帝国編 第13話 ── 澱む王都、遠き潮騒
■ 沈黙の円卓
ヴァッサリア王国商会本部・最上階。
厚いカーテンが昼光を遮り、燭台の炎が円卓の縁を鈍く照らしていた。
ラグスは末席で、袖口に忍ばせた胃薬の小瓶を指先で確かめた。
喉は乾き、胃は焼けるように痛む。
「――説明は以上か、ラグス」
オズワルドの声は、刃物のように冷たかった。
彼は手元の資料を乱暴に閉じ、壁に掛けられた古い交易地図を指し示す。
「皇国はルーン商会を通じて、“石壁”で国境を固め、今やアジムの“鉄を操る力”にまで触手を伸ばしている。……この意味が分かるか?」
ラグスは息を呑む。
オズワルドは続けた。
「海路は皇国のものとなりつつある。陸路は石壁で封じられ、鉄の技術まで奪われれば――
王国は、交易国家としての“心臓”を失う」
別の幹部が苛立ちを隠さず言葉を重ねた。
「オルガ村は王国領だ。宝の山を抱えながら、なぜ掘り当てられん?“商人の交渉術が通じぬ”など、子供の泣き言だ。力で動かぬなら、別の手段を使えばよい」
ラグスはゆっくりと顔を上げた。
声は震えていたが、言葉は真っ直ぐだった。
「アジムは、己の技術が“誰の手に渡るか”を何より重んじる男です。金でも権力でも動かない。彼は、王国がその技術を“何に使うか”を見ている。強引に迫れば、彼は技術ごと他国へ逃れるでしょう。皇国でも、帝国でも、あるいは……連邦でも」
幹部の一人が鼻で笑った。
「逃げる? ならば逃げられぬように囲えばよい。村ごと“保護”する法案を通すこともできる。王国のためだ」
ラグスの背筋に冷たい汗が流れた。
「……それは、保護ではなく“収奪”です。アジムは決して従いません。むしろ王国への不信を決定的にするだけです」
オズワルドがゆっくりと身を乗り出した。
その目は、逃げ場のない獲物を見下ろす蛇のようだった。
「ラグス。お前は“商人”としての理屈を語っている。だが今、我々が直面しているのは“国家の危機”だ。皇国は海を握り、帝国は陸を固め、連邦はその手先となりつつある。王国が生き残るには――アジムの技術が必要だ」
彼は指先で円卓を軽く叩いた。
その音が、死刑宣告の鐘のように響いた。
「次に村へ向かう際、手ぶらで戻ることは許さん。アジムから“王国が独占できる技術”を必ず持ち帰れ。できぬなら……」
オズワルドは言葉を切り、冷笑を浮かべた。
「その席は、別の者に譲ってもらう」
ラグスは震える手で膝を握りしめ、深く頭を下げた。
胃の奥が焼けるように痛む。
だが、声は出なかった。
円卓の上には沈黙だけが残り、その沈黙こそが、王国の焦りと腐敗を雄弁に物語っていた。
■ 官僚の天秤
王城の奥深く、窓のない執務室。
壁一面に貼られた地図と軍備配置図が、部屋の空気をさらに重くしていた。
軍務卿が報告書を机に叩きつけた。
「皇国が“バリスタ”増産をし始めたようだ。射程は従来の1.5倍、装填速度は半分。
――このままでは、王国の港は“皇国の気まぐれ”で封鎖される」
外交官が眉をひそめる。
「皇国は海路を押さえ、帝国は陸路を固め、連邦は資源を独占しつつある。我が国は、三方からじわじわと締め上げられているのだ」
その言葉に、若き官僚ジュリアンが静かに手を挙げた。
彼の瞳には、野心と計算が宿っていた。
「――だからこそ、アジムを“国家の枠”に取り込むべきです。彼を王国公認の“国家技術顧問”として召し上げる。商会のラグスのような民間人に任せていては、皇国に先を越されるだけです」
軍務卿が鼻を鳴らす。
「若造。お前はアジムを“技術者”としてしか見ていない。奴は、技術の使われ方に異常なほど敏感だ。王国が軍事利用を望んでいると知れば、真っ先に逃げるのは奴だぞ」
ジュリアンは微笑んだ。
その笑みは、若さゆえの無謀ではなく、計算された自信だった。
「逃げられないようにすればいいのです。オルガ村は王国領。王国法の下にある以上、“技術提供義務”を課す法案を通すことも可能です」
外交官が机を叩いた。
「正気か!アジムの背後には皇国のトラベリオンがいる。強制すれば、皇国は“王国が技術者を拉致した”と騒ぎ立てるだろう。海路を封鎖されれば、王国は半年も持たん!」
ジュリアンは肩をすくめた。
「外交とは、相手の“出方”を読むことです。皇国は今、東方の帝国と睨み合っている。王国に本気で牙を剥く余裕はない。むしろ、アジムを巡る“交渉材料”が増えるだけでしょう」
軍務卿が鋭い目でジュリアンを見据えた。
「……お前の言う通りに動いて失敗したら、王国は皇国と帝国の両方を敵に回すことになる。その責任を取れるのか?」
ジュリアンは一歩前に出た。
「取りますよ。成功すれば、王国は“技術の主導権”を握る。失敗すれば――私の首ひとつで済む話です」
その言葉に、室内の空気がわずかに揺れた。
