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帝国編 第1話 ── 鋼のゆりかと白い牙

かつて「廃村予定」と書かれた地図の端に、その場所はあった。

だが今、そこを訪れる者が最初にするのは、驚愕に目を見開くことでも、歓声を上げることでもない。

ただ、呆然と立ち尽くすことだ。


オルガ村の港は、半年でその姿を異形へと変えていた。


朝日が水平線から顔を出すと、港全体が眩いばかりの「白」に染まる。

かつての荒々しい岩肌や、継ぎ接ぎの石積みはもうない。

そこにあるのは、アジムが貝殻と魔獣の殻から練り上げた人工石──「石壁」による、巨大な一体成形の岸壁だ。


海に突き出したその防波堤は、まるで海面に突き刺さった巨人の剣のようだった。

継ぎ目がない。だから、波が入り込む隙がない。

冬の荒ぶる南方の海が、真っ白な飛沫を上げてその壁に激突するが、石壁はただ冷徹に、その衝撃を無力化して撥ね返していた。


「……何度見ても、気味の悪い光景だな」


岸壁に横付けされた大型荷馬車の御者台で、ラグスは煙草をふかしながら独りごちた。

彼の背後には、王国商会の徽章が入った馬車が十数台。

積み荷はすべて、アジムが指定した「魔獣カニの甲羅」と「貝殻」だ。


「これだけの石の要塞を、たった半年で積み上げやがった。……いや、『積み上げた』んじゃないな。アジムの旦那は、この港を『生やした』んだ」


ラグスが視線を上げると、港の主役が動いていた。

アジムが操る「鉄の爪」だ。

改良を重ねられた鋼の腕は、熱せられた空気の震えを纏いながら、ラグスの馬車から巨大なカニの殻が入った籠を軽々と吊り上げる。


キィィ、と滑らかな金属音が響く。

かつての技術顧問たちが絶望した「壊れない関節」は、今や完璧な潤滑と精度を持って、オルガ村の心臓として脈打っていた。


「ラグス、遅かったな」


操作席から飛び降りたアジムが、額の汗を拭いながら歩み寄ってくる。

その顔つきからは、かつての「拾われた男」の危うさは消えていた。

陽に焼けた精悍な面構え。

そして何より、その瞳にはこの場所を統べる者としての静かな覚悟が宿っている。


「勘弁してくれよ。道中の検問が厳しくてかなわねえ。例の『連邦の噂』のせいだ。王国の役人もピリピリしてやがる」


「……そうか」


アジムは短く応じると、港の奥にある管理棟を見上げた。 そこには、一人の女性が立っていた。


リーネだ。

風に揺れる髪を耳にかけ、手元の帳簿に鋭い視線を落としている。

半年前の華奢な印象は影を潜め、今や「ルーン商会オルガ支店長」としての威厳がその立ち姿に満ちていた。

そして、彼女のゆったりとした上着の下──その腹部は、確かにふっくらと膨らみ始めていた。


アジムの表情が、一瞬だけ柔らかくなる。

この「白い港」も、鉄の爪も、すべてはあの腹の中に宿る新しい命を、世界の荒波から守るための防壁に過ぎない。


その時。


水平線の彼方から、空気を切り裂くような重低音が響いてきた。

村の子供たちが「また来たぞー!」と声を上げる。


現れたのは、巨大な白い帆を三本なびかせた、ルーン商会の重武装船だ。

船首が白い石壁の岸壁に近づく。

接岸の衝撃など微塵も恐れない、強引な操船。


船首の先端。

そこに仁王立ちしているのは、かつて「大海賊」と恐れられた怪物──トラベリオン・ルーンだった。

彼はまだ船が完全に止まる前に甲板から飛び降り、石壁の上にドォォンと着地した。


「リーネ! 皇国中のカニの殻を買い占めて持ってきたぞ。 これで俺が名付け親だ!」


トラベリオンの声が港中に響き渡る。

どうやら孫の名付けの権利欲しさに、軍事物資にもなり得る希少な殻を爆買いしてきたらしい。


「そうしょっちゅう来られてもな……」


アジムが小声で漏らすと、トラベリオンは鋭い視線を向けた。


「何か言ったかアジム! 貴様が名付けなどという大役をこなせるとは思えん! リーネの体調はどうだ、飯は食っているか! 」


「お父様、騒がしいですわ。仕事の邪魔です」


管理棟から、リーネの冷ややかな声が降ってきた。

トラベリオンは途端に「リーネぇ!」と顔を綻ばせる。


平和な、いつもの光景。 だが、ラグスだけは気づいていた。


港のさらに外。

水平線の向こう側に、王国でも皇国でもない、灰色の影が一つ。

それは、石壁の港をじっと観察し、その「価値」を測る、フェルザン帝国の商船だった。


「……世界は、もう放っておいてはくれないか」


ラグスは新しくなった港の地面を踏みしめた。

鋼のゆりかごの中に閉じ込められた平和が、いま、巨大な時代の牙に狙われようとしていた。


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