第55話 ── 鋼は語り、理は踊る
朝の港は、穏やかだった。
潮の匂いが漂い、木箱を積む音と、子供たちの声が混じり合う。
昨日まで張り詰めていた空気は嘘のように薄れ、村はようやく日常を取り戻しつつあった。
「アジムさん! これ、見て!」
呼ばれて振り向くと、数人の子供が駆け寄ってくる。
手にしているのは、歪な木の独楽や、粗雑に鋳造された小さな鉄の玩具だった。
「すぐ倒れちゃうんだ」
「石に当たると、止まるんだよ」
アジムは無言でそれらを受け取った。
掌の上で軽く回し、転がし、軸のブレを確かめる。
(……笑顔のため、か)
ラグスが目を輝かせていた顔。
港で働く者たちの安堵。
そして、リーネの笑顔。
アジムは小さく息を吐いた。
「……直す」
それだけ言って、作業場へ向かう。
◆
作業場の隅に積まれた芋虫鉄。
アジムはその一本を手に取ると、軽く叩いた。
「細くなれ」
命じるだけで、鉄は応じる。
引き延ばされ、均一な細さを保ったまま、するすると形を変えた。
螺旋に巻く。
芋虫鉄は、自らの内部に力を溜め込む。
「……戻りたがれ」
撓み、抗い、返ろうとする意思。
もう一本。
今度は薄く、帯状に延ばす。
「巻け」
帯鉄は渦を描き、中心へと収束する。
蓄えられる力。
解き放たれる運動。
それらを独楽の内部に組み込む。
「……中で、勝手に働け」
完成した独楽を子供たちに返す。
「少し捻ってから、放せ」
独楽は唸りを上げ、石畳の上で回り始めた。
傾いても、倒れない。
「すげぇ!」
「止まらない!」
歓声。
だが――。
◆
街道の向こうから、豪奢な魔導馬車が現れた。
王都技師ギルドの紋章。
降り立ったのは、銀縁の法衣を纏う男――ゼノ。
「……これが噂の辺境か」
冷笑。
「王国の物流を乱すペテンが、こんな場所で行われているとはな」
アジムを見据える。
「君がアジムか。 独学の職人風情が、重力制御を凌駕したと聞いてな」
声に、怒りが滲む。
「許されると思うか? 重力と衝撃は、選ばれた者の領域だ」
沈黙。
「……玩具か」
ゼノは、近くの子供から独楽を取り上げた。
「条件は同じ方がいい」
魔力が流れ込む。
「見ていろ。回転とは、こう制御するものだ」
風を纏った独楽が、完璧な直立で回る。
「並べろ」
◆
二つの独楽。
最初は、ゼノの独楽が優勢だった。
だが、海からの突風。
制御が乱れ、石畳の窪みに乗り――横転。
「な……っ!?」
一方、アジムの独楽は。
一度傾き、次の瞬間、戻る。
反動体が衝撃を返し、巻き取り鉄が回転を支える。
静かに、回り続けた。
アジムは、独楽を見下ろす。
「……回ってる限り、倒れないんだな」
ゼノの顔が歪む。
「馬鹿な……! 二つ以上の衝撃が重なれば、必ず破綻するはずだ!」
(二つ……)
アジムの視界が切り替わる。
波。
船。
二つの船体。
捻れ。
(……硬くするから、折れる)
地面に図を描く。
「……動かせばいい」
◆
「聞いているのか! 私の理論を――!」
ゼノの声は、もはや届かない。
リーネが微笑む。
「船、ですわね」
「ああ」
ゼノは後ずさった。
「……怪物め」
感情を剥き出しにし、吐き捨てる。
「覚えていろ!
王都は……技師ギルドは……
こんな真似、絶対に許さん!」
怒りを抱えたまま、馬車に乗り込み、去っていった。
静寂。
アジムとリーネは、顔を見合わせた。
「……あいつ、誰だ?」
「さあ。何しに来たんでしょうね?」
二人同時に、小さく首を傾げる。
◆
子供たちの笑い声が戻る。
独楽は、まだ回っていた。
アジムは作業場へ向かう。
その背中は、迷っていなかった。
鋼は、語る。
理は、踊る。
未来は――
もう、回り始めている。




