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帝国編 第16話 ── 広がる波紋


■ 漁村という名の限界


フェルザン帝国の巨大な黒船「ブレイン号」が水平線の彼方へと消えてから、オルガ村には奇妙な沈黙が流れていた。

かつて、魔ガニの脅威に怯えるだけの名もなき漁村に過ぎなかったこの地は、アジムによって、白く強固な港と石壁を手に入れた。

しかし、その文明の利器が、皮肉にも村の「器の小ささ」を誰の目にも明らかな形で突きつけていた。


ネイサンの船は大きく、ほかに数船港に入れば身動きが取れなくなる。

波打ち際の桟橋に、アジム、バルじい、ヴィント、そしてトマルが集まっていた。


「……ありゃあ、船じゃねえ。動く城だ」


ヴィントが、網を修繕する手を止めて溜息を漏らす。


「俺たちの小舟が、まるで流木みたいに見えたぜ。あんなのが何隻も来たら、海は見えなくなるんじゃねえか?」

「それだけじゃねえ」


トマルが、巨大なクリート――船を繋ぎ止めるための鉄の塊を指差した。

「アジムさんが打ったこの最高級の鉄でも、波の拍子で船体が軋むたびに、悲鳴を上げてるみたいだった。この港、あんな怪物を複数受け止めるようにはできてねえよ」

 

アジムは無言で、桟橋の端に立っていた。

手には、使い古された測量用の紐と、帝国の定規がある。


「……たった一隻でこれだ」

アジムの呟きは、潮風にかき消された。


「『万国技術会議』……。俺は、とんでもないことを口にしたのかもしれない」


もし、帝国の予言通り、皇国や王国、あるいは連邦や共和国がそれぞれの威信をかけた大型船で押し寄せればどうなるか。アジムはその日から、寝食を忘れ、村の隅々を歩き回り始めた。


不穏な空気が、霧のように村を覆っていった数日間。

アジムは工房に籠もることもせず、岩場に杭を打ち、線を引いた。

その様子を、村の長老であるセランとヨルンが、苦々しい表情で見つめていた。


「アジムさん、そんなところに線を引いて、どうするんですか?」


セランの問いに、アジムは答えず、ただ「測量だ」とだけ短く返した。

アジムが引く白い線は、村の「生活の境界線」へと、容赦なく肉薄していた。



■ 拡張工事の議論とバルじいの怒り


沈黙の数日が過ぎ、ついに管理棟の円卓を村の主だったメンバーが囲んだ。

アジムの前に広げられた図面には、現在の「白い港」を三倍に拡張し、さらに村の西側の入り江を完全に埋め立てるという、巨大な計画が描かれていた。


「三倍!?」

バルじいが、自身の皺だらけの膝を叩いて叫んだ。


「俺たちの船をどこに船を置けと言うんだよ!」

ヴィントが嘆く。


「会議の間だけだ。その間は、東側の新しい岸壁を使えばいい」

 アジムの説明は、合理的だった。


だが、セランが静かに首を振る。

「アジムさんの技術は村を安全にしてくれた。だけど、この図面は……別の何かに塗り替えようとしているように見えるよ。この巨大な石壁は、本当に俺たちのためのものなのか?」


「バルじい、あんたからも言ってくれ!」

 ヴィントが縋るように村長を見た。

「俺たちは、アジムのおかげで船も家も、この場所も手に入れた。でも、港が広くなれば、もっとでかい船が来て、俺たちは海を追い出されるんじゃねえのか?」


「……万国の使節を迎えるには、これが最低限なんだ」

 アジムは、視線を逸らさずに言った。

「精度。規模。どれか一つが欠けても、会議は帝国の主導で進められ、村は飲み込まれる。そうならないために、俺たちは『対等な舞台』を作らなきゃいけないんだ」


「その舞台のために、村の日常を我慢しろというのか!」


ついにバルじいの杖が、机を叩き割らんばかりの勢いで振り下ろされた。

「バカタレ! お前さんが守ろうとしているのは、この『村』か、それとも自分の『理屈』か! そのために村の形を変えてしまっては、それはもうオルガ村ではないわい!」


「バルじい、でも……!」

「黙れ! 家を建て直せばいい、設備を新しくすればいい、そんなものは商人の考えじゃ。わしらはここで生きて、ここで死ぬんじゃ。お前さんの魔法は、暮らしを助けるためのもんじゃなかったのか!」


一触即発の空気の中、隣でずっと沈黙を守りつつ、アジムが引いた線の上をなぞっていたリーネが、ゆっくりと口を開いた。

「……皆さん、少しだけ、私の話を聞いていただけますか?」


彼女の穏やかな、しかし芯の通った声に、一同の視線が集まる。

「アジムは、世界からこの村を隠し通すのはもう無理だと悟ったの。だから、囲いの中に逃げ込むのではなく、自分たちで『ルール』を作るために戦おうとしている。……でも、セランさんやバルじい様が仰ることも、あまりに正しいです」


