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◆帝国編 第14話 ── ラグスの一滴


■ ラグスの警告


王都からオルガ村へと続く道は、かつては痩せた土が露出するだけの貧弱な轍に過ぎなかった。

しかし今、そこにはアジムが開発した石のように叩き固めた「白く硬い道」がどこまでも伸びている。


その道を、一台の荷馬車が猛烈な勢いで駆け抜けていた。

御者台で必死に手綱を振るうのは、王国商会のラグスである。


「……ハァ、ハァ……間に合ってくれよ……!」


ラグスの顔は土埃にまみれ、その瞳には焦燥の色が濃い。

彼は初めてこの新しい村を訪れて以来、アジムの「鉄」が村をどう変えてきたかを最も近くで見てきた。

そして、王都の「沈黙の円卓」で交わされた、あの冷徹な言葉の意味も知っている。


村の入り口が見えてくる。

横に広がる空堀と鉄柵に囲まれた一角にある門の前、槍を手にした村人が怪訝そうな顔で立っていた。


「よお、ラグス。そんなに急いでどうした? 命でも狙われてるのか」

「笑い事じゃない! アジムはどこだ!」


その様子に状況を察したのか門番は門を開けて招き入れる。

ラグスはすぐさま馬車を進め、管理棟の港側に向かう。

馬車を止めるなり飛び降り、荷台から重い籠を二つ、引きずるようにして下ろした。

中には王都で集めた「魔ガニの殻」が詰め込まれている。


「……これを!」


ラグスは管理棟の前にいたトマルに押し付けるように預け、工房へ走り込んだ。

工房の中では、アジムがいつものように炉の前に座り、「芋虫鉄」を指先で弄んでいた。

鉄はアジムの意志に従い、複雑な歯車の形を次々と成形しては崩していく。


「……ラグスか。えらい慌てようだな」

「アジム、鉄を弄ってる場合じゃない! また王都の様子がきな臭いぞ」


ラグスは息を切らしながら、アジムの作業机の前に立つ。


「以前の徴税官や監督官なんて可愛いもんじゃない。その上が来るぞ」


アジムは鉄の動きを止め、静かにラグスを見つめた。

その無機質な瞳は、ラグスの苛立ちを鏡のように映し出していた。


■ 門前の矜持


ラグスの到着から半刻も経たぬうちに、村の手前に巨大な砂煙が上がった。

王国政府の紋章を刻んだ豪華な馬車と、磨き上げられた鎧に身を包んだ二十名の騎兵。

その後ろには、王国商会の本部に直属する「技術調査団」の馬車が三台続いていた。


馬車の窓から外を眺めていた若き官僚ジュリアンは、村の姿が見えた瞬間に息を呑んだ。


「……何だ、これは。ここは本当に漁村なのか?」


目の前に広がるのは、のどかな村の風景ではなかった。

村の周囲には、深く、鋭く穿たれた「空堀」が口を開けている。

そしてその内側、高く盛り上げられた土塁の上には、見たこともない防壁が張り巡らされていた。


細い鉄の線が幾重にも交差し、その至る所に鋭い「棘」が突き出している。アジムが芋虫鉄で編み上げた「鉄条網」だ。

それは物理的な障害である以上に、侵入者の肌に「拒絶」の意志を直接突き刺すような、不気味な威圧感を放っていた。


「……まるで、軍事拠点ではないか」

ジュリアンの同行者も震える声で呟く。


馬車が門の前に止まると、門の奥にいる警備兵らしき者に向って、ジュリアンの部下が声を張り上げた。


「王国政府内政官、ジュリアン・ド・ヴァッサリア殿である! 王命を帯びて参った! 速やかに門を開けよ!」


だが、門番は動かない。

代わりにこれまで返されたこともない言葉が返ってきた。


「……王命だろうが何だろうが、この村にはこの村のやり方がある」


門番は堂々と冷たく言い放つ。


「ここは王国の領土だぞ! 逆らうつもりか!」

ジュリアンの部下が剣の柄に手をかけた。


一触即発の緊張が走る。


その時、門の奥からゆっくりと腰に剣を帯びた二人の人物が歩み寄ってきた。

アステルとゴーリキだ。


「我は皇国商会騎士団アステル。大勢で押しかけていきなり入れろとは、王国にはまともな礼儀も知らない者が多いようだ」

アステルが大声で挑発する。


「逆らう?逆らうなどおこがましい。同じく我は皇国商会騎士団ゴーリキ。王国に義理を感じることはないぞ」


アステル達は大胆不敵にも皇国商会の名を出し、一戦交えても村ではない証としたのだろう。

二人は名乗りを上げた後、するりと剣を抜き、構えた。

以前は護衛対象のリーネについていくこと敵わず、取り残されたことを悔いていたのだろう。


だが、すぐそのあと港の方から声がかかる。


「……騒がしいのう。王都の役人さんは、礼儀というものを忘れたのか」


