第53話── 立ち止まれる場所
港の喧騒は、いつも通りだった。
鉄の爪が荷を吊り上げ、滑車が軋み、掛け声が飛び交う。
昨日と同じ、いや、昨日よりも少しだけ滑らかに流れている。
アジムの胸の奥には、妙な重さが残っていた。
バーザムは去った。
皇国の圧力は、一旦引いた。
だが――終わったわけではない。
管理棟の外、桟橋の端で、ラグスが腕を組んで港を眺めていた。
「……正直、ここまでとは思っていなかった」
ラグスはそう言って、苦笑した。
「副会長が来たって聞いた時は、胃が痛くなったよ。 まさか、皇国が“ここ”にそこまで噛んでくるとはな」
「噛んできた、というより……噛みつこうとして歯を折っただけだ」
アジムがそう返すと、ラグスは短く笑った。
「言うね。だが、間違っちゃいない」
二人の視線の先で、積み荷を満載した船がゆっくりと離岸していく。
「王都までの輸送路だがな」
ラグスは話題を切り替えた。
「量が増えすぎている。 道幅が足りない。馬車の往復で轍が深くなっている。
このままじゃ、いずれ詰まる」
「整備は?」
「追いつかない。 ……正直に言う」
ラグスは一度、言葉を切った。
「王国商会は、“任せられるか”を見に来た。 港も、人も、全部だ」
アジムは黙って聞いていた。
「だがな」
ラグスは港を指さした。
「今は逆だ。 俺たちが“任せてもらえるか”を試されている」
アジムは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
「文句は山ほどある。 副会長の件もな」
ラグスは肩をすくめる。
「だが今日は帰る。 頭を冷やして、もう一度考える」
それだけ言って、ラグスは踵を返した。
残されたのは、港の音と――
行き場のない思考だった。
気づけば、アジムは港を離れていた。
誰かに相談しようと決めたわけじゃない。
足が、自然と向いていただけだ。
村外れの小さな祠。
近づいて、アジムは足を止めた。
(……増えてるな)
供え物が、明らかに増えていた。
果物、干し肉、布切れ、酒。
以前よりも、種類も数も多い。
「……ようやく来たか」
背後から、気の抜けた声がした。
「港の主ともあろう者が、随分と顔が険しいではないか」
振り返ると、土地神がそこにいた。
初めて会った頃と同じ。
威圧感はなく、だが、すべてを見通す目。
アジムは、肩の力を抜いた。
「……なんか、疲れてな」
「そりゃそうじゃろうよ」
土地神は祠に腰を下ろす。
「港を一つ作っただけで、国と商会が群がってきおる。ほっほっほ」
アジムは、苦笑した。
「俺は、港を、皆を守りたかっただけなんだ」
「ほう」
土地神が目を細める。
「守るために、何をするつもりだ?」
アジムは、答えに詰まった。
高速艇。動力。防御。火力。
頭の中には、次々と形が浮かぶ。
「……止まらないんだ」
ぽつりと、言葉が落ちた。
「技術が。 考え始めると、次が見えてしまう」
「作れば守れる。 でも、作りすぎたら……」
言葉が続かない。
土地神は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「村の様子には、気づいておるか?」
「……何かあったのか?」
「力は与えた」
アジムは眉をひそめる。
「だが、使ってはおらん」
土地神は続けた。
「条件を整えただけじゃ。 思いを成すのは本人じゃ」
「自覚し、意識しなければ、何も起きん」
アジムは、息を呑んだ。
「じゃあ……」
「今は、誰も使えとらん。 だが、素養は芽吹き始めておる」
土地神は供え物に視線を向ける。
「祠に来る者が増えた。 それだけで、わしは少し力を取り戻した」
「……俺は」
アジムは、視線を落とした。
「一人で背負いすぎてた、ってことか」
「そうだな」
土地神は、あっさりと言った。
「お前は、“守りたい”のか」
「それとも、“進みたい”のか」
アジムは、答えられなかった。
だが、胸の奥で、何かがほどけた。
「……一人じゃないなら」
そう、呟く。
「進んでも、いいのかもしれないな」
土地神は、ふっと笑った。
「ようやく、港の主らしくなってきたわい」
アジムは立ち上がり、祠を後にした。
港の音が、遠くで響いている。
止まる気配はない。
だが今は――
その音が、少しだけ心強く聞こえた。




