第52話 ── 動き続ける港、止まる者たち
南方街道を進む馬車隊は、朝の光を浴びながらオルガ村へと向かっていた。
先頭を行くラグスは、馬車の揺れと車輪の軋みを感じ取りながら、道の状態を頭の中で整理していた。
(……ここは相変わらず狭い。馬車同士がすれ違うには厳しい)
(低地のぬかるみは、雨季には完全に沈む。路盤を上げる必要がある)
(崖沿いのカーブは視界が悪い。削って広げたいところだ)
港そのものは、前回来た時点で十分に理解している。
鉄の爪も、荷役橋も、動線も、すでに完成度が高い。
評価する必要はない。
今日の目的は三つ。
・挨拶・道中の状況確認・商会への報告
それだけだ。
「ラグスさん、港が見えてきました」
若手商人が声をかける。
「見れば分かる。問題はそこじゃない」
ラグスは馬車を降り、港を一瞥した。
鉄の爪が荷を吊り上げ、滑車が唸り、人が動き、船が動き、荷が流れる。
前回と同じ。
いや、前回より“安定”している。
(港はもういい。 見るべきは“そこまでの線”だ)
ラグスは管理棟へ向かった。
その扉の向こうで、すでに別の火種が燻っていることも知らずに。
◆
管理棟会議室。
重い空気が漂っていた。
リーネは机の前に座り、疲れ切った表情で俯いている。
アジムは壁際に立ち、静かに場を見守っていた。
そして――
ルーン商会副会長、バーザムが外套の前を整え、今まさに部屋を出ようとしていた。
(……あの男)
バーザムの胸の奥には、まだ怒りが残っていた。
アジムの「売らない」という一言。
あれは、ただの反抗ではない。
鉄が止まる。流通が止まる。生産が落ちる。
その意味を、バーザムは誰よりも理解している。
(踏み込めば、こちらが死ぬ)
だから退いた。
怒りを押し殺し、威厳を保ち、何も言わずに。
だが、怒りが消えるわけではない。
(……クソが)
その時だった。
扉が開く。
「失礼する。王国商会南方担当、ラグスだ」
バーザムの視界に、王国商会の徽章が入った。
――見つけた。
(……ちょうどいい)
表情は変えず、バーザムは振り向いた。
「ほう。王国商会か」
声は穏やか。
だが、内側では牙を剥いていた。
◆
「皇国商会副会長、バーザム・ド・ルーンだ」
名乗りと同時に、場の空気が変わる。
「この港には、すでに皇国商会が関与している。 貴商会が来るより前から、な」
若手商人たちがざわつく。
ラグスは一歩も引かない。
「承知している。 だが、ここは王国領内だ。 王国商会が運用試験を行うのは当然だろう」
「試験?」
バーザムは鼻で笑った。
(評価? お前らは何様のつもりだ)
「皇国商会は“先行投資者”だ。 免税、支店、初期物流―― すでに動いている」
これは港への主張ではない。
王国商会へのマウントだ。
「後から来て、評価とは…… 随分と都合のいい話だな」
ラグスの眉がわずかに動く。
(……噛みに来ているな)
だが、ラグスは淡々と返す。
「先行していようと、最終的な物流網を構築するのは王国商会だ」
「港の稼働は確認済みだ。 問題は“そこまでの線”だよ」
バーザムの内心が嗤った。
(そうだ。 そうやって“上”でいるつもりでいろ)
◆
二人の視線の間で、リーネは唇を噛みしめていた。
(……この人たち)
見ている方向が、完全にズレている。
「……一つ、言わせてください」
静かな声。
二人の視線が向く。
「あなた方は、この港を“取り込む対象”としてしか見ていない」
「人が動いています。 荷が流れています。 信頼が積み上がっています」
「それは、どちらの許可も待っていません」
バーザムは内心、苛立った。
(まだ言うか)
だが、表情は崩さない。
ラグスも怪訝な顔をする。
(感情論だ)
リーネは静かに続けた。
「この港は、“誰かに評価されるため”に動いているわけじゃありません」
「もう、動き始めているんです」
◆
沈黙。
その沈黙を破ったのは、アジムだった。
「噛みつく相手を、間違えるな」
バーザムの視線が、思わず動く。
アジムは窓の外の港を見ながら言った。
「港は、任せる相手は選ぶ。 商会も、国もな」
それ以上は言わない。
だが、それで十分だった。
バーザムは外套を整えた。
「……今日は、ここまでにしておこう」
それが、彼にできる最大限だった。
威厳を残し、踵を返す。
(覚えていろ)
その怒りは、消えていない。
ラグスは、重く息を吐いた。
(……俺たちは)
だが、その違和感を言葉にすることはなかった。
リーネは静かに立ち上がった。
「選ぶのは、私たちです」
港の外では、鉄の爪が荷を吊り上げていた。
止まる気配は、どこにもなかった。




