帝国編 第6話──商人の秤と工匠の牙
順番を間違えていたため、第5話と入れ替えさせていただきました。あしからず。
■アレキサンドラの密談
ローザンヌ皇国の皇都アレキサンドラ。
その中心部に位置する交易所は、各国の富と欲望が凝縮された場所だ。
石造りの堅牢な建物の二階、厚い絨毯が敷かれた「レイモンド商会」の応接室では、二人の男が向かい合っていた。
一人は、フェルザン帝国から来た「ブレイン商会」のネイサン。
もう一人は、皇国有数の商会を率いるフォッジスである。
二人の間にはジョッキと、先ほどまで行われていた工芸品の取引記録が置かれていた。
「……ふむ。今回も素晴らしい品だ。帝国の職人芸には、毎度驚かされる」
フォッジスは、卓上の銀細工を指先で愛でながら、満足げに頷いた。
対するネイサンは、柔和な笑みを崩さずに言葉を返す。
「そう言辺っていただけると、長旅の疲れも報われます。ですがフォッジス殿、私の驚きに比べれば、工芸品の精緻さなど些細なものですよ」
「ほう? 帝国一の目利きと呼ばれる貴殿を驚かせるものとは、一体何かな」
「オルガ村の港……と言えば、お分かりになりますか?」
その名が出た瞬間、フォッジスの眉が僅かに動いた。
彼はグラスを置き、背もたれに深く体を預けた。
「……まさか、あのような辺境の港を、ブレイン商会が話題に挙げるとはな」
「驚きましたよ。まさか、あのようなものがこの世にあるとは」
ネイサンの言葉は演技ではない。
彼の脳裏には、南方の海に突き出した、あの不気味なほど白い「牙」が焼き付いていた。
「まるで舐めたように滑らかな岸壁に、見たこともない大きな荷揚げ設備、そして効率的な渡橋……。断言しましょう。あれほどのものは、我が帝国にも、おそらくは連邦にも存在しませんな」
フォッジスの瞳の奥に、隠しきれない好奇心と、それを上回る焦燥が混じるのをネイサンは見逃さなかった。
「ほう、帝国を自負する貴殿がそこまで仰るとは。……私も一度、行ってみたいものですな」
「何をおっしゃる。すでにルーン商会が場所を抑えているのですから、そちらの伝手ならいくらでも立ち寄れるのではないですか?」
あえて突き放すような言い方をした。
皇国内部において、大店の「ルーン商会」と、老舗の「レイモンド商会」が必ずしも良好な関係にないことを知っての投げかけだ。
「いや、確かに咎められはしませんがね……。下手に寄るとルーンに噛みつかれますからな。あそこはルーンの蛮人の縄張り意識が異常に強い」
フォッジスは苦々しく吐き捨てた。
ネイサンはグラスを傾け、琥珀色の液体越しに相手を観察する。
(皇国も一枚岩ではないな。ルーン商会の急成長に、古参が苛立っている……)
「なら、可能なら寄りたい……と?」
「ええ、補給所が増えるに越したことはありませんしな。それに……」
フォッジスが言葉を濁す。ネイサンはその先を、巧みに引き出す。
「それに?」
「……ルーンはあそこに投資しだしてから、何やらいろいろと『知恵』をつけだしてますからな。なおさら手出しがしにくいところですよ」
ネイサンは心の内で膝を打った。
(まあ、知恵の出どころは、あの港の男……アジムだろうが)
「ほう、知恵ですか。では、近頃この界隈で魔獣素材の価格が上がりだしているのも、その辺りの影響でしょうか?」
「ええ、まさに! 特に魔ガニの甲羅や貝の殻など、これまでならゴミにしかならなかったものを、なぜか大量に仕入れている。どこへ持っていくのやら、全く不可解なことです」
魔ガニの甲羅。貝殻。
ネイサンの頭の中で、あの「白い石壁」の質感が結びついた。
あのアジムという男、捨てられるはずの素材から、国宝級の岸壁を造り上げたのか。
(これは……帰りにもう一度、あの村へ寄らねばならんな。今度は商売の話だけではない。あの男が次に何を『造る』のか、この目で確かめる必要がある)
■オルガ村
一方、オルガ村には潮風の混じった静かな緊張感が漂っていた。
アジムは、新設された作業場にいた。
手元には、手に入れた「白い粉」で作った試験体の石片がある。
その強度を確認しながらも、アジムの意識は別の「形」へと向いていた。
作業台の上には、奇妙な形をした「木と鋼の塊」が鎮座していた。
かつて王国の技術顧問たちを戦慄させた、あの「弓矢の発想」──板バネの技術。
アジムはそれをさらに進化させ、貴重な「鬼クジラのひげ」と組み合わせることで、凄まじい反発力を生みだしていた。
「……よし。まずはこれで行くか」
アジムの呟きに応えるように、数人の影が近づいてきた。
皇女リーネの護衛を務める、アステル、ゴーリキ、そしてハバスの三人だ。
「アジム、これはいったい……?」
剣士のアステルが、警戒するようにその装置を覗き込む。
アジムは不敵に笑い、装置の横に置かれた、頭部ほどの大きさの石を手に取った。
「武に関することなら、あんたらに聞くのが一番だと思ってな。 アステル、そこにあるレバーを引いてみてくれ。……ああ、海の方を向いてな」
アステルは不審げにしながらも、アジムの指示に従った。
カチリ、と硬質な音が響く。
次の瞬間、アステルの腕に、これまで経験したことのない衝撃が伝わった。
──ギィィィン!!
鬼クジラのひげとしなる板バネが、爆発的なエネルギーを解放する。
動滑車によって倍加された力が、石礫を音速に近い速度で射出した。
石は海面を叩き、巨大な水柱を上げ、そのまま数百度も水面を跳ねて消えた。
三人から言葉が消えた。
静寂を破ったのは、アステルの掠れた声だった。
「……装填が楽だ。これなら、一人でもかなり早く装填できますね。信じられない……」 「これだけコンパクトなら、船にも積めるな。海戦の常識がひっくり返るぞ」
ゴーリキが震える声で補足する。
ハバスは装置を食い入るように見つめ、呻いた。
「……アジム、あんたはこれを『玩具』と言うのか?」
「ああ。調整の方向は見えた。次はこれを大型化する。そうなれば、あの偏屈なトラベリオンの爺さんも納得するだろうよ」
アジムは不敵に笑い、海図に記された帝国と皇国の境界線を見つめた。
■エピローグ:再会と沈黙
数日後。
帰路についたネイサンの馬車が、再びオルガ村へと立ち寄った。
出迎えたアジムに、ネイサンは談笑の合間、さりげなくフォッジスから聞いた情報をぶつけてみる。
「ところでアジム殿。近頃、魔ガニの甲羅や貝殻を大量に仕入れていると聞きましたが……あのようなゴミを、一体何に?」
探るようなネイサンの視線。
だが、アジムはあっさりと、隠す様子もなく肯定した。
「ああ、港の補強に使っているんだ。まだ研究段階だ。今はまだ公開はできないな」
アジムの態度はあまりに自然で、裏を感じさせない。
ネイサンは「はは、なるほど。研究中となればそうですな」と笑って返したが、胸の内の違和感は消えなかった。
ネイサンたちが村を去る際、アジムは作業場の奥へと視線を戻した。
そこには、ネイサンたちには決して見せなかった「一人用バリスタ」が。




