第60話 鋼が速すぎた日
ここまで読んでくれた方。ありがとう。このシリーズ残り10程度です。この後は少しペースが落ちるかも。
■数値が「異常」を証明する
王都南区、石畳が途切れる外縁部。
そこで行われたのは、単なる新型馬車の披露――のはずだった。
荷台には石材と穀袋が満載され、御者は一人。
馬は二頭。特別な魔具も、補助魔法陣もない。
だが、馬車は走った。
悪路を選び、わざと轍を踏み、段差を越え、それでも速度を落とさず。
「……速いな」
誰かが呟いた。
それは歓声ではなく、違和感だった。
商会の者たちは最初こそ目を輝かせていた。
輸送効率、破損率の低下、街道整備費の削減――
金勘定は、すぐに頭の中で弾き出される。
だが、その隣に立っていた王国官僚は、拍手をしなかった。
彼の視線は、馬でも御者でもなく、車軸の下に吸い寄せられていた。
「……記録を取れ」
短い命令で、空気が変わった。
ほどなく現れたのは、軍属の計測官だった。
巻物、測定具、距離標。
彼らは感想を言わず、淡々と数値だけを書き留めていく。
速度。加速度。
積載時と空荷時の差。
衝撃吸収率。
結果は、すぐに揃った。
「……魔法補助、なし」
計測官の一人が呟いた。
その声は低く、重かった。
報告書には、簡潔な一文が記された。
――これはただの移動手段ではない。
――“兵站タスクの向上技術”である。
同じ場にいたゼノは、顔を赤くして喚いていた。
「だから言っただろう! あいつは危険なんだ!
船だの独楽だの、勝手に作って――」
だが、その声は議事録には残らなかった。
代わりに、彼が必死に差し出した紙束――
独楽の構造を走り書きしたメモだけが、
「参考資料」として綴じられた。
王都の空気は、静かに結論へ向かっていた。
村ではない。作り手個人を見ろ。
■港への“正規視察”
オルガ村の港に、異質な一団が現れたのは数日後だった。
軍服ではない。
商人の装いでもない。
官僚と、その背後に控える技術顧問たち。
丁寧な物腰。穏やかな笑み。
だが、視線だけが鋭い。
「本日は、馬車の件で」
そう言いながら、彼らは港を歩いた。
視線は、次第に馬車から離れていく。
鉄の爪。双胴船の係留方法。
港湾の補強構造。
「……なるほど」
技術顧問の一人が、思わず声を漏らす。
帆のない双胴船。骨組みだけの高速艇。
未完成――そうとしか言えないはずの船に、
彼らは異様な関心を示した。
「この港は、どうやって造られたのですか」
「これほどの鉄材を、どこから?」
質問は、柔らかい。
だが、逃げ道はない。
アジムは答えなかった。
即答しない、その沈黙に、
ヴィントは嫌な予感を覚えた。
■交渉では済まないと理解する瞬間
視察の終わり際、官僚の一人が、何気ない口調で告げた。
「当面、この港と技術者は、王国管理下に置きます」
名目は、保護。事故防止。秩序維持。
誰も怒鳴らない。誰も剣を抜かない。
だが、翌日から変わった。
港の使用制限。船の登録義務。
工房への立ち入り許可制。
書類が増え、確認が増え、
自由が、少しずつ削られていく。
アジムが抗議すると、官僚は淡々と答えた。
「あなたが拒否しても、この措置は止まりません。
作れる人間が“ここ”にいる限りは」
その瞬間、理解した。
――自分がいる限り、村は守れない。
抵抗すれば締め上げられる。
勝っても、村は壊れる。
理屈は、もう揃っていた。
■リーネの選択
夜。
アジムは、去る話を切り出した。
リーネは、すぐには答えなかった。
「私が残れば、商会の人間として、官僚の窓口にされるわ」
「それは、人質と変わらない」
アジムが一人で王都に戻れば、技術だけ抜き取られ、村はいずれまた衰退する。
「だから、条件を付ける」
彼女は、まっすぐに言った。
「あなたは“技術者個人”として帰還する」
「私は、その交渉の席を作る」
逃避ではない。
切り離すための交渉。
アジムは、初めて頷いた。
Eパート:去った後に来る“本物”
夜明け前。
アジムはヴィントと、短い言葉だけ交わした。
船は残す。
技術は、頭の中だけ。
数日後。
港に現れたのは、王国の正式紋章を掲げた馬車だった。
人数も、態度も、違う。
官僚が問う。
「技術者アジムは、どこへ?」
ヴィントは、答えなかった。
港の奥で、冷えた鋼が、**キン……**と鳴った。
アジムの決断は、感情ではない。
状況を読み切った結果だ。
リーネは同行者ではなく、交渉カード。
村は救われたが、世界は、もう嗅ぎつけていた。
鋼は速すぎた。
だから、時代が動き出した。