リーネはアジムの手をそっと握り、そのまま村人たちへ向き直った。

「技術は、使い方を間違えれば暴力になります。アジムの理想が、村の皆さんの心を置き去りにしているのなら……それは、私たちが一番恐れていた『帝国のやり方』と、何が違うのでしょう?」



アジムの心に、冷たい水が差されたような感覚が走った。

自分の正しさが、最も愛する者たちを傷つけている。その事実に、アジムは喉の奥が震えるのを感じた。



■ ラグスへの「重荷」


時は少しさかのぼる。

ラグスはアジムからの土産をもらい有頂天で王都の門をくぐりかけた時だった。


「ラグスさ~ん」

と声を掛けられ、馬車を止めた。


声を掛けたのはオルガ村で何度か話したことのある顔だった。


「アジムから、これをって」

そういって差し出されたのは丸められた皮紙だった。


中を読んでいくうちに、またもやしくしくと胃が知人で行く感覚に襲われ出した。


「じゃあ、わたしたからな」

そういって村人はそのまま町に入っていった。

おそらく一泊していくのだろう。


そんなウキウキした村人とは対照的に、ラグスは気の遠くなる思いだ。

なんせアジムからの連絡は、『万国技術会議』をやるから希望者がいれば参加しないかという誘いだ。

議題は周辺国の統一規格とある。

詳細は帝国や皇国の技術者たちと決めてからまた連絡するとなっていた。


「おいおい、そんな話してないだろ? どうやったら帝国まで出てくるんだよ!」

ほかの通行人もいるのに声を上げてしまうラグスであった。


一旦振り向き、オルガ村の方を向き、

“くそっ!”

と、唸りながら再度街へと馬車を走らせた。



そしてここにも運命の歯車に抗えない者がいた。


ジュリアンである。


彼は、意気揚々とアジムからの戦利品を報告に上層部の元に行く途中、王国商会からの使者が急用で面会を求めていると伝令から伝えられた。


行ってみると意外なことにラグスであった。

たしかにラグスには港では会っているが、あいさつした程度だ。

それだけの縁でここまで来るとは図々しい奴だと思いつつ、話だけは聞くことにした。


それが運のつきであった。

次の瞬間には、いてもたってもいられないほどの怒りが湧き上がっていた。



■ ジュリアンの乱入:国家のメンツ


そして次の日。

土埃を上げ、王国の紋章を掲げた馬車が村の門の前で急停止する。


馬車から降りてきたのは、若き官僚ジュリアンだった。

その顔は怒りと、さらに「手柄」を見つけた野心でひきつっている。


「不届き千万! アジム!」


ジュリアンは、出迎えたアジムに指を突きつけ、大声で怒鳴り散らした。

「貴殿、自分が何をしでかしたか理解しているのか! 一漁村の、それも他国出身の職人が、勝手に帝国と『国際会議』の約束を結ぶなど、王国の主権に対する明白な冒涜である!」


「……俺はただ、共通の物差しを決めようと言っただけだ。 帝国と『国際会議』の約束?」


「黙れ! それは国家が主導する外交だ! この土地は王国の領土であることを忘れたか!」

ジュリアンは、懐から重厚な「王命書」を取り出し、アジムの目の前でこれ見よがしに広げた。


「直ちに決定を下す。 オルガ村の港、および現在進められている全ての拡張計画の管理権を、王国中央政府へ譲渡せよ! 今後、警備、検疫、および港湾使用料の徴収は、全て私が指揮する王国中央政府が行う. ……反抗すれば、この村を反逆罪で包囲し、会議そのものを『不法集会』として差し止める!」


「……管理権を渡せば、この村は王国の軍事港になる。 違うか?」


アジムの静かな問いに、ジュリアンは鼻で笑った。

「それが国のためだ. 一介の職人が抱えるには、この技術はあまりに大きすぎる。 盾になれと言ったのは貴殿だろう? ならば、その盾の『持ち手』は王国の手にあるべきなのだ」


最悪の事態。


村の平和を守るための技術は、港を物理的に破壊し、今度は国家という巨大な怪物を村の内部へと呼び込んでしまった。

門の向こうでは、ジュリアンが引き連れてきた兵士たちが、アジムが引いた白い線の上を、無慈悲に踏み荒らしながら展開し始めている。


アジムは、握りしめた拳の中で、鉄の魔力が熱を帯びるのを感じた。

破壊するのは、簡単だ。

だが、今ここでその力を振るえば、村の日常は、その瞬間から永遠に「戦場」へと変わる。


水平線の向こうでは、今日も海が青く、無関心に揺れている。

だが、その穏やかな海原すらも、これからは「各国の欲」によって塗り潰されていくことを、アジムは予感せずにはいられなかった。



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