後日談1――馬鹿親と既成事実
宴は、村の広場で開かれた。
日が落ちきる前から火が焚かれ、樽がいくつも転がされ、誰が持ち込んだのか分からない酒と料理が次々と並んだ。王都での騒動が嘘だったかのように、村はいつもの顔に戻っている。
笑い声。
怒鳴り声。
酔っぱらいの歌。
アジムは、いつもの場所に座っていた。木の切り株を椅子代わりに、手にした肉を無心で齧っている。
そこへ、影が落ちた。
「……おい」
低い声。
アジムが顔を上げると、そこに立っていたのはトラベリオンだった。宴の中心から少し離れた場所。酒の匂いはするが、酔ってはいない目だ。
「一発、殴らせろ」
唐突だった。
周囲が一瞬、静まる。
アジムは首を傾げた。
「……理由は?」
「あるに決まっておろうが」
次の瞬間。
説明はなかった。
拳が飛び、鈍い音がして、アジムの体が宙を舞った。
二、三回転して地面に転がり、砂埃が上がる。
「――っ、いてぇ……」
文句を言いながらも、アジムは起き上がる。
鼻血も出ていない。
殴った側も、追撃する様子はなかった。
「これで貸しはチャラだ」
「……貸し?」
「娘を巻き込んだ分だ」
それだけ言うと、トラベリオンは背を向けた。
周囲の村人たちは、誰も止めなかった。
拍手する者すらいる。
アジムは肩を回しながら、ぼそりと呟いた。
「……親父ってのは、めんどくさいな」
それを聞いたリーネは、少しだけ口元を緩めた。
宴が一段落し、夜が深まる頃。
火の明かりから離れた場所で、リーネとトラベリオンは向かい合っていた。
酒は手にしているが、二人ともほとんど口をつけていない。
「……で」
トラベリオンが口を開く。
「これからどうするつもりだ」
「ここに残りますわ」
即答だった。
トラベリオンの眉が、ぴくりと動く。
「ならん」
短く、強い否定。
「商会に戻れ。王国との契約は結んだ。これ以上、危険な場所にいる理由はない」
「あります」
「ない」
「あります」
堂々巡りになりかけたところで、リーネは一歩踏み込んだ。
「お父様。もう“既成事実”はできています」
トラベリオンの視線が、鋭くなる。
「……何の話だ」
「王国との契約。アジム氏の拠点。オルガ村を軸にした物流と技術の流れ。すべて、ここを前提に組み上げました。それに……」
淡々とした口調。最後は言いよどんだが、
「今さら私が引き上げれば、商会は“王国に技術だけ置いて逃げた”と見られます。信用は地に落ちる。お父様なら、お分かりでしょう?」
トラベリオンは歯を食いしばった。
「……だからと言って、お前が残る必要はない。代理を立てろ」
「嫌です」
「リーネ!」
声が荒くなる。
「私は、ここでやると決めました」
「命が惜しくないのか!」
「惜しいですわよ」
即答。
「だからこそ、逃げません」
沈黙。
焚き火の爆ぜる音が、やけに大きく聞こえる。
「……お前は」
トラベリオンの声が、わずかに震えた。
「いつから、そんな顔で商談をするようになった」
「お父様の娘ですもの」
リーネは、微笑んだ。
それが、決定打だった。
トラベリオンは顔を覆い、深く息を吐いた。
「……許さん」
低い声。
「それでも、認めん」
リーネは、少しだけ首を傾げた。
「でしたら――」
間を置いて、告げる。
「将来、孫が生まれても、会わせませんわ」
空気が、凍った。
「……なに?」
「商会の後継も、教育も、すべて私が決めます。祖父として関わる余地は、ありません」
脅しだった。
だが、冗談ではない。
トラベリオンの拳が、震える。
「……お前……」
怒り。悲しみ。悔恨。
それらが一気に押し寄せ、彼は言葉を失った。
やがて、肩が落ちる。
「……卑怯者め……ってま、まさか既成事実って」
トラベリオンの体が小刻みに震え、額に血管が浮き上がりだす。
「ええ」
リーネは、頬を染めて肯定した。
「商人ですから」
長い沈黙の後。
脱力。
トラベリオンは、うなだれたまま、ぽつりと呟いた。
「……好きにしろ」
負けではなかった。
降伏でもない。
ただの、親の敗北だった。
「だが……」
顔を上げる。
「死ぬな。絶対にだ」
リーネは、静かに頷いた。
「約束はできませんが、最大限努力しますわ」
「……馬鹿娘が」
その声には、もう怒りはなかった。
少し離れた場所で、アジムがその様子を眺めていた。殴られた頬を掻きながら、誰にともなく呟く。
「……大変だな、商人の家も」
ラグスが隣で煙草を吹かし、鼻で笑う。
「馬鹿親ってのは、どこも同じさ」
夜は、まだ続いている。
だがこの村には、確かに根を下ろしたものがあった。
技術。
商談。
そして、どうしようもない親子の縁。
それらすべてを抱えたまま、物語は次の段階へと進んでいく。




