帝国編 第5話 ── 爺さんの宿題
不快な客が去った後の執務室。
アジムは、先ほどまでシルバが座っていた椅子を、忌々しげに隅へと押しやった。
アジムの視線は、トラベリオンから届いた重厚な木箱、そして添えられた手紙へと向けられる。
手紙の追伸には、爺さんらしい抜け目のない情報が記されていた。
『──追伸だ。地方の商人から聞いた話だが、何やら土塀に白っぽい土を混ぜると、石のように硬くなる手法があるらしい。お前の造る「白い港」のさらなる補強に役立つかもしれんと思ってな』
「……白っぽい土、だと?」
アジムは木箱の底を漁り、サンプルとして放り込まれていた小さな袋を見つけ出した。
中には、少し青みがかった白い粉が入っている。
指先でこすり、少しだけ水で練ってその反応を確かめる。
「……なるほどな。こいつは……魔獣カニの甲羅に代わるものになるかもしれないな」
アジムは小さく独りごちた。
この地で最高強度の建材といえば、巨大な魔獣カニの甲羅だ。
だが、それは個体数に限りがある天然素材であり、手に入るかどうかは運に左右される。 量産を視野に入れるなら、有限なカニを狩り集めるよりも、ありふれた土を固めるほうがはるかに効率がいい。
これがあれば、この港の防波堤を、帝国の戦列艦が衝突しても傷一つつかないレベルまで安価に引き上げられる。
「アジム……その土、そんなに凄いの?」
不思議そうに問いかけるリーネに、アジムは手紙を放り投げて応えた。
「ああ、爺さんがわざわざ送ってくるだけのことはある。この港を文字通り『岩』にするための鍵だ。……さて、お次はこの『鬼クジラ』か」
アジムは木箱のメインである素材を検分した。
深海に棲む鬼クジラの「髭」と「腱」。
髭を手に取って強引にしならせると、掌が弾けそうなほどの反発力が伝わってくる。
「……こいつはいい。金属バネとは比較にならないほどの粘りと力だ。だが、これだけの張力を人間一人の腕力で引き絞るのは、不可能だな」
トラベリオンの要求は「孫にプレゼントする、鬼クジラを仕留める弩」だ。
この素材を弓腕に使うなら、その強大なエネルギーを蓄えるための「別の理」が必要になる。
「リーネ、羊皮紙と計算尺を出してくれ。爺さんの要求に応えるには、ただ弦を引くだけじゃ足りない。力を『増幅』させる仕組みを組み込む必要がある」
アジムは机に覆いかぶさるようにして、未だこの世界には体系化されていない物理図解を描き始めた。
「車輪の原理を応用する。一つの車輪を介し、さらにもう一つの動く車輪を組み合わせるんだ。そうすれば、引く力は半分で済む。それを重ねれば重ねるほど、非力な人間でもクジラの力を制御できるようになる」
アジムのペンが猛烈な勢いで走り始める。
頭の中に浮かんでいるのは、巨大な弩だけではない。
その「力を倍化させる滑車」の原理と「白い土」による量産。
これらは、この村の土台を塗り替えるための礎となる。
「面白くなってきた。……故郷に帰る暇なんて、これっぽっちもなさそうだ」
アジムの口元に、いつもの不敵な笑みが戻った。
過去の未練を技術への情熱で完全に上書きするように、彼は新しい図面へと没頭していった。




