第8話──浅瀬の惨劇──
海面の異変に気づいた瞬間、浜にいた村人たちの顔色が変わった。
遠くの水面が盛り上がり、まるで巨大な岩が海中を滑っているように見える。
波ではない。風でもない。
“何か”が、一直線に舟へ向かっている。
「戻れぇっ! 戻れぇぇぇっ!」
浜から叫ぶ声が重なった。
しかし、距離がある。
舟の漁師たちがこちらを振り返り、異変に気づいたのは、盛り上がった海面がすぐ背後まで迫ったときだった。
「まずい……!」
アジムの喉がひきつった。
舟の漁師たちは必死に櫂を動かし、浜へ向かって漕ぎ始める。
だが──遅い。
海面が爆ぜた。
巨大な影が水柱を上げて飛び出す。
十メートルはあるシャコ型の魔獣。
甲殻は黒く光り、節の一つ一つが岩のように硬い。
その頭部が舟の方向へ向く。
次の瞬間──
バチィンッッ!!
空気を裂くような音が浜まで響いた。
魔獣の“シャコパンチ”だ。
距離はあった。
だが、シャコのパンチは“衝撃波”を生む。
「うわあああああっ!!」
舟が横から叩きつけられたように吹き飛んだ。
木片が空中に散り、漁師の身体が海へ投げ出される。
「やられた……!」
浜の村人たちが叫ぶ。
アジムは走り出した。
だが海には入れない。
芋虫も使えない。
ただ浜辺まで駆け寄り、必死に目を凝らす。
吹き飛ばされた漁師は、幸いにも舟が緩衝材になったおかげで、身体が砕けるような衝撃は免れた。
だが海に叩きつけられ、意識は朦朧としている。
「おい! 泳げるか! 返事しろ!」
仲間の漁師が叫びながら舟を急旋回させる。
浅瀬とはいえ、魔獣がいる海だ。
一瞬の判断が命を分ける。
そのとき──
魔獣が再び動いた。
海中へ潜り、次の瞬間には、吹き飛んだ漁師へ向かって突進してくる。
「やめろ……!」
アジムが叫んだ。
だが魔獣は止まらない。
──しかし。
魔獣の進路上には、アジムたちが張った鉄線の網があった。
魔獣の脚が網に触れた瞬間、鉄線が甲殻に絡みつき、魔獣の動きが一瞬止まった。
「かかった……!」
村人たちが息を呑む。
魔獣は網に絡まり、海中で激しく藻掻き始めた。
水柱が上がり、海が白く泡立つ。
その隙に、仲間の漁師が海へ飛び込んだ。
「待ってろ! 今助ける!」
吹き飛ばされた漁師は意識が朦朧としているが、まだ生きている。
仲間が腕を掴み、必死に引き寄せる。
「しっかりしろ! 死ぬなよ!」
二人は必死に泳ぎ、舟へ戻ろうとする。
浜からは村人たちが叫び続けている。
「急げぇぇぇっ!」
「魔獣が動き出すぞ!」
その声の通り、
魔獣は網に絡まりながらも、
前進を始めていた。
鉄線が軋む音が浜まで響く。
「まだ来るのか……!」
魔獣はさらに網に突っ込み、
二枚目、三枚目の網が絡みつく。
速度は落ちている。
だが止まらない。
「間に合え……!」
仲間の漁師は、朦朧とした漁師を舟へ押し上げ、自分も必死に乗り込む。
その瞬間──
魔獣が海面から頭を出した。
バチィンッッ!!
二度目のシャコパンチ。
今度は網ごと叩きつけるような衝撃波。
鉄線が悲鳴を上げ、一部が裂け飛ぶ。
「網が破れたぞ!」
「戻れぇぇぇっ!!」
舟は必死に浜へ向かって漕ぎ出す。
魔獣は網に絡まりながらも、なお前進を続けている。
そして──
浅瀬へ到達した。
「来るぞ……!」
村人たちが後ずさる。
魔獣は浅瀬でも動きを止めない。
水深が浅くなり、脚が砂を掴むように動く。
そのまま浜へ向かって突進してきた。
バチィンッ!!
シャコパンチが放たれた。
今度は海ではなく、村の住まいへ向けて。
「やめろぉぉぉっ!!」
叫びも虚しく、衝撃波が家屋を直撃した。
木壁が砕け、屋根が吹き飛び、住まいが大破する。
「うわあああああっ!!」
「逃げろぉぉぉっ!!」
村は一瞬で大混乱に陥った。
子供を抱えて逃げる母親。
腰が抜けて動けない老人。
それを必死に引っ張る若者。
魔獣の気を引こうと叫びながら走る男。
泣き叫ぶ子供たち。
アジムは、腰の抜けたバルじいを見つけた。
「立てますか!」
「む、無理じゃ……足が……!」
アジムは迷わずバルじいを背負った。
「行きます!」
「す、すまん……!」
魔獣は浅瀬で暴れ続け、何度もシャコパンチを放つ。
そのたびに砂が舞い、家屋が揺れ、村人たちの悲鳴が上がる。
だが──
奇跡的に死者は出なかった。
負傷者は多い。
腕を押さえてうずくまる者。
頭から血を流す者。
足を引きずる者。
それでも、村人たちは互いに支え合い、村から離れた高台へ逃げ延びた。
アジムはバルじいを背負ったまま、最後に浜を振り返った。
住まいは壊れ、網は破れ、浜は荒れ果てている。
魔獣は浅瀬で暴れた後、ゆっくりと海へ戻っていった。
村人たちは高台で集まり、誰もが呆然と海を見つめていた。
「……生きてるか」
「なんとか……」
「家が……全部……」
誰もが言葉を失っていた。
アジムもまた、胸の奥に重いものを抱えながら、ただ海を見つめていた。




