後日談5 世界線
これでこのシリーズは完結です。
――世界は、まだ気づいていない(あるいは、気づき始めた)
■ヴィンドラント連邦側の反応
――敗戦国に届く、ざわめき
ヴィンドラント連邦の内陸、川沿いの街にある酒場は、夜になるといつも湿った空気に包まれる。
勝利の祝杯が交わされることは、もう何年もなかった。
酒は薄く、話題は重い。
だがその夜、久しぶりに“外の国”の話が持ち込まれた。
「なあ、聞いたか?」
木製のカウンターに肘をついた元船乗りが、声を潜めて言った。
「ヴァッサリア王国をひっかきまわしてるの、どうも“ヴィンドラント人”らしいぞ」
隣の男が鼻で笑う。
「冗談だろ。あそこは王国だぞ。今さら連邦の人間が何をする」
「それがな……」
元船乗りは、杯を傾けながら続けた。
「ローザンヌ皇国のルーン商会が、直接王城に直談判しに行ったらしい。 で、その裏に、ヴィンドラント訛りの技術者がいるって話だ」
酒場の空気が、わずかに変わる。
笑いは起きなかった。
「……港ができたって話もある」
別の男が言った。こちらは最近まで沿岸を行き来していた船乗りだ。
「見たこともない設備があるらしい。 帆船なのに、港の形が違うってよ」
「設備?」
「詳しくは知らん。だが“あれは真似できない”って、見た奴は皆そう言う」
その言葉に、酒場の隅で黙っていた男が、ぴくりと反応した。
かつて国家技師師団に属していた、失業者だった。
「……ヴィンドラント人、だと?」
彼はゆっくりと顔を上げる。
「誰だ。一体、誰の話をしている」
「知らん」
「名前も出てこない。ただ――“向こうにいる”ってだけだ」
技師の男は、杯に残った酒を一気に飲み干した。
(向こう、か)
連邦は、もう“向こう側”になっていた。
敗れ、賠償を払い、人材を手放し、技術を切り売りした結果だ。
「……すぐに探らせろ」
低い声で呟いたのは、たまたま居合わせた地方役人だった。
だが、その声には焦りが滲んでいる。
「なぜ、そういう奴が連邦にいなかった」
「なぜ、自分の国のために作らなかった」
誰かが言い、誰も答えなかった。
数日後。
連邦政府の下級官吏が、一枚の報告書をしたためる。
件名:
「ヴァッサリア王国における港湾整備と人材流出の可能性」
内容は慎重で、言葉は選ばれていた。
だが、結論は曖昧だった。
その報告は、上へと回されることはない。
仮に届いたとしても、もう何もできない。
――いや。
起死回生を図る者にとっては、“格好の獲物”として、静かに目を付けられていた。
■フェルザン帝国・観測者視点
――“奪う国”が見た、異変
フェルザン帝国南部、港湾都市の海軍本部。
高い天井と冷たい石床の広間で、航路図が広げられていた。
「報告します」
若い将校が一歩前に出る。
「ヴァッサリア王国の港に、ローザンヌ皇国ルーン商会が食い込みました」
情報官は無言で頷き、続きを促す。
「皇国艦隊の航路が、確実に延びています。交易路というより――補給線に近い」
だが、次の言葉が続かない。
「……妙だな」
年嵩の情報官が呟く。
「軍港化の兆候は?」
「ありません」
「兵力集中は?」
「確認できず」
「商船の増加は?」
「微増程度です」
沈黙。
「戦争準備ではない、か」
情報官は顎に手を当てる。
「だが、商売にしては……静かすぎる」
フェルザン帝国において、技術とは奪うものだ。
敵より先に手に入れ、管理し、従わせる。
だが今回、そうした“動き”が見えない。
「港は要塞じゃない」
若い将校が、航路図を見つめながら言った。
「だが――ルーン商会が掌握した場所です」
その一言が、場の空気を引き締めた。
ルーン商会。
皇国の商人組織でありながら、軍と同等の行動力を持つ存在。
(威で縛る、か)
技術を奪うのではない。
近づけない位置に置く。
「監視を続けろ」
情報官は静かに命じた。
「まだ、こちらから動く段階ではない」
だがその内心では、確かに芽生えていた。
――これは、放置していい異変ではない。
■締め
――名もなき中心
世界地図の上で、線が引かれていく。
ヴィンドラント連邦は、線を引けない。
引く力も、意味も、もう残っていなかった。
フェルザン帝国は、警戒線を太くする。
だが踏み込む理由は、まだ見つからない。
ローザンヌ皇国は、静かに航路を延ばす。
何も宣言せず、ただ結果だけを残していく。
その中心にあるのは、王都でも、皇都でも、帝都でもない。
名もなき港。
名もなき村。
地図の片隅に打たれた、たった一つの点。
世界はまだ、それを「火種」とは知らない。
ただ――
二度と無視できない“点”が、そこに打たれただけだ。
この続きは不定期になります。




