第44話──「これは、潰せない」
王都・王国商会本部。
重厚な会議室には、複数の帳簿と地図が広げられていた。
空気は張りつめ、誰もが軽口を叩く余裕を失っている。
中央に座るのは、王国商会南方担当の統括役。
ラグスは壁際に立ち、報告を終えたところだった。
「……つまり」
統括役が、地図上の一点を指で叩く。
そこには、小さく記された文字。
――オルガ村。
「港湾設備は完成済み。
皇国商会の正式支店が先に入り、
徴税官は“交渉の末に折れた”」
一拍置いて、続ける。
「免税特例は、事実上、維持されたまま。 しかも、それは彼らの選択だ」
沈黙。
誰も、すぐには口を開かなかった。
「……想定と違うな」
財務担当が、低く呟く。
「こちらが主導権を握る前に、“逃げ道”と“後ろ盾”を、先に確保されている」
「逃げ道、というより……」
別の役員が、苦い顔で言葉を継ぐ。
「こちらが“押せない盤面”を、最初から作られている」
港を作っただけではない。
皇国商会を先に入れたことで、
・王国商会が強硬に出れば、外交問題
・何もしなければ、物流の主導権を失う
という二択を突きつけられていた。
「……誰が、ここまで考えた?」
統括役の視線が、ラグスに向く。
ラグスは、わずかに間を置いてから答えた。
「港を作った男は、職人です。 ですが――」
一度、息を吸う。
「取引を組み立てているのは、あの娘です」
「娘?」
「皇国商会の会長の娘。 ただの令嬢ではありません」
ラグスは、はっきりと言った。
「彼女は、“商会同士を競わせる”という発想を、最初から前提にしています」
会議室の空気が、変わった。
「……利用されているのは、我々か?」
「いいえ」
ラグスは首を振る。
「“対等に選ばれる側”に、引き上げられたんです」
商人にとって、それは最大級の評価だった。
「……潰せないな」
統括役が、結論を下す。
「正面交渉だ。 価格ではなく、“陸路”を武器にする」
「妥当だな」
ラグスは、内心で小さく息を吐いた。
(……あの港は、もう“田舎の奇跡”じゃない)
(ひとつの、市場だ)
ラグス ──「あいつらは、もう“村”じゃない」
会議が終わり、廊下に出たところで呼び止められる。
「ラグス」
統括役が振り返った。
「次の交渉、前に出ろ」
一瞬、ラグスは目を見開いた。
「俺が、ですか?」
「現地を知っている。それに……」
わずかに、笑う。
「“甘く見ない男”だろう?」
ラグスは苦笑した。
「……昔は、壊れかけの村でしたよ」
「今は?」
「油断すると、喰われます」
その評価が、すべてだった。
(あの職人も、あの娘も)
(“商売の怖さ”を、ちゃんと知っている)
ラグスは、久しぶりに胸が高鳴るのを感じていた。
領主アルヴェーン ──「また、報告書だ……」
同じ頃。
辺境伯領、領主館。
アルヴェーンは、机に突っ伏していた。
「……頭が痛い……」
胃も痛い。
だが、それ以上に、頭が痛い。
「殿」
補佐官が、そっと声をかける。
「王国商会から、照会が来ております」
「……今度は、何だ」
「オルガ村港を経由した物流について、“領主としての見解”を求めているようです」
アルヴェーンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……私は、何も知らない」
「はい」
「だが……何も知らないでは、済まなくなってきたな」
机の上には、
・中央徴税官からの報告
・王国商会の照会
・皇国商会支店設置の写し
が、綺麗に揃っている。
どれも、無視できない。
「……なぜだ」
小さく呟く。
「なぜ、辺境の廃村が、私の胃を、ここまで痛めつける」
補佐官は、答えなかった。
答えは、誰の目にも明らかだったからだ。
――オルガ村は、もう「放っておける場所」ではない。
アルヴェーンは椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
「……正式な使者を、出すべきか」
その言葉に、補佐官は慎重に答えた。
「今度は……“名を借りる者”ではなく、責任を負える者を」
胃が、きりりと痛んだ。




