帝国編 第4話 ── あばよ郷愁
リーネに呼ばれ、アジムは作業着の汚れを軽く払ってから執務室へと向かった。
扉を開けると、そこには落ち着いた身なりの男、シルバが座っていた。
入室したアジムに対し、男は立ち上がり、連邦式の古い挨拶を口にする。
「──良き風が、今日も導かんことを。 初めまして、アジム殿。ヴィンドラント連邦から参りました、シルバと申します」
アジムは無表情のまま、リーネの隣の椅子に腰を下ろした。
「アジムだ。……それで、連邦の商人がうちに何の用だい?」
事務的な問いかけに対し、シルバは親しげな笑みを浮かべ、距離を詰めるように身を乗り出した。
「さすがはアジム殿だ、この港の造り……連邦の誇る技術が息づいている。 同胞がこの地でこれほどの成功を収めたと聞き、我々も鼻が高いですよ」
その言葉を聞いた瞬間、アジムの視線が冷徹なものへと変わった。
「……国は関係ないがな。商談に来たのなら、まずは商人の分をわきまえてもらおうか」
アジムの突き放すような言葉に、シルバは一瞬怯んだが、すぐに真剣な表情を作って言い返した。
「せっかく遠隔地で同胞に会えたのだ、同胞ならば胸襟を開いて話してもかまわないだろう。 ……アジム、君の噂は故郷にも届いているんだ。 今の連邦の惨状を知っているか? 帝国との戦に破れ、重い賠償金に喘ぎ、民は明日をも知れぬ暮らしをしている。 故郷は、君のような逸材を待っているんだ。こんな村で燻っているべきではない」
これだ、ヴィンドラント連邦の商人独特の馴れ馴れしさ。
陽気を装って、机の下で値踏みをしている。
かつては自分もその一味だったからこそ、今は不快になる。
だがシルバは、いかに今の連邦が困窮しているかを説き始めた。
敗戦、飢え、技術の途絶。
かつての「同胞」としての情に訴え、アジムの良心を揺さぶろうとする。
それが、シルバが隠し持っていた本当の目的だった。
「国がこれほど苦しんでいる。共に行こう、アジム。君の力があれば、国は必ず再興できる」
アジムは、シルバが語る「故郷の悲劇」を最後まで無表情で聞いていた。
そして、全ての言葉が吐き出された後、椅子から立ち上がって冷たく言い放った。
「……戻る理由はない」
シルバの顔から、営業用の笑みが完全に剥がれ落ちた。
「なんだと? 同胞を見捨てるというのか!」
「俺を助けてくれたのは、この村の人たちだ。 溺れていた俺を拾い上げ、介抱し、居場所をくれた。 今更、生まれ故郷だというだけで恩も義理もない。 ……そんな安っぽい情に訴えれば、俺が動くとでも思ったか? お前の話は商人の仕事ではない。――切って捨てるだけだ」
アジムの言葉は、鋭い刃のようにシルバの言い分を切り捨てた。
シルバは苛立ちを隠せず、見下すような目で部屋を去っていった。
静寂が戻った執務室で、アジムは窓の外を見つめた。
視線の先には、自分たちが作り上げた白い港が、夕陽を浴びて輝いている。
脳裏には、自分が漂流することになった「あの日」の冷たい海と、自分を見捨てた連邦の影がよぎった。
「……あばよ、郷愁」
アジムは小さく呟くと、二度と思い出さぬように、ドカリと椅子に座り直した。
「ごめんなさい。 アジム……」
傍らにいたリーネが、消え入るような声で謝罪した。
自分の対応が甘かったせいで、彼に不快な思いをさせ、過去を思い出させてしまったことへの罪悪感だった。
「大丈夫だ、リーネ。気にするな。 ……さあ、不快な時間は終わりだ。 トラベリオンの爺さんへの返事を書くか。 クジラを仕留める弩なんて、おもちゃにしては度が過ぎているがな」
アジムは優しく彼女を安心させるように笑うと、机に広げられた図面へとペンを走らせた。
その表情には、いつもの不敵な自信が戻っていた。




