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第57話── 王都の影と、煮え立つ鍋


王都では、静かなざわめきが広がっていた。


発端は二つ。

ひとつは、王国商会が持ち帰った「揺れない馬車」。

もうひとつは、技師ギルドの重鎮ゼノが、怒りに任せて提出した報告書だった。


――辺境の村に、魔法を用いず理を歪める者がいる。

――鉄の性質のみで衝撃を制御し、既存の魔導理論を否定する危険人物だ。


文章は冗長で、感情が前に出すぎていた。

だが、それでも無視できない単語が、いくつも並んでいた。


「……で、どう見る?」


政府の役人は、机に並べられた書類に視線を落としたまま問う。


「ゼノの訴えは私怨が強すぎます」

「ですが、こちらは別です」


差し出されたのは、王国商会から提出された試験報告。

サスペンション馬車の走行記録。

荒れた街道を、通常の半分の時間で走破。

積み荷の破損率は激減。


「魔導馬車を使わずに、ここまでの成果……」

「物流が変わるな」


役人は、短くそう言った。


「軍部が、黙っていないだろう」


その言葉通り、王都ではすでに水面下で話が動き始めていた。

――この技術があれば、荒野を越えられる輸送馬車が作れる、と。


だが、まだ誰もオルガ村には来ていない。

役人たちは理解していた。

こうした技術は、拙速に触れれば壊れる。


「……まずは、様子を見る」

「視察の準備を整えろ」


歯車は、静かに噛み合い始めていた。



その頃のオルガ村は、いつも通りの夕暮れだった。


港の隅。

古い石積みのそばで、焚き火が起こされている。


「今日はな、魚だけじゃねぇぞ」


バルじいが籠を掲げる。


「カニだ、エビだ! 潮が良かったんだろうな」


漁師たちの歓声が上がった。


石で囲った即席のかまど。

大鍋が据えられ、海水を少し薄めただけの湯が煮え始めている。


「漁師鍋じゃ!」

「切って、放り込んで、煮るだけだ!」


具材は豪快だった。

魚は骨ごと、野菜は形も揃えず、甲殻類は殻付きのまま。


酒も回り、笑い声が増えていく。


アジムも、誘われるまま輪の中にいた。

木の椀を手に、湯気の立つ鍋を眺める。


(……こういう時間も、悪くない)


鉄と理に向き合う日々の中で、こうして何も考えずに腹を満たす時間は、確かに必要だった。


「おい、アジム!」


誰かが声を上げる。


「双胴船はどうなった?」

「また折ったのか?」


どっと笑いが起きる。


「沈んではいない」

「折れただけだ」


ぶっきらぼうな返答に、さらに笑いが広がった。


そのときだった。


――カタ、カタ。

鍋の蓋が、小さく音を立てた。

誰も気に留めない。

煮え立てば、よくあることだ。

だが、音は次第に規則的になっていく。


カタ。……カタ。

アジムの視線が、鍋に向いた。

蓋が、まるで内側から叩かれているように、持ち上がっては戻る。


(……変だな)


次の瞬間。


――パァン!


鋭い破裂音が響いた。

かまどの一角の石が弾け飛ぶ。


「うおっ!?」

「何だ今の!?」


続けて、鍋が大きく傾き、煮汁と具材が一気に溢れ出す。


「誰だ! 水に浸かった石を使った奴は!」


怒号と悲鳴。

誰かが転び、誰かが酒をこぼし、誰かが笑う。

完全な大騒ぎだった。


だが、アジムだけは動かなかった。

視線は、割れた石と、傾いた鍋に固定されている。


(水に浸かった石、か)


石の内部に残った水分。

熱せられ、逃げ場を失い、一気に膨張した。


鍋。蓋。火。水。


(……閉じ込めた結果だ)


一度、閉じ込めれば。

逃げ場を塞げば。

そこには、確かな力が生まれる。

それは、ポンポン機関と同じ理だった。


水を熱する。蒸気が生まれる。

圧が溜まる。問題は――。


(制御だな)


誰かが言った。


「まあ、鍋は駄目になったが」

「腹は減ったままだ!」


笑い声が戻る。

新しい鍋が据えられ、今度は蓋を少しずらして。


アジムは、静かに息を吐いた。


(閉じ込めるだけじゃ、破壊になる)


なら、どうする。

答えは、すでに浮かんでいた。


「……だから、出口を作ればいいか」


圧を逃がすための通路。

溜めて、解放するための道。


ポンポン機関の鼓動が、脳裏で重なった。


宴は続く。

酒は進み、鍋は煮え、笑い声が夜に溶けていく。


だが、その片隅で、

また一つ、新しい理が芽吹いていた。


港の向こう、暗い海が静かに揺れている。


誰も知らないところで、

世界は、確実に次へ進んでいた。


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