれたように顔を上げた。
「……星か」
アジムの脳内で、魔法の計算が火花を散らす。
「柄杓の端の二つの星の距離……。それを、ある一定の高さに据えた『観測台座』から見たときの長さ、か!」
「それだ!」
ギルバートが叫んだ。
「星の並びは全大陸共通。その星を見るための『規格化された台座』さえ各地で作れば、世界のどこにいても、同じ『一歩』を再現できる!」
■ 政治という名の楔
「待て、待て!」
ジュリアンが慌てて立ち上がる。
「それでは王国の面子が立たん! 星は誰のものでもない。 そんなものを基準にしたとあっては、陛下に対して説明が……」
アジムは冷めた目でジュリアンを見たが、すぐにリーネと視線を合わせた。
リーネは小さく頷き、一歩前に出る。
「では、ジュリアン様、こういうのはいかがでしょう? その不変の『星の物差し』を計るための基準、いわゆる一単位の長さの倍率を、ヴァッサリア王国の陛下の『腕の長さ(リーチ)』から算出するのです」
「……腕の長さを?」
「ええ、例えばですからね。 星が指し示す真理の数値を、王の体をもって具現化する。 重さについても、王の冠に嵌められた『守護の宝玉』、そのものの重さを不変の基準点とするのです。 ……成功すれば、その新たな単位には、王の名前の一部が略称として刻まれる。 大陸を繋ぐ物差しに、陛下の名が永遠に残ることになります」
ジュリアンの目が、野心でギラリと光った。
「王の名が……大陸に刻まれるのか? 経済の覇権を握るその中心に?」
「ええ。 帝国に呑まれるくらいなら、自国がその起点であることを誇る方が、賢明な判断だと思われますけれど?」
ジュリアンは震える手で鼻の下を擦った。
「……よ、よかろう。 それならば、王宮にかけあう余地がある。 重さを王の宝石から、長さを星と王のリーチから! これこそが王国の誇る『ヴァス(Vas)』規格だ!」
■ 産声
数時間後。
アジムは、工房の土間の中央に、一つの重厚な石の台座を魔法で築き上げていた。
台座には、王のリーチに基づいた精密なスリットが刻まれ、そこから夜空を見上げれば、柄杓星の特定の二星が、寸分違わずその隙間に収まるよう設計されている。
「……できたな」
アジムが台座に指を触れる。
ギルバートたち皇国の技術者も、今は対抗心を捨て、アジムが作成する「最初のマスター・スケール」の誕生を固唾を呑んで見守っていた。
星の真理と、王の権威。
本来混じり合うはずのない二つが、アジムの「鉄」を媒介にして、世界を縛る新しい『言葉』へと姿を変えていく。
「アジム……これで、世界は新しくなるわね。でも、それはすごく重たいことよ」
背後で見ていたリーネが、少し不安そうに囁く。
「ああ。分かってる」
アジムは、完成した台座の上に、あの鉄の棒を置いた。
もうそれは、ただのアジムの棒ではない。
世界が今日から使い始める、最初の「一歩」だった。
海を渡る夜風に乗って、遠く王都へ、あるいは水平線の向こうの帝国へと、その産声は届くだろうか。
オルガ村の夜は、規格という名の新たな「音」を奏でながら、静かに更けていった。




