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帝国編 第17話 ── 親愛なる商人


■ 王国の尺度、帝国の尺度


管理棟の広間に、王国の官僚ジュリアンの高笑いが響き渡ることはなかった。

アジムが、彼が広げた「王命書」を冷ややかな目で見つめ、一歩前に踏み出したからだ。


「ジュリアン。 ……あんた、この会議を潰して、本当に王国として大丈夫なのか?」

アジムの声は小さかったが、針のように鋭かった。


「な、何を……不敬な!  王国の主権を無視する貴様の方がよっぽど王国のためになら――」

「帝国や皇国の重鎮、さらには連邦や共和国の第一級技術者たちが集まるんだ」

アジムは、ジュリアンの言葉を容赦なく遮った。


「彼らは『観光』に来るんじゃない。 この大陸のあらゆる『物差し』を帝国の規格に統一し、経済の覇権を根こそぎ奪うために来るんだ。 ……もし王国が、村の管理権だのを理由に会議を妨害したと知られれば、彼らはどう思うだろうな。 腹いせに、格好の攻撃材料を与えるだけだ。そして王国は爪弾きにされるんだ」


ジュリアンの顔から、赤みが引いていった。

「経済の覇権だと?……爪弾き?」


「そうだ。 ネジ一本、歯車一枚の大きさが帝国の基準に固定されれば、王国の職人たちは帝国の道具なしでは何も作れなくなる。 王国の商人は、帝国の基準に合わない商品を大陸で売れなくなる。 ……あんたに、それを外交の場で抑え込み、王国の利益を守り通すだけの知識や覚悟はあるのか?」

アジムの問いかけは、実務を知らぬ若き官僚の急所を的確に穿った。


ジュリアンは、震える手で襟元を緩めた。

彼が狙っていたのは「技術者アジム」という手柄だった。

だが今突きつけられたのは「大陸規模の経済戦争」という、手に負えない巨獣の影だった。


「……貴殿は、それを阻止できると言うのか」

「俺は、俺たちの『精度』で対抗する。 帝国に物差しを握らせないための、俺たち自身の基準を作るんだ。 ……監視したいなら、好きなだけすればいい。 その代わり、邪魔だけはするな」


ジュリアンは、屈辱に唇を噛みながらも、実利を計算した。

「……よかろう。 今の暴言は不問に付してやる。 ただし! 王国としてもこの危急の事態を放置はせん。 王都から一級の技術者団を選出し、ここに会議に出席させる。 私はその監督官として、村の拡張、および会議の進行を逐一監視し、王国の主権を宣言し続ける!」


結局、ジュリアンが村に居座るという事実に変わりはなかったが、それは「支配」から、ある種の関係性へと変容していた。

アジムは小さく吐息をつき、次の戦場――港へと視線を向けた。


■ 漁師の港、商人の港


「……で、これがあんたの新しい答えか?」

港の桟橋で、ヴィントがアジムの描いた「縦」の図面を覗き込んだ。


当初の、漁場を埋め立てて横に広げる案は、白紙に戻されていた。

代わりにアジムが提示したのは、現在の桟橋の先。

海側へと「杭」を打ち込み、巨大な垂直岸壁を伸ばしていくという、前代未聞の増築案だった。


「これなら、お前たちの漁場は潰さなくて済む」

アジムが指差す先には、荒れ狂う外海が広がっている。


「でもよ、あんな深いところにどうやって杭を打つんだよ?  砂浜とはわけが違うぜ」

トマルが不安そうに問いかける。


「海底には、魔法で石を積み上げ、土台を作る。その上に、俺たちが造ってきた最新の『石壁』を組んでいく。……大変な工事になるが、勝算はある。材料は足りなくなるから皇国から仕入れはしないといけないけどな」


「アジム、それだけじゃ足りねえ」

ヴィントが、現場の漁師としての顔で口を挟んだ。


「あんなど真ん中にでかい船を並べられたら、俺たちの漁船が動けねぇ」


アジムは、ヴィントの言葉を逃さず図面に書き加えた。

「わかっている……漁船と商船を分けるよ。大型船用の『深水部分』を外側に、漁船用の隠れ港を内側に配置する。二層構造だ。それなら波風も防げる。トマル、お前たちの感覚こそが、この港を成長させるんだ」


