帝国編 第7話── 連邦の残照
■シルバの嘲笑
王都の北側、歴史ある会員制クラブ「ラピス・ラズリ」。
その最奥、厚いビロードのカーテンで仕切られた個室には、連邦の元特使シルバ、内務省の野心家ジュリアン、そして王国商会の理事オズワルドが顔を揃えていた。
卓上には、精巧な縮尺で造られた水車の模型が置かれている。
シルバはその模型の歯車を、細長い指でゆっくりと回しながら、愉悦に満ちた声を漏らした。
「人間という生き物は、つくづく『美しさ』という罠に弱い。左右対称、均整、偶数……。アジムという男も、その例外ではありません」
シルバは冷徹な瞳を上げ、二人の共犯者を見据える。
「ジュリアン殿、オズワルド殿。思い出してください。アジムがこれまでに造ったものは、どれも完璧な均衡を保っていました。港、橋、石壁、そして板バネ式サスペンション。彼は無意識のうちに、鉄という素材に『神の如き調和』を求めています。だが、しかしそれだけでは超えられないものもあるのです」
オズワルドが、あごひげを撫でながら訝しげに問う。
「……しかし、奴が造る鉄の強度は異常だぞ」
「壊す必要はありません。勝手に死ぬのを待てばいいのです」
シルバは模型のギアを指さした。
「私がオズワルド殿を経由して受けさせた水車の駆動部品。これが見事にアジムも普通の鍛冶屋と同等であることを示してくれるはずです。……まあ、しぶしぶ受けたみたいですがね。鍛冶師ギルドでも長い間抱えている難問だ。それをあえて鉄でやらせるのだからな。結果が楽しみだ」
シルバはワイングラスを傾け、独り言ちる。
「彼は一分の隙もない、硬く純度の高いギアを組み上げるでしょう。しかし、同じ歯同士がぶつかり続け、衝撃が蓄積されることによって内側から自己崩壊を起こす。……これを連邦の学術用語で『偏摩耗の極致』と呼びます。避けては通れない技術の壁です」
「一ヶ月も持つかどうか。彼の自信がボロボロの粉になる。そうなれば彼も普通の鍛冶屋。その時、『所詮は学のない鍛冶屋だった』と嘲笑してやるのです。精神が折れた天才ほど、御しやすいものはありませんよ」
シルバの低い笑い声が、重厚な部屋に不気味に響き渡った。
■王都より北の村
「……なんだって? 王国商会から工作の依頼?」
オルガ村の作業場、アジムは不機嫌そうに聞き返した。
「ええ。水車が壊れて大工や鍛冶屋の手が足りなくて、こちらに回ってきたらしいわ。王国商会といえばラグスさんの関係だし、断るわけにもいかないでしょ」
リーネにそう言われ、アジムは渋々請けるしかなかった。
現場へ行けば、そこには新たに整備された農業用水路に、巨大な水車が鎮座していた。
問題はその心臓部、駆動用のギアだ。
アジムは古いものを取り外し、その場で芋虫鉄を練り上げていく。
形状は元のギアがあるため、比較的簡単だった。
アジムは不眠不休でそれを組み上げた。
村の未来を象徴する「鉄の結晶」として。
稼働初日、その滑らかな回転に村人たちは歓喜した。これまでの木製水車とは比較にならないスムーズさだ。立ち会った役人や王国商会の者も、依頼を完璧にこなしたアジムを褒めたたえた。
しかし、稼働から二週間が過ぎた頃。
不気味な高音が漏れ始めた。 ――キィ、ギギィ……。
「震動が日に日に激しくなって、三週間目の朝、ついに『ガゴン!』と激しい音がして……完全に止まっちまったんだ」
村人の語る言葉をアジムが聞いていると、視察を装った査察官たちが現れた。
その中心には、優雅に扇子を弄ぶシルバがいた。
内心の嘲笑を隠し、シルバは会釈をする。
「なんだよ、せっかく期待したのに」
「やっぱり大きすぎたのかな」
村人たちの声。
アジムを責める意図がないのはわかっていた。
だが、期待に応えられなかった自分に、アジムは猛烈に腹が立っていた。
「おやおや。王国の方が自慢げに誘ってくれたので来てみましたが、アジムさんらしくありませんね。これでは別の方に頼んだ方がよかったかもしれませんね」
シルバが、憐れみを装った声で近づいてくる。
王国商会の者も、それに合わせて冷たい声を浴びせかけた。
「アジム殿。無理を言ってすいませんでしたね。あなたの鉄を見込んで依頼したのですけど……別のものに任せますので、今日のところは……」
アジムは何も答えない。
泥と油にまみれた手で、重いギアボックスの蓋を開けた。
そこには、無惨に砕け散ったギアの破片が散乱していた。
