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帝国編 第3話 ── 亡国の残影と白き理想郷


ヴァッサリア王国の王都ピオーネ。

その喧騒から外れた、湿り気のある路地裏の酒場『浮雲亭』。

ここは、職を失った技術者や、わけありの渡り商人が集う場所だ。


ヴィンドラント連邦の商人、シルバは、注がれた安酒の表面を見つめていた。

かつて「世界の工房」と謳われた連邦の男にとって、この王都の空気はあまりに軽薄で、澱んでいる。

先の戦争で敗れ、賠償金と引き換えに国力を、そして何より「誇り」である技術者たちを切り売りしてきた連邦の惨状を、彼は誰よりも知っている。


「しかし、ルーンの商会の奴らはすごい迫力だったな」

「いやあ、見たかったな。」


「しかも、よくあれを止めたよな王国商会の奴は」

「ああ、大したもんだ」


「まあ、それでいけ好かない奴の首が飛んでくれたんだ。せいせいしたぜ」

「そうだよな。これで少しは景気が良くなればいいんだがな」


どうも噂通り、王国では一波乱があったのはたしかなようだ。

しかも両国の商会が絡んで。


そして話はそこで終わらない。


「……聞いたか。南の果てに、化け物じみた港ができたって話」


隣の席の酔客が、声を潜めて仲間に話している。


「ああ、ルーン商会が食い込んでるんだろ。なんでも、一晩で岩がせり上がって岸壁になったとか……。おまけに、そこで働いてるのが連邦の亡命者だって噂だ」


シルバの指が、ピクリと反応した。

彼が商人の顔を被り、この王国へ潜入している真の目的。

それは、流出した連邦の至宝──

優秀な技術者たちの行方を突き止め、可能であれば連れ戻し、不可能であればその技術を奪うことにある。


「オルガ、か……」


シルバは飲み干した杯を置き、店を出た。

連邦は今、飢えている。

かつての栄光を再興するための、たった一つの火種を求めて。


■鋼の架け橋


王都から南へ。 数日後、シルバの乗る馬車は、峻険な山道を越えていた。

本来なら、まともな物流など不可能な悪路のはずだった。

だが、目の前に現れた光景に、シルバは御者台から身を乗り出した。


「……なんだ、これは」


小さな川に架かっていたのは、王国のどこにでもある石造りのアーチ橋ではなかった。

それは、細い鋼材が幾何学的な三角形を組み合わせて構成された、銀色に光る「鉄のトラス橋」だった。

シルバは馬車を止めさせ、橋に駆け寄った。

連邦の全盛期ですら、鉄は貴重品であり、これほど大規模に、かつ洗練された構造で橋を作るなど考えられなかった。


トラスの接合部を指先でなぞる。


(ボルトがない……。溶接か? いや、結晶そのものが繋がっているように見える。不自然なほどに滑らかだ。まるで、鉄が意志を持って自らこの形になったような……)


驚愕はそれだけで終わらなかった。

橋を渡った先の急斜面。

本来なら土砂崩れで道が塞がっていてもおかしくない場所に、奇妙な「白い塗り壁」が施されていた。


ただの土ではない。

それは斜面の凹凸に完全に密着し、まるで巨大な卵の殻が山を覆っているかのようだった。


「……石壁。だが、積み上げたものじゃない。流し込んで固めたのか?」


シルバの背筋に冷たいものが走る。

連邦の諜報局からは「一人の有能な技術者がいる」と聞いていた。


だが、これは個人の仕事の域を超えている。

一国を支える工法そのものが、この辺境の地で産声を上げている。


■白い理想郷


オルガ村の入り口に辿り着いた時、シルバは自分の常識が音を立てて崩れるのを感じた。


そこには、王都のような威圧的な石造りの城壁はない。

代わりに、深く掘られた「空堀」と、計算し尽くされた角度で配置された木製の塀、そして要所に設けられた監視用の櫓が、侵入者に対して無言の威圧を放っていた。


「……そこの者。何か用か?」


歩哨に立っていた若者が、鋭い眼差しで問いかけてくる。


シルバは慌てて

「ヴィンドラント連邦、セシリア商会の者だ。補給と取引の相談に来た」

と、偽装された通行証を提示した。


以外とあっさりと村の中に入ると、さらなる違和感が彼を襲う。


家々は豪華ではない。

むしろ質素だ。

だが、すべての家の土台が、道中で見たあの「白い石」で完璧に固められている。

歪み一つなく、湿気も寄せ付けないであろう造りだ。

連邦の都市部にある富豪の屋敷よりも、よほど「機能的」で「強靭」だった。


そして、村を抜け、港へ出た瞬間──。

シルバは、呼吸をすることすら忘れた。


「……馬鹿な。これが、辺境の漁村だと?」


眼前に広がるのは、白銀の広場だった。

広大な岸壁のすべてが、あの白い人工石で覆い尽くされている。

太陽の光を反射して眩いばかりの輝きを放つその大地は、継ぎ目一つなく、海と対峙していた。


商業国家である連邦の首都にある大港ですら、これほど「清浄」で「堅牢」な光景は存在しない。


港には、ルーン商会の戦闘艦が鎮座し、その重バリスタが鋭い牙のように外海を睨んでいる。

だが、シルバの目を釘付けにしたのは、岸壁の隅に鎮座する「黒光りする機械」たちだった。


(……鉄の、爪? いや、それだけじゃない。あれは何だ。建物の上から突き出し橋のようなもの……丘の上まで張られたロープ?)


そのどれもがシルバから見れば、理解不能な「異世界の産物」に映った。


「見慣れぬ顔じゃな。連邦からか」


背後から声をかけられ、シルバは肩を跳ねさせた。 そこには、杖をついた一人の老人が立っていた。バルじいだ。


「あ、ああ……セシリア商会のシルバと申します。ここの港の噂を聞きまして」

「ほほう、連邦の商人がわざわざ。まあ、有名になっちまったみたいじゃしな」


「こちらに来る途中でもいろいろと……」

「ならば、あそこの管理棟へ行け。わしら年寄りより、あそこの娘に聞くのが一番じゃ」


■リーネの微笑み


バルじいに案内された管理棟は、港の奥にどっしりと構えていた。

入り口には『ルーン商会オルガ支店』という、世界有数の商会の看板が誇らしげに掲げられている。


事務室に通されると、そこには一人の女性がいた。

透き通るような肌と、知性を湛えた瞳。

しかし、その立ち居振る舞いには、並の商人では太刀打ちできない「静かな凄み」がある。


「遠路はるばる、ヴァッサリアの果てまでようこそ」


リーネは、シルバが差し出した連邦発行の通商許可証を、細い指先で受け取った。

シルバは、相手が若く、しかも身重であることに一瞬の油断を抱いた。

このまま、商売の話を足がかりに、技術者の正体を探れるはずだ──。


しかし、書類に目を落としたリーネの手が、止まった。


「……ヴィンドラント連邦。セシリア商会」


彼女は、その名をなぞるように呟いた。


その反応が、一瞬、何か悟られたかとシルバは不安になる。


「……ちょっと待っててくださる?」


リーネは、シルバが答える隙も与えず、微かな、しかし底知れない微笑を浮かべた。

彼女は優雅な所作で椅子を立ち、身重そうな体で事務室の奥へと姿を消した。


一人残されたシルバは、不自然なほどの静寂の中で、冷や汗が止まらなくなっていた。


外の港では、アジムが操る「鉄の爪」が、獲物を捕らえるかのように重い音を立てて動き出していた。


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