彼の覚悟は、若さゆえの無謀ではなく、“自分の首を賭けてでも出世を掴む”という官僚の冷徹な計算だった。
外交官が低く呟いた。
「……この国は、若い野心に賭けるほど追い詰められているのか」
軍務卿は黙って地図を見つめた。
王国の海岸線は、皇国の赤い印に覆われつつあった。
■ 雑踏の裏側
王都の目抜き通りは、いつも通りの喧騒に包まれていた。
だが、その華やかさの裏側で、明らかに異質な気配が混じり始めている。
酒場の隅、暗がりに陣取った男が、杯に指を浸してテーブルの上に小さな印を描いた。
それを見た向かいの男が、聞き取れぬほどの低い声で囁く。
「ターゲット健在。皇国との接触密。……拉致か、排除か。上の判断を待つ」
男の言葉には、独特の硬い訛りがあった。フェルザン帝国の諜報員だ。
また別の路地では、高級そうな絹を纏った商人が、数人の護衛に囲まれて密談を交わしていた。
「王国の官僚どもが動き出した。奴らが無能を晒している今こそ好機だ。……何としても、我々のルートでアジムを確保しろ。ルーン商会に独占させておくには、惜しすぎる首だ」
そこへ、商会の執務室に戻る途中のラグスが通りかかった。部下の一人が、不安げにラグスの耳元で囁く。
「ラグスさん、最近王都に妙な連中が増えています。商人に見えますが、腰の歩き方や視線の配り方が不自然です。おそらく……」
「……帝国か、連邦か。いや、どちらもだろうな」
ラグスは、酒場から出てくる鋭い目の男を見送り、自虐的な笑みを漏らした。
「こいつは見ものだな。王都の連中はアジムを甘く見ているが、あの罠だらけの村がそう簡単に落ちはせんよ。……あそこの本当の怖さを知っているのは、俺くらいのものか」
■ 夜の逃避行
王都の目抜き通りは、いつも通りの喧騒に包まれていた。
だが、耳を澄ませば、笑い声の裏に微かな“緊張の継ぎ目”がある。
旅芸人の歌は明るいのに、観客の視線はどこか落ち着かない。
商人たちの呼び声も、どこか上ずっている。
その華やかさの下に、異質な気配が静かに混じり始めていた。
酒場の隅。
暗がりに陣取った男が、杯に指を浸し、テーブルに小さな印を描く。
向かいの男が、聞き取れぬほど低い声で囁いた。
「ターゲット健在。皇国との接触密。……拉致か、排除か。上の判断を待つ」
その声には、フェルザン帝国特有の硬い訛りがあった。
二人の目は笑っていない。
彼らにとってアジムは“技術者”ではなく、“戦略資源”だ。
別の路地では、絹を纏った商人が護衛に囲まれ、密談を交わしていた。
その立ち居振る舞いは優雅だが、目だけは獣のように鋭い。
「王国の官僚どもが動き出した。奴らが迷走している今こそ好機だ。……アジムは我々のルートで確保する。ルーン商会に独占させておくには惜しすぎる」
護衛の一人が低く問う。
「皇国と帝国、どちらが先に動くと?」
「どちらでも構わん。“混乱”こそが、商人にとって最も甘い蜜だ」
その頃、商会の執務室へ戻る途中のラグスが通りを歩いていた。
部下が不安げに耳元で囁く。
「ラグスさん……最近、王都に妙な連中が増えています。商人に見えますが、歩き方や視線の配り方が……兵士のそれです。おそらく……」
「……帝国か、連邦か。いや、どちらもだろうな」
ラグスは、酒場から出てきた鋭い目の男を横目で見送り、自嘲気味に笑った。
「王都の連中はアジムを甘く見ているが……あの村は、ただの“辺境の集落”じゃない。罠だらけの森、妙に統制の取れた住民、そして何より――アジムの“目”がある」
部下が息を呑む。
「……まるで、村そのものが“要塞”みたいだと?」
ラグスは小さく頷いた。
「そうだな。……いや、どちらかというと泥沼みたいなもんだな。渡り方を間違えれば、大きな犠牲が出る。……その怖さは、行った者でないとわからんさ」
喧騒の中、王都の空気は確かに変わり始めていた。
誰もまだ刃を抜いてはいない。
だが、“アジムを巡る静かな戦争”は、すでに王都の路地裏で始まっていた。
■ 動き出す影
翌朝。
霧が立ち込める王都の裏門から、数台の馬車が静かに出発した。
一台は、魔ガニを積んだラグスの馬車。
ありったけの在庫をかき集め朝一で門をくぐった。
もう一台は、若き官僚ジュリアンが率いる役人の一団。
王国の権威という鎖を持った、公的な「介入者」たち。
そして、その馬車の列を、離れた場所から見守る複数の視線があった。
「……動き出したか。王国の役人も商人も、まとめて帝国の養分にしてやろう」
帝国の諜報員の馬車が、音もなく後に続く。
さらにその後ろには、皇国の別勢力から差し向けられた手下たちの影があった。
目的はただ一つ。
オルガ村に住まう、鉄を操る男。
朝日が昇ると同時に、三つの影は王都から長く伸び、アジムの待つ北の海へと、這うように近づいていった。