驚くべきことに、特定の三枚の歯だけが、原型を留めぬほど叩き潰されていた。
「……どういうことだ?」
怒りよりも、底知れぬ困惑がアジムを包む。
「俺の鉄だ。融合も完璧だ。……なのに、どうして?」
「答えは簡単だ、アジム殿。君に足りないのは力ではなく、歴史だよ」
シルバが耳元で囁く。
「君の鉄だけでは超えられない壁もあるんじゃないかい。それを無視した報いが、この鉄屑の山だ。……今は帰ったほうがいいんじゃないかい?」
アジムは震える拳を握り、今は黙って帰るしかなかった。
そしてアジムが消えた後、背後でシルバの高笑いがいつまでも響いていた。
■ 執念の逆転
翌日から、アジムは作業場に籠りきりとなった。
「アジム、一度休んで……」
リーネが何度食事を運んでも、彼は一言も発さず、砕けた破片をルーペで覗き込み、紙に無数の円を描き殴っていた。
アジムの脳裏には、シルバの嬉しそうな顔と、砕けた鉄の断面が交互に浮かんでいた。
(なぜ、あそこだけが壊れた? 俺の目は間違っていない。鉄の組成も均一だった。……だとしたら、壊れたのは『鉄』じゃない)
アジムはギアの歯数を数え直した。12枚と24枚。
歯の隙間を詰めたり、離したり。
やがて数枚の歯から細かい欠片が削られた。
二日目、ついに彼は気づいた。
「……そうか。逃げ場がなかったんだ」
瞳に光が戻る。
「完璧に合わせすぎた。均衡なんてものは、ただの『呪い』だったんだ。……なら、狂わせればいい」
アジムは狂ったように笑った。
徹夜明けの熱に浮かされたように。
だがすぐに笑いをやめ、ギアの制作に取り掛かる。
作り上げたのは、あえて左右非対称にし、枚数を「割り切れない」数に変えたものだ。
駆動側を13、従動側を25。
わずか一枚の違いが、全ての歯に「休息」を与え、摩耗を等しく分散させる。
数日後。水車が再び回り出した。
「……回る。アジムさん、前よりずっと音が静かだ!」
村人の歓声。だがアジムの表情は硬い。
(ここまでは前回との差はない。……しばらくしたら、また来るよ)
それから三週間。再び村を訪れたアジムの顔に、やっと笑みが浮かんだ。
その後、王国商会にも村からお礼の連絡が入る。
『アジム殿を紹介してくださりありがとうございました』
報告を受けたオズワルドは、使いの者を走らせた。
長年の問題が解決されたという噂は瞬く間に広まり、今度は商会側がアジムの元に頭を下げざるを得なくなった。
それを遠方で知ったシルバは、扇子を握りつぶした。
「くそっ……なんであんな奴が……誰もできなかったことを可能にするというのか!」
この「奇数歯」の仕組みを皮切りに、王国の工作技術は底上げされた。
水車はその後、十年以上も村を潤し続けたという。
■北を指す針
その後もアジムは、いまだにギアの仕組みを試していた。
その時だ。回転中のギアが凄まじい衝撃を放ち、破片が飛び散った。
「……なんだ?」
指先に奇妙な「引きずるような感覚」が走った。
ふと見れば、鉄の棒が、台の角に放置されていた小さな破片を、吸い付くようにカチリと拾い上げていた。
「……魔法を使ってもいないのに、鉄がくっつくなんて?」
アジムは訝しみ、破片を引き離してみる。
確かな抵抗感。もう一度近づければ、やはり数ミリの距離で鉄同士が惹かれ合った。
わけがわからない。
彼は試しに、その破片を細い糸で吊り下げてみた。
すると、ひとりでに回転し始めた。
窓からの風を遮っても、破片は止まらない。
ゆっくりと、やがて一定の方向を向いて静止した。
「何度やっても……向きが同じだな」
「おい、リーネ! ちょっと来てくれ。妙なことが起きて……」
駆け寄ったリーネに、アジムはその破片を見せた。
「これ……何度動かしても、同じ方向を向くの?」
「ああ。まるでこれの中に、決まった場所を向きたがっている『意志』があるみたいだ。気味が悪いが、どう思う?」
リーネは揺れる鉄の針を、吸い込まれるような瞳で見つめた。
彼女の父――先代が語っていた、大航海を夢見る商人たちの伝説。
「……アジム、これは……父様がおよろこびになるかもしれません……」
リーネの声が震えていた。彼女は直感していた。
アジムが意図せず生み出したこの「破片」が、自分たちを、これまで届かなかった「遥か彼方の海」へと導く鍵になることを。
アジムの指先が拓いた新たな理は、同時に、より巨大な嵐を呼び寄せようとしていた。