■ 村の正体


声を掛けたのは、杖を突いた長老のバルじいだ。

そして、その後ろには汚れた作業着を着たままのアジムだった。


バルじいが、皺だらけの手で懐から一枚の書状を取り出した。

それはかつてリーネが王国との間に結んだ、公的な契約の写しだった。


「わしらオルガ村は、『未開拓地復興特例』に基づき、開墾から三年間は免税対象。さらにアジムは、王室から『独立技術顧問』の称号を賜っておる。これは居住の自由を保障し、王国の強制徴用を一切禁止するものじゃ。……これに異議を唱えるなら、まずは王宮の法務局とやり合ってからにするんじゃな」


ジュリアンは眉をひそめ、泥だらけの路面に降り立った。

「……屁理屈を。法とは時代と共に変わるものだ。王国はいま、存亡の機にある。個人の特権など――」


「法がそうポンポン変わってもらってもわしらも困るんじゃがのう」

「そっちの都合で変わる法など意味があるのか?」


バルじいやアジムの道理はもっともな話である。

国の規範である法がコロコロ変わっては国民には迷惑そのものである。


ジュリアンは言い返そうとするも、すぐに十分な理屈は組み上げられなかった。


「くっ……貴様らのような――」


思わず口から高圧な罵倒が飛び出しかけた時、村を囲む森の奥から、乾いた「音」が響いた。


カラン、カラン、カラン……


アジムが森の中に張り巡らせた「鉄の鳴子」が、何者かの侵入を告げている。

「……な、何だ?」


聞きなれない音にジュリアンたちが狼狽する中、アステルたちが無言で周囲へと散開した。


数分の後、森の至る所から、人のものとは思えぬ悲鳴とうめき声が上がった。


「ぐわああああっ!」

「足が……足が抜けん!」


アステルたちが引きずり出してきたのは、黒い服を着た男たちだった。


一人は落とし穴に落ちた者。

一人は仕掛けた極細のワイヤー罠で逆さ吊りにされた者。

もう一人は――巨大な獣用の「トラばさみ」に足を挟まれ者たちの末路だった。


その三人がアステルたちに引きずられて、ジュリアンたちの前に放り出された。


「……貴様ら、これは何だ!」

ジュリアンが顔を青くして叫ぶ。


アジムは冷徹な瞳で、罠にかかった男たちを一瞥した。

「あんたの仲間じゃないのか?」


「ち、違う! 我々は正規の使節団だ、このような者など連れていない!」

「そうか。なら、こいつらは勝手に村の庭に入ったドロボウだな。……アステル、あとでトラベリオンにでも引き渡して、皇国で処理してもらってくれないか」


「待て! それは……!王国で――」

ジュリアンは言葉を詰まらせた。


正直、この者たちは自分の配下の者ではない。

そんな者たちの素性も背後関係や目的などは非常に気になる。

それをみすみす皇国に渡すなど、情報漏洩に等しい。

だが引き取れば、ますますこの村の疑いを深めることになる。

そんな計算がジュリアンの言葉を止めたのだ。


「なんだ、そっちが引き取るのか?」

アジムの言葉と視線はジュリアンを射抜いた。


ジュリアンはその言葉に覚悟をもって答えるしかなかった。

「いや、なんでもない。この村に対する敵対者なら村で対応してかまわない」


この村は、単に技術者が住む場所ではない。

入る「作法」を間違えれば、国家の工作員すら飲まれる場所なのだ。

ジュリアンは、ここを力で捻じ伏せるのは不可能だと直感した。

そう悟ったからには、行動は早い。


「無礼を……認めよう。先ぶれなしに来たことを。だが、私も手ぶらでは帰れん。せめて、港の視察だけでもさせてはもらえないか」

あっさりとジュリアンは非礼を詫びた。


意外にもアジムとバルじいは視線を交わし、短く頷いた。

「……ついてこい。泥を落とす場所くらいはある」


■ 版図を揺るがす「妥協」


案内されたのは、港を見下ろす高台にある管理棟だった。

室内には、いつの間にか身重のリーネも控えていた。

彼女は大きな腹を抱えながらも、その瞳には王国の官僚を射抜くような鋭い知性が宿っている。


「……要件を伺いましょう、ジュリアン様」

リーネの声は静かだが、拒絶の壁のように冷たかった。

そのすました顔から感情は読み取れない。


自分ならば、以前王国政府を口先で転がした小娘など相手ではないと豪語していたが、実際にあった瞬間にそんな思いも吹き飛んだ。


ジュリアンは居住まいを正し、王都の窮状を語り始めた。


「皇国の繁栄、連邦に圧勝した帝国の不穏な動き。王国は今それらに備え、自立した技術体系を必要としている。アジム殿の技術を王国の管理下に置き、共同開発の体制を整えたい。王都に工房を用意しよう。貴殿には最高の待遇を約束する」


