第58話── 鋼の呼吸
作業場の奥。
炉の前で、ヴィントは腕を組んでいた。
床には円筒が二つ、上下に描かれた雑な図。
矢印がぐるぐると巡っている。
「……で、これは何だ」
「鍋だ」
「は?」
「正確には、昨夜暴れた鍋の“中身”だな」
アジムはそう言って、芋虫鉄に手を置いた。
「閉じ込めて、熱したら動いた。 押すだけじゃない。引く力も、確かにあった」
ヴィントは首を傾げる。
「火で動かすなら、ポンポン船と同じだろ。 密閉したら、普通は破裂する」
「だから、逃げ道を作る」
短く言って、アジムは鉄に命じた。
芋虫鉄が薄く延び、筒の形を取る。
同じものが、もう一本。
「……また無茶を」
呆れながらも、ヴィントは目を離せなかった。
二本の筒は、上下に並べられ、ひとつの器になった。
下は薄く、炎を喰う構え。
上は軽く、熱を拒む編み方。
同じ鉄。
だが役割は、正反対。
「見るぞ」
アジムは下の筒を水桶に沈め、上から炭を当てた。
すぐに、泡が上がる。
「……泡が出たな」
「次は、手を当てろ」
炭を離す。その瞬間。
「……吸われてる?」
ヴィントの声が低くなる。
「熱すると押す。 冷えると引く。 閉じ込めれば、力になる」
「……馬鹿げてる」
だが、ヴィントの目は笑っていなかった。
◆
次に、アジムは筒の中を示した。
内壁が、静かに磨かれていく。
光を吸い込む、鏡のような面。
そこへ、ぴったりとはまる筒が滑り込む。
「油は?」
「要らない。逃がさなければいい」
さらに、軽い筒を一つ。
「これは押さない。 空気を運ぶだけだ」
「……役割分担、か」
最後に、奇妙に曲がった鉄の棒。
「ずらすんだ。動きを」
「どれくらい」
「九十度」
ヴィントは眉をひそめた。
「中途半端だな」
「同時に動くと、力が殺し合う」
鍋の蓋が浮いて、閉じて、また浮いた、あの間。
アジムの頭には、それしかなかった。
◆
装置は炉の上に置かれた。
火を入れる。
しばらく、何も起きない。
「……やっぱり失敗――」
「まだだ」
かすかな音。
「……カタ」
ヴィントが息を呑む。
「昨夜と同じだな」
アジムは上の筒に水をかけた。
次の瞬間。
ドォォォ……!!
低く、重い音が作業場を満たした。
クランクが唸り、回転が跳ね上がる。
止まらない。
火がある限り、回り続ける。
「……爆発も無しで」
ヴィントは呆然と呟いた。
「蒸気も使ってねぇ……」
「温度差だ」
アジムは、脈打つ鋼に手を当てた。
「閉じ込めて、呼吸させる。 それだけだ」
装置は、静かに、確かに回っている。
「……これを」
ヴィントが言った。
「船に載せる気か」
アジムは頷いた。
「荒れても止まらない」
「揺れても壊れない」
「火さえあれば、進める」
ヴィントは、乾いた笑いを漏らした。
「……とんでもねぇ心臓だな」
アジムの目には、
未完成の双胴船が、はっきりと見えていた。
失敗の上に据えられる、
新しい“命”。
鋼は、温度差で息をする。
そして――
世界を動かし始めようとしていた。




