帝国編 第9話 ── 狂乱の予兆
■土産
「……お前たち、これで金もうけを考えているのか?」
トラベリオンの問いに、リーネが食い気味に答える。
「もちろんですわ! これがあれば王国の海軍だって、他国の商団だって……ムグムグッ!?」
リーネの言葉は最後まで続かなかった。
隣にいたアジムが、その大きな掌で彼女の口を強引に塞いだのだ。
「……まずかったか?」
アジムの低い声に、トラベリオンは深く息を吐き、首を振った。
「いや、将来的にはいいだろう。だがな、じわじわ広めるのでは間に合わん。一気に売り出し、覇権を握らんと……この『針』の存在が漏れた瞬間、この村そのものが狙われることになるぞ」
「そうか、そこまでだったか」
アジムの手が解かれ、リーネがようやく解放された。
「ぷはっ!……ちょっとアジム、失礼ですわよ! それに、なんでですの、お父様! 良いものなら高く、大切に売るのが商売の鉄則ではありませんか!」
抗議する娘に、トラベリオンは険しい表情のまま答えた。
「リーネ、これはただの商売道具じゃねえ。……『武器』だ。夜の海を自在に駆ける船団を、どこの国が放っておく? 奴らは買いに来るんじゃない、奪いに来るんだ。準備が整う前に情報を漏らせば、オルガ村は火の海になるぞ」
その父の言葉にはたと気づいたリーネは、一瞬にして気まずい表情となる。
そんなリーネの肩を抱くアジム。
「俺もつい調子に乗ってたよ」
アジムもリーネと同じ思いだ。
「ガハハ! 怖気づいたかアジム!」
トラベリオンが見かねてか再び大げさ笑ったが、その目は笑っていなかった。
「なあに、ルーン商会の総力を挙げて、製造ラインと護衛を整えてやる。リーネ、お前はアジムのサポートだ。いいか、この『針』のことは、絶対に他言無用だぞ」
トラベリオンは一旦言葉を切ると、
「それとだ。王国商会の奴、ラグスといったか。奴だけに伝えて商船や軍船の分もそろえてやれ。……タダでだ」
「タダ……!? お父様、正気ですの!?」
リーネの叫びを無視して、アジムが眉を寄せた。
「先にばらまいてしまうということか」
「そうだ。金なんか後でいくらでも稼げる。だが、一国が独占してしまえば、他国は必死になってこの村を潰しに来る。先にばらまいて『当たり前の道具』にしてしまえば、市場価値は落ちるが、ここをわざわざ襲う理由は薄まる」
トラベリオンはアジムの肩を力強く叩いた。
「この村を守るための高い保険料だと思え。……アジム、ここは割り切れ。帝国や連邦の耳に届く前に、海をこの『針』で埋め尽くすんだ」
「……ああ。やってやるよ」
アジムは低く応えた。
職人としての矜持よりも、この平穏を壊さないための戦い。
そのためなら、自分の技術を撒き餌にすることさえ厭わない。
何しろ自分で蒔いた種だ。
話が一段落したところで、トラベリオンが不意に足元の地面――
アジムが魔法で鉄を抜き取った後の、白茶けた砂を指差した。
「……ところでアジム。その『鉄を抜いた後の砂』、余ってるなら商会で引き取りたいんだが、構わねえか?」
「砂を? そんなもん何に使うんだ。ただのカスだぞ」
アジムが怪訝そうに眉を寄せると、トラベリオンはニヤリと笑う。
そして土産に持ってきたあの『青いコップ』を指差した。
「そいつだ。……ガラスを作っている奴が言いやがるんだよ。原料は砂なんだがな。もっときれいな砂になればもっと質のいい物が作れるとな。……そこでお前さんのことを思い出したんだよ。お前が鉄を抜き取った後のこの砂、驚くほど不純物がねえ。これを使えば、今まで以上の硝子が焼けるかもしれねえのさ」
アジムは絶句した。
自分が「鉄」にしか価値を見出していなかった残骸から、この男は次の商機を見出している。
「ガハハ! 鉄だけが宝じゃねえんだよ、アジム! お前が歩いた後には、金の山ができるのさ!」
トラベリオンの豪快な笑い声が、アジムの耳には少しだけ恐ろしく、そして頼もしく響いた。
■揺らぐ均衡
その頃、フェルザン帝国の交易港を見下ろす豪奢な商館の一室。
シルバは、目の前の机に叩きつけられた通達書を、無表情に見つめていた。
「説明しろ、シルバ。お前の『水車停止計画』の失敗で、我が商会の輸出品のシェアが落ちることになるのだ。連邦の商人が、辺境の修理屋に負けた。この損失、どう責任を取るつもりだ?」
帝国のパトロンからの怒声に、シルバは静かに頭を下げた。
「……計算外のことが起きたのです。彼は均衡を捨て、あえて奇妙なギアを……」
「言い訳はいい! 成果を出せなければ、お前はただのゴミだ。次はないと思え」
男が部屋を去った後、シルバは打ち震えていた。
(もとはと言えば我らの技術。戦争でお前らが奪ったのではないか)
そんな怒りもアジムが修理したというギアの模写図面をなぞり、怒りはアジムに向かう。
(……アジム。君はまた、私の積み上げた戦略を『無骨な正解』で踏みにじったのか)
かつての同郷。
自分は「商才」で世界を支配しようとし、アジムは「腕」で世界を塗り替えていく。
その埋められない差が、シルバの理性を黒い情念に変えていく。
「……君がそこまで『技術』で成果を上げるなら、私は戦いの場を移すしかない」
シルバは海図を広げ、アジムたちがこれから目指すであろう東の航路を見つめた。
敗北を糧に狂気を孕んだシルバの執念が、静かに、しかし確実に牙を研ぎ始めていた。