「断る」

アジムは即答した。

「自分の鉄は限りがある。俺に鉄だけを生み出して生きろというのか?だから断った」


「……ならば、力ずくで奪われるのを待つというのか! 先ほどの工作員を見ただろう。いずれかの軍部が本腰を入れれば、こんな村など――」

ジュリアンの理屈は当然である。

たかが村ひとつに国の軍なら一ひねりであろう。


だがこの村は違う。


「そうなれば、版図が変わるだけですわね」

リーネが、ジュリアンの言葉を静かに塗りつぶした。


「版図が変わる……? どういう意味だ」

「この村が王国であることを辞める、ということです。王国が私たちを守る盾ではなく、私たちを縛る鎖になるというのなら……私たちは、別の道を選びます」

それは、静かな「独立宣言」だった。


王国内にありながら、王国を否定する。

その言葉の重みに、ジュリアンは息を呑んだ。

アジムの技術があれば、この村は一つの国家に匹敵する価値を持つのだ。


沈黙が流れる中、アジムが重い口を開いた。

「……だが、ラグスの顔に泥を塗るわけにもいかない。鉄はそのものを渡すことはできないが、物はやる」


アジムは机の上に、いくつかの品を並べた。

一つは、向こう側がぼやけて見えるが、出来上がったばかりの「板ガラス」。


一つは、寸分違わず噛み合う「鋼のギヤとラッチ」。

そして、小さな瓶に入った「魔ガニの粉末と貝灰の混合物」。


「これは、俺が作った素材のサンプルだ。石壁の作り方も、配合は書いておいた。あとはあんたたちが自分たちで勝手に作れ。……それと、これだ」


最後に置かれたのは、小さな木製の模型だった。

三つの動滑車を組み合わせ、非力な人間でも巨大な矢を放てるように設計された「複合バリスタ」の模型だ。


「……これは!」

ジュリアンの目が、官僚のそれから、技術に飢えた獣のそれに変わった。


「これがあれば、王国の防備は劇的に向上する……。アジム殿、これを渡してくれるのか?」


「ああ。だが、条件がある。……二度と、俺の許可なく門を叩くな。次は、鳴子だけじゃ済まさない」

アジムの気迫に、ジュリアンは気圧されるように頷いた。


■ ラグス叱られる


ジュリアン一行が、戦利品のような模型を抱えて村を去っていく。

泥にまみれた馬車が遠ざかるのを、アジムとラグスは港の桟橋から眺めていた。


「……いいのか、アジム。あんなものを渡して」

ラグスが、茹で上がった魔ガニの足を剥きながら、不安げに尋ねる。


「あれはただの模型だ。実際に作るには、精度の高い軸受けと、俺が打ったバネがいる。……王都の職人が四苦八苦している間に、こっちは次の段階へ進む」

「……あんたは、本当に食えない男だ」

ラグスは苦笑し、カニの身を口に運んだ。


「それとだ。ラグスのほうでも石壁の粉を作ってくれていいぞ。お前も土産がいるだろ。それとガラスの製法もだ」


「いいのか?」

「ああ、かまわないよ。ただどちらもまだ改良の余地はある。特に石壁のほうはここでは魔ガニだが、皇国では名前は知らないが、白い砂を混ぜて作ることができる」


「白い砂?」

「なんでも、北の方では土壁に塗りこむらしい。ここら辺では見かけないがな」

「北の方ねえ……」


「それがあれば魔ガニよりも安くできるんじゃないか?まあ、そういう意味でもお前に託すんだよ」

それは暗にラグスに“白い砂”を探せということだ。


ラグスは理解した。

本当の意味でこの村から信頼を得たことを。


その後ろからバルじいがポンポンと叩く。

「そういうこっちゃ、よかったな」


ラグスは目の前の石壁の粉を見つめ、一滴の涙が粉に落ちた。

感無量の一滴だったのだが、


「馬鹿もんっ! 粉に水を触れさせる出ないわい」


今度はバルじいは杖で叩き出す。


謝りながらラグスの顔は泣き笑いとなっていた。

そんな光景の中、皆自然と笑みが浮かぶ。


そしてラグスは上機嫌で帰路につく。


だが、見送ったアジムの表情は晴れなかった。

彼は、管理棟にはめたガラス越しに水平線を見つめていた。

そこには、王国の役人たちが放つ「欲の臭い」とは別の、より鋭利で、より冷酷な「鉄の臭い」が漂っていた。


海では夕闇に染まる水平線から、三本の巨大なマストを持つ、漆黒の船影が姿を現した。

それは王国のものでも、皇国のものでもない。

フェルザン帝国、商船艦。

その甲板には、白い港に商機を見出した男――ネイサンが立っていた。





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