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第68話――王城に迫る海の化身


王都へと続く街道は、かつてない静寂に包まれていた。


朝霧がまだ完全に晴れきらない石畳の上に、馬の蹄の音だけが規則正しく響いている。

だが、その音は決して急いてはいなかった。

むしろ――余裕があった。


街道沿いに設けられた関所は、すでに役目を終えていた。

門は壊れていない。柵も倒れていない。

だが、そこに立つはずだった兵士たちは、道の脇に退き、視線を伏せている。


誰一人として、剣を抜こうとしなかった。


いや――抜けなかったのだ。


ローザンヌ皇国ルーン商会。

その名を掲げた武装船団は、戦わずして街道を制圧していた。


彼らは兵を殺さない。

建物も壊さない。

だが、速度、統率、そして規模――そのすべてが、抵抗という選択肢を意味のないものに変えていた。


先頭を行く男を見た瞬間、兵たちは理解してしまったのだ。

ここで刃を交えることが、勇気ではなく無駄死にであると。


トラベリオン・ルーン。


ルーン商会会長。

皇国公認の大商人。

そして――かつて「ベリオン」と恐れられた、大海賊。


彼は今、商人の顔を捨てていた。


目は前だけを見ている。

王都の城門、その向こう側にある「制度」そのものを、射抜くように。


(……遅かった)


内心で、そう吐き捨てる。


娘は、もうここにはいない。

港にいない時点で、答えは一つだった。


王城。


囲われ、記録され、管理される場所。

商談の席に引きずり出される場所。


親として許せるかと問われれば、答えは明白だった。

だからこそ、彼は来た。


壊すために。


城門が視界に入る。

王都側の防衛線は、すでに混乱していた。

閉門の指示、伝令、逃げ惑う民。


だが――そこに、一人だけ異質な存在がいた。


門前の石畳の中央。

武装もなく、護衛もなく。


ただ一人、男が立っていた。


ラグスだった。


トラベリオンの視線が、初めて城門以外の一点に向けられる。


「……どけ、小僧」


低い声だった。

馬を止める気配はない。

このまま踏み潰す――そう告げているに等しい。


だが、ラグスは動かなかった。


「どくわけにはいかん」


静かな声。

震えも、虚勢もない。


「お前さんの娘の“稼ぎ”を、ここで台無しにさせるわけにはいかないんでな」


一瞬、空気が張りつめた。


側近たちが息を呑む。

トラベリオンの眉が、わずかに動いた。


「稼ぎだと?」


怒気が、街道を震わせる。


「リーネは今、王城という檻に閉じ込められている。 親として、それを壊しに行くことに何の不都合がある」


「不都合だらけだ」


ラグスは一歩、前へ出た。


「今のお前さんは商人じゃない。 ただの“暴力”だ」


トラベリオンの手が、馬の手綱を強く握る。


「黙れ」

「黙らん」


ラグスは視線を逸らさない。


「いいかい、旦那。 あんたがここで暴れれば、王国は“被害者”になる。 そうなれば、リーネの交渉はすべて“脅迫の結果”だ」


言葉が、確実に刺さっていく。


「アジムという厄介な技術者を、王国に押し付ける。 管理不能な存在を“借り”として背負わせる。 それが、あの子の商売だ」

「……」

「それを、親が武力で潰すのか?」


沈黙。


風が、街道を吹き抜ける。


「リーネは逃げていない。 あんたの背中を見て、正面から殴り合わずに勝つ道を選んだ」


ラグスは、最後の一言を叩きつける。


「その手本が、土壇場で力に頼るのか?」


馬の足が、止まった。


トラベリオンの拳が、強く握られ――そして、緩む。


顔から、怒りが抜け落ちていく。

残ったのは、深い疲労と、父親としての苦味だった。


「……高くつくぞ、この足止めは」

「当然だ」


ラグスは不敵に笑う。


「代金は、リーネが王国から毟り取る」


長い沈黙の後、トラベリオンは城門から視線を外した。


船団は止まった。 王都は焼かれなかった。

だが――王国は、もう逃げ場を失っていた。

王城の奥で進む交渉の天井が、今、音を立てて跳ね上がったのだから。


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