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第59話 ──ポンポン丸改でいいのか


ことわりを積む


オルガ村、港の最奥に位置する第零作業場。

そこには、これまで村の誰もが耳にしたことのない「音」が満ちていた。


──カン、カン、カン、カン。


それは、どこか冷徹で、規則正しい金属音だ。

漁師たちが使い慣れた「ポンポン丸」。

あの生き物が呼吸するような粘り気のある音とは全く違う。


「……なぁ、アジム。こいつ、本当に動いてるのか?」


船大工のヴィントが、怪訝そうに眉をひそめて、その「箱」を覗き込む。

アジムが『カンカン機関スターリングエンジン』と名付けた。

それは、外側に火を焚べられているにもかかわらず、煙を吐き出すこともない。

淡々と、ただ淡々と、内部のピストンを上下させていた。


「ああ。火の熱を食って、冷気で吐き出す。ただそれだけの理だ。……爆発させて無理やり動かしているわけじゃない。だから、嘘をつかない」


アジムの指先が、鋼のシリンダーをなぞる。

そこには、一分の狂いもない加工精度。

そして幾度も計算し直した「力の流れ」が刻まれている。


アジムはその機関を、まずは大型の双胴船へと据え付けた。

搭載数は八台。だが、船尾から突き出たスクリュー軸は二本。

四台の機関が、複雑に噛み合った歯車を介して一本の軸を回す。

「同期」という、アジム以外には理解不能な微細な調整が、八つの心臓の鼓動を一列に並べていた。


■無機質な成功


テスト航行は、驚くほど静かに始まった。


点火。

『カン、カン、カン』という音が速度を増し、連続したハミングのような音に変わる。

双胴船は、波を切り裂くのではなく、押し分けるようにして進み始めた。


「揺れねぇな……」


操舵輪を握る漁師が、呆気にとられたように呟く。

従来の帆船であれば、波にぶつかるたびに船体がきしみ、飛沫が甲板を洗う。

だが、アジムが組んだトラス構造のフレームは、加重を分散。

これによって双胴の片側が跳ねても中央のデッキには衝撃を伝えない。


「怖いくらい、普通だ」


漁師のその一言が、この技術の異常さを物語っていた。

帆を張る必要もなく、疲れ知らずで、一定の速度を維持し続ける。

それは、海を知る者にとって、自然の理を無視した「不気味な安定」だった。


■予定外の問い

帰港し、安堵の空気が流れる中、一人の若い漁師が口を開いた。


「なあ、アジムさん。 これ……もっと小さくて軽い船に載せたら、どうなるんだ?」


ヴィントが反射的に顔を険しくした。


「おい、やめとけ。船ってのは水の抵抗を受けるんだ。 力を大きくして船を小さくすりゃあ、いつかひっくり返る。 限度ってもんがあるんだよ」


だが、アジムの動きが止まった。

その視線は、作業場の隅に転がっている、トラス構造の「骨組みだけ」の細身な試作艇に向けられていた。


「……試してみるか」

「おい、アジム!」


ヴィントの制止も聞かず、アジムは八台の機関を、その細い骨組みの中へと詰め込み始めた。


■速すぎる


その船は、もはや「船」の形をしていなかった。

最低限の浮力を確保したトラスの骨に、八つの鋼の心臓を詰め込んだ、剥き出しの「動力」そのものだ。


アジムが一人で乗り込み、レバーを倒す。

操作は驚くほど単純だ。複雑な魔力操作も、熟練の舵捌きもいらない。

ただ、理に従って組まれたレバーを動かすだけ。


──キィィィィィィィン!


機関が最高回転に達した瞬間、船体は「加速」という概念を超えた。

水面を滑るのではない。

水の抵抗から、必死に逃げ出そうとしているかのような、暴力的なまでの直進。


一瞬で港の景色が引き伸ばされ、風圧がアジムの視界を奪う。

船首は水面から浮き上がり、トラスの骨組みが風を切って鳴く。


(……制御はできる。誰にでも、このレバー一つで)


アジムは、自分の手の内にあるレバーを握り直した。

指先ひとつで、子供でさえ、この世界の「距離」と「時間」を書き換えてしまう。

左右の景色が、まるで線のように後ろへと流れていく。


アジムは、すぐに熱源を遮断した。

急激に静寂が戻り、船体は慣性でしばらく滑ったあと、ゆっくりと水面に腰を下ろした。


■持ち主を選ばない力


港へ戻ると、漁師たちが騒然として駆け寄ってきた。


「なんだ今の!」「魔法か!?」「これなら、隣の国まで半日で行けるぞ!」


興奮する男たちの中で、誰かがぽつりと呟いた。


「これに弓使いを載せて、火を積めば……どんな軍艦だって沈められるんじゃねぇか?」

「……違う」


ヴィントが、冷たい声でそれを遮った。

彼は、試作艇から降りてきたアジムの、蒼白な顔を見つめていた。


「扱えるのは、誰だって同じだ。……だが、こんな『理』を形にできるのは、世界でこいつ一人しかいねぇ」


ヴィントは、まだ熱を帯びているシリンダーを指差した。

一分の狂いもない接合部。熱を力に変える、精密すぎる沈黙の機関。


「作り手がたった一人。なのに、使い手を選ばねぇ。……それが一番、厄介なんだよ」


アジムは何も言わず、自分の汚れた手を見つめていた。

自分が生み出したのは、特別な英雄にしか使えない「伝説の剣」ではない。

誰が振るっても同じ破壊力を生む「道具」なのだ。


「速さは、力だ」


アジムの独白が、夕暮れの港に小さく落ちる。


「だが、力は……持ち主を選ばない。俺がこれを作った以上、俺がこれを止めないといけないんだ」


作業場の奥からは、まだ冷めやらぬ機関が、時折『キン……』と、鋭い金属音を立てていた。

それはまるで、新しい時代の到来を告げる、不吉な鐘の音のようにも聞こえた。




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