第56話── 走れ双胴船
港の一角、使われなくなった桟橋の先に、奇妙な船が浮かんでいた。
二つの細長い船体が、横に並び、中央を太い梁で繋がれている。
船大工ヴィントが「双胴船」と呼ぶその形は、この地方ではほとんど見られないものだった。
「見た目は悪くねぇがな……」
ヴィントは顎を撫でながら、船体の接合部を睨んでいた。
「問題は、ここだ」
中央の梁。
左右の船体を繋ぐ、船の背骨とも言える部分だ。
「左右で別々の波を食らう。 片方が持ち上がり、片方が沈む。
そこに動力の振動が乗る……」
ヴィントは、わざと足で船体を揺すった。
「この船、海に出る前に自分で折れるぞ」
アジムは無言で船を見つめていた。
双胴船。
波をいなすための形。
理屈は分かっている。
だが――
理屈だけでは、海は越えられない。
「だから、だ」
アジムはそう言って、中央梁の内部を指した。
そこには、鉄の帯が幾重にも重なり、捻れるように組み込まれている。
芋虫鉄に命じ、“しなること”を前提に作らせた構造だった。
「捻じれるなら、折れない」
「折れないなら、衝撃を逃がせる」
アジムの理は、そう告げていた。
ヴィントは一瞬黙り込み、やがて苦笑した。
「……職人ってのはな、 理屈が合ってるほど、怖ぇんだ」
◆
試運転は、港内で行われた。
動力は、例のポンポン機関。
軽く、簡素で、だが脈打つように振動を発する厄介な代物だ。
「回すぞ」
アジムが合図を出す。
ポン、ポン、と腹に響く音。
船体が前に出る。
最初は、問題なかった。
双胴の船体は水を切り、単胴船よりも安定して進む。
揺れも少ない。
「……悪くねぇ」
ヴィントが呟いた、その瞬間だった。
船体の中央から、嫌な音がした。
ギシ、と。
鉄が悲鳴を上げる音。
次の瞬間、左右の船体がわずかにズレる。
「止めろ!!」
ヴィントの怒鳴り声と同時に、ポンポン機関が停止する。
船は止まったが――
中央梁は、明らかに歪んでいた。
「……やっちまったな」
ヴィントは溜息をついた。
「しなる構造は、確かに波には効く」
「だがな、動力の振動まで抱え込んだら話は別だ」
彼は梁を叩いた。
「波は外から来る。 だがこいつは、中から殴ってくる」
アジムは、歪んだ鉄を見つめていた。
(……同時だ)
波。振動。捻れ。
三つが同時に来た時、サスペンションは逃がす先を失う。
「万能じゃない、か」
ぽつりと、アジムが呟く。
ヴィントは頷いた。
「サスは悪くねぇ。 だが、船体に入れるもんじゃねぇ」
◆
その日の夕方。
船は引き上げられ、作業場に戻された。
双胴船は失敗。中央梁は作り直し。
だが、アジムは落ち込んではいなかった。
作業台の上で、彼はポンポン機関を見つめていた。
ポン。ポン。
規則正しく、だが確実に振動する。
(……揺れてるのは、船じゃない)
(こいつだ)
アジムは、機関の下に目をやった。
固定台。鉄のボルト。
がっちりと締め上げられている。
「……ヴィント」
「なんだ」
「この機関、浮かせたらどうなる」
ヴィントは一瞬きょとんとし、次いで目を見開いた。
「浮かせる、だと?」
「船体じゃない。 機関だけだ」
アジムは、サスペンション用に作った芋虫鉄を指した。
「揺れを止めるんじゃない。 揺れていい場所を決める」
◆
即席で組まれた、新しい台座。
芋虫鉄の反動体を四隅に配置し、その上にポンポン機関を載せる。
完全固定ではない。
だが、暴れさせもしない。
「……なるほどな」
ヴィントが唸る。
「船は硬く。 中身は柔らかく、か」
再起動。
ポン、ポン。
音は同じ。
だが、振動の伝わり方が違った。
床板に立つと、はっきり分かる。
揺れが、途中で殺されている。
「これは……」
ヴィントは思わず笑った。
「船大工の仕事が減るな」
「その代わり、別の仕事が増える」
アジムはそう言って、椅子を指した。
◆
船に置かれた、簡素な操舵席。
その下にも、同じ反動体が仕込まれている。
座ると分かる。
揺れはあるが、衝撃がない。
「……長時間、乗れるな」
ヴィントが感心したように言う。
「荒れても、身体が先に壊れねぇ」
アジムは頷いた。
(船を守るんじゃない)
(人と機械を守る)
土地神に言われた言葉が、胸をよぎる。
――守りたいのか。進みたいのか。
今なら、分かる。
「両方だ」
アジムは、静かにそう呟いた。
◆
双胴船そのものは、未完成だ。
中央梁の問題は、まだ解けていない。
海の理は、そう簡単に折れてはくれない。
だが――
ポンポン機関用の防振台。
操舵席の衝撃吸収構造。
それらは、確かな成果だった。
ヴィントは船体を見上げ、言った。
「失敗だがな」
「無駄じゃねぇ」
アジムは、鉄に触れた。
叩けば、形を変える。
だが、理は一度では曲がらない。
「次は、もっと上手くやる」
港の向こうで、波が砕ける。
双胴船は、まだ夢の途中だ。
だが、進む道は――
確かに、見えていた。
◆後日談
この後、船体を再設計し、トラス構造の一体化された双胴船が動力を乗せ換えて、デッキの広さなどから漁師の船へとなっていく。




