第46話 ── 村長は、港ではなく「村」を差し出す
港から吹き上げる風が、高台の村を撫でていた。
鉄の匂いと、潮の匂いが混じる、ここ数か月で馴染んだ空気。
オルガ村の入口に、一団が姿を現したのは昼前だった。
王国の紋章を刻んだ外套。
数は少ないが、動きは整っている。
「……来たか」
バルじいは、杖をつきながら一歩前に出た。
年寄りの歩みだが、逃げ腰ではない。
背後では、村人たちが作業の手を止めている。
誰も前に出ない。
――今日は、村長の仕事だと分かっていた。
「オルガ村の代表は、わしじゃ」
使者は、軽く頭を下げた。
「王国辺境伯アルヴェーン様の名において参った。
本日は、現地確認と協議を目的としている」
言葉は丁寧だ。
だが、目的ははっきりしている。
「協議、とな」
バルじいは、書状を受け取らずに言った。
「何を協議するんじゃ」
使者は、少し間を置いた。
「港湾設備の規模が、事前報告を大きく上回っている。 ついては――」
そこで、言い切った。
「領主権に基づく管理関与の可能性について、話を詰めたい」
村の空気が、ぴしりと張り詰めた。
管理関与。
つまり、口出しだ。
バルじいは、目を細めた。
「……今さら、関与かの」
「王国法に従えば当然です。 港は軍事・物流両面で重要施設になり得る」
理屈は通っている。
だからこそ、質が悪い。
「わしらが、この浜に取り残された時」
バルじいが、静かに口を開いた。
「法は、どこにあった?」
使者は、答えなかった。
「嵐で家が潰れ、漁に出た者が戻らず、村が“廃村”と書かれた時――」
杖を、地面に軽く突く。
「王国は、何かしてくれたかの」
「……それは」
「しておらん」
即答だった。
「だから、台帳に“徴収不能”と書かれた。 それで終わりじゃ」
村人たちが、黙って聞いている。
今まで、誰も口にしなかった言葉。
「わしらはな、守られもせず、頼られもせず、忘れられた土地じゃった」
バルじいは、港の方を見た。
「それを、生き残った者が、自分の手で立て直した」
視線を戻す。
「今度は“管理”か?」
使者は、わずかに声を強めた。
「感情論では済みません。 秩序の問題です」
「秩序?」
バルじいは、笑った。
「秩序とはな、 生きている者に使う言葉じゃ」
重い沈黙。
その後ろで、リーネは一言も挟まない。
アジムも、腕を組んだままだ。
――これは、村の話だ。
使者は、深く息を吸った。
「……では、港を視察させていただきたい」
「断る」
短く、はっきり。
「港だけを見て、 この村を量られては困る」
「……では?」
「村を見ろ」
バルじいは、譲らない。
「人を見ろ。 暮らしを見ろ。 それから話をしよう」
使者は、数秒考え――
「……承知した」
声から、先ほどの圧が消えていた。
村を案内する途中、整えられた家屋、倉庫、子どもたちの声を、使者は黙って見ていた。
最後に、港を見下ろす丘に立つ。
「……想像以上です」
それが、本音だった。
バルじいは、ゆっくり頷いた。
「わしらは、 港を作ったんじゃない」
一拍。
「生きる場所を、取り戻しただけじゃ」
使者は、深く頭を下げた。
「本日のところは、 報告に留めます」
それが、事実上の後退だった。
去っていく一団を見送りながら、バルじいは、ようやく息を吐いた。
「……疲れたわい」
その背中に、リーネが声をかける。
「ありがとうございます。 村長」
バルじいは、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「今まで、言えんかったことを言っただけじゃ」
アジムは、港を見下ろす。
「……これで、正式に動くな」
「ええ」
リーネは頷いた。
「でも――」
微笑む。
「もう、後戻りはできません」
港は動いている。
村も動いている。
そして、ようやく――
王国の側も、腰を上げ始めた。




