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第48話 ── 名を名乗る者、名を持つ村


朝の港に、潮の匂いとは異なる緊張が流れ込んだ。


荷役橋は動いている。

鉄の爪が荷を掴み、船から陸へと運ぶ。

いつもと同じ光景――だが、村の入口に立つ人影が、その空気を変えていた。


王国の紋章を染め抜いた外套。

馬に乗った一行の中央に立つ男は、顎を上げ、村を見下ろしている。


「――ここが、オルガ村か」


その声には、確認の響きはない。

前提として、知っている者の声だった。


村の入口で、先頭に立ったのは老人だった。

杖を突き、背を伸ばす。

白髪混じりの髭を整え、ゆっくりと一歩前に出る。


「わしが、この村の村長――バルじゃ」


その背後で、村人たちが息を潜める。

使者は、老人を一瞥した。


「本日は、辺境伯アルヴェーン様の名において来訪した」


わざとらしく言葉を切る。


「貴村が、近頃“港”を名乗り、他国商会と取引を行っている件について――

領主としての立場を示しに来た」


その瞬間、村人の間から声が飛ぶ。


「今さらかよ!」

「半年前は、誰も来なかったくせに!」


ざわめき。


使者の護衛が、苛立たしげに剣へ手を伸ばした――その時。

一歩、前に出る影が三つ。

剣を抜かない。

だが、間合いに入った瞬間、勝敗が決まる距離。


アステル。ハバス。ゴーリキ。


肩口には、揃ってルーン商会の紋章。


護衛の動きが、止まった。


空気が張り詰める。


「……下がれ」


使者が低く命じる。

剣にかけた手が、ゆっくりと離れた。


使者は、改めてバルじいを見る。


「無礼は不問とする。 だが、勘違いするな」


声は、上からだ。


「この地は、王国の領土だ。 港の建設、商会の誘致、 いずれも本来は領主の裁量下にある」


村人の中から、くぐもった笑いが漏れた。


「裁量、ねえ……」

「都合のいい時だけ出てきやがって」


使者の眉が、ぴくりと動く。


「――静かにせよ」


その声に、威圧が乗る。


だが、次に口を開いたのは、護衛でも商人でもなかった。

バルじいだった。


「裁量、か」


杖を地面に、どんと突く。


「なら聞こう。 嵐で家が流された時、 飢えで村が消えかけた時、 その裁量とやらは、どこにあった?」


使者は、言葉に詰まる。


「徴税不能と書かれ、 台帳から消され、 “勝手に死ね”と言われた村じゃ」


バルじいの声は、怒鳴りではない。

だが、重かった。


「その後で、生き残った者が、必死に港を作った。 商いを呼んだ。 人を守った」


一拍、置く。


「……それを今さら、“立場を示しに来た”じゃと?」


村人たちが、頷く。


使者は、視線を逸らさず言った。


「過去の不手際は認める。 だが――」


言葉を切る。


「本日は、確認ではない」


はっきりと。


「この村が、 王国の統治圏にあるという事実を、 改めて伝えに来た」


その場に、沈黙が落ちる。

そこへ、穏やかな声が割って入った。


「承りましたわ」


リーネだった。


柔らかな微笑み。

だが、視線は逸らさない。


「王国の一部であることに、異議はございません」


使者が、わずかに頷く。


「だが」


リーネは続けた。


「統治とは、責任と対価が対になってこそ成立します」


港を指す。


「この港は、誰の命令でもなく、誰の支援もなく、ここまで育ちました」


言葉を選ばない。


「それを前提にした上で、王国として、どう関わるのか」


静かに、問いを投げる。


使者は、深く息を吸った。


「……本日は、ここまでだ」


完全な撤退ではない。

だが、踏み込めなかった。


「報告は、正確に行う」


それは、脅しでも約束でもある。


踵を返す一行。


去り際、使者は一度だけ振り返った。


「覚えておけ」

「この村は、もう“見逃せる辺境”ではない」


バルじいは、杖に手を置いたまま答えた。


「それで十分じゃ」


馬蹄の音が遠ざかる。


港の機械音が、再び主役に戻る。

リーネが、静かに呟いた。


「……これで、正式に名乗りましたわね」


アジムが頷く。


「後戻りはないな」


バルじいは、空を見上げた。


「最初から、戻る場所なんぞ、なかったわい」


港は動いている。


今度こそ――

誰の目にも、止められない形で。



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