アジムの「職人」としての熱が、村人たちに再び伝播していくのをリーネは静かに感じていた。


■ 王都の美学、村の現実


港の方向性が決まると、アジムは休む間もなく「村の核」である管理棟の改装へと着手した。


「バルじい。管理棟を、今回の会議の主戦場にする」


アジムが示したのは、現在の管理棟――港から見ると三階建ての最上階が背後の丘と繋がり、平坦な土地とツライチになっている構造――の上に、さらにもう一段、巨大なワンフロアを「増築」する計画だった。


「住宅も足りなくなる。 工事に合わせて、村の若者たちのための新居も、最新の石造りで増設する。……村を壊すんじゃない。 オルガ村の新しい形だ」


バルじいは、アジムが差し出した新しい図面と、その裏に隠された「村を護りたい」という必死の想いを見透かしたように、深く頷いた。


「……漁場を守り、宿泊施設をのちに家に利用するのか……よかろう。わしらも協力しよう。……ただし、あそこに突っ立っている官僚様は、どうにかしてくれ」


工事の現場に現れたジュリアンは、あちこちで口を出していた。

ジュリアンとそのお付き以外はすべて帰らせたが、会議期間まで居残るようだ。


「この会議室、王国の威光を示すために、金箔の装飾を施すべきだ! 窓の大きさも、王都の宮殿に倣って――」


「却下だ」

アジムは、ジュリアンの言葉を即座に叩き落とした。


「ここは王族の宴会場じゃない。大陸中から来る偏屈な技術者たちが、図面を広げ、声を荒らげ、知恵を絞るための『職人の場』だ。金箔なんて貼れば、道具の煤で一日で真っ黒になる。……あんたの美学は王都でやってくれ」

「な、……貴様!」


ジュリアンの抗議を背に受け流しながら、アジムは管理棟の上に組まれた足場へと登っていった。

そこから見える村は、まだ小さく、脆弱だ。だが、確実に、力強い鼓動を始めていた。


■ 招かれざる強風:トラベリオンの到着


工事が佳境に入ったある日。

水平線の向こうから、王国の旗でも帝国の旗でもない、巨大な「ルーン商会」の紋章を翻した商船が現れた。


港に降り立ったのは、豪華な毛皮を羽織り、鋭い眼光を爛々と輝かせた大商人、トラベリオンだった。


「……いやはや。こんな辺境の漁村で、世界を揺らす『規格』の談義が行われるとはな。 アジム、おまえは何を考えている」

トラベリオンは、拡張工事で騒がしい港を一瞥し、不敵に笑った。


「リーネからの連絡を受けて、急いできた。 帝国が出張ってきているなら好きにさせるわけにはいかんしな。 それに規格の統一ならうちの奴ら(技術者)ものぞんでいたことらしい。だから連れてきた」


そういってトラベリオンは後ろを指さす。

見れば確かに何人か見知らぬ顔のものが下りてくる。


「皇国の技術者か?」

「おうよ。 うちの自慢のな。以前からお前とも会いたがっていた」

「そうか、こちらとしてもありがたい。 相談出来る者が少なくてな」


「ふふ、そうだろ。 それにな帝国に規格を独占させるわけにはいかん。 ……どうだ、アジム、勝算はあるのか。 商人の知恵が必要な時は、いつでも言え。 もちろん、高くつくがな」


最強の商人の来訪。

それは、オルガ村がもはや「静かな隠れ里」ではなく、大陸の利権が渦巻く「嵐の中心」になったことを告げる、終わりの始まりでもあった。


アジムは、工事の手を止め、トラベリオンの瞳を見据えた。

「勝算か……この会議に勝ち負けはないよ。 あるのは統一できるかできないかだな。 政治的な利害は俺にはわからないし、優れているものであれば帝国の規格でもいいんだ。 だがそれが技術者が使いやすいものであるならな。 道具や規格に国は関係ないさ」


そのあからさまなアジムの言葉に、トラベリオンは静かに沈黙した。

そして口を大きく開けて笑い出した。


「がっはっは。 リーネもだが、お前ほどこの俺にはっきりというものはおらんぞ。 全くもう少し遠回しに言えば、うまく立ち回れるものを」


「別かまわないだろ。 家族なんだから」


その一言がトラベリオンを激しく揺さぶったようだ。

その大きな両腕でアジムの方を掴んでいた。

しかもその目は潤んでいるようだった。


「そうだな、家族だったな」



管理棟の窓辺から港を見下ろすリーネが見るその光景は、どんなに暖かな光景に感じていたのだろうか。


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